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ひきこもりのダメージ | その他

ひきこもりのダメージ

 皆が家にこもる状況は脱したものの、対面・接触をさける生活は終わりそうにない。世界中の感染状況をみると、いつまた外出自粛の号令がかかるかもしれない危機のなかにあり、かつてのような人と人のリアルなコミュニケーションが普通だった時はもう戻ってこないように見える。  多くの人がひきこもることで出来るもっとも大きな問題は、社会性や共同性、つまり、関係のなかでヒトは生きているというプリミティブなコトワリが、対面できない「非接触」のなかでどう変容するか、だろう。  人は他者との関係のなかで、自分自身の存在理由を確認する。関係のなかで、機微や情や愉楽を交換し生きることの彩りを感得する。すでに我々は、ネットワークインフラのおかげで直に会わなくても用が足りる利便性を享受しているがそのうえでなお、不要不急のふるまいとして、あえて顔を合わせ、直に話すことをしてきた。ネットの利便性を補完するものとして、そうした人間同士の交流、熱量や体温を感じるコミュニケーションを必要としてきたのも、そうしたコトワリの現れだった。    こうした対面接触なしの対人関係がもたらす、いわば情緒的なアイデンティティクライシスは、もしかすると社会の死を意味するくらいのインパクトがあることかもしれないが、組織での協働という点でいえば、もっと具体的なコミュニケーション上の問題がある。それは、コミュニケーションの生成機能に対する、実態的ダメージだ。  WEB会議をはじめとするコミュニケーション手法の拡大・進化によって、言葉だけではなく表情、態度、文字、絵などの「記号」のやり取りは、代替できるだろう。しかしコミュニケーションは、何かすでにある情報を伝えるだけではなく、コミュニケーションのなかで新しい情報(=アイディアや新しい発想)が生成されるという機能ももつ。  自動車の製造現場でうまれた「カイゼン」は、部門を超え職位の違いを超えて人が集まり、現場現物によるコミュニケーションによりわいわいがやがやと問題解決をはかる手法としてその有効性がよく知られる。「真の問題は現場に存在する」ことを前提に、徹底して現場でモノを見て率直に意見を出し合い、例えばモノを動かしてみるといった解決策をその場で試すといった集団での活動が、新しい発想の生成を相乗し、改善のみならず改革につながる。  ここで喚起されるコミュニケーションの創発性、組織論でいう「場の創造性」は、個々の異質性の交換/相互作用を要件とする。異質性は、「記号」のやりとりだけでなく、あつく語る人々の熱気、共感して肩を叩きあい、笑い、また反発して憤るといった感情の交換でもより一層際立ち、グループダイナミクスを促進する。  こうしたダイナミズムが「集まらない、対面しない」から失われるのだ。それは、イノベーションを迫られる企業組織にとって実態的なダメージであると同時に、働く人々にとっての醍醐味、モチベーションエンジンもまた損なうことだろう。対面することなく「カイゼン」すらも媒介できるコミュニケーションプラットフォームもまた技術進化によって登場するかもしれないが、それでも、集団でなにか新しいものを生み出す際の想念のうねりや坩堝が、あるいは生み出し得たときの一体感が、そこに生まれるかどうかは、期待できない。それは、アタマで理解し共有するというよりも、もっとアマルガムな、身体性の一体感だからである。  

いつまで使う?電子メール | その他

いつまで使う?電子メール

 現代のビジネスシーンにおけるコミュニケーションツールといえば、筆頭はやはり電子メールだろう。コストがかからず、相手の時間も拘束せず、あとからやり取りの履歴を追えるといったメリットはビジネスにおいて非常に有益である。  だが、電子メールがビジネスで利用されるようになって約30年がたち、ビジネス環境もだいぶ変わってきた。日頃、電子メールのやり取りをしていて、正直、使いにくい、と思う点が目につくようになってきた。少なくとも、人対人のコミュニケーションで用いるツールとしてはかなり問題が多いのではないか、と思うのである。いくつか例を挙げると、 1.関係のないメールが多すぎる  登録した覚えないメールマガジンや、情報共有という名目でCCに入れられたメールが多く、とにかく処理に時間がかかる。  総務省の調査によれば、主要通信事業者が送受信している電子メールの約50%は迷惑メールだそうだ。 2.受信したメールを振り分けるのが面倒  様々な業務のメールが同じ受信トレイに入ってくるので、適切に振り分けないとどんどん埋もれてしまう。また、日々新たな振り分け設定をするのが非常に面倒だ。 3.多人数でのやり取りがやりにくい  CCでの情報共有に頼らざるを得ず、メールの量がますます増える。 4.相手がメールを読んだかわからない  送った後に相手に届いたか、実際に読んでもらえたかわからない。メールを送った後に「今、お送りしたメールの件ですが……」と電話をかけて確認したりすることもしばしばである。  など、一通ずつ丁寧に処理していたのでは、時間がかかって仕方がない。コミュニケーションのスピードという点に関して電子メールはかなりイケてないツールであると感じる。 B2BやB2Cのコミュニケーションや、サービス、アプリケーションからの通知などの用途に関しては、これからも電子メールが主体であるり続けるであろう。だが、やり取りの頻度が高く、スピード感が求められる社内のコミュニケーションやプロジェクトメンバー間でのコミュニケーションは、ビジネスチャットでのやりとりが中心となり、必要であれば即オンラインミーティングを行うなど、目的や用途に応じて、適切なコミュニケーションツールを選択していく必要がある。もはや、社内での電子メールの利用を禁止する、という企業も出てきているぐらいだから、早々に電子メールにのみに頼ったコミュニケーションから脱却しなければならない。  コロナ禍の中で、リモートワークの利用が拡大することにより、電話、メール、ビジネスチャット、オンライン会議などさまざまなコミュニケーションツールを利用する機会が増えている。それぞれのコミュニケーションツールの特性をきちんと把握し、目的用途に応じたツールを選択し、それを使いこなせるようになることが、現在のビジネスコミュニケーションにおいては必須のスキルなのである。

