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自己流の迫力 | その他

自己流の迫力

 独自の工夫でなんともユニークな人事施策を講じる会社に出会うことがある。  T工業は、外部講師を招いての小難しい研修はやらないのだと言う。各部門が、他部門の人々に知っておいて欲しい事項を4択のクイズにして、イントラのアンケート機能を使って皆に配る。これを受けた社員たちは期限までにこれに答える。翌週には出題者から正解が送られてくる。選択肢のうちひとつは冗談のようなのが入っているから、皆、面白がってこれに答えている。多くの人が間違える問題は、会社として弱みだ。だから、こういうのがあると、会議の後などに20分ほど時間を割いて、出題部門の部門長が小さな研修を行う。さて、そうこうするうちに、多忙を言い訳にクイズに答えない者が出てくる。すると、今度は課対抗クイズ大会だ。1年間に出された問題の中から選りすぐったものを用いて、早押しクイズの代表戦。優勝の課には金一封が出るから、誰かが勉強をさぼっていると非難集中だ。  S産業では、管理職が必ず1年でクビになる。正しく表わすならば、すべての管理職ポストは1年任期なのだ。役員会は新年度の2か月ほど前には次の方針・計画と組織を定め、最適な人員配置を考えて、内示する。今年の管理職のすべてが再任されるとは限らない。あくまで来年度の計画に最適な人が配置されるのだ。再任されず、他部門の管理職にも起用されなければ、ばっさり、実務層に格下げだ。だから、管理職の緊張感は並々のものではない。そんなことだと職場はよほどギスギスした雰囲気だろうと想像するが、そうでもない。実務層に退いても、次のチャンスがあるからだ。自分ならこんなチャネルを開拓する、自分ならこんな物流システムを作る、といった「提案」をする仕組みもある。能動的に経営計画に関与し、可能ならば自分が働くポストを自分で作る訳だ。  R商事の新卒新入社員研修は手が込んでいる。2週間缶詰の導入研修だ。会議室に模擬の営業所をしつらえ、模擬の受注端末を置く。隣の会議室から、顧客を装う営業社員が注文の電話をかけてくる。第一段階の演習では、優しくて紳士的なお客さんから電話がかかる。だから、予め読んだマニュアルどおりしっかりと対応できる。第二段階のお客さんは少し厳しい口調に変わる。構えを正して事に当たらねばならない。これが最終の第七段階ともなると、怒鳴りちらすようなお客さんで、言っていることもよく解らない(もちろん、営業社員の演技)。だが、どの新入社員も、これに怖じることなく、冷静に対応する。段階的に厳しくなるので、受け答えが確実に上手になるのだ。こうして、初任配属の新入社員でも自信をもって対応することができる。実務に配置されてからびっくりして退職するような者はひとりもいない。  こうしたユニークな方策を考え出す会社は、業種も規模も異なり、抱える問題もさまざまだ。だが、これらの会社が共通して持っているものがあると感じる。社員が、自分たちの言葉で問題を捉え、自分たちの工夫で解決策を練ろうとする姿勢と努力だ。こうして編み出される施策は、地味だけれど結構ヘビーデューティーで、時として迫力がある。抜けていること、漏れていることもいろいろあるだろう。思わぬリスクを抱えてしまうことだってある。しかしそれでも、問題を自らのこととして捉え、自ら解決しようとする姿勢は立派だ。そして、彼らは、滅多に尋ねない。「よその会社はどうしているのですか?」と。

