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組織の言語 | その他

組織の言語

 言語相対性仮説という仮説がある。「人の思考というものが、言語を用いてなされているのであれば、思考は言語に影響され、異なる言語を用いる人との間では同じ認識を持つことができない」というものである。サピア=ウォーフの仮説という呼び名の方が有名かもしれない。  これには二つの仮説が含まれている。ひとつは「言語のない思考は存在しない」という仮説だが、これはその後の非言語的思考の研究により、成立しないとされている。もうひとつの「言語は人の思考に影響を与える」という仮説についてはさまざまな意見はあるものの、限定的ながら成立するという主張が一般的である。 人が頭の中でめぐらせている思考は、言語が違うからといって、お互いに理解しあえない、と言えるほどの大きな違いはないが、それでも、さまざまな認識に影響を与えているらしい、ということである。  同じことは組織においても言えるだろう。組織が違うからと言って、お互いに理解しあえない、とまでは言わないが、組織自体がそこに属する者の認識や行動に様々な影響を与えているのである。 例えば、経験も実績も豊富な中途入社社員が、新しい職場で本来のパフォーマンスを発揮できなかったり、ベテランらしからぬミステイクを犯したりすることがある。 これを単に新しい環境に適応できていないから、と片付けてしまうのは少々乱暴な気がする。  組織にはそれぞれ独自の価値観やポリシーがあり、同じ言葉でも違うニュアンスで使われていたりすることもある。業務フローやコミュニケーションのスタイルについても同様だ。これらはその組織固有の”言語”といってもいいだろう。 組織の言語が異なることにより、思考が影響を受ける。そして、その思考が行動にも影響する。しかもそれはほとんどの場合ネガティブな方向に作用するのである。 これは時間を置けば解決することもあるだろうが、放置することにより、メンタルへの影響、人材の流出にも繋がりかねない。  これを防ぐためには、組織の言語を誰もが理解している状態、かつ、新しくその組織に加わった者には、その言語を効率よく学習させるプロセスを用意することが必要だろう。 そのような環境を作り上げるうえで、人事の果たすべき責任は大きい。人事の役割は人事制度を作ることだけではない。経営戦略実現のための人材マネジメントこそが人事に課せられた使命であり、だからこそ、その制度が何のために、何を目指し、それをどのように実現するのか、誰もがわかる言葉で理解の浸透を図らなければならない。 それができてはじめて、組織の全員が力を結集するための方向性を示すことができるのであり、それこそが人の思考に影響力を持つ組織の言語となるのである。

