©️ Transtructure Co.,Ltd.All Rights Reserved.

MENU

©️ Transtructure Co.,Ltd.All Rights Reserved.

人材開発

column
ハイパフォーマの要件 | 人材育成方針策定

ハイパフォーマの要件

 人材開発の仕事で、360度診断を使うことが多い。  よく、「部下からの評価などあてにならない」、「考課したことないから基準がバラバラ」、「好き嫌いが入り込む」といった理由をあげ、360度診断を否定する声も聞くが、それは当たらない。確かに、「マネジメントとは何か」を知らない部下が、自分の基準で主観的に付ける上司の「点数」は、うのみにできない。しかし、360度診断は、点数の高低をみるものではない。集計された周囲評価の項目間のバラつき方とその自他ギャップに意味がある。  個々人がつける点数水準はどうあれ、項目間の差を集積した周囲者評価のカタチ(=項目ごとの点数の折れ線グラフ表示)によって、できている(と周囲が感じる)項目とできていない(と周囲が感じる)項目が特定できる。加えて、本人の自己評価のカタチを重ねてみることで、行動課題がさまざま浮かび上がるという仕掛けである。  たとえば、周囲評価の(相対的に)低い項目と自他ギャップの大きい項目にまず着目する。対象者の全体傾向としてみるのであれば、それがその層の育成課題を検討する材料となり、個々人でいえば、本人みずから、その理由を内省し、行動変容へのきっかけとするといった研修内での使い方が一般的だ。  多くの会社で360度診断をやっていて、実に興味深いのは、ハイパフォーマに決まってみられる“外形”があることだ。まず、周囲評価のカタチと自己評価のカタチが相似している人は、だいたいできる営業マンだったり、優秀なマネジャーだったりする。つまり、自己認識がちゃんとできている。  さらに成果を上げている人に特徴的な外形は、自他が相似したうえで、自己評価のカタチは、周囲より大きな振幅になっている。つまり、できている項目は、自身ではもっとできているという高い点だし、できていない項目の自己評価の点は極端に低い。出来不出来のメリハリが、周囲評価よりも効いているのだ。  自己認識が正しいうえで、強い自信と強い課題感の表れと思えば、それが優秀さを示すひとつの要件として納得できるのではないか。このことは会社が違ってもほぼ例外なくあてはまる特徴だが、加えて、ハイパフォーマ分析(=パイパフォーマを特定してもらい彼らに共通する特徴を抽出する分析)を行えば、その会社ならでは優秀人材の要件も分かるから、こうした診断から見えてくることは、能力や行動の課題以外にもさまざまある。  毎年、管理職評価用に診断を実施していたある金融機関では、なかなか含蓄深い特徴がみられた。360度診断は周囲評価としてひとつにまとめてしまう場合と、上司、同僚、部下といった評価者属性ごとに結果をわけて表示する場合がある。この会社では、上司、同僚、総合職部下、一般職部下の4つに分けて周囲評価集計を表示していた。  傾向としては、同僚評価はとくにそうだが、総じて甘い評価で、上司評価以外はあまりメリハリがつきにくい(銀行でしばしば見られる傾向ではある)。そのなかで、ハイパフォーマに共通する特徴がひとつあった。それは、上司評価のカタチと一般職部下のカタチがそっくりだったということである。  これは2つの意味で示唆的である。  まず第一に、上司の目にも、一般職部下の目にも同じに映るような、分け隔てない振る舞いが、ハイパフォーマの特徴だという点。常に、誰に対しても変わらぬ行動、とくにヒエラルキー的役割分担の堅固な組織における振る舞いとして、なるほど、と思わせる。  もう一点、注目したいのは、一般職の方々の観察眼の鋭さである。同僚や総合職部下といった周囲者が、防衛的だからか、互助的なのか、中心化傾向で変化に乏しい評点をつけているなかで、上司同様のエッジが効いた評価をしている。いかにも情緒的でないきっぱりしたメリハリが見える。一般職の方々の雇用環境や仕事スタンス、価値観など、この的確な視線の理由としていろいろ推察できることもまた、360度診断ならではの醍醐味である。