2035年 | その他

2035年

 64歳の部長が部下の若手社員にWeb会議で話をしている。営業部の業績の説明と、この若手社員の担当するクライアントへの新たな指示をするためである。ちなみに若手と言っても52歳である。営業1部は全員で25名。定年再雇用社員は10名、正社員は15名である。正社員の年齢構成は60歳以上65歳未満が8名、50歳台が4名、40歳台が2名、30代はわずか1名で20代はいない。部長は若手社員に一通りの話をした後にこう続けた。”君はまだ若手の社員だが、あと10年くらいすると管理職になる可能性もある。そろそろ実務だけではなく、マネジメントも意識して業務に取り組んでくれ“  今から十数年後の2035年には、職場は上記のような状況になっているだろう。日本の大手企業の多くは、国内市場の縮小と少子高齢化、超流動的な労働市場により、驚くほどの高齢化が予測される。70歳ないしは75歳までの雇用義務化は避けられないだろう。75歳まで雇用しなければならないとすると、人事管理の考え方を一変させるくらいの激震だ。標準的なライフプランを想定した“年齢”を軸とする人事管理から、年齢に関係のない“実力”軸の管理へと急速に舵を切ることになる。また過去20年間新卒を中心とした若手社員の採用抑制の影響が圧倒的に大きくなる。会社のノウハウや文化を継承する中堅社員がいないということだ。  これに拍車をかけるのは労働市場であろう。より流動的になる労働市場により、他の会社より魅力に劣る企業からは驚くほど人材が流出する。20、30歳台の社員がほとんど離職する会社も出てくるだろう。また日本国内市場を基盤としている企業は、業績の低下に苦しみ続ける。ビジネスボリュームの低下と反比例して、生き残りをかけた熾烈な競争が激化し単価が下落する。社員の処遇をより良くすることが困難となる。今後企業を取り巻く環境は、平成の延長線上の環境ではなくなるのである。  少子高齢化、歪な人員構成、長期の継続的な業績低下が予測される中で、個別の企業が力強く成長するためには、サービス、商品、技術、ビジネスモデルの革新はもちろんであるが、人事管理も重要なキーとなる。環境が連続的変化でないと予測されている以上、人事管理も過去の延長線上の発想では機能しない。しかし近年の多くの企業の人事管理の改革は、受け身的な印象が強い。現在発生している問題への対処というスタンスであり、間違いなく起こる大きな変化を先取りしたものと言えない。  法律や常識という観点では、人事管理は過去を継承しなければならない。しかし今後の変化は過去の継承を重視するスタンスでは対応できるものではなさそうだ。今までの変化と全く異なる次元の変化が急速に到来しつつあることを改めて認識する必要があるのではないだろうか。 以上

居残り勉強は非か? | その他

居残り勉強は非か?

 「若いころは、寝る間も惜しんで、仕事に打ち込んだ」「自宅には本や資料がないから、会社で居残り勉強の毎日だった」というのは、わりと良く聞く話だ。きちんと統計を取ったわけではないが、感覚的に40代以上の世代にそういう人が多いように感じる。 かつてはそのような勉強の仕方が奨励されていたり、そうしなければ1人前になれない、というような空気が確かにあった。  私自身も社会人になったばかりのころを振り返ってみると、会社のリソースを拝借してずいぶんと勉強させてもらったものだ。当時はOA化の掛け声のもとにPCが職場に導入されるようになってきたころで、入社したばかりの私の机の上には、これまで触ったこともないPCが置かれていた。実際の業務で使うのはワープロソフトぐらいであったが、これをうまく使えば面倒な仕事も楽々こなせるのではないか、と毎晩、会社に残って情報処理の学習をしつつ、業務での活用方法にとどまらず、どんな可能性があるのか、それこそ寝食を忘れて没頭していた時期があった。  だが、時代は変わり、今では自身の学習のためでも会社に残っていると、「業務もないのにダラダラ残っている」だとか、「会社のリソースを私物化している」とかで、服務規律、コンプライアンス違反に問われたりする。居残り勉強は是か非か?と問われれば、現在では間違いなく“非”なのだ。  さらに、現在のように、ビジネスの変化が激しい状況では、時間をかけて習得した知識・スキルが一瞬で陳腐化するリスクを考慮しなければならない。そして、今やっていることが活かせるシーンが今後も続くのか、ということを認識しておかなければならない。今まで以上に自身が学習すべきテーマを絞り込み、限られた時間の中で効率的に学習するというスキルが重要になるだろう。 自身を振り返ってみて、良いイメージのある経験が、やれルール違反だ、非効率だ、などといわれてしまうのには少々隔世の感があるが、今や会社に残って寝食を忘れてひとつのことに打ち込む、というような学び方は、要領の悪いダメ社員のレッテルを貼られてしまうのかもしれない。