リタイアメントを誰が決めるのか | その他

リタイアメントを誰が決めるのか

有楽町の駅に程近い蕎麦屋で、同窓会の帰りかと思しき3人の熟年ビジネスマンが漬物をつつきながら熱心に話し込んでいた。定年後の再雇用について話が弾んでいるようだ。 「おまえの会社にも、定年後にもう一度雇ってくれる制度があるんだろう?」 「いまは法律でそうなっているから、どこの会社にもそういう制度があるよ。」 「週に2日だけ、とか、午後3時まで、とか、パートタイムでもいいの?」 「そりゃ会社によって違うだろ。」 「どっちにしても役職には付かないし、給料も半分だし、ゆったり仕事すればいいでしょ。」 「退職金も定年のときにもらっちゃうしね。」 「大した仕事は無くても毎日会社に出てきて皆の顔見たほうが、健康にはいいらしいよ。」 定年後再雇用は、まるで福利厚生制度のようだ。 70歳までの雇用義務化も遠い話ではないように思える。そんな中で、定年という制度は、企業で働く人びとにどのように映っているのだろうか。60歳であれ、65歳であれ、会社の「定年」が職業人生からの厳粛なる「リタイアメント」なのだという感覚は、先のエピソードを見てもわかるとおり、根強く残っている。その先の再雇用は、言わば付け足しだ。考えてみれば、高度成長時代に発達して半世紀以上続いてきた定年制度と長期雇用制度だ。年金支給の開始年齢が上がろうと、人生80年時代と言われようと、こうした感覚がシニアビジネスマンたちに色濃く沁みついているのは無理からぬことかも知れない。 だが、これからの時代、会社のルールのままにリタイアメントが決まる、というのがいちばん幸福なことかどうか疑わしい。そもそも、一般的な定年年齢である60歳の時点では、体力的にはまだまだ元気で働ける場合が多いだろう。再雇用制度を利用して定年後も数年働き、その後いったん仕事から完全に「足を洗う」のだが、余暇を過ごして1年も経たないうちに、「このままでは頭が空っぽになってしまう」といった不安に苛まれる。何かオレにできることはないか、高齢でも世に貢献できることはないかと仕事を探し始める。70歳を迎えてもなお、身体も心も働くことを欲しているという例は数多く耳にする。 ならば初めから、自分の仕事人生の設計を自分でやるに越したことはない。初めて勤める会社でビジネスマンとしての基礎体力を養い、専門性に磨きをかけ、次のチャンスを掴んで転職をしたら必死で働いて目覚ましい経済貢献・社会貢献をし、その後は体力の低下に合わせて少しずつ仕事のペースを緩めながら後進にノウハウを伝える。自らの役目が終わったと見るならば、定年を待たずにリタイアしてもよい。求められるなら死ぬまで働いたってよい。自分の人生だから、そのプランを自分で考え出さなければならない。キャリアまるごと会社任せにして言われるままに働き、一定の年齢で会社に言われるままに働き終えて、自動的に職業人生終了、という時代は遠からず無くなるだろう。 一体、「定年退職」は「リタイアメント」と同じことなのだろうか。正しいリタイアメントの時期は会社が決めてくれるのだろうか。それとも別の誰かが決めてくれるのだろうか。さにあらず、リタイアメントは自分で決めるのだ。そういう時代が目の前に来ている。蕎麦屋のシニアビジネスマンを数多く抱える人事部長は、したがって、そこのところを皆によく知らせ、意識改革を図らなければならない。やる気があって社業に貢献してくれる限りは相当の報酬を支払ってがんばってもらう。役割が終われば自らリタイアメントの判断をしてもらう。だから、一人ひとりの社業への貢献度がどれ程なのか、またはその役割を終えつつあるのかを、つぶさに評価してフィードバックするのは、これからの人事部の大切な責務だ。

ロボット・AIがオフィスにやってくる! | その他

ロボット・AIがオフィスにやってくる!

昨年12月の完全失業率は3.1% 有効求人倍率は1.43倍(いずれも季節調整値)で、労働市場は、引き続き、タイトな需給関係で推移している。企業としては、総じて、期待通りの採用がかなわない状態が続いている。こうした活発な求人の背景には、各企業で様々な事情があるが、政府の働き方改革で推進されている「長時間労働の是正」という社会的要請に応えていく上からも、当面、この積極的な求人トレンドが継続することになるだろう。 その一方で、第4次産業革命といわれるAI、IOTといった最新テクノロジーによる産業構造の変化が起こり、産業界の様々な領域で業務の自動化が進行している。従来、人間が行ってきた業務をコンピュータやロボットに担わせる動きが加速し、近い将来、社会全体として必要な就業者数は減少してくことが確実視されており、経済産業省も、2015年時点で6,334万人の就業者数は、このまま放置しておくと、15年後の2030年には、735万人少ない5,599万人に減少するという試算をしている。 仕事の自動化が進む領域は、広範にわたっており、既に自動化が大きく進行している製造部門だけにとどまらない。機械学習や人工知能を活用し、今まで自動化は難しいと言われてきた、管理、営業、企画等、いわゆるホワイトカラーの業務を効率化・自動化していく、ロボティック・プロセス・オートメーション(Robotic Process Automation, RPA)の動きが今、急速に広がりつつある。 例えば、米国のナラティブ・サイエンス(Narrative Science)社では、財務報告書等、主にデータによって作られている資料を元に、人工知能を活用したアルゴリズムにより、分かりやすい文章を自動作成するソフトウェアを開発し、提供を始めている。 また、同じく米国のワークフュージョン社が提供しているプロジェクト管理を自動化するソフトウェアは、対象のプロジェクトの中で、どのような業務が自動化可能か、どのような業務を社内のスペシャリストに任せるべきか等を判断したり、社内の人材データベースをチェックし、必要な人材がいなければ、外部求人サイトで募集し、応募者の選別を行う。プロジェクトの各業務の割り振りや作業者の業績評価も行い、プロジェクトメンバーが期待通りのパフォーマンスを出せない場合は、別の人材にその業務を回すことなども行う。 このように、ホワイトカラーの基本的な作業とも言える「文章作成」や、従来、十分な関連知識と適切な判断が求められる「プロジェクトマネジメント」といった領域でさえ、自動化の波が押し寄せてきている事を考えると、直近の需給状況や長時間労働の是正といった現行の観点の延長線上に安易に中長期的な人員計画を組み立てていくことは、思わぬ落とし穴に陥ることになるだろう。 今後の業務自動化の進み具合を正確に見極めることは大変難しいが、早かれ遅かれ、この波は必ずやってくる。企業の人事部門としては、来るべき自動化の波の到来に備えて、現行業務と現有人材の棚卸を行って、「見える化」しておくことは、現時点で、最低限必要なことだろう。 社内ではどのような業務が行われ、その中で、どのような業務が自動化対象領域となりうるのか、社内の業務を棚卸するとともに、(ロボットでなく)社員にどんな業務を行わせるのか、どんなスキルを期待するのか、といった議論を社内で展開し、方向性を定めていくミッションを人事は担っている。実際に、自動化の波が来てから考えるのでは遅すぎる事になるだろう。

