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なぜ緊急車両の通行妨害が起こるのか?  | その他

なぜ緊急車両の通行妨害が起こるのか? 

遠くからサイレンの音が近づいてくる。消防車だ。音が近くに来てなかなか遠ざからないと思ったら、細い道が太い道に合流するT字路の交差点で、交差点内の右折車が緊急車両の行く手を阻んでいた。消防車は何度もアナウンスで指示を出し、乗用車が少しずつ位置を変えてようやくできた隙間を縫って走り去った。長い信号一回分の時間が経過していた。 ドライバーであれば緊急車両を優先させるのは常識中の常識である。いったいなぜこのような誤った行動が引き起こされてしまうのだろうか。それを防ぐ手立てはあるのだろうか。 通行妨害が発生する理由については、調査を見つけることができなかったが、災害時の行動研究などを踏まえて3つの仮説を考えてみた。 ・視野狭窄の罠 周りが見えていない状態で、緊急車両が近づいているという聴覚による事実と、自分の進路に影響があるかもしれないという可能性が結びつかず、ぼーっとして何も考えずに交差点に進入してしまったのではないか。 ・正常化バイアスの罠  自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう心理的特性が正常化バイアスである。「まさか緊急車両がこの道にはこないだろう」「緊急車両が近づいているが、自分がわたるくらいの時間はあるだろう」などと甘く考えていたのではないか。 ・被害者心理の罠 右折したい自分が、法規通りに道路の左側によると、次の信号で右折できなくなり自分だけ遅れてしまうかもしれない。自分だけ損をするのは馬鹿らしいという一心で、前の車と同じ行動をとることだけに囚われて交差点に進入してしまったのではないか。 実はこの3つの仮説は、人・組織の課題の原因仮説として語られることも多い。 たとえば、社員が「組織間の壁がある」「閉塞感がある」という企業は、固定的な環境で社員が視野狭窄に陥っているかもしれない。 年々市場が縮小し、利益率が低下しているのに手が打てていない企業は、意思決定者が「自分が在籍している間は会社はつぶれない」という正常化バイアスに蝕まれているかもしれない。 社員のコミュニケーションが良くない企業は、組織全体に「自分ばかり頑張っているのに報われていない」という被害者意識が蔓延しているのかもしれない。 では、どうすればこれらの課題が解決するのだろうか。望ましくない行動そのものに対する罰則の厳格化は1つの方向だろう。多くの職場でも、「べからず集」は活用されている。しかし、緊急車両優先は「道路交通法」に定められているにも関わらず、妨害行動は発生してしまっている。禁止は根本的な解決に至るとは限らないのだ。 重要なのは、罰則などによる禁止よりもむしろ、望ましくない行動をとってしまう認知的・心理的な原因に対して手を打つことではないだろうか。加えて、望ましい行動をシンプルに、具体的に伝えることだ。いわば災害における避難訓練のように、何をすべきかを頭と体に叩き込んでおくのだ。 一律にルール化するのではなく、人の行動のプロセス、メカニズムを紐解き、そこに働きかけること。それこそが、複雑な人間の行動を望ましい方向に導く上での近道なのではないだろうか。 参考文献: ●“安全・危機管理に関する考察(その2 ) 一緊急時の人間行動特性-” 古 田 富 彦 「国際地域学研究 第6 号2003 年3 月 」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005274751 ●“大災害時の避難行動“東京女子大学名誉教授 広瀬 弘忠 消防防災博物館 https://www.bousaihaku.com/dptopics/113/

企業にも多様性を! | その他

企業にも多様性を!