シャドウイングのすすめ | 人材開発

シャドウイングのすすめ

 シャドウイングといっても、ネイティブの発話を聞くそばからそのまま口に出していく(=影のように)英語練習法のことではない。仕事の実態を知るために行うキャリア教育としてのジョブシャドウイングだ。  やり方は、仕事する社会人に半日とか1日間、中学生、高校生や大学生が一人、影のようについて一緒に行動する。それにより、普段見えない仕事の実態や、人が働くということのリアリティを理解できるという効用がある。インターンシップが職業体験であるのに対し、ジョブシャドウイングは、単なる観察である。観察だからこそ、知り、感得することに集中できるし、一対一の関係のなかで、その働く本人の思いや考え方を仕事の合間や事後に聞くことができる。  米国では定着した教育手法であるが、日本でも、キャリア教育として取り組む中学校や高等学校が増えてきた。何人かの人事担当の方々からも、年々、各地の学校からの要請があると聞いた。中高教育なかで浸透しつつあるようだが、むしろ、大学と企業の間で、こうしたシャドウイングの仕組みができるべきではないか。  職業選択の前提となる仕事観やキャリア意識がないから、といって、1、2年生からの「キャリア形成支援」の取り組みが大学では盛んであるが、それに意味があるとは思えない。キャリアの方向性など、仕事を何年か経験してから初めて見えてくるものだ。学生がキャリアデザインするといった矛盾に満ちたキャリア教育や就職予備校めいた指導のおかげで、面接で、「クラブ活動でのリーダーシップの発揮」などをPRする学生ばかりになる。  キャリア形成とは、授業として教えるものではない。大事なことは、自分が興味ある仕事、あるいは、あまり知らないいろいろな仕事の実態やそこで人が何を想い働いているという有様を感得することだ。そのことが職業選択の視界を広げる。それができるジョブシャドウイングのしくみがあれば、ほかに特別なキャリア教育はいらないのではないか。もはや死語のようになってしまった感があるが、学生の本分は勉強である。大学4年間のほとんどの時間を、学問というものに没頭させる経験こそが、将来、長く仕事していくなかで、ボディブローのように効くキャリア形成支援のはずである。  シャドウイングをすすめる理由は、もうひとつある。シャドウイングされる側に対する教育効果があるからだ。それが、CSRを実践することだから、ではない。シャドウイングされる人自身が、改めて自分の仕事の意味や意義に気づくという効用である。キャリアアンカーで知られるエドガー・シャインは、一方で「プロセス・ファシリテーション」というコンサルティング手法を提唱しているが、そのポイントは、「外部の、第三者による素朴な問い」が、組織の構成員たちの暗黙知を顕在化させる効果をもつということだ。  シャドウイングする社外かつ職業社会というものの外部者である学生が発する問いに答える経験は、自身の仕事を再発見する貴重な機会に違いない。キャリアの節目にあるような入社3年目や5年目あたりの若手社員層が学生にシャドウイングされるといった施策は、会社内でよく行うキャリアデザイン研修よりも効き目があるはずである。  エグゼクティブ・コーチングにも、シャドウイングがある。コーチングのプロセスは、1.360度インタビューなどの診断にはじまり、2.解決すべき課題を合意し、3.方策を検討し、4.その実行を定期的に検証・検討しながら促進するというものだが、この4.のフェイズで、コーチが一日“影になって”観察し、フィードバックすることをシャドウイングという。これはなかなか不思議な光景で、かつて外資系企業の日本支社長のコーチングで、影として一緒に会議に出たときの人々の不審な表情をいまでも思い出す。  コーチングにおけるシャドウイングもまた、本人だけでは気づかないことを、顕在化するための方法である。組織もそうだが人も、日々の経験や慣れや繰り返しが地層のように蓄積し、それが判断や思考の前提になりがちである。その“当たり前”という前提を「Why」で揺さぶることが時に必要なのだとしたら、自分自身で行うのが難しいそれを、第三者がやってくれるシャドウイングの効用はもっと注目されていいのではないか。

50歳管理職登用 | 人材開発

50歳管理職登用

 今後65歳までの雇用義務化や70歳までに延長される可能性があることから考えると、ビジネスパーソンの人生は今までに比較すると激変することになるでしょう。終身雇用のように長期雇用を前提とした場合には、極論すると2つのタイプの人事管理スタイルのどちらかになると予想されます。一つのタイプは年齢に関係のない人事管理スタイルです。年齢に関係なく実力によってポジションや職務を決めるというものです。プロ野球のように活躍しているときは年俸が高く、実績を残せなくなると年俸が下がるようなエレベーター式の人事制度ということです。このような実力主義的人事管理スタイルは、企業にとって人材の短期的な有効活用という観点ではメリットのある方法でしょう。デメリットとしては、かつて活躍した社員が降格したり給与がダウンするといった現象が多くなり、モチベーションの維持や雇用の安定、技術の伝承という観点で問題が発生することになります。  このような実力主義に対して、年功序列的な人事管理スタイルがもう一つの考え方です。大学を卒業して65歳まで勤務するということは43年間の在籍ということになりますが、企業の階層をピラミッドにするためにはあまり若い年齢で管理職にすることができなくなります。現在では40歳前後で管理職に登用する企業が多いですが、43年勤務を前提とした場合には、50歳前後で管理職登用くらいのスピードが理論上適正になるはずです。逆に50歳登用くらいのスピードでなければ、企業内に管理職だらけになってしまうのです。  そもそも管理職への登用はビジネスパーソンにとってひとつの成功の象徴的事象であると同時に、人事上も重要な管理事項です。管理職登用の理想的な年齢を聞くと、経営者や人事部門は40歳前後や優秀であれば30歳前半で登用したいという答えが多くあります。この感覚は企業の成長力が高い状況であれば成立する考え方ですが、成長が鈍化した場合には、40歳管理職登用は全く合理性のない感覚にしかすぎません。また、優秀であれば30歳前半で登用できるようにしたいということ自体は非常によいことですので否定するべき話ではありませんが、若くして登用する社員がいるのであれば、管理職の平均登用年齢を維持するためには、遅く登用する社員がいなければバランスしません。要は平均登用年齢と登用の分散をどのように考えるかという構造的な問題だということです。  年齢に関係のないマネジメントスタイルか、ある程度年齢を意識したマネジメントスタイルかはビジネスモデルや企業のおかれている環境によって、どちらが適合しやすいかということでしょう。習熟に長い年月のかかる高度な技術を基盤とした製造業であれば安定した雇用や技術の伝承を重視しますので、必然的に遅い管理職登用型の人事制度になっていくでしょう。一方で、環境変化の激しい小売、サービス、情報産業などは短期の人事パフォーマンスを重視する傾向にあると同時に、労働市場での流動性も高いので年齢に関係のない実力主義的マネジメントスタイルが適合します。  企業が大きくなればなるほど社会的責任が大きくなりますので、終身雇用や安定した処遇が強く求められるようになります。そのため日本企業全体という観点でみると50歳管理職型のようなスタイルに次第に変容していくとも考えられます。50歳管理職登用というのは一見あり得ないという感覚がありますが、理論上は一つの適正なスタイルだということで、一笑に付すことができない重要な論点です。