N+2 | その他

N+2

 企業の人事管理レベルが向上すると、企業経営に大きな貢献をすることが期待される。人事管理のレベルアップとは非常にシンプルで、次の2つの要件を満たすことである。まず経営方針、計画を達成するための人材がそろっていることがまず挙げられる。方針、計画を達成するためには、必要な能力を持った人材が必要人数必要になる。この必要人材の保有は企業の目標達成のための前提である。二つめは保有している人材が高いパフォーマンスを発揮することである。人材を保有しているだけでなくこの人材がより高いパフォーマンスを挙げるマネジメントが必要である。この2つの要件をどの程度満たしているかが企業の人事管理、人事機能のレベルである。  人事制度の改定や雇用施策、人材育成施策は、人事管理レベル向上の具体的施策である。環境が変化し経営計画達成に必要な人材が変化したときには、人材像を明確にし、継続的に育成する仕組みを再構築しなければならない。またパフォーマンス向上のために報酬制度の変更をすることもあるだろう。ビジネスモデルやボリュームが大きく変化した場合には、採用の見直し、雇用調整などの退職施策を実施することになる。必要な能力や知識が変化した場合には教育などの人材育成を強化しなくてはならない。具体的な人事施策は、人事管理レベルを上昇させるために行うということである。人事管理が経営に大きな貢献をするためには、自身の人事管理レベルを把握することが前提であろう。人事管理の強み弱みを把握し必要な強化をしなくてはならない。  人事改革を行う際に経営や人事部門が最も意識しなくてはならないのが、この人事管理レベルの“測定”である。改革初年度(N年)とすると、一年間かけて人事制度の設計や導入準備を行う。翌年(N+1年)新たな人事制度が導入される。その翌年(N+2年)には人事制度改革の成果が出ていることが求められる。N年の人事管理レベルとN+2年の人事管理レベルを比較し想定通り、想定以上のレベルアップになっていることが重要である。  人事改革はその成果が重要であり、制度の設計などはその過程の一フェーズでしかない。制度設計から導入された後に人事管理レベルを比較するという発想はどの企業でもあるが、このNとN+2のパフォーマンスの定量的な比較こそが改革の重要なインディケーターである。人事制度の改定のような大きな施策の時には、制度を設計導入することではなく、結果のパフォーマンス向上のみが需要であることを再認識しなくてはならない。  さらには改革時だけではなく平時においても、パフォーマンスを定量的に経営に明示することが望ましい。そうすることで人事部門の経営に対する貢献を具体的に証明できることになる。経営への貢献に軸足を置いた人事管理に変貌しなければならないのではないか。