近年、働き方のダイバーシティ(多様性)についての議論が活発になっています。生産年齢人口の減少に起因する労働力不足を解消するために、かつてはあまり主力としてみなされてこなかった高齢者、女性、外国人等を活用する必要性が高まり、地域限定社員や短時間勤務などの多様な働き方が整備されつつあります。最近は、副業・兼業、リモートワーク、定年廃止など、さらに広がりをみせています。労働者がそれぞれ自分に合った働き方を選択し、プライベートと両立しつつ、高い生産性を発揮できるとなれば、一連の風潮には全面的に賛成です。 さて、労働者の選択肢は、広がる一方、企業に目を向けるとどうでしょうか。 定年再雇用の義務化に始まり、残業時間の上限規制、同一労働同一賃金、と法改正が行われていますが、その対応に目を向けると、先進的な取り組みを行って失敗することを恐れ、他社の出足を伺いながら、結果的にどの企業も似たり寄ったりの人事管理になってきているように感じます。皮肉なことですが、労働者の多様性を実現するために、企業の個性は失われているのです。 過激な意見であることは承知で言いますが、 「残業はたっぷりあるけど、短期間で豊富な経験が積めるので、どこでも通用する人材になれます!」 「うちの会社の定年は40歳です。40歳以降は給与が下がり続けるので、それまでに社外で通用するスキルを身につけて次のキャリアを見つけてください。もちろん、それに必要な教育と支援は惜しみません!」 「我が社は、和を重視!評価で差をつけたくないので、評価制度はありません。」 などの少々尖った人事管理ポリシーを前面に押し出した個性的な企業が、もっとあっても良いのではないでしょうか。 (もちろん、法令は守った上が前提ですが…) 生物学の話ですが、多様な遺伝子を持つ集団は、環境変化に強く、絶滅するリスクが低いそうです。日本企業を一つの集団としてみれば、多様な企業が存在している方が、環境変化にも耐え、新たな進化を遂げることができるはずです。これまでの常識にとらわれない個性的な企業が、将来生き残るのかもしれません。多様性に富んだ企業と労働者が互いにベストマッチの相手を見つけ、双方がベストパフォーマンスを発揮することが、日本企業の活路を切り開くのではないでしょうか。 我々、人事コンサルタントも常識や過去の事例に頼らずに、「クライアント企業の発展にベストな人事制度とは何か?」を常に追い求める姿勢が不可欠です。 自戒の念も込めて。

意味はいらない? | その他

意味はいらない?

  異動したばかりの部署で作業の引継ぎを受けている人(Aさん)が、教える人(Bさん)に質問している。 A:「この作業ってなんか無駄だなぁ。なんのためにやるのかなぁ。やる意味を教えてくれない?」 B:「えッ? 私もそのようにしろと言われてやってきたので、知りません」 A:「だってどう見ても意味ないじゃない。そう思わないの?」 B:「考えたこともありません」 A:「!?・・・・・」  「なんのための作業か」を知らぬまま作業するBさんの問題とは、あきらかにBさんの上司の問題である。作業の「目的」や「意味」を必ず教えることが「正しい業務指示」の鉄則だからだ。目的がわからなければ、やりきる意欲もでないし応用も効かない。そもそも、作業者に責任感や主体性を求めていないか、そのことに気づかない無能な上司ということである。  しかしそれ以上に不気味なのは、Bさん本人である。何のためにやるのか=目の前の仕事の意義や意味、を知らずして人は働けるものなのか。まず目的を語れ、というのが業務指示の鉄則だというのも、そもそも人は、「仕事の有意義感によって仕事に前向きに臨める」というコトワリが前提されているからなのだ。  報償や強制によらず人をやる気にさせる要因(=内発的動機づけ要因)の最たるものは、「仕事そのもの」といわれる。仕事自体の面白さや魅力だったり、社会や会社への貢献実感だったり、キャリアアップにつながるからモチベーションがあがる。要は自分の目の前の仕事に「意味」があればいい。たとえばモチベーション論でよく知られるハックマン=オルダムの5つの職務要件でいえば、 ①Skill Variety  ②Task identity  ③Task significance の3つが、「意味ある仕事」の条件だ(残りの2つは、④Autonomy ⑤Feedback)。  平たく言えば、 ①自分の複数のスキルが生かされると実感でき ②仕事の全貌がわかり、担当職務の位置づけを理解していて ③重要性 (社会にとっての、自社にとっての、自部門にとっての、あるいは協働する仲間達にとっての…)がわかっている。  とくに大事なのは、②Task identity。たとえ分業の一端を担っている単純作業だとしても、仕事の全体像と関連する他職務との関係のなかでアイデンティファイされることで、人は自分の職務の有意味感を得る。そもそも「大人」とは、自身の状況を意味づけ関係づけないと生きていけない事情があるから、このようなモデルが成立するのだ。  赤ん坊が外界の刺激にさらされていく中で、意味や関係のなかでモノゴトを秩序づける修練を積んでいくことが、人の精神発達=つまり大人になるメカニズムである。そのように大人、つまり社会的存在になった人は、なにごとにも、意味や関係を見出そうする。もはや、無意味には耐えられないはずなのである。  大人であるはずのBさんはしかし、自身の職務遂行に際して、職務の意味を必要としなかったということである。  さて、Bさんをやる気にさせるにはどうしたらよいか。もしかするとBさんは、社会性や共同性(=関係の中での意味づけ)をはぐくむよりも、自身への関心や自分の流儀に閉じがちな成長をしてきたのかもしれない。だとすると、彼をその気にさせるボタンは、むしろ自己完結性の強化にこそあるのかもしれない。  さきのハックマン=オルダムの説でいえば残りの二つ、④Autonomy ⑤Feedback、自律性と結果の確認である。自分のやり方で業務をすすめ、都度、結果がどうなったかがわかる――仕事の全貌や意義ではなく、切り取られた目の前の職務だけについて自分の流儀で結果を出せること。そうした自己完結的な業務遂行がBさんのモチベーションにつながるのではないか。  というのはまったくの仮説である。ただ、Bさんタイプはときに作業者として優秀で高いパフォーマンスを出したりもするから、なにか定石どおりではない業務指示でモチベートする必要があるはずだ。もしかすると、Bさんの上司は無能どころか、多様性を踏まえて、たとえばこのような仮説を実践する手練れの管理職なのかもしれない。

