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人と組織の可能性を最大化するパートナー 人事改革が、組織の未来を変える

調査・分析

制度設計

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制度・人材・組織の「いま考えるべき論点」を、プロの視点で解説します。

WHO WE ARE

トランストラクチャについて

Organizational Transformation Experts

トランストラクチャは、組織・人事に特化したコンサルティング会社です。
社名には、「組織の根幹構造(Structure)を変革する(Transform)」という想いを込めています。
課題の可視化と豊富な知見を強みに、調査・分析、制度設計、人材開発の3領域から、企業ごとの状況に応じて伴走します。
人事戦略と人事変革のご支援はお任せください。

REASON

トランストラクチャが選ばれる理由

01データドリブンな
「課題の見える化」

データ分析をもとにした定量的なレポートで、人事や組織の課題を客観的に可視化します。現状把握から戦略立案、施策実行、効果検証までを一貫して支援し、根拠に基づいた納得感のある課題解決を実現します。

02複数領域を横断した
人事課題へのワンストップ支援

調査・診断、人事制度、人材開発、雇用施策の4領域を横断し、複雑な人事課題にも複合的に対応します。専門企業とも緊密に連携し、窓口の一本化を実現。お客様の負担を軽減し、必要な支援へスムーズにつなげます。

03個社に合わせた
カスタマイズソリューション

画一的な型には当てはめず、お客様ごとの課題や要望に寄り添い、企業風土や経営戦略を踏まえた最適なソリューションを設計します。業界理解に基づき、複数の方向性を示しながら、個社ごとに最適な形へ導きます。

04「自走できる組織」をつくる
 伴走支援

人事制度を導入して終わりではなく、定期的なアドバイザリーミーティングや豊富な支援メニューを通じて、経験豊富なコンサルタントが伴走します。制度運用の定着を支え、自走できる組織づくりを支援します。

05経験とノウハウが豊富な
コンサルタント

業界歴30年以上のベテランをはじめ、多数の人事プロフェッショナルが在籍。豊富な現場経験と構造的なアプローチを強みに、約20業界・毎年数百件の実績を重ね、リピート率は約70%という高い評価をいただいています。

SERVICE

提供サービス

人事課題を構造的に把握し、
支援実績に基づく知見をもとに、
各領域に対応した施策の設計から
実行までを支援します。

診断のみ・制度設計のみなど、
部分的な支援にも対応しています。

調査・診断SEARCH

組織の状態や課題を可視化し、
人事施策の意思決定に必要なデータを提供します。

  • モチベーションサーベイ
  • 360度診断
  • 人材アセスメント
  • 人事アナリシスレポート®
  • スマートアセスメント®
  • イノベーターズディスカバリー®
01

人事制度HR SUPPORT

等級・評価・報酬などの制度を設計し、
運用定着まで支援します。

  • 人事制度設計
  • 人事制度移行支援
  • 人事制度運用支援
  • 関連制度設計
02

人材開発HR DEVELOPMENT

企業の戦略に沿った人材育成方針や
教育体系の構築を支援します。

  • 人材育成方針策定
  • 教育体系構築
  • 研修企画・実施
  • ワークショップ企画・実施
03

雇用施策・人員計画EMPLOYMENT POLICY

経営計画に基づき、
適正な人員構成と人件費を設計します。

  • 適正人員の算定
  • 人件費シミュレーション
  • 雇用調整施策の立案
  • 実行支援(運用設計・現場展開)
04

CONSULTANT

コンサルタント紹介

Your Partners in Organizational Change

豊富な経験を活かし、
組織改革に伴走します

大手コンサルティングファームや事業会社の経営など、
多様なバックグラウンドを持つコンサルタントが在籍。
専門性を生かし、組織・人事の変革を支えています。

INSIGHTS

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COLUMNコラム

多くの企業様へのサポートを通じて蓄積された知識や、日々の人事・経営に対する洞察をシェアします。
シリーズ「人事はなぜ機能しないのか」<br />(1)評価制度はなぜ納得されないのか <br />—「正しいのに不満が出る」構造的な理由— | 人事コンサルティング

