百人の賢人
哲学者で数学者でもあるバートランド・ラッセルは、1920年代、日本や中国で講演活動を行った。1920年代の中国といえば、清朝が滅んだ後、中国国民党と中国共産党が共に立ち、諸外国と対抗する混乱の時代であった。ラッセルが北京大学の学生に向けて講演を行ったとき、学生の一人から質問が発せられた。「我が国は2億人余の国民を擁する大国であるのに、現在はこのような混乱状態だ。我が国はこのまま無くなってしまうのだろうか。」
これに対して、ラッセルは答えたという。「君の国に、行く末を真剣に思う100人の賢人が居れば、君の国は必ずや栄えていくことだろう。」
選りすぐられたリーダーが居れば、それがごく少人数であっても、組織はその目的を果たすことができる。これは1920年代の中国に限らない。現代の企業組織においても同じようなことが言えるだろう。こうしたリーダーたちは、組織の方向と未来の姿を明確に描き、これを具体的な言葉で表し、「普通の人々」にわかりやすく伝え、魅了し、彼らの一人ひとりがその実現に貢献できるよう、仕事を組み立て、標準化し、訓練し、士気を鼓舞する。そして、そのようなことを、諦めず粘り強く行うのだ。
問題は、そんなことのできるリーダーが簡単に見つかるのか、ということだ。毎年の人事評価の結果を吟味しながら、成績の良いエリート社員を選んで手厚い研修を行うか。利益貢献に大きなインセンティブをぶら下げてリーダーシップをひっぱり出すか。ヘッドハンターの会社に高いリテイナーフィーを支払って、適当な誰かが見つかるまでひたすら待つか・・。どれもあまりピンとこない。
ひと昔ほど前のことではあるが、旧来型のいわゆる「メンバーシップ型」の雇用と人事管理でやっている会社の経営者と話したことがある。大卒の社員はだれでも四十の声を聞くと管理職に昇進できる、給料は年を経るごとに上がっていく、そんなあなたの会社では、なかなかリーダーは育たないでしょう、と突っ込んだ。
思いがけない答えが返ってきた。育ちますよ、と言う。
「うちの会社は、経営者も一緒になって、新卒学生の中から優秀な者を選りすぐって採用してきます。大卒の社員は三十になると一斉に係長に上げます。四十になると課長にします。給料は、同期ならばよっぽどのことがない限り皆同じです。・・そうするとね、30人の同期入社の社員のうち、ひとりかふたり、必ず、『これじゃいかん』と考える者が出てくるのです。」
「これじゃいかん、というのは給料の話ではありません。会社のビジョンが、会社の戦略が、会社の能力が、これじゃいかん、と。将来を憂えているわけです。周りの社員の仕事ぶりが不甲斐なく見えるということもあるのかも知れません。」
「こうした社員は、悩み、考え、行動し、牽引します。30人のうちひとりかふたり、真のリーダーが生まれれば、うちのような単純なビジネスの会社は何とか経営していけるものですよ。」
会社への帰属意識、そこから生じる強い問題意識、そして仕事への情熱は、会社を引っ張るポテンシャルを形成する。そして、こうした要素は、高い報酬だけからでは引っ張り出せないのかも知れない。職務・成果型人事制度の効用は真正面から検討していかなければならない課題だが、それだけではないのだろう、と思う。
新宿副都心に程近いある大学のキャンパスに、ラッセルのエピソードに因んで、「百人創新」と記した扁額が掲げられている。私たちは、知恵を絞って百人の賢人を生み出し、新しい時代を切り開いていかなければならない。
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