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コラム

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ライタープロフィール

林 明文
林 明文(はやし あきふみ)

青山学院大学経済学部卒業。 トーマツコンサルティング株式会社に入社し、人事コンサルティング部門シニアマネージャーとして 数多くの組織、人事、リストラクチャリングのコンサルティングに従事。その後大手再就職支援会社の設立に参画し代表取締役社長を経て当社設立。代表取締役シニアパートナーを経て現職。明治大学専門職大学院グローバルビジネス研究科客員教授。

変わる評価 | その他

変わる評価

 社員の評価に問題のない企業はない。問題がないどころか、評価が全く機能していないなど極めて深刻な状態にある企業も少なくない。  近年日本企業の人事制度は、緩やかではあるが大きく方向を転換してきた。年功的処遇、終身雇用の制度から、実力、成果を重視する制度へと確実に変化している。今やどの企業でも、実力、成果で社員の処遇を決定することを、基本的な思想として普通に表明している。実力、成果を軸とすると、今までより理論的、体系的な仕組みが要求される。等級制度は、社員のレベルをより詳細に定義しなければならない。また労働市場に合わせて職種別に再編したり、等級の定義をより詳細化する傾向にある。また昇格だけでなく降格も普通の機能となってきた。実力で処遇するためには、実力に応じた等級にすることであるため、等級が上がる一方ではなく、エレベーター式の仕組みが求められるからである。給与制度では、等級が違えば月給に差をつけるような、階段状の月給が多くなった。賞与に関しては、成果を挙げたものに、さらにより多くの配分をする傾向にある。  実力、成果重視の制度を実際に機能させるためには、等級制度、給与制度が理論的、構造的に設計されている上で、評価制度が機能しなければならない。評価が甘い、実際の差を反映しないものであれば、制度の威力は発揮されないからである。この評価が機能している企業が実に数ないのだ。  適正な評価を行うために、今まで経営や人事は様々な手法でこの問題を解決しようとしてきた。代表的なものは、評価者研修である。評価を行う上司に評価に関する教育を行うものである。また二次評価などのように、上司が行った評価をそのまた上の上司が再チェックすることも多くの企業で実施されている。さらに評価表一枚一枚を会議体で検証するような取り組みも多い。絶対評価をやめ、相対順位で評価を決定する企業も一定数ある。結果としてみると、これらの手法は適正な評価を行うための決定打ではなかったということだ。上記の手法は、一部は一時的な効果にとどまり、一部は効果があるが実施の負荷が高すぎるなど課題が残り本質的な解決にならない。  長期雇用で職場内のチームワークを重視する組織体で、上司は部下にストレートな評価が困難である。どうしても甘い評価になったり、差をつけない評価になってしまう。利害関係のある、上司から部下への評価を適正にする努力は実を結ばないということだ。最近はこの問題を解決するために、多面評価と外部評価を用いる企業が現れ始めた。上司だけでなく、多くの関係者の評価のほうが組織内では正しい評価ではないかということである。外部評価は主に管理職などの管理能力を外部の専門家が判定するというものである。社内の衆目の評価と外部視点での実力評価で判定するというものである。たしかにこの手法は解決しなければならない課題はあるが、今までの手法と比較にならない決定的な解決策になる可能性を持っている。評価が機能しない限り人事制度が当初の目的を達しない。評価を機能させるためには、何度も失敗してきた手法を捨て、新たな解決策を模索する必要があるのではないか。 以上