2:6:2の法則 | その他

2:6:2の法則

人事評価では、「2:6:2の法則」によりハイパフォーマーやローパフォーマーを識別する法則があります。 社員を評価する場合、20%を「優秀な人(ハイパフォーマーHP)、60%を「普通の人(アベレージパフォーマ-AP)、20%を「目標の成果を出せない人(ローパフォーマーLP)」というセグメントのことです。 この中のLPとは、組織において業績の芳しくない人材、能力やスキルが不足している社員を『パフォーマンスの低い人』という意味でLPと呼びます。能力を最大限発揮して組織に大きく貢献するHPの対義語にあたる存在で、業績の悪化や伸び悩み、他の社員への悪影響などを生む原因となり、ぶら下がり社員などとも言われます。 組織にLPがいる場合、切り捨てるべきだという乱暴な意見もありますが、果たしてそうでしょうか。 「LPの20%を退職に追いやることで、残り80%の社員のモチベーションが低下する」 ということがあります。 それは、上位20%のHP社員も、中位60%のAP社員も、常に「下位に落ちるリスク」があり、「下位20%になったら、退職しないといけないかもしれない」となると、組織のために働く意欲は低下するだろうし、転職を検討するなど人材流出のリスクも出てきます。 個人的な理由や市場環境の悪化などで、思うように成果が挙がらないことは誰にでも起こりうることですが、「会社はこういう状況でも、長期的なスパンで育成を考えてくれている」とあらかじめ確約されていれば、組織のために働くモチベーションは高まるはず。 パフォーマンスが上がらないからと退職を勧告されれば、社員たちは、「会社はいざというときに社員を簡単に切ってしまう。自分も会社に尽くす必要はない。」だったら「仕事はそこそこにして、自分の趣味や余暇に時間を使ったほうがいい」という思考が働くようになるでしょう。 また仮に、上位2割の優秀なHPがいなくなった場合、残り8割に優劣の差が生じて再び2:6:2の割合にセグメントされると言われています。LPの2割がいなくなることで、組織の生産性は向上するというイメージをお持ちの方もいると思いますが、結局は再びLPが生まれ、生産性が低い下位ができるのです。組織化された会社ではよく見られる傾向です。 また、「HP2割」「AP6割」「LP2割」で構成されていた営業部を、「HPだけのチーム」「APだけのチーム」「LPだけのチーム」に再編成したところ、APとLPのチームから、HPチームをしのぐトップセールスを記録するメンバーが複数誕生したという例も聞きます。LPの成績も、時期や役割によって変わる可能性が大きいことを示しています。 チームを編成する場合、多くの部署が存在する組織などは、各部署の「AP」のみを選抜してプロジェクトを任せたり、各部署の「LP」のみで会議を実施するなどで、それぞれのセグメントで力を向上させる施策から実行に移すのも有効です。 人材育成においては、AP層はもちろんのこと、モチベーションが低下しているかも知れないLP層に、より高い関心を持ち、彼らが業績に貢献できる仕組みを整えることを意識しておくことが必要です。 それには、組織全体の人材の構成を、まずはきちんと分析し、適宜、組織に最適な人材育成に乗り出すことが重要なのです。 社員がLPになる原因はさまざまでしょう。「採用時に見誤った」で済ますのではなく、またパフォーマンスが低いというだけで、その存在や役割をマイナスにとらえるのではなく、社員一人一人と向き合い、それぞれの原因を探ることが大切です。 個人の能力の差だけでなく、仕事への姿勢や意欲、周囲との関係からなぜLPに留まっているかを本人と上司や人事部で認識しなくてはなりません。 そして、AP社員のレベルまで引き上げる研修・教育などを実施すべきであり、またHPが有するスキルや行動特性を意識させれば、組織全体の強化につなげていくことができます。 LPの能力や意欲を向上させることは、会社の利益につながることを忘れてはいけないのです。 以上

低すぎる価値 | その他

低すぎる価値

 企業の人事制度の設計をしていると、しばしば“管理職の価値”が低すぎると感じることがある。本部長、部長、課長などの管理職社員は、企業の方針や計画達成の欠かすことのできない重要な人材である。自分に与えられた人やお金などの資源を有効に活用して、競合会社と戦い、社内の各部署と調整し、方針目標を達成するというとてつもなく難しい仕事だ。特に最近は経営環境の変化が激しい。そうなると管理職の仕事はさらに難しさを増す。環境が変化すると、組織の価値、業務モデル、人の配置、指導方法など常に見直しが必要だ。マネジメントは同じことの繰り返しではなく変化を要求されることになる。近年の管理職の仕事は非常に難易度が高いのだ。  また管理職は組織の中では孤独である。目標達成のために部下をコントロールしなくてはならない。経営目標の重要な一端を担っているため、経営的な視点、スタンスで仕事に臨まなくてはならない。部下を指揮命令する“使う側”である。部下も会社の方針や目標をよく理解して、積極的に協業してくれるのであれば苦労はないが、日々様々な場面で“使う側”と“使われる側”とのギャップに悩まされ、そして自分の組織の中では決してその苦労を共有できない。  さらに管理職はリスキーである。方針目標達成を重視すればするほど、部下に対して厳しさを要求することになる。思うように成果の出ない部下に対して、命令、指導することになるが、少しでも行き過ぎと部下が感じたら、アウトになってしまう。法律、ハラスメントなどの十分な知識と、極めて強い自制心がなければ、身分を失うことになる。  一般の社員に比較してこれだけ難しく、孤独で、リスキーな仕事をしているのが管理職である。多くの企業では部長、課長などの役職に就くと“管理職手当”を支給する。これは管理職としての職掌の重さに報いるためである。部長で5万~10万くらい、課長で3万~5万くらいが一般的である。安すぎではないだろうか。一般の社員の倍とは言わないが、もっと大きな差があってよい。現在大手企業の課長の年収が800万円だとしたら。価値的には1200~1500万円くらいでよいかもしれない。日本の企業の人事制度の中で、管理職はひどく安く値付けされているが、今後は管理職の給与を重点的に大幅に増加させる必要があると感じるのだ。 以上

