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column

CSRの効用

 そういえば、メセナという言葉はとんと聞かなくなった。企業の社会貢献が騒がれた時代、メセナ、メセナと騒がれ、採用面接に臨む学生たちがこぞって「御社のメセナ活動は~~~」といった質問を用意したのは、1990年代のこと。同じく社会貢献という意味では、フィランソロピーという言葉もあったが、メセナはとくに、文化・芸術活動支援を指すの一般的だった。

 結局のところ、社会貢献活動としてはパトロネージや文化施設投資、あるいはスポンサードといった企業PR的印象にとどまり、バブル崩壊後の企業リストラクチャリングのなかで、いつしか影が薄くなっていったのだった。そもそも企業は、ステークフォルダーズとの関係のなかに存立するから、その社会性が厳しく問われる。文化支援という社会への利益還元も価値あることだが、それ以前に果たすべき社会的責任があるということを考えれば、メセナ偏重が下火になるのは当然ともいえる。

 現在ではまさにその社会的責任が、企業の継続的発展(=サステナビリティ)の要件として取り沙汰され、CSRという言葉が定着している。地球環境ヘの配慮、遵法の徹底、企業倫理の維持、よき市民たる企業行動等々、があたりまえのように謳われ、宣言され、内部評価基準としても浸透してきた。ただこれらは、「守りのCSR」であり、それがなされたうえで、「攻めのCSR」こそがこれからは必要だとされている。

 攻めのCSRとは、「本業を通じてのCSR」を意味する。ふつうに考えれば、社会的責任を果たすための活動(=守りのCSR)はコストである。フリードマンが批判したようなCSR=フィランソロピーとみての不要コストではなく、企業の存立と継続のための必要コストではあるが、コストであるかぎり利潤とトレードオフである。だからこそ、CSR投資が業績向上をもたらすか否か、といったあたかも広告費的投資とみるような議論がでてきたりもする。攻めのCSRとは、そうではなくて、企業が利潤をうる事業そのものが、社会に対して貢献しているということだ。

 よく例に挙げられる住友化学のマラリア感染予防事業では、現地での雇用創出や教育による地域支援を行っていることもさることながら、その中心となる事業そのものがアフリカの人々の命を守る結果となっている。要は、攻めのCSRとは、事業を通じて、社会をよりよくすること(=社会革新)に関わる。もともと企業は、社会に対してなんらかの付加価値を提供して対価を得ているわけだから、社会革新につながる付加価値を創出せよ、ということである。

 そこまですべての企業活動に要請すべきか、という議論はあるだろう。フリードマンならずとも、対株主の企業価値を追求するだけでも社会構成単位としての企業の役割は十分に果たしているといえるかもしれない。しかし、企業=人が働く場という観点からは、攻めのCSRへの挑戦は避けて通れないのではないか。

 あらゆる業種業態でのAIの急速な実用化やRPA(=Robotic Process Automation)のインパクトは、労働の質を変える。「作業」は人の手をはなれ、高度な判断や思考や創造という「仕事」が労働者に問われる。それは、労働主体である人の側からすれば、役務としての労働ではなく、労働そのもの意義や意味、労働そのものの面白さのための労働という側面が強調されてくるはずだ。そうでなければ、やっていられないから。

 そうしたシビアで創造的な仕事のやりがいの源泉はなにか。このコラムでも何度か書いてきたように、組織の構成員のモチベーションを高め、成果達成を促し、様々なアイディアややり方創出を喚起するものは、目の前の業務の「目的」である。つまり、組織の「目的」である。とすれば、社会をよりよくするために何をなし利潤をうるのか、という自社の事業アイデンティティが、自社の構成員を動機付け業務に邁進させる最大のドライバーとなるはずだからである。

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