50代半減 | 雇用施策・その他

50代半減

 長期雇用を前提とした日本の人事管理では、社員の年齢構成は非常に重要な論点となる。企業が持続的に成長するためには、その企業のコアノウハウ、文化を次世代に継承し、さらに発展させていくとう連続的な循環が必要となる。そのためには、年齢構成は緩やかな台形型が理想形である。台形型の年齢構成は、毎年ほぼ同数の定年及び自己都合退職者が出て、ほぼ同数の新卒社員が採用されるということだ。退職社員と採用社員がほぼ一定であることから、継続性のある安定したノウハウ、文化の継承がされるという考え方だ。  台形型の年齢構成でない企業では、年齢構成由来で重大な問題が発生する傾向にある。近年日本の大手企業の代表的な年齢構成は、バブル採用の50歳代の社員が非常に多く、逆に40歳、30歳代は極端に少ない。長い採用抑制の影響である。近年は積極的に新卒採用をする企業が増えたため、20代半ば以下は比較的多くの社員が在籍している。このため平均年齢は40歳を超えており、職場の雰囲気もマチュアだ。  50歳代のような年齢構成の突出層は、放置すると大きな問題を発生させる。まず突出層の社員はスキルが高くない傾向が強い。若いうちはこの問題は顕在化しないが、職場の中で中堅的仕事、係長や管理職候補の年代になってくると、実際に担当している業務と処遇の不整合が発生する。下の年代の人数が少ないため、ずっと実務を担当しなければならないからだ。年功的な企業であれば、等級は上昇するため、次第に仕事のレベルと等級のミスマッチが増大する。その結果年齢上昇→等級上昇→人件費上昇という人件費上の問題も発生する。さらに下の年代の社員が極端に少ないため、部下が少ない、ないしはいないこともある。そのためリーダーシップが鍛えられない。管理職として登用するに十分な経験が積めないのだ。管理職等級に昇格してもポストの空きがない、またはそもそも管理職一歩手前の等級に長期間滞留することもある。モチベーションが高まらない。  突出層の問題はこの年代だけに留まらない。突出層の下の年代も育たないのだ。突出層の下の年代は、多数の先輩がいる。若手が十分に補充されないので、長い期間がたっても組織内での相対的序列は高まらない。また突出層でさえ管理職ポスト待ち人材が多いので、自分たちがポストにつける可能性がさらに低い。  突出層は育たない。突出層の下も育たない。そして突出層は50歳代となっている。この問題はバブル採用時からずっと指摘されてきた問題である。中には年齢構成是正施策を実施してきた少数の企業はあるが、大多数は問題と分かっていても手を付けてこなかった。今後経営環境が変化していくなかで、人件費適正化、人材の質の向上、職場の活性化が重視される中で、遅ればせながらこの突出層に対する施策が重要となる。理論的に考えれば50歳代は数年間に半減以上する施策が必要となる。直ちに手を付けなければ、激変する環境下でさらに成長を継続する企業にならず、逆に成長力を失ってしまう。遅ればせながら50歳代の雇用施策がブームとなりつつあるが、この問題に本格的に向き合う最後のタイミングではないだろうか。 以上

質問に答えろ! | その他

質問に答えろ!

 質問に対する答えを聞くと、その人の優秀さがよくわかる。  会議などで質問が呈されたときに、その質問に対し的確に答えるビジネスマンは優秀である。誰しも質問に対しては、なんらか答えるのであるが、質問者の意図を十分に把握し、的確な内容を瞬時に答えることは決して簡単ではない。優秀な人は、的確、効果的に答える術を知っている。  会話や会議をしている中での質問は、その質問者の求めている解答を提示しなくてはならない。質問者が求めているものが何かを把握しないで、相手が満足する回答は提示できない。まず何を求めているかを把握することが重要なのだ。質問者は単にわからないことがあり単純に質問をする場合もあるだろう。また自分の見解との違いから質問することもある。これはすこし批判的なニュアンスが入っている。更には他の参加者に同意を得るために、あえて質問をして強調するという場合もあるだろう。いずれにしても相手がなぜ質問したのかを瞬時に理解をすることが求められるのだ。間違えた解釈をすると相手の満足は得ることができない。  質問の意図を理解した後に重要なのは、どう回答するかを瞬時に考えることだ。まず質問に対して、自分が今答えられるか、答えられないかを判断する。答えるだけの情報や考えがなく返答すると全く相手の満足は得られない。今答えられないという選択肢も重要なのだ。答えることが可能な質問に対しては、その答えるべき内容を瞬時に用意しなくてはならない。YES/NOを聞いているのか、量を聞いているのか、それとも感想を聞いているのか、何を聞いているかを間違えてはいけない。  答え方も重要である。優秀な人の特徴は、まずは結論を言うことにある。“去年より生産性は上昇したか?”という質問には、まずは上昇したかしないかを先に言うべきだ。この質問に対して、延々と生産性の出し方や生産性の数字を解答するようなスタイルをよく見るが、これは質問者の要求にストレートに答えていない。このような回答者に対しては、質問者の信頼感や評価は高まらない。なかにはイライラする人まで現れる。  優秀な人は見事に質問に対する期待以上の対価を提供してくれる。結論がわかりやすい上に関連する魅力的な情報も提供してくれるのである。質問に対する満足が得られるとともに、解答者に対する信頼感は極めて高まる。  日常のコミュニケーションの中で、質問をすると満足な答えを得られることが少ないと感じる人は多い。こちらの質問の意図や内容を理解せず、延々とずれた回答を聞かせられることもある。このようなビジネス上重要で頻繁に必要とされるコミュニケーション能力を継続的に上昇させる努力が必要だ。ズレた回答者に対しては遠慮せずに“質問に答えろ!”とストレートに言うべきであろう。 以上