新しいスタイルへの対応 | その他

新しいスタイルへの対応

 ようやく、東京都の緊急事態宣言が解除された。安倍首相が「戦後最大の危機に直面している」と述べた日本経済も、徐々に歯車が回り始めていく中、多くの企業が頭を悩ませているのが「働き方の新しいスタイル」への対応であろう。  専門家会議の提言では、新規感染者数が限定的となった地域においても、再度感染が拡大する可能性があり、長丁場に備え、感染拡大を予防する新しい生活様式に移行していくことを求めている。厚生労働省の公表した「新しい生活様式」の実践例は、この専門家会議の提言を受け、「働き方の新しいスタイル」として、具体的に、テレワークやローテーション勤務、時差通勤、会議のオンライン化、名刺交換のオンライン化などの取り組みが挙げられている。  この「働き方の新しいスタイル」について、"コロナ前"の時点で、導入している企業と、全く導入していない(あるいは一部導入にとどまる)企業は、圧倒的に後者の方が多かっただろう。それが、この緊急事態宣言の間に、凄まじい勢いで導入が進んでいる。Zoom社によれば、昨年末に1,000万人程度だった1日あたりの会議参加者数は5月には3億人にまで急増したとのこと。ほんの2~3ヶ月前までは「オンライン飲み会」なる言葉がメディアを賑わすほどになるとはだれが想像しただろうか。  このような状況で、最大の課題は、単にリモートワークや会議のオンライン化を推し進めることではない。これまでに多くの企業が経験したことのない働き方に急速にシフトすると同時に、社員のモチベーションが高い状態を維持し、"コロナ前"と同等以上の成果を上げなければならない、ということにある。  特に、直接コミュニケーションの減少は大きな問題だ。社員の業務の遂行状況、健康、メンタルの状況について、相互に把握すること困難になることで、特定の人に負荷が集中してしまったり、逆に稼働が少ない社員が出てきたりする。また、働き方が変わる、ということは、必要とされるスキルやマインドも変わるということであり、それらが従業員のパフォーマンスに大きく影響する。従来のパフォーマンスを発揮することができなくなる社員も少なくないだろう。  少なくとも当面の間は、完全に"コロナ前"の働き方に戻ることはない。とすると、この新しい働き方のスタイルで、社員はモチベーションを高め、維持できる状態になければならない。状況が大きく変化した今だからこそ、モチベーションサーベイや360度診断といったツールを活用し、組織と個人の状況を正確に把握することが重要だ。能力を発揮する人材は、何によって動機づけられているのか、また逆に、パフォーマンスを発揮できない人はどのようなデモチベート要因があるのか、といった要因分析から見えてくるものは今後の施策展開の検討において、極めて重要なヒントとなる。  社員一人ひとりが持つ能力を発揮し、目標を達成できるモチベーションを維持し続けられる環境を提供することで組織の経営戦略が実現されることは、コロナの前も後も変わらない。いくら便利なシステムやサービスを導入し、環境だけを整えても、そこで働く人々のモチベーションが考慮されなければ、画竜点睛を欠くということになるだろう。

