泥酔するサブマリン
まず、生ビールを注いだジョッキが目の前に置かれる。レモンスライスを一枚とコーヒーについてくるミルクピッチャーを用意。ミルクピッチャーにテキーラを注いで、レモンスライスの上に置く。それをそのまま、そぉっと生ビールの表面に浮かべ、静かに手を放すと、ゆっくりとゆれながら、レモンに乗ったテキーラ入りピッチャーがジョッキの中を沈んでいくーー。
「サブマリンっていうんだけど、まあ呑ってよ」と隣でささやく声。代官山ハリウッドランチマーケットならびの洒落た飲み屋の片隅で、初めて口にする飲み物をすすりながら、聖林公司社長・ゲン垂水さんのインタビューは、始まったのだった。70年代から80年代にかけて、既存商業資本とは無縁に、輸入古着や雑貨を売る新しい店舗業態が渋谷、原宿を中心とした路地裏につぎつぎ生まれた。ハリウッドランチマーケットをつくったゲン垂水さんは、そうした路地裏の企業家を代表するひとりだった。
当時、渋谷から原宿へ向かう道には、長谷川義太郎さんが文化屋雑貨店を開き、同種の、既成概念をこえた店舗ビジネスがぞくぞくと街に生まれた。パリコレに代表されるファッションシーンが作り出す流行だけではない、ファッション文化震源地が街に多発したのだった。その担い手も享受者も、街の若者ということが新しい路地裏のビジネスであり、そこがまた街の活力を高めるという時代だった。
街が呼吸し、そこから流行が生まれる。その契機となったのが、渋谷パルコの誕生だったのだと思う。1973年の渋谷パルコオープン以前、渋谷公園通りは、一本裏の通りにはラブホテルが立ち並ぶ、駅から離れたさびしい一角だった。渋谷パルコはそこを極彩色の風景に変え、渋谷を変貌させた。
よく知られるように、パルコは初のファッションビル業態である。パルコという「場」を用意し、テナントを集め、情報を発信し、人々を呼び込むというビジネスモデルは、パルコ専務だった増田通二さんが初めて作ったものだった。その魅力的な才人ぶりは、以前、このコラムに書いた。
オルガナイザーだった増田さんの構想は、いまでいえば、プラットフォームビジネスであり、しかもその範囲は店舗空間を超えて地域にまで及んでいた。その鍵になるのは、鮮烈なメッセージや斬新な情報の発信と考えた増田さんは、刺激的な広告や雑誌発行やアートの消費を、つぎつぎと仕掛け続けたのだった。
そこにおける増田さんのクリエティビティの秀逸さもさることながら、その貢献は、渋谷パルコを契機とする当時の文化シーンがさまざまに揺籃し、当時なかった新しい街のビジネスが多く生まれたことである。それが面白くて、「路地裏の企業家たち」へのインタビューをしていたころのことを、渋谷パルコが8月に閉店したと聞いて感慨深く思い出す。
ハリウッドランチマーケットの垂水さんのインタビューでは、サブマリンを飲みすぎて、沈没した。たしか、アメリカ放浪から帰ってきた垂水さんが、縁あって渋谷パルコのポスターのモデルをやったと聞いた。もしかすると、そこで増田さんの面白い逸話が聞けたのかもしれないが、すべては泥酔のかなたである。
渋谷パルコは、2019年にオフィスと商業施設の複合ビルとしてリニューアルするそうだが、よくある再開発は渋谷パルコ「文化」とはきっと別物だろう。だから、その終焉を悼んで、その当時の輝きを偲んで、30数年ぶりのサブマリンを痛飲したい。
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