お金の管理だけで十分ですか? | その他

お金の管理だけで十分ですか?

 かつて税法や簿記を勉強していた私は、知人や諸先輩方に、経理職を勧められることが多かった。会社全体の経営を数字で管理する経理という仕事に携わることで、ビジネスへの理解が深まり、経営的ポジションについたり、起業したりする際に役に立つという。確かに、管理部長のほとんどは財務・経理出身の方が多く、人事部長や総務部長という方はまれである。  経理の扱う数字によって会社全体の経営を管理しているという考え方には納得感があり、実際に税務・会計のコンサルタントとして多くの企業の数字に関わった。しかしながら、しばらく仕事をする中で、ある疑問が浮かんだ。  経理が扱う数字だけでは経営活動を管理しきれないのではないか、という疑問だ。  経理で扱う数字は「お金」に特化した数字であり、それ以外の分野については数字で表す習慣がなく、分析の対象となっていないことが多い。重要な経営的資源であるにも関わらず、客観的な数字で表現されたり分析されたりしないことが多い分野の代表的な例が、人事の領域である。  多くの、特に中小企業の経営者と対峙した経験の中では、企業の中で起こる様々な問題に対して、数字だけでは管理しきれず「(経理が扱う)数字+勘+経験」という組み合わせによって経営的判断を下しているケースが多々あった。経験豊富で勘が必ず当たる幸運な社長にとっては何の問題もないのだが。  「数字+勘+経験」のうち、数字で表現することができないことが多い「勘+経験」の領域を、数字で表現して分析してみることによって得られるメリットは非常に大きい。  一定のルールに基づいて整理された数字を使うことにより、他社、自社の基準や過去の数字などとの比較が可能になる。財務・経理の分野では、さほど意識せずこの手法を用いており、業種や規模によって経常利益率は○○%程度が目安、などと特定の指標と一定の目安を基準に議論を展開している。  これらの比較検討と分析・議論によって、経営課題を認識し、軌道修正を行ったり新たな手法を導入したり、複数ある選択肢の中から最適な選択を行ったりする際に、最善の判断を下すことができるのだ。数字を用いることによって、一定の基準の上で比較検討することが可能になり、無限の選択肢の中から直感で決定するというリスクを負わずに済む。これは、リスクヘッジという観点でも非常に有用だ。  「勘+経験」の領域であるとされがちな人事に関しても、BSを見るように人的資産の保有状況を見て、PLを見るように一定期間のパフォーマンスや創出される価値を測定することによって、何を基準にどこを目指すべきなのかがおのずと明確になるのだ。  会社や経営者の判断や価値観によって相違が生じることは予見しうるものの、同じ業種・規模で望ましいあり方はある程度定型化できるはずである。  実際には、多くの会社ではまだ行われていないことだが、今後は、人事の領域についても比較・分析という概念を導入し、数字を用いた一定の指標と基準をベースに、経営戦略の実現のために議論を重ねることが望まれるようになるだろう。