数字のない生産性向上 | その他

数字のない生産性向上

日本は主要各国に比較して社員の生産性が低い。先進28か国の中で26位という低さである。多くの社員が長時間働いているのだが付加価値が低いのだ。より利益が上がり、社員の処遇をよりよくするためには、この生産性向上が必須である。生産性が上がれば、会社も社員もより良い状態になるからだ。近年この“生産性向上”がブームであり、多くの企業で重要な経営課題として認識し、経営計画の目標に掲げている。  ある企業の部長以上を集めた経営会議でのことである。社長が次年度の経営計画を説明した。会社の経営方針、数値目標や各事業の重要課題など話をし、その最後に今年の全社共通の重要課題として“生産性の向上”の説明をしたという。内容は非常に簡潔で、生産性向上の重要性とそのための施策の概要であった。具体的な施策としては、残業時間の短縮、業務の見直しによる無駄の排除ということであった。ひととおり説明した後に質問を促したところ、ある部長がこう質問したそうである。「質問させていただきます。生産性向上が当社にとって重要だということがよくわかりました。お聞きしたいのは、当社の生産性はどれくらいでしょうか?また現在の生産性をどの程度向上させるのでしょうか。さらに当社は業界の中で生産性が低いのでしょうか?」 社長は質問を聞いたのちに、経営計画をとりまとめた経営企画部長とすこし話をし、こう答えたという。「そんな細かいことは気にしなくていい。生産性を向上させるのが今期の目標だ。とにかく部下を早く帰宅させることを徹底してくれ。」  この企業の例はすこし大げさかもしれないが、生産性向上を掲げている企業で、生産性の現状や目標を“数字”で掲げている企業はあまり見ない。現在の生産性の数字と目標とする数字が明確になっていないことが多すぎるのだ。さらには本来の生産性目標ではなく、単に目標残業時間など本来的でなく小さな目標に置き換えられていることすらある。  生産性といってもさまざまな指標がある。売上生産性、労働生産性、1人当たり利益、賃金生産性、労働装備率などである。より正確にはこれらの指標を、全社だけでなく事業別に把握する必要があるだろう。現在の生産性が過去の生産性と比較して高いのか低いのか、また他社と比較しての高低も知らなければならない。実態を知らないで生産性向上の具体的な施策を打つことはできない。生産性の数字を把握しないで、精神論や単に残業時間短縮などの時間管理的な視点での施策はうまくいかない。生産性改善と標榜し、生産性の数値を知らないというのはあまりにも滑稽だ。まずは数字からということである。 以上