クワバラ、クワバラ | その他

クワバラ、クワバラ

 新型コロナの騒動は、のろのろと進んでいた「働き方改革」のアクセルを強く踏み込んだ。在宅勤務は、好むと好まざるとに関わらず広く普及し、定常化した。満員電車の揉み合いが無い快適さの代償に、業務妨害を企む子供たちとの熾烈な揉み合いを強いられる。それでも、会社から見ると、なあんだ、やればできるじゃないか、ということで、在宅勤務を標準の働き方に据え、この際、「働き方改革」をしっかり前に進めようと決心する会社が次々と現れてきた。  このようにして労働のスタイルが変わってくると、会社は新しい悩みを抱える。部下の働きぶりが見えないという悩みだ。つい数か月前には、管理職を集めた研修で、「部下の働きぶりをよく観察しなければ正しい評価はできませんよ」などと嘯いていたのに、「どうやって観察するの?」という問いに答えを失う。もはや仕事のプロセスは見えないから、アウトプットだけを見て評価しなければならないのだろうか。しかし、アウトプットの量や出来栄えなど、測定できない仕事もあるしなあ・・と悩みは尽きないのだ。  これまでの普通のマネジメントは、会社が良しとする行動を社員に求めてきた。それを立派に実行すれば褒美が与えられるし、さぼったり、いい加減にやったりすれば、罰が与えられる。こうしたマネジメントによって動かされる組織を仮に「規律組織」としよう。上長は常に部下の仕事ぶりを観察し、部下を指導し、望ましい行動をとるよう誘導する。社員は規律に反しないよう、常に会社や上長の意向を気にしながら業務に当たるというメカニズムだ。ワン・オン・ワンだとかコーチングだとかいろいろ配慮してくれるのは有難いが、つまるところ罰点を食らうのはご免蒙りたい。だから上長に求められるとおりの行動を取る。ふつうの組織だ。  さて、最先端のICTを駆使する在宅勤務組織に言わせれば、こんな「規律組織」はまどろっこしいものかも知れない。最先端のICTとは、「画像認証技術」、「ビッグデータ」、「AI」・・などというやつだ。もともと、AIというのは、Xというアウトプットの結果たる膨大なYの値を集めてきて、こんなXをインプットしたら、たぶんこんなYがアウトプットされるだろうと、帰納的に判断するのだそうだ。XとYの間の因果関係はブラックボックスだ。ウェブサイトで買い物をする人が検索する品目を大量に集めて分析すれば、ある品目をチェックしている人に「こんなのもありますよ」と興味の湧きそうな別の品物を勧めることができるということだ。    こんなことができるなら、在宅勤務する人の表情をPC内臓のカメラがいつも監視していて、画像認証技術で表情の動きを解析し、集中力が低下したというサインを見つけたときには部屋の照明とPCの電源を自動的に落とし、5分の休養を促す静かな音楽を流すようになるかも知れない。会話の音声と表情の動きからあまり買う気が無いと分析されたお客さんとのオンライン商談は、10分を過ぎると会社のサーバーが勝手にシャットダウンしてしまい、デジタルな趣の声が「コショウシマシタ。」とアナウンスするようになるかも知れない。  つまり、規則で人々を律する組織ではなく、ICTで人々の行動をコントロールする組織だ。「規律組織」に対して「自動制御組織」とでも呼ぼうか。  社員は自律的に努力し、自主的な判断で仕事を進める。上長はコーチとしての脇役だから、細かい指示も命令もしない、仕事の主役は最前線で働くオレだ!と、仕事をしている本人はそう信じている。だが、いつの間にか、知らないところで、AIが彼らの行動を詳細に監視し、照明を暗くしたり明るくしたりしながら、その行動をコントロールしている・・そんな時代の到来を、新型コロナが加速させているような気がする。クワバラ、クワバラ。

新入社員に「新しさ」を求めるな | その他

新入社員に「新しさ」を求めるな

過去の成功体験に囚われない新しい発想を社内にもたらしてくれる人材が欲しい・・・どの企業でも思いは同じだろう。中には、そのような熱い思いを秘めた眼差しを、キラキラと目を輝かせた新卒の新入社員に向ける会社もある。 筆者はかつて、日本を代表する大企業数社の人事部の方から「現状を変えるために新入社員に期待したい」と伺ったことがある。変えたいものは、かつては革新的といわれたが保守化した企業風土だったり、新商品を出すもののかつての勢いを失った定番商品のリニューアルプランだったりと、さまざまだが、今の社内にない「新しさ」を新入社員に求めるという点は共通と言えるだろう。 しかし、このような期待は、新入社員自身にとっても、会社にとっても、害でしかないのではないかと私は考える。 理由は三つある。一つは、新入社員をダメにするからだ。新しいアイデアを出すことは確かに重要で、出す能力に長けていることに越したことはない。しかし、アイデアを事業に具現化するまでは「千三つ」「多産多死」と言われるような淘汰の道のりだ。アイデア出しくらいでちやほやしてしまったら新入社員に大きな勘違いをさせかねない。 二つめは、新入社員の配属先が疲弊するからだ。確かに新入社員は、既存社員にない発想を持っているかもしれない。しかし、新しさはそれ自体ではなかなか理解されないものだ。その説明に、多くのマーケターや開発者は心血を注いでいるのだ。よほど突出した新入社員でないかぎり、人事部に鼓舞されていろいろな提案を出したとしても、その対応に周囲は苦慮することになるのではないだろうか。 三つめは、そして一番声を大にして言いたいのは、責任転嫁を感じるからだ。本当に新しい発想を絞り出すべきは既存社員、特に会社の上層部である。なぜ、新しい発想が出てこないのか? その要因を自分の責任として考えるのが先ではないか。役員が新しいアイデアを後押ししない、失敗すると個人の評価が悪くなるなど、組織の風土や制度が元凶になっている可能性はないのか。 新しい発想が欲しいならば、アイデアを生み育てる社内(特に上層部)の環境を整えた上で、新人・既存社員を問わず提案をどんどん出させればよい。既存社員・組織を変えることを諦め「新しい人に期待する」などという情けない発想は捨て去ろうではないか。