残業代を懐かしむ? 非定型業務を担う人財の育成 | その他

残業代を懐かしむ? 非定型業務を担う人財の育成

「残業」という概念のように、「投下時間に対して報酬を支払う」という考え方は、極論すると、定型業務にしか馴染みません。作業量は、おおよそ投下時間に比例するかもしれませんが、価値や成果は、投下時間に比例するとは限らないからです。 定型業務の場合と違って、「何らかの基準を設けて測る、創出価値や成果で評価する」のが、非定型業務です。論文が引用された数や特許数などの指標で評価される、研究開発といった仕事は、非定型業務のわかりやすい例かもしれません。 他にも、ヴィジョンの構築や新規事業の企画、充分な情報が揃い切らない段階での意思決定をはじめ、持続可能な差別化やイノベーション(創新普及)に貢献するような優れた問いを生み出せるか、実際に厄介な問題を解決できるか、組織内の潤滑油的な役割を担って相乗効果を引き出せるか…といった能力の発揮に関係するのが非定型業務と呼ばれる仕事です。 (非定型業務には、定時出社等の「時間管理」は馴染みませんね。では、「非定型業務用のマニュアル」はあるでしょうか?…ありませんね。) 今後も、定型業務自体の重要性は変わらないのですが、その担い手が機械知能(Machine Intelligence:MI)やロボティクスに置き換えられていくという大きな潮流があることは認めざるを得ないのではないでしょうか。 もちろん、自動化や自律化のコストや手間に見合わないなどといった理由で、ヒトが求められ続ける定型業務はまだまだ多いと思います。 現時点でそういった実態があることは承知しつつも、人生100年時代を生きる私たちにとって、「非定型業務で能力を発揮できるように、自己刷新していくことが求められる」のは、避けられないことなのではないでしょうか。 「画一的な内容を、同じ理解の仕方で記憶・習得させる」という方法は、「定型業務を効率よくこなす人財」を育成するためには有効でした。しかし、その人財育成の方法は、「唯一絶対解のない『厄介な問題』(※)の解決に必須な、非定型業務が務まる人財」を育成するために有効とは言えません。 そして、「先生が生徒に一方的にモノを教えるという教育スタイル」が通用しなくなるにつれ、「MIを用いた個別学習」の浸透に加え、「正解を知らない先生が、生徒と一緒になって、身近な環境問題に関する解決策を考える」などといった北欧型の教育スタイルへの関心が高まっています。 見方を変えると、「学習者それぞれが独自に課題を設定して、その解決を図るプロセスを学ばせることができるファシリテーター」(変化・成長・学習の促進者)が求められるようになってきているということです。 …業界や企業の成長ステージ、プロジェクトの内容によっては、喫緊の課題です。 貴社では、環境変化に応じて自己刷新を遂げ、持続的な発展が可能になるように、「キーパーソンが、効果的なファシリテーター役を務めることができる」ように育成されているでしょうか? また、そういった人財が働きやすい環境を整えていらっしゃるでしょうか? ※「厄介な問題」(Wicked Problem:ウィキッド・プロブレム) 「難問」と区別する際に用いられることのある表現。 単に、解決に至るまでに多くの手順や時間が求められるとか、関係者が多くて問題の構造が複雑であるなどというだけでなく、分析思考・線形思考だけに頼っていては解決できない問題のこと。さまざまな原因が絡まり合って複雑な状況を生み出しているだけでなく、関係者によって何を問題と見なすかが異なっていたりするなど、「問題設定を明確に行うことが困難」であるため、なぜ現在直面しているような状況が起きているのかが不明であったり、独特の特徴や条件などを備えているため過去の問題解決策が適用できなかったり、問題解決に向けた試験的な取り組みを実施することで、対象とする状況などが変化してしまうために改めて問題設定を行う必要が生じたり、どういう状況になったら「問題が解決した」と見なせるのか判断するのが困難…などといった特徴(のどれか、またはいくつか)を備えた問題のこと。 例:感染症の大流行と経済活動に関する問題、高齢化問題、頭脳流出問題、肥満問題、移民問題、地球温暖化問題、持続可能社会の実現問題、テロリスト対策問題、貧困対策問題など

小田原評定(ひょうじょう) | その他

小田原評定(ひょうじょう)

かつて小田原城主を務めていた北条氏直は、城外で敵であった豊臣秀吉軍が城を囲い、まさに小田原城を攻め落とそうとしていたのにもかかわらず、延々と城内の評定で対策の評議を行っていたと伝えられています。結局、城内での長引く評議の中、北条氏直は豊臣軍によって滅ぼされてしまったことから、小田原評定は「会議が長引いて、結論が出ず埒が明かないこと」を指す比喩として使われるようになりました。 現代の会社の会議や日常に関する相談ごとで、時間的に長引きながらも一向に埒が明かず、結論が出ないことがありますが、このような状況は小田原評定の典型的な例といえます。 会議が小田原評定になった場合、出席メンバーの心中はイライラやガッカリ、あるいは、またかといったものになってしまいます。会社の会議では、問題の解決や今後の計画など、結果や結論を急ぐ内容がほとんどです。そのような状態で会議が小田原評定であるのは、とてもストレスのかかることです。小田原評定で残るものは時間のロスとストレスだけかもしれません。 会議をするのに大事なのは事前準備とファシリテーションです。効率的な会議を実現するためには、まずその会議での目的を達成できるよう入念な事前準備が必要です。事前準備とは、会議の目的、情報の共有、参加者への宿題のお願いをしておくことです。 集まってから内容の説明するのではなく、すぐに議論が始められるような環境を整えておくのです。 参加者に目的を共有しておくことによって、会議終了時に「このゴールを目指す」という目的を共有したチームワークを発揮しやすくなります。さらに有意義な議論をするためには、必要な情報と会議の議題となる問題提起をしておくことが肝心です。 そうすれば単なる一般論ではなく、会議で決定したことを参加者が実施するにあたって解決すべき問題など、具体的な状況を踏まえて意見を出してくれるようになるはずです。 また、事前に「資料に目を通して議題に対する意見を持って会議に参加いただく」というような宿題を設けておけば、議論できずに会議が終わるという事態を避けることもできます。 このような事前準備を行っておけば、ファシリテーションもスムーズに行えます。 難しいのが、意見が出ない時に意見を出してもらうこと、また脱線した場合に本筋に議論を戻す会議進行です。目的や情報、そして問題提起の内容を共有しておけば話も脱線しづらくなり、宿題として意見を準備しているため、会議を停滞させず発散させ収束ができるのです。 小田原評定は、過去の歴史から生まれた言葉であるため、日本人には響くものがあります。 加えて、長く話し合っても結論が出るどころか、敵に打ちのめされてしまうという、やや皮肉めいたニュアンスがあるのも特徴です。 戦国時代と違い、現代社会はますます変化を遂げ、そのスピードを速めている中、こういった状況に陥らないよう会議の時間を最小限にして、有意義な会議のみを開けるようになれば、やるべきタスクにより多くの時間を割くことができるでしょう。 自社の会議が小田原評定になっていないか自問自答しながら、会議の在り方を再考してはどうでしょうか。