「同質化」と「インクルージョン」 | その他

「同質化」と「インクルージョン」

「彼らは、異常者だからね!」と、キャリア関係の大学講義で、2人の大学教授を指して冗談交じりで言えるのは、彼らとの付き合いが20年近くになろうとする間柄であることに加え、「『教授の言うことはいつも正しい』という学生さんたちの思い込みを破壊して欲しい!という教授たちの要望に応える」ため、つまり「自分の役割」を意識してのことである。 この講義のきっかけとなったのは…企業に就職した元学生が、3年も経たないうちに「思っていたのと違った」などと言って転職するのを目の当たりにしたS教授が、「社会に出る前、少し考えるゆとりがある大学在籍時に、真剣に自分のキャリアについて考えて欲しい」と感じたことだった。 インドで開催された「アジア学術会議」(材料工学分野の回。アジア各国の若手研究者が、2週間に渡って、世界一流の研究者による講義や現地視察を通して学び合う場。日本からは4名)に参加していたS教授(当時の東京大学助手)が、W教授(当時の東京工業大学助手)と私に声をかけて、このキャリア講義が始まり、2006年以降、年に一回だけだが続いていて、評判も良い。 私が、友人の大学教授たちを異常者と表現するのは、「毎年あるいはもっと短いサイクルで、世界初あるいは世界最高といった成果をあげて論文を書き続けることが求められる職業に就いている人たちの発言内容や体験談は、特殊(統計的にいうところの異常値)である」ということを強調してのことである。 しかし、少なくとも私の知る理工系の研究者にとって、「世界初・世界最高を目指して研究する」ことは普通であり、彼らにとっては、「他者と異なることをすることが求められる。むしろ、他者と違っていなければ意味がない!」という感覚は当たり前である。 企業の採用あるいは育成、組織開発の担当者は、この辺りのことをどう理解しているのだろうか? 「就職時、転職時には、他者との違いをアピールする」ことを求めるくせに、職を与えた途端、「組織に染まることを求める」などという態度はとっていないだろうか? 「就労者としての寿命 > ビジネスの寿命」という状況が多数を占める現代、「人生100年時代」の私たちは、どこかの場面で「異常者」になることが、「個人の働き甲斐、生き甲斐の視点」から大切なのではないかと、私は思う。 他方、「組織の視点」に立てば、「組織内にバラバラな考え方・価値観の人が散在する」だけでは、「関係者どうしの衝突(仲違い)が増えて業績が低下する」など、「組織が持つ本来の力」が充分に引き出せないため、都合が悪いというのも確かである。 そこで求められるのが「インクルージョン」(Inclusion)である。インクルージョンというのは、「事業の目的に適うように、種々の境界(就労地域の違いによる時差といった物理的な境界や、部門・部署間での価値観の違いのような心理的な境界など)を越えて、多様な人々を束ねたり、ビジネス環境の変化に適応できるように人々を導いたりするための、『持続的な働きかけ』」のことを指す。 「別解を示せる人が評価される」(他者と異なる解法や異なる意見が出せないと、存在価値がないと見なされる)という感覚を持っている人々からすれば、粒を揃えて管理するという「同質化」は受け入れづらい。 不揃いを統合する「インクルージョン」に真正面から取り組むのは、部門横断的な働きが期待される、人材開発部門・組織開発部門ではないだろうか? 以上

能力を発揮できるか? | その他

能力を発揮できるか?