成功は失敗のもと | その他

成功は失敗のもと

日経新聞の「私の履歴書」で、今月から野中郁次郎氏の連載が始まった。言うまでもなく、野中氏は、最も著名な日本の経営学者の一人で、知識経営(ナレッジ・マネジメント)の生みの親とも言われている。 第2次世界大戦に勝利した米国は、戦後も、業務の標準化や品質管理といった科学的管理手法を各企業が展開する事で大量生産を実現し、企業経営においても世界の先頭をひた走っていた。当時、サラリーマンだった野中氏は、米国が、優れた経営上のアイデアや手法を概念化し、世の中にどんどん広めていくのを目の当たりにする一方、よい経営をしている日本企業も多数ありながら、わが国の企業が取り組もうとする経営手法・管理手法は、みな米国から来たものばかりである事を憂いていた。 「また、日本は米国に負けてしまうのか」と危機感を抱いた野中氏は、米国に学びに行こうと、30歳を過ぎてから米国留学を決意、その後、経営学者に転身し、世界的に成長を遂げた日本企業の分析をもとに、経営学の中に、知識経営(ナレッジマネジメント)の領域を確立した。企業が持つ知識には、主観的で言語化しにくい「暗黙知」と、客観的で言語化できる「形式知」があり、それぞれの社員が持つ「暗黙知」と「形式知」を上手に連動させることで、個人の知識から、組織的で高次な知識(ナレッジ)レベルを創出するというSECIモデルを提唱、今までに、多くの企業がこのモデルを実践でも活用している。 三十数年前の話になるが、私が大学在学中に、野中氏が母校の研究施設に移って来られ、一度だけ、特別にマーケティングを学んでいた我々に講義をして下さったことがあった。「私の履歴書」の連載の冒頭で、ごく普通の子供時代を過ごし、数学が苦手で、高校の簿記の試験でたった5点しか取れなかった事も紹介されていたが、アカデミックの世界で、厳しい競争を勝ち抜いてきたにも関わらず、実際にお話をされている様子は物静かで、ごく普通の紳士が、淡々と話されている印象があった。しかし、話の内容とその背景にある思いは強烈で、いつの間にか、野中氏の話に引き込まれていった。 その日の講義では、暗黙知と形式知が、日本企業の中で、飲み会や合宿といったわが国特有の活動を通じて、うまく連動し、組織の知がレベルアップしていくというナレッジマネジメントを分かりやすく解説していただいた。ただ、当時、飲み会はしていたが、社会人としての実務経験のない学生の身の私にとっては、組織の中で知識がどういうもので、それらがどう形式化されていくのかというリアルなプロセスは、実感できず、その意味を理解できたのは社会人になってからの事だった。しかし、もう一つ、当時、野中氏が共著で出版された『失敗の本質』という本の解説をされた際に発せられた「成功は失敗のもと」(「失敗は成功のもと」ではなく)という言葉が、妙に深く私の心に刺さり、その後の私のキャリアの中で、ずいぶんその言葉を意識して、行動してきたように思う。 この本は、第二次世界大戦時の各作戦で日本軍が敗戦した理由を分析し、組織としての成功要因、失敗要因を明らかにした名著で、その後、多くの経営者が読む大ベストセラーとなった。第2次大戦中、日本軍は、日露戦争や大戦初期の勝利によって、それらの成功体験は正しいと言う過信を助長させていった。敵を過小評価し、一度失敗しても「運が悪かっただけ」と考え、状況の変化に敏感に対応せず、イノベーションを続けることをやめてしまった事が敗因の本質だとこの本では分析している。 あの講義の頃は、既に敗戦から立ち直り、多くの日本企業が、世界中からお手本とされる時期だったが、今や、日本企業を取り巻く環境は大きく変わってしまった。現状のやり方を疑わず、今までやってきた事が正しいという前提を置いてマネジメントをしていないか、うまくいった事があっても、絶えず、「成功は失敗のもと」であることを肝に銘じていかなければならないと、「私の履歴書」を読みながら、改めて感じている。