なぜ緊急車両の通行妨害が起こるのか?  | その他

なぜ緊急車両の通行妨害が起こるのか? 

遠くからサイレンの音が近づいてくる。消防車だ。音が近くに来てなかなか遠ざからないと思ったら、細い道が太い道に合流するT字路の交差点で、交差点内の右折車が緊急車両の行く手を阻んでいた。消防車は何度もアナウンスで指示を出し、乗用車が少しずつ位置を変えてようやくできた隙間を縫って走り去った。長い信号一回分の時間が経過していた。 ドライバーであれば緊急車両を優先させるのは常識中の常識である。いったいなぜこのような誤った行動が引き起こされてしまうのだろうか。それを防ぐ手立てはあるのだろうか。 通行妨害が発生する理由については、調査を見つけることができなかったが、災害時の行動研究などを踏まえて3つの仮説を考えてみた。 ・視野狭窄の罠 周りが見えていない状態で、緊急車両が近づいているという聴覚による事実と、自分の進路に影響があるかもしれないという可能性が結びつかず、ぼーっとして何も考えずに交差点に進入してしまったのではないか。 ・正常化バイアスの罠  自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう心理的特性が正常化バイアスである。「まさか緊急車両がこの道にはこないだろう」「緊急車両が近づいているが、自分がわたるくらいの時間はあるだろう」などと甘く考えていたのではないか。 ・被害者心理の罠 右折したい自分が、法規通りに道路の左側によると、次の信号で右折できなくなり自分だけ遅れてしまうかもしれない。自分だけ損をするのは馬鹿らしいという一心で、前の車と同じ行動をとることだけに囚われて交差点に進入してしまったのではないか。 実はこの3つの仮説は、人・組織の課題の原因仮説として語られることも多い。 たとえば、社員が「組織間の壁がある」「閉塞感がある」という企業は、固定的な環境で社員が視野狭窄に陥っているかもしれない。 年々市場が縮小し、利益率が低下しているのに手が打てていない企業は、意思決定者が「自分が在籍している間は会社はつぶれない」という正常化バイアスに蝕まれているかもしれない。 社員のコミュニケーションが良くない企業は、組織全体に「自分ばかり頑張っているのに報われていない」という被害者意識が蔓延しているのかもしれない。 では、どうすればこれらの課題が解決するのだろうか。望ましくない行動そのものに対する罰則の厳格化は1つの方向だろう。多くの職場でも、「べからず集」は活用されている。しかし、緊急車両優先は「道路交通法」に定められているにも関わらず、妨害行動は発生してしまっている。禁止は根本的な解決に至るとは限らないのだ。 重要なのは、罰則などによる禁止よりもむしろ、望ましくない行動をとってしまう認知的・心理的な原因に対して手を打つことではないだろうか。加えて、望ましい行動をシンプルに、具体的に伝えることだ。いわば災害における避難訓練のように、何をすべきかを頭と体に叩き込んでおくのだ。 一律にルール化するのではなく、人の行動のプロセス、メカニズムを紐解き、そこに働きかけること。それこそが、複雑な人間の行動を望ましい方向に導く上での近道なのではないだろうか。 参考文献: ●“安全・危機管理に関する考察(その2 ) 一緊急時の人間行動特性-” 古 田 富 彦 「国際地域学研究 第6 号2003 年3 月 」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005274751 ●“大災害時の避難行動“東京女子大学名誉教授 広瀬 弘忠 消防防災博物館 https://www.bousaihaku.com/dptopics/113/

企業にも多様性を! | その他

企業にも多様性を!