数字のない生産性向上 | その他

数字のない生産性向上

 日本は主要各国に比較して社員の生産性が低い。先進28か国の中で26位という低さである。多くの社員が長時間働いているのだが付加価値が低いのだ。より利益が上がり、社員の処遇をよりよくするためには、この生産性向上が必須である。生産性が上がれば、会社も社員もより良い状態になるからだ。近年この“生産性向上”がブームであり、多くの企業で重要な経営課題として認識し、経営計画の目標に掲げている。  ある企業の部長以上を集めた経営会議でのことである。社長が次年度の経営計画を説明した。会社の経営方針、数値目標や各事業の重要課題など話をし、その最後に今年の全社共通の重要課題として“生産性の向上”の説明をしたという。内容は非常に簡潔で、生産性向上の重要性とそのための施策の概要であった。具体的な施策としては、残業時間の短縮、業務の見直しによる無駄の排除ということであった。ひととおり説明した後に質問を促したところ、ある部長がこう質問したそうである。「質問させていただきます。生産性向上が当社にとって重要だということがよくわかりました。お聞きしたいのは、当社の生産性はどれくらいでしょうか?また現在の生産性をどの程度向上させるのでしょうか。さらに当社は業界の中で生産性が低いのでしょうか?」 社長は質問を聞いたのちに、経営計画をとりまとめた経営企画部長とすこし話をし、こう答えたという。「そんな細かいことは気にしなくていい。生産性を向上させるのが今期の目標だ。とにかく部下を早く帰宅させることを徹底してくれ。」  この企業の例はすこし大げさかもしれないが、生産性向上を掲げている企業で、生産性の現状や目標を“数字”で掲げている企業はあまり見ない。現在の生産性の数字と目標とする数字が明確になっていないことが多すぎるのだ。さらには本来の生産性目標ではなく、単に目標残業時間など本来的でなく小さな目標に置き換えられていることすらある。  生産性といってもさまざまな指標がある。売上生産性、労働生産性、1人当たり利益、賃金生産性、労働装備率などである。より正確にはこれらの指標を、全社だけでなく事業別に把握する必要があるだろう。現在の生産性が過去の生産性と比較して高いのか低いのか、また他社と比較しての高低も知らなければならない。実態を知らないで生産性向上の具体的な施策を打つことはできない。生産性の数字を把握しないで、精神論や単に残業時間短縮などの時間管理的な視点での施策はうまくいかない。生産性改善と標榜し、生産性の数値を知らないというのはあまりにも滑稽だ。まずは数字からということである。 以上

総合職が多すぎる | その他

総合職が多すぎる

 多くの日本企業にみられる共通した問題がある。それは“総合職が多すぎる”ということだ。  そもそも“総合職”は企業の方針や文化、コアノウハウの担い手である。キャリアのゴールとしては、企業経営を担っていくことを期待されている。企業経営を担っていくためには、企業活動に関する広範な知識や見識が必要である。営業部門だけで育った社員は、営業はよくわかっても、製造や管理部門がよくわからない。単機能で育った社員は企業経営が担えないのだ。総合職として、経営を担うためには様々な事業や機能を経験することが望ましい。すべての事業や機能は経験できないが、代表的なものをいくつか経験することが必須である。  このように総合職として経営を担う人材に育成するためには、一つの仕事を長く担当することは望ましくなく、経験を積ませることが重要だ。しかし多くの企業の現実は、このような経営幹部の育成段階としての総合職という運用になっていない。総合職として入社しても、経営幹部になるための研修は少なく、また効果的計画的なローテーションも行わない。新卒の企業説明会では、総合職は会社の幹部ということをあたりまえのように話すが、入社をするとそのような扱いはしていないことが多いということだ。  管理職が総合職社員の一つのキャリアゴールとするならば、総合職は管理職を生み出すための人材プールということになる。仮に必要な管理職ポストが500ポストとするならば、その1.5倍程度の総合職社員がいれば十分である。1.5倍以上の総合職がいる企業では、入社以来単一の仕事をずっと担当し続けている社員が目立って多くなる。1.5倍を上回る社員は特定の仕事、特定の地域で仕事をしている社員であるため、本来は総合職ではないのである。  優秀な経営幹部を育成していくためには、計画的な経験、継続した教育が必要である。この高いコストを伴うローテーションや教育を実際に本気で行わない限り、優秀な経営幹部は生まれない。経営幹部が育たないと嘆く企業の代表的なパターンは、総合職が多すぎて実際に経験、教育が不足しているというものだ。これは経営が求めている人材を人数構造的に生み出せていない制度と運用に問題があると言わざるを得ない。  社員の大半が総合職であるということが、合理的に考えておかしいということである。 以上