 面接では非常に好印象だったが、実際に仕事をしてみると、どうも期待していたような成果が挙げられない、ということがある。 自社に適した人材か否かを大抵は複数の面接を経て評価しているにも関わらず、なぜこのような期待値とのずれが生じるのか?  面接官が応募者の情報を十分に引き出すことができなかった、応募者のプレゼン能力が高く自社が望む能力を有しているように見えてしまった、など、様々な理由があるだろうが、 そもそも、人がある能力を発揮する、という際に、その能力の発揮度合いは環境に依存する、という特性があることを理解しておく必要がある。  例えば、何年も活躍をしていた一流のサッカー選手がチームを移籍したら、その実力を発揮できず、ベンチ要員になってしまう、ということがある。チームの戦略やメンバーとのコミュニケーション、チームの中での自分の立ち位置などが異なることで、本来の能力を発揮できなくなるのである。  人の能力は、置かれている環境などの特定の状況の中で習得し、その状況の中で発揮される。一言でリーダーシップ能力といっても、プロジェクトチームか、部門全体か、それとも会社全体でのリーダーシップなのか、どの階層で能力を発揮してきたのか、によって異なるのである。プロジェクトチームでリーダーシップを発揮してきた人物を、リーダーシップ能力があるから、と言って、部門長にしてみたら必ずしも優れたリーダーシップを発揮できるとは限らない、ということはイメージできるだろう。  人の能力発揮の特性として、このような環境依存性がある以上、面接や筆記テスト、適正診断だけでなく、実際にその人材が自社で業務を行う際に、必要としている能力を必要なレベルで発揮できるかどうかを見極める必要がある。そのための手法としてインバスケット演習は効果的である。  インバスケット演習は多数の案件を限られた時間内でどのように処理するか、そのプロセスと処理内容を解析することで、意思決定能力、業務管理能力などを評価するもので、主に管理職登用、昇進昇格試験などで用いられるが、演習を自社の環境に合わせてカスタマイズすれば、採用の応募者が自社の環境でどのように能力を発揮できるか、実際に採用する前に、実際に近い形で能力発揮の度合いを見ることができるのである。  ちなみに、能力の環境依存性は必ずしもネガティブな方向に作用するとは限らない。これまであまり能力を発揮できていなかった人材が会社やチームが変わることで思いもよらない力を発揮する、というケースもある。 自社の各階層で人材アセスメントを定期的に実施することで、人材の能力特性を把握し、会社全体の能力開発の課題を明確化することができるだろう。  最後に宣伝だが、トランストラクチャは、この7月にWeb上で実施できるインバスケット演習サービス「スマートアセスメント」をリリースした。従来の紙面演習と比較して、診断対象者が集合する必要がなくなり、実施しやすくなったこと、紙面演習では評価できなかった回答を記述するまでのプロセスを操作ログから診ることができるなど、従来のサービスと比較してメリットが多くある。是非、活用をご検討いただきたい。

カオスの時代 | その他

カオスの時代

何かをやるべき仕事がある時、おそらくほとんどの人が、『混沌とした状況(カオス)』よりも『秩序ある整然とした状況』のある中で行いたいと思うだろう。 騒がしく、エアコンの効きが悪いオフィスよりは、静かで快適なオフィスで集中して仕事をしたいし、時々フリーズする古いパソコンよりは、安定した性能の最新パソコンを使いたい。上司からの業務指示も、あいまいで雑な指示よりは、正確でわかりやすい指示の方がありがたいし、行うべき作業手順も言ってもらったほうが助かると思うかもしれない。逆に上司からすれば、言われた事を予定通りに行ってくれるルール通りに動く部下がいてこそ、自分のミッションを正しく遂行できると考えるだろう。 『仕事を行うためには、周囲に『整然とした予想可能な状況』を作ることが大切で、そうすることで、業務の品質や生産性も上がる』という確固たる観念を我々は持っているし、おそらくこれはこれで正しい事だ。 このお盆休み、台湾に行ったが、ホテルなどでは日本語も通じるし、日本料理店も多く、あまり国内と変わらない気分で過ごしていたが、ひとつ日本と異なりウーバーが台北市内のあちこちに走っていて、スマホで手軽に呼び、頻繁に利用した。ウーバーは、タクシーのドライバー以外の一般人が自分の空き時間と自家用車を使って 他人を運ぶ仕組みで、この10年程で世界中に広まっている新しい輸送サービスである。ユーザーからすれば、便利なサービスだが、タクシー会社やドライバーからすれば、いままでの業界のルールを無視され、カオスが発生したようなもので、各地で職を失うことを恐れたタクシードライバーによるストライキや暴動が起こっている。 ビジネスというゲームにはルールがあり、決められたルールの中で、プレイヤーの企業同士が戦うものだと我々は普段、信じているが、いま、社会全体は変化し、タクシー業界に限らず、エアビーアンドビーの登場したホテル業界他、様々な業界でそのゲームのルールが成り立たない状況が発生し始めている。 同じ業界の定まったルールの中で、より安い価格で、よい多くの付加価値を提供しようというゲームから、顧客の本来の目的を実現するために、より魅力的な新しいルールを作れるかというゲームに時代は移行しつつあるという事だ。 だれもが信じられる秩序のある事業環境から、見慣れないルールがどんどん生み出されていく混沌とした事業環境に移っていくと、ビジネスに求められる人材の能力にも変化が生じて来る。秩序のある状況で活躍していた人材が、混とんとした状況でも活躍できるとは限らない。決まった環境や前提の中で、そのルールを守りながら適切に計画を策定し、優先順位をつける事ができる人材が、何も決まったものがなく、頼りどころのないカオス的状況の中で、無の中から新しいルールを作れるかどうか・・。 定まったルールの無い混沌とした環境下で、瞬時に状況を見極め、即決、行動する力や、ビジネス本来の目的を達成するための本質的な解を見出す洞察力、自由な発想力と言うのは そうした状況の中で、試行錯誤を繰り返しなら鍛えていかないと、やはり、うまく発揮できないのではないだろうか。 整然とした秩序ある快適な職場環境を提供し、生産性や品質を向上させることは今後も重要なマネジメントのミッションであり続けるべきだがが、その一方で、カオス的な環境の中に社員を放り込み、不安定な状況の中でもとにかく前に進ませ、無から新しいルールを生み出すことのできる逞しい人材も作り上げていかないと、近い将来、足元をすくわれてしまう事になるかも知れない。