業績と人材力 | その他

業績と人材力

 企業が成長を維持向上するためには、人材は欠かすことのできない重要な資源です。人材が高い能力、モチベーション、コンディションを持ち続ければ、企業のパフォーマンスは上がると考えられています。この人材の状態を総括して人材力というのであれば、人材力が上昇すれば業績が上がり、逆に低下すれば業績が下降することになります。これに対して異論を唱える人はいないくらい、どの経営者も人事部門も誰も疑わない考えでしょう。  問題は、人材力と業績の関係が明確でないことです。どの程度人材力が上昇すれば業績がどの程度上がるのかがわかりません。またそもそも“人材力”を総合的に測定する指標がないのです。仮に人材力が測定できれば、人材力と業績の関係性を解析できる可能性があります。そうなると経営としては人材力の投資に基準を持ってできることになります。  さて、経営者はこの人材力が業績に与える影響が大きいと考えているのでしょうか。現在の人材力が100だとして、これを110に上昇したとしたら、業績はどの程度上がると考えているかは、分析事例がないのでわかりませんが、実際にはあまり高くないリターンであると思っているように感じます。人材力がほどほどであれば、それ以上に投資してもリターンが経験的感覚的にそんなに大きくないと思っているのかもしれません。  一方多くの企業では、現在の人材力に対して必ずしも満足していません。例えば、管理職の能力が不足していると感じている企業も多いでしょうし、経営方針が徹底していない、モチベーションが十分なレベルでない、離職者が多い、高齢化によってパフォーマンスが低下したなど、重要性や影響のレベルは企業によって異なりますが様々な問題を感じているのです。本来望ましい人材力レベルを100とすると、経営者や人事部門は現在の人材力を何点と評価するでしょうか。100点以上を付ける企業は多くはなく、60点から80点くらいが回答として多いと思います。仮に80点であるとすると、これを100点以上する努力を本来はしなくてはなりませんが、80点を100点にするための投資、要は金額やマンパワーとその結果得られる業績、リターンがバランスしない、ないしはあまり影響しないと考えているのかもしれません。  日本企業は他の先進国と比較すると社員の生産性が低いと言われています。低生産性は人材力に起因している問題であり、これを早急に改善しなければなりません。今後日本企業が成長するための、証明されていない一つの重要な施策は人材力を経営として望ましい状態にすることです。この人材力向上をしても業績に影響がない、ないしは少ないということであれば、人事管理はほどほどに行えばよいということになります。ポジティブに言えば、人材力向上が企業業績の向上のための非常に重要な施策であり、人事管理の強化こそが成長のエンジンであると確証が持てる可能性があるということです。

成果のでない理由(わけ) | その他

成果のでない理由(わけ)

人事の課題の中には、時間をかけ、腰を据えて取り組まないと、成果を出すことが難しいものも少なくない。「女性活躍の推進」もそうした課題のひとつかも知れない。多くの企業で、従前より検討されているが、期待される水準を達成できている企業は数少ない。  例えば「指導的な地位への女性の登用」という観点で言うと、我が国の管理職における女性比率は10%程度で、欧米諸国の30〜40%に対し、大きく差をつけられている。取締役における女性比率についても同様で、2016年の上場企業の女性役員数は、わずか3.4 %と、こちらも欧米諸国の水準である20〜30%に比べて、大きく後れを取っている。以前より女性の積極的登用を検討してきたはずなのに、結果が伴ってきていない理由として、何が何でも女性活躍を推進しなければならない、というほどの重要性や危機感を経営層や人事の現場が共有して来なかった事が、正直なところ、あるのではないか。 そもそも女性活躍に限らず、ダイバーシティマネジメントを推進する目的の中には、性別、年齢など人間の属性にかかわらず雇用機会を提供すべきという「人権的な側面」や、人手不足を補う「労働力確保」の意味合いもあり、どちらかというとそうした観点から受け身的にこの課題に向き合っている企業は少なくないようだが、そもそも「企業の競争力強化や組織パフォーマンス向上」という企業価値を高めるための重要な取り組みであるという点を、我々は改めて強く認識する必要があるだろう。 テクノロジー革命やグローバリゼーションの急速な進行により、今後、今まで以上に大きく、かつ急激に社会が変化していくことが想定されるなかで、企業は、異なる知識や発想などを備えた多様な人材を積極的に取り込むことで、より多くのイノベーションを生み出し続けていくことが不可欠となっている。 言い換えれば、従来の男性中心の組織に、より多くの女性を取り込むことで化学反応を起こし、迅速かつ大胆に革新を継続していかないと、これからの厳しい競争下で、企業は生き残っていけないという事だ。 実際、米国ピーターソン国際研究所、クレディスイスなど各所が実施した調査等で、「幹部職における女性比率が高い企業ほど、収益性や時価総額が高い」という上記の仮説を、客観的に裏付ける結果が複数、報告されている。 女性活躍推進の領域で、我が国の前を走っている欧州各国も、最初から女性の役員・幹部職比率が高かったわけではない。危機感をもって、「女性役員クオータ制」の導入も含めた様々な悩ましい議論や取り組みを長年、積極的に行ってきた結果として、ようやく現在の水準までたどり着いている。 我々は、我が国だけが特別に難しい状況という認識を持つべきではないし、我が国だけは諸外国とは別だから、このままでもなんとかなるだろう・・と言った、独善的なガラパゴス発想を持つことはさらに危険である。 いまや、「女性活躍の推進」が企業の継続的発展の成長エンジンになるというのが世界的な見識であり、「社会的要請への対応」や「人材確保のため」と言った受身的、間接的な目的に留まらず、「企業競争で勝ち残るために不可欠な施策」という確信をもって、人事が事にあたっていくことが必要ではないだろうか。