シリーズ「人事はなぜ機能しないのか」(1)評価制度はなぜ納得されないのか —「正しいのに不満が出る」構造的な理由—

評価面談の場で、こんなやり取りを見たことはないだろうか。 「評価基準に照らすと、この結果になります」 「説明は理解できました。ただ、納得はできません」 この会話は、多くの企業で繰り返されている。評価はルール通りに行われ、論理的にも筋が通っている。それでも不満は消えない。 こうした場面に直面したとき、私たちはつい「評価基準が曖昧なのではないか」「評価者のスキルが足りないのではないか」と考える。あるいは、甘辛調整の問題だと片付けてしまうこともある。しかし、本当にそうだろうか。 もし問題が「精度」にあるのなら、制度を緻密に設計し、評価者教育を徹底すれば不満は解消されるはずだ。だが現実はそうなっていない。むしろ、制度を整えれば整えるほど「説明は完璧なのに納得できない」という状態が生まれやすくなる。ここに、評価制度が抱える本質的な矛盾がある。 評価の目的は、本当に機能しているのか 評価制度の目的は何か。この問いに対して、多くの企業は次のように答える。個人目標を組織目標・会社目標に接続すること。評価結果を処遇へ適切に反映すること。そして評価を人材育成につなげること。いずれも正しい。むしろ、これ以外の答えはない。 ただ、ここで一度立ち止まりたい。それは「本当に機能しているのか」という問いだ。目標は本当に接続されているのか。評価は本当に処遇へ納得感をもって結びついているのか。評価は本当に人材育成につながっているのか。 もしこれらが機能しているなら、評価制度に対する不満がここまで広がっているはずはない。問題は、目的が間違っているのではない。目的を実現できる構造になっていないことにある。 重要なのはこの「機能していない」状態が、誰かの怠慢や悪意によって生まれているわけではないという点だ。制度を設計した人事も、目標を設定した上司も、評価を下した管理者も、それぞれ誠実に仕事をしている。問題は、その誠実な仕事が「つながっていない」ことにある。だから表面上は「制度が整っている」ように見えるのに、現場では不満が積み上がっていく。 評価制度は「制度」ではなく「構造」である 評価制度をルールの集合として捉える限り、この問題は解けない。評価制度は本来、もっと立体的なものだ。  評価制度 = 構造 × 関係 × データ この三つが接続されて初めて、評価は機能する。 ひとつ比喩を使いたい。 評価制度は「カーナビ」に似ている。構造は地図だ。どこに何があるかを示す設計そのものである。関係は運転者の意思や状況であり、どのルートを選ぶかに影響する。データは現在地や交通情報であり、意思決定の前提となる情報だ。 この比喩で重要なのは、三つのうちどれか一つが欠けても「目的地に辿り着けない」という点である。地図が精緻でも、現在地がずれていれば意味がない。現在地が正確でも、運転者が「なぜここへ向かうのか」を理解していなければ、途中で引き返す。評価制度も同じだ。構造(制度設計)だけ整えても、関係(評価者と被評価者の対話)とデータ(判断の根拠となる情報)が接続されていなければ、「使える制度」にはならない。 問題は、多くの企業がこの三つを分断したまま運用しているという点にある。制度は立派に整備されていても、評価者と被評価者の関係は形式的な面談に収まり、意思決定に使えるデータも乏しい。結果として「ルールとしての評価」は動いているのに、「機能としての評価」は止まっているという状態が生まれる。 納得されない理由は「意味が接続されていない」からだ 評価制度に対する不満は、「評価が間違っている」から生まれるのではない。評価の意味が、自分の中で接続されていないことが本質だ。 現場でよく見られる場面を挙げたい。あるメンバーが今期、高い目標を掲げ、それをほぼ達成した。自己評価はA。しかし上司からの評価はBだった。面談で上司は丁寧に説明した。「目標は達成したが、期待していた行動面での成長が見えなかった」と。説明は論理的だった。しかしそのメンバーは、面談後にこう感じた。「行動面の期待なんて、期初に聞いていない」と。 問題は評価の正しさではない。期初に何を期待されているかが伝わっておらず、評価という「結果」だけが届いた点にある。評価という点と、期待という点が、一本の線としてつながっていなかった。これが「意味の翻訳不全」だ。 評価とは本来、点数を伝えるものではない。「自分は何を期待されているのか」「どこに向かっているのか」を伝える装置だ。それが機能していないとき、人は「正しい評価」に対しても納得できない。評価の「正しさ」と「納得感」は、別の回路で動いている。正しければ納得される、という前提自体が、そもそも成り立っていないのだ。 