変われる能力 | その他

変われる能力

 昔、ユビキタス(ubiquitous)という言葉が流行ったことがあった。いつでも、どこでも、誰でもコンピュータネットワークを使える社会を展望する用語だったが、いまや、もうスマートフォンによりそれは実現できていて、こんな言葉はことさらに使われることもなくなった。  インターネットをインフラとし、AIなどの先端技術は想像を絶する速さで作業を変えサービスを変え、働き方を変えていこうとしている。経営者の方々は、現在視点ではなく未来視点をもって、中長期の戦略を描こうと日々腐心されているが、10年後20年後の将来ですら、その経営環境を見極めることは難しい。  未来の自社の必要人材像とあるべき組織像を描き、今から、人材育成や新たな就業のしくみづくりに着手したいけれども、10年後20年後の人材要件=どんな専門性をもち、どんな能力をもち、何にモチベートされるのか。そのあるべき論はなかなか作り得ないのだ。それほど、第四次産業革命と呼ばれる今直面する環境は、先が読めない。 ただ、人材要件として、ひとつだけ確かなことがある。不安定で不確実で、複雑であいまいな状況の中で、対応できる能力。つまり、変化に対応し、新たな環境に適応する能力が求められるということだ。その能力とは、要は、「変われる能力」ではないか。何よりまず、自分が変わることができなければ、新しい発想や大胆な判断も生まれないし、環境適応とは適応できるように自分が変わることだからだ。 では、変われる能力とは、どのような能力か。 それには、まず人が変われない理由から考えてみるのがいい。常識や固定概念や過去のやり方が新しい発想や方法の創出を阻害する。それらは、今まで有効だったし、繰り返しのなかで強化され、堅固に出来上がっている。思考や認識が、そうした出来上がった枠組み(=パラダイム)に縛られているから、その外や異質な世界を自在に感じ、自身の考えを変え行動を変えることができないのだ。 であれば、第一に、パラダイムを完成させなければいいのではないか。ものを見る軸や整理のしかたを、常に、未完成の状態にしておいて、新しい事態に臨む。パラダイムをゆらいだ状態にとどめ、決して、定めないという自然体で変化をうけいれるということだ。その事態や事象を整理すべく、都度、適切な軸やフレームを創出するという意味の創造力。やわらかいアタマが大事とはそういうことではないか。 人の身体の免疫システムには「自己不完結性」という特徴があると、生命科学者の清水博さんに聞いたことがある。外敵が侵入してきたにとき、初めてその外敵に応じた適切な免疫システムが「生成する」。どんな外敵が侵入してくるかは、事前には分からないので、防御体制はできあがっていない(=完結していない)状態にある。だからこそ、都度、どんな外敵にも適応することができるのだ。 つまり、「今ある自分を変える」のではなく、環境との関係の中で、「都度、新しい自分になれる」こと。変われる能力とは、独自の、独立した「自分という完結」に決して至らないでいられる力といってもよい。いわば、自身を完成させないでいられる能力。大人としての成熟なんて、目指してはいけないのである。

