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column

「歩く」ことと「踊る」こと

 昔の私の上司だった人は、「目的」という言葉が異常に大好きな上司で、何かにつけて「その仕事の目的は何?」と繰り返し聞いてくる上司だった。その問いかけは、しばしば若い私を悩ませ、困らせたが、それはいま考えると、私の思考が未成熟だったせいもあるが、上司のほとんどパワハラとも取れる詰問調のアプローチによって、思考停止に追い込まれていたからでもあった。そしてさらに言えば、上司の言っている「目的」という言葉の意味合いが、言っている状況によって、ときには微妙に、またときには大きく異なっているように感じられたからでもあった。要するに、「目的」の言葉をもって言わんとしているところが、私にはよくわからなかったからだ。実は上司自身さえもよく分かっていなかったのではなかろうか。

 「仕事の目的」ということに関連して、あるときこの上司は、私に対して次のように言っていた。「仕事の目的というのは、いま課せられている作業の先に何があるのか、なぜこれをやるのか、考えてやることなんだよ」。それに続けて「なぜやるのか考えたときに、できるだけ視座を高く、視野を広く考えることが大事だ。自分の仕事を片付けるという感覚ではなく、ステークホルダーの全体を考えて、できるだけ多くの周囲に応えられるようにするんだよ」。非常にまっとうなご意見である。ところが一方で、別のタイミングでは、同じ上司が次のようにも語っていた。「仕事をやっていて、自分自身が成長実感を得られるかどうか、充実していると思えるかどうかが肝心だよな。結局はこの境地を目指すことが、仕事の究極の目的だ。そうでなければつまらないだろ?」。これもまた至極まっとうなご意見である。

 しかしこの二つの意見は、同じ「目的」という言葉を使いながら、ほとんど矛盾しているようにさえ聞こえる。目的において周囲の方々を重視するという話と、自分の充実感を重視するという話は、簡単に両立できることではない。方向性が全く異なっているからだ。それにも関わらず、言っている上司自身がまったく気付いていない様子を見ると、おそらくその上司自身も、自分の意見を客観視し俯瞰して捉えることはできていなかったのではなかろうか。そして実は多くの上司たちが語る「目的」というものの内実も、また似たり寄ったりなのである。その時点その時点ではそれなりの説得力を持つものの、俯瞰して振り返ってみた時には、「果たして何が言いたかったのだろうか…」ということになる。

 さて事態を少し整理してみよう。「目的」というものには、どうも大きく二つのあり方があるらしい。一つは、「いまやっていることを手段として、何か別の、より重要なものを達成しようとすること」。もう一つは、「いまやっていることそのものを極めて、自身の充実感をもたらすこと」。これはフランスの詩人ポール・ヴァレリーにならって言えば、「歩く」ことと「踊ること」の違い、ということに少し重なる。

 多くの場合、「歩く」ことは、「どこかに行く」ため「歩く」のである。それに対し、「踊る」ことに、ほかに行くべき場所はない。「踊ること」そのものが価値があり、目指すべき目的なのだ。仕事において厄介なのは、この二つのあり方が、ほとんど同時に求められているように思われることだ。「周囲に役立つ仕事をしよう」というメッセージがあるかと思えば、「自分の充実感が決め手だ」というメッセージもあり、まとめて平たく言えば「歩きながら踊る?踊りながら歩く?何ですかそれは?」ということになるのだ。賢い部下であれば、その「矛盾」を見逃すことはないだろう。

 かつて、日本の代表的な哲学者のひとりである和辻哲郎は、「人間の学としての倫理学」という著書の中で、「人間個人には最初から社会的な性格が内包されており、他者との関りを通じて、個人のレベルから徐々に共同性や社会性のレベルへと移行し成長するものであり、またそうあるべきだ」という主旨のことを述べている。つねに内から外へと目を開くべきであり、「外に目的を見出すべきだ」ということになる。いわば「歩く」仕事姿勢である。一方で、かの有名なアメリカの心理学者アブラハム・マズローは、「人間の欲求には5段階あり、生理・安全・社会・承認・自己実現という成長段階を辿る」という主旨のことを述べている。最終段階である「自己実現」とは、「外に目的を設定しない」あり方であり、「自身の内面において価値ありとするものを重視し、それがなされることそのものを目的とする」姿勢である。いわば「踊る」仕事姿勢である。社会性や共同性を重視する和辻と、個人の内面性を重視するマズローの姿勢の違いは、日本と欧米の文化的脈絡に照らして興味深いものがあるが、さて「矛盾」めいたこの状態をどう取り扱い、紐解くか、ということが喫緊の課題となる。

 いまひとまず言えることは、「個人レベルを超えてより社会性をレベルアップさせることが目的だ」、という「歩く」仕事姿勢も、「社会的な関係性を超えて個人の充実感や内面を磨くことが目的だ」、という「踊る」仕事姿勢も、どちらも極端なかたちを取れば現場では軽率だと見なされかねない、ということである。「この仕事の目的は何?」と問われた場合に、「いや、自分探しですよ」(マズロー)と語ったら、やっぱり何だかおかしいのではないか、と思われるだろうし、「日本や世界人類のためにやっています」(和辻)と言ったら、やっている仕事に照らして、やっぱり何だかおかしいと思われるだろう。かと言って、中途半端を目指すのもおかしいだろう。それは、「目指す」ということですらないだろう。

 このような八方塞がりのような状況下で、「仕事の目的」をどのように捉え、位置づけるのがよいだろうか。それは仕事をしている皆さん一人ひとりに考えていただきたいことだ。それは仕事の意欲に関わり、成果に関わることだからだ。

 

 

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