近年、働き方のダイバーシティ(多様性)についての議論が活発になっています。生産年齢人口の減少に起因する労働力不足を解消するために、かつてはあまり主力としてみなされてこなかった高齢者、女性、外国人等を活用する必要性が高まり、地域限定社員や短時間勤務などの多様な働き方が整備されつつあります。最近は、副業・兼業、リモートワーク、定年廃止など、さらに広がりをみせています。労働者がそれぞれ自分に合った働き方を選択し、プライベートと両立しつつ、高い生産性を発揮できるとなれば、一連の風潮には全面的に賛成です。 さて、労働者の選択肢は、広がる一方、企業に目を向けるとどうでしょうか。 定年再雇用の義務化に始まり、残業時間の上限規制、同一労働同一賃金、と法改正が行われていますが、その対応に目を向けると、先進的な取り組みを行って失敗することを恐れ、他社の出足を伺いながら、結果的にどの企業も似たり寄ったりの人事管理になってきているように感じます。皮肉なことですが、労働者の多様性を実現するために、企業の個性は失われているのです。 過激な意見であることは承知で言いますが、 「残業はたっぷりあるけど、短期間で豊富な経験が積めるので、どこでも通用する人材になれます!」 「うちの会社の定年は40歳です。40歳以降は給与が下がり続けるので、それまでに社外で通用するスキルを身につけて次のキャリアを見つけてください。もちろん、それに必要な教育と支援は惜しみません!」 「我が社は、和を重視!評価で差をつけたくないので、評価制度はありません。」 などの少々尖った人事管理ポリシーを前面に押し出した個性的な企業が、もっとあっても良いのではないでしょうか。 (もちろん、法令は守った上が前提ですが…) 生物学の話ですが、多様な遺伝子を持つ集団は、環境変化に強く、絶滅するリスクが低いそうです。日本企業を一つの集団としてみれば、多様な企業が存在している方が、環境変化にも耐え、新たな進化を遂げることができるはずです。これまでの常識にとらわれない個性的な企業が、将来生き残るのかもしれません。多様性に富んだ企業と労働者が互いにベストマッチの相手を見つけ、双方がベストパフォーマンスを発揮することが、日本企業の活路を切り開くのではないでしょうか。 我々、人事コンサルタントも常識や過去の事例に頼らずに、「クライアント企業の発展にベストな人事制度とは何か?」を常に追い求める姿勢が不可欠です。 自戒の念も込めて。

意味はいらない? | その他

意味はいらない?

  異動したばかりの部署で作業の引継ぎを受けている人(Aさん)が、教える人(Bさん)に質問している。 A:「この作業ってなんか無駄だなぁ。なんのためにやるのかなぁ。やる意味を教えてくれない?」 B:「えッ? 私もそのようにしろと言われてやってきたので、知りません」 A:「だってどう見ても意味ないじゃない。そう思わないの?」 B:「考えたこともありません」 A:「!?・・・・・」  「なんのための作業か」を知らぬまま作業するBさんの問題とは、あきらかにBさんの上司の問題である。作業の「目的」や「意味」を必ず教えることが「正しい業務指示」の鉄則だからだ。目的がわからなければ、やりきる意欲もでないし応用も効かない。そもそも、作業者に責任感や主体性を求めていないか、そのことに気づかない無能な上司ということである。  しかしそれ以上に不気味なのは、Bさん本人である。何のためにやるのか=目の前の仕事の意義や意味、を知らずして人は働けるものなのか。まず目的を語れ、というのが業務指示の鉄則だというのも、そもそも人は、「仕事の有意義感によって仕事に前向きに臨める」というコトワリが前提されているからなのだ。  報償や強制によらず人をやる気にさせる要因(=内発的動機づけ要因)の最たるものは、「仕事そのもの」といわれる。仕事自体の面白さや魅力だったり、社会や会社への貢献実感だったり、キャリアアップにつながるからモチベーションがあがる。要は自分の目の前の仕事に「意味」があればいい。たとえばモチベーション論でよく知られるハックマン=オルダムの5つの職務要件でいえば、 ①Skill Variety  ②Task identity  ③Task significance の3つが、「意味ある仕事」の条件だ(残りの2つは、④Autonomy ⑤Feedback)。  平たく言えば、 ①自分の複数のスキルが生かされると実感でき ②仕事の全貌がわかり、担当職務の位置づけを理解していて ③重要性 (社会にとっての、自社にとっての、自部門にとっての、あるいは協働する仲間達にとっての…)がわかっている。  とくに大事なのは、②Task identity。たとえ分業の一端を担っている単純作業だとしても、仕事の全体像と関連する他職務との関係のなかでアイデンティファイされることで、人は自分の職務の有意味感を得る。そもそも「大人」とは、自身の状況を意味づけ関係づけないと生きていけない事情があるから、このようなモデルが成立するのだ。  赤ん坊が外界の刺激にさらされていく中で、意味や関係のなかでモノゴトを秩序づける修練を積んでいくことが、人の精神発達=つまり大人になるメカニズムである。そのように大人、つまり社会的存在になった人は、なにごとにも、意味や関係を見出そうする。もはや、無意味には耐えられないはずなのである。  大人であるはずのBさんはしかし、自身の職務遂行に際して、職務の意味を必要としなかったということである。  さて、Bさんをやる気にさせるにはどうしたらよいか。もしかするとBさんは、社会性や共同性(=関係の中での意味づけ)をはぐくむよりも、自身への関心や自分の流儀に閉じがちな成長をしてきたのかもしれない。だとすると、彼をその気にさせるボタンは、むしろ自己完結性の強化にこそあるのかもしれない。  さきのハックマン=オルダムの説でいえば残りの二つ、④Autonomy ⑤Feedback、自律性と結果の確認である。自分のやり方で業務をすすめ、都度、結果がどうなったかがわかる――仕事の全貌や意義ではなく、切り取られた目の前の職務だけについて自分の流儀で結果を出せること。そうした自己完結的な業務遂行がBさんのモチベーションにつながるのではないか。  というのはまったくの仮説である。ただ、Bさんタイプはときに作業者として優秀で高いパフォーマンスを出したりもするから、なにか定石どおりではない業務指示でモチベートする必要があるはずだ。もしかすると、Bさんの上司は無能どころか、多様性を踏まえて、たとえばこのような仮説を実践する手練れの管理職なのかもしれない。