車が空を飛ぶ | その他

車が空を飛ぶ

子供のころに読んだ手塚治虫のマンガ「火の鳥-未来編-」にはエア・カーが登場する。 車が空を飛ぶなんて、何十年先の未来かとワクワクして読んだものだ。それが、AI技術により2023年 には販売開始できそうな段階まできている!? 8月24日に経済産業省は人が乗って空中を移動できる「空飛ぶ車」の実現に向けた官民協議会を設立すると発表した。電動で垂直に離着陸できることから航空機とドローン(小型無人機)の間に位置付けられ、次世代の移動手段として期待されているというのだ。経産省は高性能電池やモーターなど、この「空飛ぶ車」への開発支援として、2019年度予算概算要求に約45億円を盛り込む方針だ。 この「空飛ぶ車」にはAI技術がかかせないが、AIは人事の領域でも活用されている。 従来の勤怠管理システム以外にも採用業務や人材育成、評価システムなど、新しい取り組みがされつつあるし、最近では、HR× Technologyを意味するHR Techという言葉も誕生し、人事の幅広い領域にAIの最新技術を活かす動きが活発化している。 最近よく耳にするのは、採用一次受けやチャットボットによる自動返答だ。 通常、採用時には、最初に人事担当者がエントリーシートを見るわけだが、担当者ごとに評価軸がぶれてしまう可能性があり、基準が定まらない等の問題があった。しかし、AIであれば膨大な量のエントリーシートを同じ基準で評価することができ、より公平な採用ができるというメリットがある。 一方、チャットボットは社員から人事に関する問い合わせや、学生への回答に活用されており、人事担当者の手間を減らしている。AI技術を活用することで、少ない人員で効率よく業務を進行することができるのだ。 これまで人間が行っていた手間がかかる仕事をAIが代わりに行ってくれることによって、人間は車を飛ばすような創造的な仕事に力を入れていかなければならないだろう。 オックスフォード大学研究員のカール・ベネディクト・フライ氏は、「今後の労働市場では、高いCreativityとSocial skillが必要」になると言っている。Creativityとは、「新しいアイデアやものを作り上げる能力」のこと。なにか新しいアイデアを生み出すには、複数の一般的なアイデアを、今までにない方法で組み合わせることが必要になるということだ。 つまり、優れたアイデアを創造できるかどうかは、そのきっかけになる引き出しをいくつ自分の中に持ってことと、好きなことにどれだけ没頭できるかどうかだ。 手塚治虫もこう言っている「僕の体験から言えることは、好きなことで、絶対にあきないものをひとつ、続けて欲しいということ。物語はここからはじまるのだ。」

成長幻想 | その他

成長幻想

 経済や社会の成長が必ずしも手放しでは喜べないことは、すでに誰もが知っている。その原動力となるテクノロジーの進化にも功罪ともにあることが指摘される。企業経営もやみくもな拡大指向ではない、「成長前提でないサステナビリティ」が表明されたりもする。 成長は、常に望ましいことであるというのは錯覚であって、もしかすると身の回りから地球規模に至るまで、成長とは単なる「変化」に過ぎないかもしれない。そしてその事情は、わたしたち人間についても同様なのではないか。 おぎゃあと生まれ、動物としては異例の長い保育期間を経て、20歳代でだいたい身体はできあがり、身体面では以降緩やかに衰えていくだけである。その一方で、心というか精神というか知性というか、つまり「人としての内面」は老年に至るまで成長を続けると言われる。近年は、高齢者になっても創造力だけは向上を続けるという希望観測めいた説まで聞かれるほどだ。  つまり、身体はある時で止まるが、加齢とともに、人ととしては成長する。さて、それは本当なのか。成長するとは、大人になるとは、要は、社会的存在としての自己を確立し社会のなかでできることが増えていくことである。自分のほしいままに振る舞う暴君=幼児が、親子関係のなかでアイデンティファイされ、家庭、学校のなかで前社会的な自己に気づき、社会に出て経験のなかで、社会内存在として自覚し行動し能力発揮できるようになる。  さまざまな欲望をコントロールしつつ、重要な欲望の充足のために努力し、社会のなかで、やりたいことの実現ややれることの拡大がなされる。プリミティブな言い方をすれば、昨日できなかったことが今日できるようになるのが、成長。というと、そのポジティブさは疑いようがないように思える。 しかし反面、成長とともに、昨日できたことが、今日できなくなることもあるのではないか。たとえば、なんにも縛られずに自由に自在に発想すること。とりとめのない想像の翼を無限に広げること。大人になると、そんなことをしてはいられないからだ。社会のなかの大人として生きていけるようになることとは、いろんなルールや枠組みや箍や常識や自己規制などなどにまみれることでもある。そこの葛藤から社会適応不全の病も出来する。  ある本に「成長とは、より頑なになっていくこと」とあった。よく見る頑固老人のみならず、心の自由を失っていくような成長のネガティブな一面を言い得ていると思う。ゆえに、人の成長も単なる変化に過ぎないとみる方が健全なのではないか。昨日の自分と今日の自分は違う、そのことこそが素晴らしいのである。