やめられる才覚 | その他

やめられる才覚

こんな経験はないだろうか。 タバコをやめよう、お酒の量を減らそう等々である。 まず、なぜやめようと思うのか、体に悪いと思ったからなのか、お金の面なのか、それとも自分の意思を試すためなのか。 いろいろな理由はあるだろう。しかしその理由はやめるための心の踏み切り台にしか過ぎない。本当の理由とは何か、体に悪いことは悪い、それを知っていてやめない自分が一番悪い。この自己嫌悪から抜け出すこと、これが一番の理由である。 私の知り合いは、タバコをやめるのには自然にやめるのが良い、やめるのに力んではいけないと言った。至言だと思う。実際、風邪をひいたり喉が痛い時には自然と吸わなくなる。 体のため、お金のため、自分の意思のためと思ってはダメだ。ごく自然に自我の命ずるままにやめるのが決め手のようだ。 よく「今日からタバコをやめるぞ」と周囲に宣言して、持っていたタバコはもちろん、目の前からタバコに関するすべてのものを捨ててしまう人がいる。こういう人は才覚年令的にいうと低い。逆にタバコをいくつかしまっておいて、ライターや灰皿を身の回りに置きながらやめる人もいる。この方がやめやすいのである。 自然にやめるという心構えが大切なことはすでに述べたが、この自然さを身の回りに持つためにも、わざとらしい禁止は禁物。禁止による不安感、恐怖感に対しては、いつでも手にしようと思えば手にできるという安心感があればよいわけだ。空腹の時、そばに食べ物があれば安心だが、ないと少し不安になったりする。 仕事も日々の業務ルーティンを自身で見直しをして、優先順位をつけ、順位の低いルーティンをやめていくべきだ。そうでないとキャパオーバーに陥り、新しくアサインされた業務に対応できないようなことになってしまう。求められているのは、ひたすら業務を続けていくことより、成果を上げることだ。やめたことで新しいアイディアが生まれたり、新たなチャレンジをスタートさせるきっかけになる。肝心なのは、「やめることは難しいこと」という固定観念を捨てることと、力まず自然にやめられる才覚を持つことなんだと思う。

自己流の迫力 | その他

自己流の迫力

 独自の工夫でなんともユニークな人事施策を講じる会社に出会うことがある。  T工業は、外部講師を招いての小難しい研修はやらないのだと言う。各部門が、他部門の人々に知っておいて欲しい事項を4択のクイズにして、イントラのアンケート機能を使って皆に配る。これを受けた社員たちは期限までにこれに答える。翌週には出題者から正解が送られてくる。選択肢のうちひとつは冗談のようなのが入っているから、皆、面白がってこれに答えている。多くの人が間違える問題は、会社として弱みだ。だから、こういうのがあると、会議の後などに20分ほど時間を割いて、出題部門の部門長が小さな研修を行う。さて、そうこうするうちに、多忙を言い訳にクイズに答えない者が出てくる。すると、今度は課対抗クイズ大会だ。1年間に出された問題の中から選りすぐったものを用いて、早押しクイズの代表戦。優勝の課には金一封が出るから、誰かが勉強をさぼっていると非難集中だ。  S産業では、管理職が必ず1年でクビになる。正しく表わすならば、すべての管理職ポストは1年任期なのだ。役員会は新年度の2か月ほど前には次の方針・計画と組織を定め、最適な人員配置を考えて、内示する。今年の管理職のすべてが再任されるとは限らない。あくまで来年度の計画に最適な人が配置されるのだ。再任されず、他部門の管理職にも起用されなければ、ばっさり、実務層に格下げだ。だから、管理職の緊張感は並々のものではない。そんなことだと職場はよほどギスギスした雰囲気だろうと想像するが、そうでもない。実務層に退いても、次のチャンスがあるからだ。自分ならこんなチャネルを開拓する、自分ならこんな物流システムを作る、といった「提案」をする仕組みもある。能動的に経営計画に関与し、可能ならば自分が働くポストを自分で作る訳だ。  R商事の新卒新入社員研修は手が込んでいる。2週間缶詰の導入研修だ。会議室に模擬の営業所をしつらえ、模擬の受注端末を置く。隣の会議室から、顧客を装う営業社員が注文の電話をかけてくる。第一段階の演習では、優しくて紳士的なお客さんから電話がかかる。だから、予め読んだマニュアルどおりしっかりと対応できる。第二段階のお客さんは少し厳しい口調に変わる。構えを正して事に当たらねばならない。これが最終の第七段階ともなると、怒鳴りちらすようなお客さんで、言っていることもよく解らない(もちろん、営業社員の演技)。だが、どの新入社員も、これに怖じることなく、冷静に対応する。段階的に厳しくなるので、受け答えが確実に上手になるのだ。こうして、初任配属の新入社員でも自信をもって対応することができる。実務に配置されてからびっくりして退職するような者はひとりもいない。  こうしたユニークな方策を考え出す会社は、業種も規模も異なり、抱える問題もさまざまだ。だが、これらの会社が共通して持っているものがあると感じる。社員が、自分たちの言葉で問題を捉え、自分たちの工夫で解決策を練ろうとする姿勢と努力だ。こうして編み出される施策は、地味だけれど結構ヘビーデューティーで、時として迫力がある。抜けていること、漏れていることもいろいろあるだろう。思わぬリスクを抱えてしまうことだってある。しかしそれでも、問題を自らのこととして捉え、自ら解決しようとする姿勢は立派だ。そして、彼らは、滅多に尋ねない。「よその会社はどうしているのですか?」と。