新しいスタイルへの対応 | その他

新しいスタイルへの対応

 ようやく、東京都の緊急事態宣言が解除された。安倍首相が「戦後最大の危機に直面している」と述べた日本経済も、徐々に歯車が回り始めていく中、多くの企業が頭を悩ませているのが「働き方の新しいスタイル」への対応であろう。  専門家会議の提言では、新規感染者数が限定的となった地域においても、再度感染が拡大する可能性があり、長丁場に備え、感染拡大を予防する新しい生活様式に移行していくことを求めている。厚生労働省の公表した「新しい生活様式」の実践例は、この専門家会議の提言を受け、「働き方の新しいスタイル」として、具体的に、テレワークやローテーション勤務、時差通勤、会議のオンライン化、名刺交換のオンライン化などの取り組みが挙げられている。  この「働き方の新しいスタイル」について、"コロナ前"の時点で、導入している企業と、全く導入していない(あるいは一部導入にとどまる)企業は、圧倒的に後者の方が多かっただろう。それが、この緊急事態宣言の間に、凄まじい勢いで導入が進んでいる。Zoom社によれば、昨年末に1,000万人程度だった1日あたりの会議参加者数は5月には3億人にまで急増したとのこと。ほんの2~3ヶ月前までは「オンライン飲み会」なる言葉がメディアを賑わすほどになるとはだれが想像しただろうか。  このような状況で、最大の課題は、単にリモートワークや会議のオンライン化を推し進めることではない。これまでに多くの企業が経験したことのない働き方に急速にシフトすると同時に、社員のモチベーションが高い状態を維持し、"コロナ前"と同等以上の成果を上げなければならない、ということにある。  特に、直接コミュニケーションの減少は大きな問題だ。社員の業務の遂行状況、健康、メンタルの状況について、相互に把握すること困難になることで、特定の人に負荷が集中してしまったり、逆に稼働が少ない社員が出てきたりする。また、働き方が変わる、ということは、必要とされるスキルやマインドも変わるということであり、それらが従業員のパフォーマンスに大きく影響する。従来のパフォーマンスを発揮することができなくなる社員も少なくないだろう。  少なくとも当面の間は、完全に"コロナ前"の働き方に戻ることはない。とすると、この新しい働き方のスタイルで、社員はモチベーションを高め、維持できる状態になければならない。状況が大きく変化した今だからこそ、モチベーションサーベイや360度診断といったツールを活用し、組織と個人の状況を正確に把握することが重要だ。能力を発揮する人材は、何によって動機づけられているのか、また逆に、パフォーマンスを発揮できない人はどのようなデモチベート要因があるのか、といった要因分析から見えてくるものは今後の施策展開の検討において、極めて重要なヒントとなる。  社員一人ひとりが持つ能力を発揮し、目標を達成できるモチベーションを維持し続けられる環境を提供することで組織の経営戦略が実現されることは、コロナの前も後も変わらない。いくら便利なシステムやサービスを導入し、環境だけを整えても、そこで働く人々のモチベーションが考慮されなければ、画竜点睛を欠くということになるだろう。