見落とされがちな「データ」の歪み もうひとつ、重要な論点がある。データだ。 多くの企業において、評価に用いられるデータは「自己評価」と「上司評価」という主観データにほぼ限定されている。主観データは重要だ。関係性や文脈を含む、生きた情報だからである。しかし、主観データだけで構成された評価は、必ず解釈の揺らぎを内包する。 同じ行動でも、評価者によって意味づけが変わる。同じ成果でも、上司との関係性によって受け取られ方が異なる。結果として評価は「正しいかどうか」ではなく「誰がどう見たか」に依存する構造になる。 これはカーナビの比喩で言えば、地図はあるのに現在地が人によって違って見えている状態だ。同じ場所にいるはずなのに、見えている景色が違う。この状態で「現在地はここだ」と言われても、腑に落ちない。評価に対する「なんとなく納得できない感覚」の多くは、このデータの歪みから来ている。 評価におけるデータは、主観だけで閉じてはならない。行動の記録、プロジェクトへの貢献、周囲からの観察——こうした情報が主観評価を支えることで、初めて評価は「誰が見ても一定の意味を持つもの」になる。この点はさらに踏み込む必要があるため、ここでは問題提起にとどめておく。 問題は「運用」ではなく「構造」にある 評価制度の不全は、評価基準の曖昧さや評価者のスキル不足といった個別要因では説明できない。それは、構造・関係・データが分断されたまま運用されているという、構造そのものの問題だ。 評価制度はよく「運用が重要だ」と言われる。確かに運用は大切だ。しかし正確にはこうだ。運用が重要なのではなく、「運用で補わざるを得ない構造」になっていることが問題なのだ。 構造が適切に設計されていれば、運用は自然と整う。逆に構造が歪んでいれば、どれだけ優秀な評価者がいても制度は崩れていく。「あの上司は評価が上手い」「あのマネージャーは部下の納得感を引き出せる」という話が出てくる時点で、その制度はすでに個人スキルへの依存を前提にしている。それは制度ではなく、属人的な運用だ。 「正しい評価」が不満を生むという逆説 評価制度の難しさはここにある。間違っているから不満が出るのではない。正しいのに不満が出る。これは制度の欠陥ではなく、構造の欠陥だ。 評価制度とは、単に人を評価する仕組みではない。組織の期待と個人の認識を接続する「翻訳装置」だ。この翻訳が成立していない限り、どれだけ制度を精緻にしても不満はなくならない。 人事の現場で長く仕事をしていると、「制度は整っているはずなのに、なぜうまくいかないのか」という声を繰り返し聞く。その問いに向き合うたびに感じるのは、問題が制度の「中」にあるのではなく、制度をどのレイヤーで捉えているかにある、ということだ。ルールとして捉える限り、評価制度の問題はルールの修正で解こうとする。しかし本来、評価は構造として捉えるべきものだ。そこに気づいたとき、はじめて設計は始まる。 では、何を見直すべきなのか 評価制度を見直す際、多くの企業がまず手をつけるのは「評価基準の見直し」や「評価者研修の強化」だ。それ自体は必要な取り組みだ。しかし、それだけでは不満の本質には届かない。 重要なのは、「評価制度を改善すること」ではなく、「評価をどのような構造として捉え直すか」だ。具体的には、三つの問いを持つことから始まる。 一つ目は、「評価はどの意思決定と結びついているか」だ。昇格・昇給・配置・育成——それぞれの意思決定に対して、評価はどう接続されているのか。ここが曖昧なまま制度を動かすと、評価結果が宙に浮いた状態になる。「評価Aなのになぜ昇格しないのか」という問いが出るのは、この接続が言語化されていないからだ。 二つ目は、「評価に使っている情報は十分か」だ。自己評価と上司評価だけで完結している企業は多い。しかしそれでは、主観の揺らぎを補正する手段がない。行動の記録、プロジェクトの成果、周囲からの観察——こうした情報が加わって初めて、評価は「根拠のある判断」になる。 三つ目は、「評価の意味が本人に届いているか」だ。評価面談は「結果を伝える場」になっていないか。本来は「期待を伝え、方向性を共有する場」であるはずだ。点数の説明に終始している限り、意味の翻訳は起きない。 この三つは、いずれも制度の改訂では解決できない。評価をどう設計し、どう運用し、どう対話するかという、構造全体の問いだ。そして、この三つが接続されたとき、評価制度は初めて「人材を動かす仕組み」として機能し始める。 評価制度の問題は、制度の中にはない。 どのレイヤーでそれを捉えているか——にある。 ==シリーズ「人事はなぜ機能しないのか」=== (1)評価制度はなぜ納得されないのか (2)優秀な人材ほど辞める会社の構造    