従業員満足はいらない | その他

従業員満足はいらない

 いつのころからか登場したES(Employee Satisfaction)調査というものには、やや違和感を感じる。かつては、従業員意識調査はモラールサーベイといった名称で従業員の職務責任意識や士気、結束力の高低をみる調査であり、軍隊アナロジーで経営が従業員に要請する状態として分かりやすいものだった。つまり、業務遂行にそれが影響する。しかし、「従業員満足」というと、それがストレートにパフォーマンス発揮に直結するようには思えないからだ。  すべてのステークフォルダーズとの関係を良好に持つことが企業の社会存立構造であり、その一環として対従業員関係の良好度合いをそれで測るというのは分かる。「ESなくして、CS(Customer Satisfaction)なし」ということも、まぁ理解できる。だが、従業員がその会社にいることに満足していることが、各人の仕事の成果を高め、また組織としての生産性を高めることに結果するのだろうか。  おそらく「衛生要因」であることは確かだろうが、はたして「動機づけ要因」たりえているかどうか。満足しているからといって、職務遂行レベルを向上させ、更なる成果発揮を目指そうという姿勢をもたらすとは限らない。賃金がたかく非金銭的報酬も魅力的で、会社の構成員であることに本当に満足しているからこそ、無理をせず、つまりリスクをおかさずほどほどに仕事をして、その状態を満喫しようとするかもしれない。問うべきは、満足度ではなく、モチベーションの高低とその誘因なのではないか。  さらにいえば、モチベーションが高ければいいというわけでもない。大事なことは、「パフォーマンスにつながるモチベーション」の度合である。もしかすると、誰よりも高いモチベーションで仕事に臨んでいるローパフォーマもいるかもしれないからだ。だから、こうしたサーベイでは、誰の満足度か、どのようなモチベーションか、を見極められる分析枠組みが不可欠であり、従業員全体の満足度の高低やその因子に一喜一憂する必要はない。  こうした観点ではやはり欧米企業はプラグマティックで、ある米国のコンサルティングファームが各国の複数企業で実施した調査は、極めて興味深いものだった。「Employment Branding」調査と銘打って、「会社を辞めないでいる理由」を、仕事の属性やさまざまな就労条件、人間関係など網羅的な項目で調べた。会社の枠を超えて、人々を引き付ける「雇用のブランド」とはなにか、を明らかにしようというものだった。ただ調査分析の対象にしたのは、各社のハイパフォーマたちだけだったのである。  大事なのは、高業績者が、会社にとどまり成果を上げつづける、そのモチベーション因子、満足因子であって、全従業員のそれではないということである。ハイパフォーマにとってのブランドを構成するものを知り、それを強化することができれば、彼らの確保が促進され、業績が向上する。それこそが、業績に資するESであるという合理的な割り切りが小気味よい。  ちなみに、このマルチクライアント調査の結果は、たいへん示唆的なものだったが、明らかになったブランド構成項目はここでは書けない。ただ一点、あまりにも当たり前の事情ともいえるが、ハイパフォーマたちを引き付けるブランディングの最大の因子はやはり、金銭やさまざまなベネフィットではなく、仕事の意義や意味に関するものだったことだけを付記しておきたい。

プレミアムマンデー(プレミアムな仕事をしよう) | その他

プレミアムマンデー(プレミアムな仕事をしよう)