目標と投下 | その他

目標と投下

 多くの企業で目標管理について基本的な間違えがあると感じる。それは“目標”と“投下”という点である。  社員個人の目標は、各人のミッションに合わせていくつかの目標を設定することになる。例えば“個人の売上目標5億円”と同時に“部内の営業成績管理の精度を向上する”“部下の育成強化(部下の目標達成を100以上)”などのように複数の目標を設定することが多い。3つの目標すべてが100%の達成であれば、合計100の評価になるように、目標に“ウエイト”を設定するのが一般的である。上記の例であれば最初の目標が最も重要であるから60、2番目と3番目はそれぞれ20とし、合計を100とするのだ。  非管理職社員はこの目標達成のために、時間という資源を投下する。全く超過勤務がないことを想定した月150時間投下を前提とした目標と月30時間の超過勤務をする場合(月180時間)の場合では目標は異なるはずである。投下量が150と180では20%も異なるが、目標が同じであるのはおかしいからだ。合理的に考えれば前者はウエイトの合計が100に対して後者は120でなければならない。多くの企業では目標管理の考え方の中に投下量と目標の関係が不明確になっている。  さらに目標管理と超過勤務管理が全く連動していないことも重要な点である。超過勤務0を前提とした目標である社員が超過勤務なしで100%達成した場合と、0を前提としつつも毎月20時間の超過勤務をして目標100%達成した場合で評価が同じであるのは問題だ。目標業績が同じでも、超過勤務をした社員のほうが、収入が多いことになる。もっと言えば時間生産性が低い社員のほうが、収入が多いことにある。  加えて次のような問題も発生する。仮に月給30万円の社員(賞与4か月とした場合年収480万円)の場合、20時間の超過勤務をした社員は毎月の約5万円の超過勤務手当、年収で約60万円多く受け取ることになる。この社員はもともと超過勤務0ベース、目標を100%達成したとする。同じ目標で超過勤務を0ベースで、目標を120%達成した好業績の社員を想定しよう。この社員は評価がよいので賞与が多くなるだろう。一回の賞与は標準で60万円である。評価がよいので、70万円から80万円くらいは分配されるだろう。好業績の見返りとして年間20万~40万円のプラスとなる。  しかし前者の社員の超過勤務手当の増加分に届かない。結果としては超過金勤務をして通常の業績の社員と超勤務0で好業績社員の年収が逆転してしまう。目標管理における超過勤務業績による分配が過小な企業が多いため、思ったような“メリハリ”がつかないのである。  近年生産性向上の議論が多くの企業で課題となっている。そのため目標と投下についての議論も顕著に多くなってきた。より生産性を上げるためには、目標管理を改造して、目標と投下、目標管理と超過勤務管理の見直しが必要だということだ。 以上

低すぎる価値 | その他

低すぎる価値

 企業の人事制度の設計をしていると、しばしば“管理職の価値”が低すぎると感じることがある。本部長、部長、課長などの管理職社員は、企業の方針や計画達成の欠かすことのできない重要な人材である。自分に与えられた人やお金などの資源を有効に活用して、競合会社と戦い、社内の各部署と調整し、方針目標を達成するというとてつもなく難しい仕事だ。特に最近は経営環境の変化が激しい。そうなると管理職の仕事はさらに難しさを増す。環境が変化すると、組織の価値、業務モデル、人の配置、指導方法など常に見直しが必要だ。マネジメントは同じことの繰り返しではなく変化を要求されることになる。近年の管理職の仕事は非常に難易度が高いのだ。  また管理職は組織の中では孤独である。目標達成のために部下をコントロールしなくてはならない。経営目標の重要な一端を担っているため、経営的な視点、スタンスで仕事に臨まなくてはならない。部下を指揮命令する“使う側”である。部下も会社の方針や目標をよく理解して、積極的に協業してくれるのであれば苦労はないが、日々様々な場面で“使う側”と“使われる側”とのギャップに悩まされ、そして自分の組織の中では決してその苦労を共有できない。  さらに管理職はリスキーである。方針目標達成を重視すればするほど、部下に対して厳しさを要求することになる。思うように成果の出ない部下に対して、命令、指導することになるが、少しでも行き過ぎと部下が感じたら、アウトになってしまう。法律、ハラスメントなどの十分な知識と、極めて強い自制心がなければ、身分を失うことになる。  一般の社員に比較してこれだけ難しく、孤独で、リスキーな仕事をしているのが管理職である。多くの企業では部長、課長などの役職に就くと“管理職手当”を支給する。これは管理職としての職掌の重さに報いるためである。部長で5万~10万くらい、課長で3万~5万くらいが一般的である。安すぎではないだろうか。一般の社員の倍とは言わないが、もっと大きな差があってよい。現在大手企業の課長の年収が800万円だとしたら。価値的には1200~1500万円くらいでよいかもしれない。日本の企業の人事制度の中で、管理職はひどく安く値付けされているが、今後は管理職の給与を重点的に大幅に増加させる必要があると感じるのだ。 以上