シリーズ「人事はなぜ機能しないのか」<br />(2)優秀な人材ほど辞める会社の構造 <br />— 離職は個人の問題ではなく、構造の帰結である — | 人事コンサルティング

シリーズ「人事はなぜ機能しないのか」(2)優秀な人材ほど辞める会社の構造 — 離職は個人の問題ではなく、構造の帰結である —

「なぜ、あの人が辞めるのか」 周囲からの信頼も厚く、成果も出している。将来を期待されていたはずの人材が、ある日静かに会社を去っていく。一方で「特に問題はないが、突出もしていない人材」は残り続ける。結果として組織には、無難な人材が積み上がり、変化を生み出す人材が抜けていく。 この現象が起きるたびに、こう説明される。「優秀な人ほど市場価値が高いから」「成長意欲が強いから」「相性が合わなかったのだろう」と。いずれも間違いではない。だが、それは説明であって原因ではない。 本来問うべきは「なぜこの組織では、その人材が力を発揮できなかったのか」だ。答えは個人の属性にも市場の引力にもない。組織の構造にある。 離職は「意思決定」ではなく「反応」である 一般的に、離職は個人の意思決定として捉えられる。しかしこの見方は一面的である。人は、何もないところから突然「辞めよう」と決断するわけではない。日々の仕事の中で感じる違和感、積み重なるズレ、言語化されない不満——その連続の先に、離職という行動が現れる。 離職とは、個人の自由意思の発露ではなく、組織環境に対する「反応」だ。 では、その反応を引き起こしているものは何か。それが、組織の「構造」である。 構造とは何か。 個々の制度や人物の問題ではない。評価・配置・育成・期待の伝え方——これらの要素が「どのように接続され、誰がどのタイミングで何を決めるか」という、意思決定の流れそのものだ。構造が歪んでいるとは、この流れのどこかが断絶しており、人材に関わる意思決定が一貫した文脈を持てていない状態を指す。 ここで重要なのは、組織は中立ではないという点だ。構造は、どの人材が活躍し、どの人材が去るかを、無自覚のうちに決定している。「上司が悪い」「制度が悪い」という個別要因への帰属では、この問題は解けない。上司を変えても、制度を直しても、意思決定の流れの断絶が残る限り、同じ現象が繰り返される。 組織は「水槽」である 組織は水槽に似ている。水質が良ければ魚は健全に育つが、悪化すれば弱るか外へ出ていく。重要なのは、すべての魚が同じ行動をとるわけではないという点だ。弱い魚は環境に適応しようとする。しかし強い魚は、環境を選ぶ。結果として、水質が悪い水槽ほど強い魚から先にいなくなる。 水質の悪化は、一度に起きるわけではない。管理者は「水を換えている(面談をしている)」「エサをやっている(フィードバックをしている)」と認識している。しかし水槽の底には澱(おり)が溜まり続けている。言語化されない期待のズレ、曖昧なまま放置された役割定義、機能していない評価基準——そういった小さな分断の蓄積だ。魚にとってはそれを感じながら泳いでいる状態だが、水槽の外からは水が透明に見える。 優秀な魚が辞めた後、初めて「水が濁っていた」と気づく。 そして、見落とされている事実がある。強い魚が出ていった後、水槽には何が残るか。澱の中でも泳げるよう自分を最適化した魚だ。構造の歪みに適応することを選んだ人材が、組織の中心になっていく。「無難な人材の積み上がり」とは、偶然の結果ではない。構造が選別した結果だ。 「評価」がズレると、「キャリア」がズレる 構造の歪みの中心にあるのが「評価」である。 評価制度は「構造 × 関係 × データ」によって成り立つ。 この3つが接続されていないとき、評価は「結果の通知」にしかならない。本来、評価とは「何を期待されているのか」「どこに向かっているのか」「どのように成長すべきか」を接続する装置だ。それが機能していないとき、評価のズレはキャリアのズレへと転化する。 現場の場面を一つ挙げたい。 あるマネージャーAは今期も高い評価を受けた。しかし昇格はなかった。上司からは「あなたは評価されている。ただ、今年は枠がない」と伝えられた。説明は理解できた。しかし腑には落ちなかった。評価の高さと昇格が、制度上も説明上も接続されていなかったからだ。 Aの中で「自分は何のために成果を出しているのか」という問いが生まれ、答えのないまま積み上がっていった。半年後、Aは転職した。会社側から見れば「突然辞めた」に見える。しかし当人の側から見れば、「半年間、徐々に決断していた」のである。 違和感が確信に変わる瞬間は、劇的ではない。「また同じ説明をされた」「今年も変わらなかった」という、静かな積み重ねの果てにある。離職届は突然提出されるが、その決断は半年前、あるいは一年前に始まっている。 