人を好きになるスキル | その他

人を好きになるスキル

 経営幹部育成のアセスメントとコーチングで定評ある人物がいる。アセスメントの結果明らかになった強みと弱みをベースに、強みを伸ばし、弱点を克服すべく、定期的なコーチングをしていくのだが、この人の凄さは、強みのまったくない、いわば箸にも棒にも掛からぬ人材であっても、明らかな成長を結果させることだ。  いったいいかなるワザを使うのか。聞くと、「要は、徹底した褒め殺しなんだよね」と笑って答える。さて、よくいわれる、褒めて伸ばすのポイントは、やみくもに褒めるのではなく、本人もよくできたと思っているあたりをきちんととらえて褒めることである。しかし、箸にも棒にも~~の人物であれば、できたと思えることがらを探すこと自体が難しい。そこをいかに褒め殺すのか。  いわば、褒める点がないのに褒めるということである。「それはねぇ、ふつうに褒めてもまったく届かないし、効果ない。ただね、褒めてくれる相手が、本当に自分のことを好きで褒めてくれるとなれば、がぜんやる気になるんだ」と彼はいう。褒められるはずもないのに、おためごかしでなく褒めてくれる、その本気さは、自分への好意に裏打ちされているからこそ伝わる。そこで素直に期待に応えようと頑張るということである。  「だからさ、まず、その人を好きになるんだよ」とその秘訣を語る。しかし、好き嫌いなんて生理的な感覚を、意思をもって制御できるんだろうか。ありていにいえば、コーチングのプロとして成果を出すために、その人を好きになる。しかも、本気で好きにならなければ、効果はないのだ。仕事のためとはいえ、「この人を好きになろう」と決めて好きになるなんて、器用なことができるのか。  と疑問を呈すると、「それができなきゃだめでしょ。そもそも部下を好きになるスキルこそ、管理職者がもつべき基本スキルなんだから」と彼は答える。では、好きになるにはどうするか。「そのためには、まず、その人をひとりの人間として認め、その人ならではの人となりに興味をもつことだ」と続けた。  なるほど、好きになるとは言葉の綾で、まず第一に、その人そのものを認める、というか畏敬の念を持つことが大事なのだ。能力とか出来不出来とか性格的問題とか以前に、ひとりの人間としての尊厳に敬意を払うことができれば、その態度はおのずと自分への好意としてうけとられるのだろう。  例えば、医療現場でよく語られる医者の基本姿勢というものがある。医者が投薬をするとき、なぜその薬が必要かを説明する。ともすれば、専門家の助ける人=医者と、素人の助けを求めている人=患者の関係のなかで、一方的なコミュニケーションになることが多い。しかしその際に、なにより患者自身の意思や納得感を尊重して、つまり畏敬の念をもって接することがいちばん大事で、それにより、投薬効果も高まるといわれている。  そういえば彼から、人を切り捨てるような言い方を聞いたことがない。悪口や批判はいうけれども、あたたかい。どんな人にも、人としての尊厳、平たく言えば、それぞれの来し方行く末に対して敬意を払い、かつ、その個別性をなにより面白がっているように見える。そう、その人を面白がる=興味を持つ、これが第二のポイントなのである。  「人に興味を持つ」というと、もうひとり思い出す人物がいる。もう20年以上前のころだが、優秀な管理職者だなぁと常々感心していた取引先の課長がいた。会社もその課長の管理能力を高く評価していて、どこの部署でも鼻つまみ者になる問題社員ばかりが彼の課員として次々送り込まれてきていた。そこでちゃんと「再生」させるのが見事だったが、いかにもたいへんな仕事だな、と思って、その苦労を聞いてみると、愉しそうにこう言った。  「いやすごく面白い。コイツは、ここを押すと、動く気になる、アイツには、この言葉が響く、とか、みんな違う。それぞれのスイッチを探し出していくのがたまらない醍醐味なんです」