先月末の金曜日、ショッピング等の個人消費を喚起するとともに、午後3時に仕事を終えることを奨励するプレミアムフライデーが始まった。実際に、金曜日の午後3時にどれだけの人が仕事を終えられるのか、といった議論等、賛否は様々であるが、働き方改革の主テーマの一つである「長時間労働の是正」に、国全体で取り組んでいこうとする機運を後押しする象徴的なキャンペーンと受け止めている。 「長時間労働の是正」の狙いは、働きすぎて、生活のバランスが崩れ、過労死などの心身の健康に悪影響を及ぼしている状態が社会問題化する中、ワークライフバランスのとれた「より人間的な生活」を取り戻す事である。我が国の正社員の年間労働時間はサービス残業と言われる部分をふくめると2,000時間程度になると言われていて、諸外国と比べて1,2割程度は、労働時間が長いことは間違いないようだ。  こんなにも日本人がよく働きだしたのは、明治維新後と言われる。産業革命が進む中、当時の機械工や繊維女工の年間労働時間は3,000時間を優に超えていた。戦中、戦後も、同様に欧米に追い付け、追い越せというマインドの下、「長く働くことが善」という観念が我々日本人にしみついて、今に至る。ただし、それ以前の江戸時代などは、武士は城に10時に出勤し、14時に退勤だったし、庶民も、職業によるが、昼休みを含めて1日3回、休憩があったようで、総じて、今に生きる我々ほど長く働いてはいなかったようだ。だとすると、現代日本人の長時間労働の傾向は、生来の気質ではなく、社会的背景の中で、作り上げられてきた社会観念に由来するものであり、今後の我々のマインドの切り替え方次第では、労働時間の短縮自体は、思ったほどには難しいことではないのかも知れない。 さて、労働時間削減の取り組みは、誤った議論ではないし、是非、そうするべき事ではあるが、同時に、社会や企業の構造の中で、その周辺への影響を整理して行く必要があるだろう。 例えば、社会における労働と生産の構造を簡単に表すとすれば、 「仕事の質(生産性)」 X 「仕事の量(労働時間)」= 「生み出す生産価値(アウトプット)」 という事になる。 この関係式で考えると、我々が今、取り組むべき、より本質的な問題は、むしろ「仕事の質(生産性)」の方ではないだろうか。 OECDによる国別の時間当たり労働生産性を見ると、米国やEU諸国が60ドル前後の水準に対して、我が国は40ドルと大差をつけられている。現在の生産性水準を所与とすれば、労働時間を減らした分だけ、アウトプットも減じることになる。 少子高齢化が進む中で、さらに労働時間を減らしていこうとするなら、従来生み出してきたアウトプットを維持、増大するため、我々は、相当なレベルで生産性を上げていかねばならない。 労働時間を削減するのはよいが、それがゴールでなく、そのうえで、いかに生産性を高めて、組織として国としてのアウトプットを最大化できるのか、こっちの課題に正面から取り組むべき局面にきていると思うのだが、周囲を見渡しても、まだこのテーマが国民的な課題として盛り上がっている状態にはない。 「今日、定時で帰るためにはどのように仕事をすればよいか」 「8時間で行う仕事を6時間で行うためにはどうしたらよいか?」こんな問いに、国や経営や社員が一体となって建設的に取り組めたら、生来、工夫や改善が得意な日本人の事であるから、日ごろ感じている無駄や効率の悪さが明らかにされる中で、業務の自動化 情報共有化 標準化など‥、今まで上司に遠慮して、胸にしまっていた、さまざまなアイデアが出てくるに違いない。 我々は、労働時間の削減と並行して、生産性向上にも本気で取り組むべき時期に来ている。これもまた、日本人のまじめで、従順な性格からすると、政府が、一役買って出て、プレミアムフライデーの第2弾として、生産性の高い「プレミアムな仕事の仕方」を目指し、情報交換やディスカッションを喚起するための「プレミアムマンデー」を毎月1回月曜に設定し、キャンペーンを張るのも悪くないと思っているが、どうだろうか。