優秀な人材ほど「構造の限界」を見切る ここで重要なのは「誰が、何を判断しているか」だ。 優秀な人材は、ズレに敏感なのではない。より正確には、構造の再現性を評価している。ここでいう再現性とは、同じ成果を出せば、同じ評価と機会があたえられるか、という意味である。自分の成果がどのように評価され、それが昇格・配置・育成にどう接続されるか。その一連の意思決定の流れに、再現性があるかどうかを見ている。再現性がなければ、長期的にこの組織に投資する価値がないと判断する。この判断は、感情ではなく認識だ。 一方、組織への適応を優先する人材は、ズレを「個人の問題」として内側に収める。「自分がまだ足りないのだろう」「もう少し待てばよくなるかもしれない」と。しかし、これは問題の先送りに過ぎない。構造が変わらない限り、待っても何も変わらない。 もう一つの場面を挙げたい。 入社4年目のBは同期の中でも頭一つ抜けた成果を出し続けていたが、成果では劣る同期Cが先に昇格した。Bが理由を聞くと「評価は高い。ただ、昇格には総合的な判断がある」と返ってきた。Bはその「総合的な判断」が何を指すのか、最後まで理解できなかった。 「総合的な判断」という言葉が使われる時、多くの場合、評価基準と意思決定基準が分離している。評価という回路と、昇格という意思決定の回路が、別々に動いている。Bが見切ったのは、Cの昇格ではない。この組織では、どれだけ成果を出しても、意思決定の回路が自分には開かれないという構造の限界だ。 その後に残ったのは誰か。「総合的な判断」に疑問を持たなかった人材、あるいは持ちながらも諦めた人材だ。彼らが組織の主力になっていく。これは個人の選択ではない。構造が選別した結果だ。 離職は問題ではない。シグナルである 多くの企業は、離職を問題として捉え、離職率を下げようとする。しかしこの発想が、すでに誤っている。 離職は、構造の歪みを知らせるフィードバックだ。優秀な人材が辞めるとき、組織は「評価・配置・育成の意思決定の流れに、再現性のある文脈がない」という診断を受けている。その診断を「個人の事情」として処理した瞬間、組織は改善の機会を失う。 退職面談でよく語られる理由は「キャリアアップのため」「やりたいことが見つかった」といった前向きな表現だ。本音が語られないのは、当人がすでに「説明しても変わらない」と感じているからである。フィードバックは届いている。しかし、受け取る側の構造がない。 構造を変えない限り、結果は変わらない 評価制度はある。目標設定もしている。面談も行っている。それでも優秀な人材は辞めていく。このとき問うべきは「制度があるかどうか」ではない。それらが意思決定の流れとして一貫して機能しているかどうかだ。 新たな施策を追加するとき、既存の制度との接続を設計しないまま導入する組織は多い。1on1を導入したが評価とつながっていない。ジョブ型制度を導入したが育成の仕組みが変わっていない。制度が増えるほど「やっている感」は出るが、人材から見た「意味のある一貫性」は失われていく。優秀な人材ほど、この一貫性のなさを早く見抜く。 優秀な人材が辞めるたびに「次の採用」で補おうとする組織がある。しかし構造が変わらなければ同じことが繰り返される。水槽の澱を取り除かずに、新しい魚を入れ続けているのと同じ状態だ。やがて、新しく入った魚も、同じ理由で出ていく。 では、キャリアはどのように扱うべきか 重要なのは、評価制度単体を見直すことではない。評価・配置・育成といった人事機能を、意思決定の流れとして設計し直すことだ。その流れの中心に置くべきものが「キャリア」である。 キャリアは個人の問題として扱われがちだが、実際には組織の構造の反映だ。評価がズレていればキャリアもズレる。配置が適切でなければ成長も歪む。育成が接続されていなければ学習は断片化する。個人が「自分はどこへ向かっているのか」を見失うとき、その原因のほとんどは、組織の意思決定の流れが個人のキャリアを支える文脈を持っていないことにある。 方向が見えない環境では、優秀な人材ほど自分で方向を決める。そしてその方向が組織の外を向いたとき、離職は起きる。構造を設計するとは、この「方向」を組織が示し続けることができる仕組みをつくることだ。 この問いに向き合うとき、人事は初めて「制度を管理する側」から「構造を設計する側」へと立場を変えることができる。 優秀な人材が辞めていく組織に、人材の問題はない。 構造が、去るべき人材を選んでいる。 そしてその選別は、誰も気づかないまま続いている。 ==シリーズ「人事はなぜ機能しないのか」=== (1)評価制度はなぜ納得されないのか (2)優秀な人材ほど辞める会社の構造  