2035年 | その他

2035年

 64歳の部長が部下の若手社員にWeb会議で話をしている。営業部の業績の説明と、この若手社員の担当するクライアントへの新たな指示をするためである。ちなみに若手と言っても52歳である。営業1部は全員で25名。定年再雇用社員は10名、正社員は15名である。正社員の年齢構成は60歳以上65歳未満が8名、50歳台が4名、40歳台が2名、30代はわずか1名で20代はいない。部長は若手社員に一通りの話をした後にこう続けた。”君はまだ若手の社員だが、あと10年くらいすると管理職になる可能性もある。そろそろ実務だけではなく、マネジメントも意識して業務に取り組んでくれ“  今から十数年後の2035年には、職場は上記のような状況になっているだろう。日本の大手企業の多くは、国内市場の縮小と少子高齢化、超流動的な労働市場により、驚くほどの高齢化が予測される。70歳ないしは75歳までの雇用義務化は避けられないだろう。75歳まで雇用しなければならないとすると、人事管理の考え方を一変させるくらいの激震だ。標準的なライフプランを想定した“年齢”を軸とする人事管理から、年齢に関係のない“実力”軸の管理へと急速に舵を切ることになる。また過去20年間新卒を中心とした若手社員の採用抑制の影響が圧倒的に大きくなる。会社のノウハウや文化を継承する中堅社員がいないということだ。  これに拍車をかけるのは労働市場であろう。より流動的になる労働市場により、他の会社より魅力に劣る企業からは驚くほど人材が流出する。20、30歳台の社員がほとんど離職する会社も出てくるだろう。また日本国内市場を基盤としている企業は、業績の低下に苦しみ続ける。ビジネスボリュームの低下と反比例して、生き残りをかけた熾烈な競争が激化し単価が下落する。社員の処遇をより良くすることが困難となる。今後企業を取り巻く環境は、平成の延長線上の環境ではなくなるのである。  少子高齢化、歪な人員構成、長期の継続的な業績低下が予測される中で、個別の企業が力強く成長するためには、サービス、商品、技術、ビジネスモデルの革新はもちろんであるが、人事管理も重要なキーとなる。環境が連続的変化でないと予測されている以上、人事管理も過去の延長線上の発想では機能しない。しかし近年の多くの企業の人事管理の改革は、受け身的な印象が強い。現在発生している問題への対処というスタンスであり、間違いなく起こる大きな変化を先取りしたものと言えない。  法律や常識という観点では、人事管理は過去を継承しなければならない。しかし今後の変化は過去の継承を重視するスタンスでは対応できるものではなさそうだ。今までの変化と全く異なる次元の変化が急速に到来しつつあることを改めて認識する必要があるのではないだろうか。 以上