2035年 | その他

2035年

 64歳の部長が部下の若手社員にWeb会議で話をしている。営業部の業績の説明と、この若手社員の担当するクライアントへの新たな指示をするためである。ちなみに若手と言っても52歳である。営業1部は全員で25名。定年再雇用社員は10名、正社員は15名である。正社員の年齢構成は60歳以上65歳未満が8名、50歳台が4名、40歳台が2名、30代はわずか1名で20代はいない。部長は若手社員に一通りの話をした後にこう続けた。”君はまだ若手の社員だが、あと10年くらいすると管理職になる可能性もある。そろそろ実務だけではなく、マネジメントも意識して業務に取り組んでくれ“  今から十数年後の2035年には、職場は上記のような状況になっているだろう。日本の大手企業の多くは、国内市場の縮小と少子高齢化、超流動的な労働市場により、驚くほどの高齢化が予測される。70歳ないしは75歳までの雇用義務化は避けられないだろう。75歳まで雇用しなければならないとすると、人事管理の考え方を一変させるくらいの激震だ。標準的なライフプランを想定した“年齢”を軸とする人事管理から、年齢に関係のない“実力”軸の管理へと急速に舵を切ることになる。また過去20年間新卒を中心とした若手社員の採用抑制の影響が圧倒的に大きくなる。会社のノウハウや文化を継承する中堅社員がいないということだ。  これに拍車をかけるのは労働市場であろう。より流動的になる労働市場により、他の会社より魅力に劣る企業からは驚くほど人材が流出する。20、30歳台の社員がほとんど離職する会社も出てくるだろう。また日本国内市場を基盤としている企業は、業績の低下に苦しみ続ける。ビジネスボリュームの低下と反比例して、生き残りをかけた熾烈な競争が激化し単価が下落する。社員の処遇をより良くすることが困難となる。今後企業を取り巻く環境は、平成の延長線上の環境ではなくなるのである。  少子高齢化、歪な人員構成、長期の継続的な業績低下が予測される中で、個別の企業が力強く成長するためには、サービス、商品、技術、ビジネスモデルの革新はもちろんであるが、人事管理も重要なキーとなる。環境が連続的変化でないと予測されている以上、人事管理も過去の延長線上の発想では機能しない。しかし近年の多くの企業の人事管理の改革は、受け身的な印象が強い。現在発生している問題への対処というスタンスであり、間違いなく起こる大きな変化を先取りしたものと言えない。  法律や常識という観点では、人事管理は過去を継承しなければならない。しかし今後の変化は過去の継承を重視するスタンスでは対応できるものではなさそうだ。今までの変化と全く異なる次元の変化が急速に到来しつつあることを改めて認識する必要があるのではないだろうか。 以上

居残り勉強は非か? | その他

居残り勉強は非か?

 「若いころは、寝る間も惜しんで、仕事に打ち込んだ」「自宅には本や資料がないから、会社で居残り勉強の毎日だった」というのは、わりと良く聞く話だ。きちんと統計を取ったわけではないが、感覚的に40代以上の世代にそういう人が多いように感じる。 かつてはそのような勉強の仕方が奨励されていたり、そうしなければ1人前になれない、というような空気が確かにあった。  私自身も社会人になったばかりのころを振り返ってみると、会社のリソースを拝借してずいぶんと勉強させてもらったものだ。当時はOA化の掛け声のもとにPCが職場に導入されるようになってきたころで、入社したばかりの私の机の上には、これまで触ったこともないPCが置かれていた。実際の業務で使うのはワープロソフトぐらいであったが、これをうまく使えば面倒な仕事も楽々こなせるのではないか、と毎晩、会社に残って情報処理の学習をしつつ、業務での活用方法にとどまらず、どんな可能性があるのか、それこそ寝食を忘れて没頭していた時期があった。  だが、時代は変わり、今では自身の学習のためでも会社に残っていると、「業務もないのにダラダラ残っている」だとか、「会社のリソースを私物化している」とかで、服務規律、コンプライアンス違反に問われたりする。居残り勉強は是か非か?と問われれば、現在では間違いなく“非”なのだ。  さらに、現在のように、ビジネスの変化が激しい状況では、時間をかけて習得した知識・スキルが一瞬で陳腐化するリスクを考慮しなければならない。そして、今やっていることが活かせるシーンが今後も続くのか、ということを認識しておかなければならない。今まで以上に自身が学習すべきテーマを絞り込み、限られた時間の中で効率的に学習するというスキルが重要になるだろう。 自身を振り返ってみて、良いイメージのある経験が、やれルール違反だ、非効率だ、などといわれてしまうのには少々隔世の感があるが、今や会社に残って寝食を忘れてひとつのことに打ち込む、というような学び方は、要領の悪いダメ社員のレッテルを貼られてしまうのかもしれない。