評価に必要なのは「ブレを制御する期待行動の構造設計」である | 人事コンサルティング

評価に必要なのは「ブレを制御する期待行動の構造設計」である

評価では「納得性が重要」と言われるが、多くは「本人が納得できるか」に偏っている。 しかし納得は主観であり、設計できない。これを軸にすれば、評価は構造ではなく関係性に依存する。 それは評価というより調整に近い。 一方で評価は本来、事実と基準に基づく測定であり、配置・処遇・育成の前提となるものである。 しかし現実には、能力や行動、姿勢といったものを正確に測定することには限界がある。 同じ行動でも「主体的」と見るか「独断的」と見るかで、解釈は分かれ、そもそも事実の収集自体にも制約や負荷が伴う。 評価は人が行う以上、解釈のズレは避けられず、完全な一致は成立しない。 多くの制度はそれでも一致を目指すが、現実には機能しない。 問題はズレることではなく、ズレた際に判断がブレることにある。 ここで重要なのは、どこまでならブレが許容できるのかという視点である。 刑法の相当因果関係説では、単に行為と結果がつながっているだけでは足りず、その結果が経験則上予見可能であることが責任帰属の基準とされる。 評価も同じではないだろうか。 何をすれば評価され、何を欠けば低く評価されるのかが予見できない評価項目定義や基準では、責任を帰属することができない。 そして、そのような状態で低い評価をつけてはならない。 被評価者にとっても、評価者にとっても、何を拠り所に判断すべきかが見えないなら、そこで行われているのは測定ではなく、事後的な意味づけにすぎない。 予見できない評価項目定義や基準による低評価、つまり許容できないブレは、評価ではなく、後出しの判定である。 そこで必要になるのが「期待行動の構造」である。 評価項目とは単なるラベルではなく、求める行動とその意味を具体的に示したものでなければならない。 解釈が分かれる時点で、それは基準ではなく単なる言葉にすぎない。 重要なのは、一致させることではなく、 ズレても判断が収束する状態を設計することである。 そのためには、 何を目的とするか どの行動が適切か なぜその行動なのか を明示し、解釈の「幅」を規定する必要がある。 例えば「主体性」を 「目的を踏まえ、自ら考え業務を進めること」と定義し、 その目的を「顧客満足(品質・スピード・誠実対応)」とすれば、 評価は行動の有無だけではなく、目的への適切性で判断され、判断の方向性が固定される。 つまり、解釈が完全に一致しなくても、判断軸が共有されていれば評価は収束する。 評価を収束する上で、実務上重要なのは設計である。 評価基準や評価項目定義は解釈の幅を前提に、そのばらつきをどこまで抑えるかを意識して定義する必要がある。 また、「なぜその基準なのか、その行動を求めるのか」まで説明できる状態にすることで、判断軸はより強固になる。 この前提が曖昧なまま評価会議に持ち込めば、判断ではなくすり合わせになる。 それは設計不備の後処理にすぎない。 問題の本質は運用ではなく設計にある。 解釈のズレを前提に、判断が収束する構造を設計しない限り、評価は機能しない。 そして、予見できない基準で人を低く評価してはならない。 評価とは、一致を作るものではなく、ブレを制御し、適正に判断できる構造を設計することである。

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