うまくいかない目標管理 | 人事制度運用支援

うまくいかない目標管理

 目標管理は言うまでもなく“企業の目標の達成のために、組織や社員が目標を設定し、達成を促進する”ものである。多くの企業で目標管理が導入されているが、うまく機能している企業は非常に少ない。うまく機能しないのは、経営や人事が目標管理に対して過度に期待しているからではないか。多くの企業でみられるうまくいかない代表的なパターンは次のようなものである。 -そもそも会社や組織の目標が不明確  企業が毎年掲げる目標が明確でないことが散見される。目標そのものが十分に社内で検討されていない、また実現可能性が低いなど企業目標として“質”を疑うものがある。この企業の全体の目標を、各組織や個人に分解するのであるから、元の目標の質が十分でなければうまくいくはずがない。十分な社内協議や計画の裏付けのない目標が掲げられているということである。こうなると企業目標を組織や個人に割り振っていくと不整合が発生し、解決できない様々な矛盾が発生する。目標設定の段階で失敗しているということだ。目標設定がうまくできないので、結果正しい測定になりようがない。企業目標、経営計画が不明確な企業は目標管理をする前提がないのである。 -所詮“正確”に測定できないことを前提としていない  企業の経営目標も売上や利益のような数字だけでなく、管理レベルの向上、人材育成、コンプラ、社会貢献などの数字で測定しづらい目標も多くある。このような定性的な目標に対しても、達成度合いを判断しなければならない難しさがある。所詮定性目標の達成度は人により判断することであるので認識が完全に一致することはない。しかし多くの人の認識を一致させる必要はある。“目線合わせ”というのは、多くの人に認識が一致することであるので、これには“衆目の目”にさらすことが有効である。目標と達成度合いを公開すれば目標そのものの設定やその評価に対して様々な意見議論が発生するだろう。衆目の目にさらすことによる目線合わせを行うことによって、適正な評価をする文化が醸成される。 -目標管理は管理職以上  目標を設定するということは、その目標に対して責任権限がなくてはならない。自分の責任権限外の目標は自分ではコントロールできないからである。そのため目標管理の対象は組織の長には最適である。本部、部、課などの組織は目標が設定しやすくかつ責任権限がある。まず管理職の目標管理を機能させることが第一歩である。一般の社員の目標管理は実際には非常に困難で、多大な時間を投下しても得るものは少ない。仕事は個人に閉じて遂行しているのではなく、チームとして動いていることが多い。そうなると課の目標を個人にきれいに分解することは困難であり、またあまり意味が無くなる。さらに目標を自分で設定させる例を目にするが、業績の測定という観点では全くナンセンスだ。業績管理のための目標管理では、会社や組織の妄評を達成するための個人に対する指示であるので、あくまでも会社や上司が決定しなければならないからだ。 -測定技術が不正確、非合理  せっかく目標を設定してもその測定方法が曖昧であったり非合理であれば正しい評価とは言えない。例えば目標を100%達成ならB、120%ならAなどのように、目標に対して一律の達成基準で測定する方法がよく見られる。目標に対する達成の振り幅は目標によって大きく異なる。ルートセールスであれば売れる数量はあまり大きく変わらないかもしれないが、新しい商材の営業や個人の営業努力で数字が大きく変動する業態では振り幅は非常に大きい。本来は個別の目標ごとに達成基準を設置しなければ正しい測定はできない。 また目標に難易度を付ける例などもあるが、どこまで合理性があるか疑問である。 -ほんとうは重要視していない  目標の設定が曖昧で測定も非合理であるために、評価の結果は当然適正で整合性があるものとは言えない。それでも目標管理に多大な時間を投下しているが、この結果をストレートに反映している企業はごく少数だ。目標管理は通過儀礼的なもので評価は最初から答えがありきではないかと疑われてしまう。社員の処遇に対して大きな影響を与える評価であるのであれば、仕組みや運用などもっと厳格にするべきであるが、曖昧な目標や甘い評価が散見されても経営者も人事も身を挺して防ぐことをしない。本当は重要視していないのではないか。  目標管理を否定しているのではない。現在の目標管理があまりにも機能していないため、まずは原則に従いできる部分から始めることが有効だと考える。会社そのものや経営者の目標管理を明確にし、次に管理職の目標管理を機能させることを優先させるべきであろう。 以上

乗り心地 | その他

乗り心地

 私たちは車を買うときには、乗り心地、安全性、燃費などで選びます。自分が気になる車種をいくつか選び、実際に試乗し、営業の人にいろいろ聞き、そして決定します。高価な買い物であり、また自分の生活に密着したものであることから、慎重に判断することになります。  車は精密な機械で数多くの部品からできています。一般的には3万もの部品からできているそうです。この数多くの部品が総合的に機能して、乗り心地、安全性、燃費などを実現するのです。よい乗り心地、より高い安全性、燃費を実現するために、車全体の設計がされ、最終的に構成する一つ一つの部品が作られ、組み込まれます。逆に言えばユーザーは個別の部品の性能を評価して車の購入はしません。たしかに特徴ある部品で、その部品の効果によりユーザーニーズを満たすのであればその部品の優位性が車を選ぶ際の重要な判断になるでしょうが、多くのユーザーは技術者ではないので部品の優劣での選択はしないでしょう。要はニーズを満たすのかどうかが重要であり、部品の優秀性は従属した判断事項だろう、ということです。  経営者の人事に対するニーズは車と同様非常にはっきりしています。経営方針、計画を達成するために必要な人資源を過不足なく保有していること、人資源がより有効に機能すること、短期だけでなく中長期に安定した人資源が提供されることの3つです。経営者にとっての人事の乗り心地、安全性、燃費と言ってもよいでしょう。この状態が続けば経営者ニーズを満たすことになります。この経営者ニーズを満たすために人事管理は様々な部品から構成された複雑な構造体となっています。主要部品としては採用。教育、等級、給与、評価、代謝、労働条件、システム、社会保険、給与計算・・・など様々です。本来はこれらの部品が相互に関連、連動して機能することによって経営者ニーズを満たすことになります。しかし現在の日本ではこれらの部品群が体系的効果的なベストな組み合わせになっているとは言えません。各部品を提供する会社は別々であり、企業側で様々な部品を組み合わせて人事管理を行っているのです。なかには自分で作成した部品もあったりします。  たとえば新卒採用は企業の将来の継続した発展のために、一定数の採用を継続することが望ましいですが、業績好調企業などが、驚くほど多くの新卒社員採用を突然行うようなことがあります。このような一時的に多くの新卒社員を採用すると、バブル期大量採用などを見てもわかるように将来大きな問題を発生させる原因になります。新卒採用サービスを提供する企業にとっては受注が大きくなってよいのですが。新卒採用サービスと人事コンサルティングの両方の部品を提供している企業があれば、異常に多い新卒採用を相談されても、否定しなければなりません。  日本における人事管理は、個別の部品領域に閉じた世界から、経営ニーズを満たす個別部品の統合を指向することになるでしょう。個別部品に閉じた世界では本来の経営ニーズを満たせないからです。企業の人事部門や人事サービスを提供する企業は、個別部品の良し悪しを議論するのではなく、人事管理の“乗り心地”“安全性”燃費“こそが重要な論点であることを、強く意識しなければなりません。 以上