クワバラ、クワバラ | その他

クワバラ、クワバラ

 新型コロナの騒動は、のろのろと進んでいた「働き方改革」のアクセルを強く踏み込んだ。在宅勤務は、好むと好まざるとに関わらず広く普及し、定常化した。満員電車の揉み合いが無い快適さの代償に、業務妨害を企む子供たちとの熾烈な揉み合いを強いられる。それでも、会社から見ると、なあんだ、やればできるじゃないか、ということで、在宅勤務を標準の働き方に据え、この際、「働き方改革」をしっかり前に進めようと決心する会社が次々と現れてきた。  このようにして労働のスタイルが変わってくると、会社は新しい悩みを抱える。部下の働きぶりが見えないという悩みだ。つい数か月前には、管理職を集めた研修で、「部下の働きぶりをよく観察しなければ正しい評価はできませんよ」などと嘯いていたのに、「どうやって観察するの?」という問いに答えを失う。もはや仕事のプロセスは見えないから、アウトプットだけを見て評価しなければならないのだろうか。しかし、アウトプットの量や出来栄えなど、測定できない仕事もあるしなあ・・と悩みは尽きないのだ。  これまでの普通のマネジメントは、会社が良しとする行動を社員に求めてきた。それを立派に実行すれば褒美が与えられるし、さぼったり、いい加減にやったりすれば、罰が与えられる。こうしたマネジメントによって動かされる組織を仮に「規律組織」としよう。上長は常に部下の仕事ぶりを観察し、部下を指導し、望ましい行動をとるよう誘導する。社員は規律に反しないよう、常に会社や上長の意向を気にしながら業務に当たるというメカニズムだ。ワン・オン・ワンだとかコーチングだとかいろいろ配慮してくれるのは有難いが、つまるところ罰点を食らうのはご免蒙りたい。だから上長に求められるとおりの行動を取る。ふつうの組織だ。  さて、最先端のICTを駆使する在宅勤務組織に言わせれば、こんな「規律組織」はまどろっこしいものかも知れない。最先端のICTとは、「画像認証技術」、「ビッグデータ」、「AI」・・などというやつだ。もともと、AIというのは、Xというアウトプットの結果たる膨大なYの値を集めてきて、こんなXをインプットしたら、たぶんこんなYがアウトプットされるだろうと、帰納的に判断するのだそうだ。XとYの間の因果関係はブラックボックスだ。ウェブサイトで買い物をする人が検索する品目を大量に集めて分析すれば、ある品目をチェックしている人に「こんなのもありますよ」と興味の湧きそうな別の品物を勧めることができるということだ。    こんなことができるなら、在宅勤務する人の表情をPC内臓のカメラがいつも監視していて、画像認証技術で表情の動きを解析し、集中力が低下したというサインを見つけたときには部屋の照明とPCの電源を自動的に落とし、5分の休養を促す静かな音楽を流すようになるかも知れない。会話の音声と表情の動きからあまり買う気が無いと分析されたお客さんとのオンライン商談は、10分を過ぎると会社のサーバーが勝手にシャットダウンしてしまい、デジタルな趣の声が「コショウシマシタ。」とアナウンスするようになるかも知れない。  つまり、規則で人々を律する組織ではなく、ICTで人々の行動をコントロールする組織だ。「規律組織」に対して「自動制御組織」とでも呼ぼうか。  社員は自律的に努力し、自主的な判断で仕事を進める。上長はコーチとしての脇役だから、細かい指示も命令もしない、仕事の主役は最前線で働くオレだ!と、仕事をしている本人はそう信じている。だが、いつの間にか、知らないところで、AIが彼らの行動を詳細に監視し、照明を暗くしたり明るくしたりしながら、その行動をコントロールしている・・そんな時代の到来を、新型コロナが加速させているような気がする。クワバラ、クワバラ。

新入社員に「新しさ」を求めるな | その他

新入社員に「新しさ」を求めるな

過去の成功体験に囚われない新しい発想を社内にもたらしてくれる人材が欲しい・・・どの企業でも思いは同じだろう。中には、そのような熱い思いを秘めた眼差しを、キラキラと目を輝かせた新卒の新入社員に向ける会社もある。 筆者はかつて、日本を代表する大企業数社の人事部の方から「現状を変えるために新入社員に期待したい」と伺ったことがある。変えたいものは、かつては革新的といわれたが保守化した企業風土だったり、新商品を出すもののかつての勢いを失った定番商品のリニューアルプランだったりと、さまざまだが、今の社内にない「新しさ」を新入社員に求めるという点は共通と言えるだろう。 しかし、このような期待は、新入社員自身にとっても、会社にとっても、害でしかないのではないかと私は考える。 理由は三つある。一つは、新入社員をダメにするからだ。新しいアイデアを出すことは確かに重要で、出す能力に長けていることに越したことはない。しかし、アイデアを事業に具現化するまでは「千三つ」「多産多死」と言われるような淘汰の道のりだ。アイデア出しくらいでちやほやしてしまったら新入社員に大きな勘違いをさせかねない。 二つめは、新入社員の配属先が疲弊するからだ。確かに新入社員は、既存社員にない発想を持っているかもしれない。しかし、新しさはそれ自体ではなかなか理解されないものだ。その説明に、多くのマーケターや開発者は心血を注いでいるのだ。よほど突出した新入社員でないかぎり、人事部に鼓舞されていろいろな提案を出したとしても、その対応に周囲は苦慮することになるのではないだろうか。 三つめは、そして一番声を大にして言いたいのは、責任転嫁を感じるからだ。本当に新しい発想を絞り出すべきは既存社員、特に会社の上層部である。なぜ、新しい発想が出てこないのか? その要因を自分の責任として考えるのが先ではないか。役員が新しいアイデアを後押ししない、失敗すると個人の評価が悪くなるなど、組織の風土や制度が元凶になっている可能性はないのか。 新しい発想が欲しいならば、アイデアを生み育てる社内(特に上層部)の環境を整えた上で、新人・既存社員を問わず提案をどんどん出させればよい。既存社員・組織を変えることを諦め「新しい人に期待する」などという情けない発想は捨て去ろうではないか。