2:6:2の法則 | その他

2:6:2の法則

人事評価では、「2:6:2の法則」によりハイパフォーマーやローパフォーマーを識別する法則があります。 社員を評価する場合、20%を「優秀な人(ハイパフォーマーHP)、60%を「普通の人(アベレージパフォーマ-AP)、20%を「目標の成果を出せない人(ローパフォーマーLP)」というセグメントのことです。 この中のLPとは、組織において業績の芳しくない人材、能力やスキルが不足している社員を『パフォーマンスの低い人』という意味でLPと呼びます。能力を最大限発揮して組織に大きく貢献するHPの対義語にあたる存在で、業績の悪化や伸び悩み、他の社員への悪影響などを生む原因となり、ぶら下がり社員などとも言われます。 組織にLPがいる場合、切り捨てるべきだという乱暴な意見もありますが、果たしてそうでしょうか。 「LPの20%を退職に追いやることで、残り80%の社員のモチベーションが低下する」 ということがあります。 それは、上位20%のHP社員も、中位60%のAP社員も、常に「下位に落ちるリスク」があり、「下位20%になったら、退職しないといけないかもしれない」となると、組織のために働く意欲は低下するだろうし、転職を検討するなど人材流出のリスクも出てきます。 個人的な理由や市場環境の悪化などで、思うように成果が挙がらないことは誰にでも起こりうることですが、「会社はこういう状況でも、長期的なスパンで育成を考えてくれている」とあらかじめ確約されていれば、組織のために働くモチベーションは高まるはず。 パフォーマンスが上がらないからと退職を勧告されれば、社員たちは、「会社はいざというときに社員を簡単に切ってしまう。自分も会社に尽くす必要はない。」だったら「仕事はそこそこにして、自分の趣味や余暇に時間を使ったほうがいい」という思考が働くようになるでしょう。 また仮に、上位2割の優秀なHPがいなくなった場合、残り8割に優劣の差が生じて再び2:6:2の割合にセグメントされると言われています。LPの2割がいなくなることで、組織の生産性は向上するというイメージをお持ちの方もいると思いますが、結局は再びLPが生まれ、生産性が低い下位ができるのです。組織化された会社ではよく見られる傾向です。 また、「HP2割」「AP6割」「LP2割」で構成されていた営業部を、「HPだけのチーム」「APだけのチーム」「LPだけのチーム」に再編成したところ、APとLPのチームから、HPチームをしのぐトップセールスを記録するメンバーが複数誕生したという例も聞きます。LPの成績も、時期や役割によって変わる可能性が大きいことを示しています。 チームを編成する場合、多くの部署が存在する組織などは、各部署の「AP」のみを選抜してプロジェクトを任せたり、各部署の「LP」のみで会議を実施するなどで、それぞれのセグメントで力を向上させる施策から実行に移すのも有効です。 人材育成においては、AP層はもちろんのこと、モチベーションが低下しているかも知れないLP層に、より高い関心を持ち、彼らが業績に貢献できる仕組みを整えることを意識しておくことが必要です。 それには、組織全体の人材の構成を、まずはきちんと分析し、適宜、組織に最適な人材育成に乗り出すことが重要なのです。 社員がLPになる原因はさまざまでしょう。「採用時に見誤った」で済ますのではなく、またパフォーマンスが低いというだけで、その存在や役割をマイナスにとらえるのではなく、社員一人一人と向き合い、それぞれの原因を探ることが大切です。 個人の能力の差だけでなく、仕事への姿勢や意欲、周囲との関係からなぜLPに留まっているかを本人と上司や人事部で認識しなくてはなりません。 そして、AP社員のレベルまで引き上げる研修・教育などを実施すべきであり、またHPが有するスキルや行動特性を意識させれば、組織全体の強化につなげていくことができます。 LPの能力や意欲を向上させることは、会社の利益につながることを忘れてはいけないのです。 以上