10年後の女性管理職比率 | その他

10年後の女性管理職比率

 近年の人事管理では社員を、優秀な社員(ハイパフォーマー、以下HP)、普通の社員(アベレージパフォーマー、以下AP)、優秀でない社員(ローパフォーマー、以下LP)に区分して議論することが多くなった。HP社員、AP社員は会社の主力である。この社員にはできるだけ満足度を高くし、社外への流出を防ぐことが求められる。社員をHP、AP、LPに区分するには、昇格のスピードや評価情報を組み合わせるのが一般的である。その結果HP、AP、LP社員の人数や比率を把握することができる。またどこに存在しているかも明確になる。  この会社全体のHP、AP、LP比率をさらに様々な区分で見ると有益な情報を得ることができる。その代表的なものは“女性活用度”である。男性社員と女性社員の発生率を比較することによって、女性活用がどの程度すすんでいるかがはっきりわかるのだ。同じ総合職社員で女性活用が進んでいると言っている企業は発生率が同じような数字であるはずである。  多くの企業で分析した結果、真に女性活用が進んでいる企業では、この比率が男性とほぼ同じである。このような企業では“女性活用”を大きなスローガンにしていないことが多いのも特徴だ。すでに男女という区分なく人事管理をしているので、あえて高々とスローガンを掲げる必要がないのかもしれない。  活用が進んでいない典型的なケースは、女性のLP比率が高い(HPが少ない)というものだ。女性であると無意識に限定的な仕事をさせている企業もある。その結果成長が男性社員よりも遅く、結果管理職社員の発生も比率も少ない。長い間このような女性の限定的な活用しかしてこなかった企業で、突然女性活用を強力に推進しようとしてもうまくいかない。男性と同じような仕事の機会を与え、同じ評価、育成、処遇を継続的に長期間行うことで、同じようなHP,LP発生率になるのであるから、すでに入社して長い女性社員を無理やり活用しようとしても難しいのだ。  女性活用が二層化している企業も少なくない。近年入社した社員に対しては男女の差をなくす努力をしている企業だ。このような企業では、30歳以上の女性社員はLPが多く、20代の女性社員は男性と同じ発生率になっていることが多く、発生率が二層化しているのである。  このような企業では10年後に女性活用の結果が次第に現れはじめる。10年後には女性管理職比率はまだあまり変わらないことが予想される。20年後にむけて女性管理職比率が次第に改善される段階に入るだろう。30年後にやっと女性活用が企業全体として実現するのである。長い道のりである。  最も不幸な例は、スローガン主導で女性を無理に昇格させたり、管理職ポストに就けることである。女性活用を重視するあまりに、女性であることで昇格や管理職登用に下駄をはかせたりするケースだ。女性活用は今後の人事管理で非常に重要であることは疑いようがない。女性管理職比率を高くすることだけが重要な目標だと思わないが、一つのわかりやすい指標として掲げるのであれば、30年後の目標であることを理解しなくてはならない。そのためには今から男女の差をなくす運用を継続して行っていかなくてはならない。女性活用、女性管理職比率向上をスローガンはいまから30年間変わらずに掲げなくてはならない。10年後の比率は変らない。短期の結果を求めることなどナンセンスなのだ。 以上