成功は失敗のもと | その他

成功は失敗のもと

日経新聞の「私の履歴書」で、今月から野中郁次郎氏の連載が始まった。言うまでもなく、野中氏は、最も著名な日本の経営学者の一人で、知識経営(ナレッジ・マネジメント)の生みの親とも言われている。 第2次世界大戦に勝利した米国は、戦後も、業務の標準化や品質管理といった科学的管理手法を各企業が展開する事で大量生産を実現し、企業経営においても世界の先頭をひた走っていた。当時、サラリーマンだった野中氏は、米国が、優れた経営上のアイデアや手法を概念化し、世の中にどんどん広めていくのを目の当たりにする一方、よい経営をしている日本企業も多数ありながら、わが国の企業が取り組もうとする経営手法・管理手法は、みな米国から来たものばかりである事を憂いていた。 「また、日本は米国に負けてしまうのか」と危機感を抱いた野中氏は、米国に学びに行こうと、30歳を過ぎてから米国留学を決意、その後、経営学者に転身し、世界的に成長を遂げた日本企業の分析をもとに、経営学の中に、知識経営(ナレッジマネジメント)の領域を確立した。企業が持つ知識には、主観的で言語化しにくい「暗黙知」と、客観的で言語化できる「形式知」があり、それぞれの社員が持つ「暗黙知」と「形式知」を上手に連動させることで、個人の知識から、組織的で高次な知識(ナレッジ)レベルを創出するというSECIモデルを提唱、今までに、多くの企業がこのモデルを実践でも活用している。 三十数年前の話になるが、私が大学在学中に、野中氏が母校の研究施設に移って来られ、一度だけ、特別にマーケティングを学んでいた我々に講義をして下さったことがあった。「私の履歴書」の連載の冒頭で、ごく普通の子供時代を過ごし、数学が苦手で、高校の簿記の試験でたった5点しか取れなかった事も紹介されていたが、アカデミックの世界で、厳しい競争を勝ち抜いてきたにも関わらず、実際にお話をされている様子は物静かで、ごく普通の紳士が、淡々と話されている印象があった。しかし、話の内容とその背景にある思いは強烈で、いつの間にか、野中氏の話に引き込まれていった。 その日の講義では、暗黙知と形式知が、日本企業の中で、飲み会や合宿といったわが国特有の活動を通じて、うまく連動し、組織の知がレベルアップしていくというナレッジマネジメントを分かりやすく解説していただいた。ただ、当時、飲み会はしていたが、社会人としての実務経験のない学生の身の私にとっては、組織の中で知識がどういうもので、それらがどう形式化されていくのかというリアルなプロセスは、実感できず、その意味を理解できたのは社会人になってからの事だった。しかし、もう一つ、当時、野中氏が共著で出版された『失敗の本質』という本の解説をされた際に発せられた「成功は失敗のもと」(「失敗は成功のもと」ではなく)という言葉が、妙に深く私の心に刺さり、その後の私のキャリアの中で、ずいぶんその言葉を意識して、行動してきたように思う。 この本は、第二次世界大戦時の各作戦で日本軍が敗戦した理由を分析し、組織としての成功要因、失敗要因を明らかにした名著で、その後、多くの経営者が読む大ベストセラーとなった。第2次大戦中、日本軍は、日露戦争や大戦初期の勝利によって、それらの成功体験は正しいと言う過信を助長させていった。敵を過小評価し、一度失敗しても「運が悪かっただけ」と考え、状況の変化に敏感に対応せず、イノベーションを続けることをやめてしまった事が敗因の本質だとこの本では分析している。 あの講義の頃は、既に敗戦から立ち直り、多くの日本企業が、世界中からお手本とされる時期だったが、今や、日本企業を取り巻く環境は大きく変わってしまった。現状のやり方を疑わず、今までやってきた事が正しいという前提を置いてマネジメントをしていないか、うまくいった事があっても、絶えず、「成功は失敗のもと」であることを肝に銘じていかなければならないと、「私の履歴書」を読みながら、改めて感じている。