設計と編集 | その他

設計と編集

 人事制度は社員にとって極めて重要な仕組みであるにもかかわらず、十分に理解されていないと感じることが多い。新たな人事制度を導入する時は説明会を開催し、背景や目的、そして仕組みについて、十分な理解が得られるような工夫をする。社員への説明会やQ&Aや新制度のハンドブックなどを充実させる。特に経営陣や管理職に対しては自分たちで説明できるようなトレーニングなども行ったりする。さまざまな工夫をして社員の理解を深めようとするのであるが、人事制度導入当初から十分に浸透したと思えることは少ない。制度が導入されしばらくして新たな制度で評価を行い、その結果昇格や昇給、賞与支給など自分に直接的に関係する時に、はじめて理解が促進されるように思える。  そもそも人事制度を変えるということは、新たな経営方針や計画に合わせ、企業に必要な人材像、人材の価値、働き方が大きく変化することになるが、この本質的な部分がなかなか浸透できないのだ。新たな人事制度の社員への説明会などでよく見られるのは、社員側にあまり真剣さがない情景だ。社員にとって極めて重要であるにもかかわらず、直接的に響かない。  社員に対して新たな人事に関する考え方を浸透させるためには、今までのような“まじめ”なアプローチでは限界があるのかもしれない。新制度の説明は全体として堅くて面白くない。また社員は人事制度のエンドユーザーであるが、ユーザー視点で語られていないことも多い。人事側は正確に伝えるために、等級制度、給与制度、評価制度などの人事制度の“部品”を個別に説明することが多いが、これは制度を提供する側、制度を設計する側の説明スタンスではないか。新たな人事制度によってエンドユーザーがどのような期待ができ、リスクを負うのか、今までとどう異なるのかが重要であって、制度の“つくり”を説明することではない。説明する側のスタンスに議論があると感じる。  また新制度の資料も一層の工夫が必要である。人事部が一生懸命作成する人事制度の説明資料はあまりにも堅い。社員が資料を持ち帰り、再度読み込むとはあまり思えない。伝えたい内容を興味もって理解してもらうためには、資料そのものをワードとエクセルで作ることが間違えなのかもしれない。動画や漫画などで面白く作成したほうがよほど効果的であろう。  新たな人事制度を導入することは企業にとって大きな転換点である。この転換点を社員にできるだけ浸透させるには、浸透のスタンスを再認識し、手段を大きく変えなくてはならないと感じることが多い。よい制度を設計することは前提であるが、浸透に対する意識や工夫が少ない。人事制度の仕組み部品は精密に作るが、それをエンドユーザーにどう見せるかを意識できていない。人事制度の設計の後に、これを効果的に浸透させるための“編集”が必要なのではないだろうか。 以上

理論中心アプローチのすすめ | その他

理論中心アプローチのすすめ

 理論に基づいて体系化された知識、方法を学問というが、企業の人事、人材育成の領域は、学問と呼べるほど成熟していないように思える。教育を行う側の講師やインストラクター、企業の人材育成担当者などは、人材育成のプロとして、教育学や学習心理学など、成人教育の理論について学んだ経験を持っているだろう。しかし、その他の社員については、おそらくそのような学習機会を持ったことはほとんどないに違いない。学ぶ側の人材はその背景にある理論を知らないまま業務知識やスキルを習得させられている可能性が高い。  少し前まで、スポーツの世界では精神論や根性論が幅を利かせていた。この本来の考え方は「苦労にめげず向上を目指せば、できなかったことができるようになる。そのためには努力が重要であり、努力を続けるためには根性が必要である」というものであり、これ自体は否定すべきものではない。だがこの考え方が行き過ぎた結果、無駄に長時間トレーニングを強いたり、誤った練習方法が故障の原因になったりするなど、多くの問題が指摘されることとなったのである。このような問題も、スポーツの理論が体系化されスポーツ医学や運動生理学が注目されるにしたがって、過去のものとなり、現在では、学校の部活動などでも理論に基づくトレーニングが行われようになっているのは周知のとおりである。  スポーツの世界では選手もトレーナーも理論を学び、理論に基づくトレーニングを実践することで結果を出していくというアプローチが当たり前になっているわけだが、企業の人材育成の現場はそうなっていない。教える側はさておき、学ぶ側に対して正しく理論を理解させようという意識が希薄に感じるのである。人材育成はもっと理論をベースとしたアプローチをとらなければならない。これは特に新入社員研修のカリキュラムを見るとそう感じることが多い。  まず第1に、学生から社会人へとシフトする際に、社会人としての学び方を学習する機会がない。新入社員研修のカリキュラムにはたいてい学生と社会人の違いを意識させる枠がある。確かに、学生から社会人への意識の転換は重要なテーマであり、うまく意識をシフトできない新入社員に先輩社員たちが苦労させられるのは毎年の恒例行事といってもよい。単に学生と社会人の立場や責任の違いを考えさせるだけでなく、もう一歩踏み込んで、オトナの学習というのがどのように為されるものかということを理論的に解説して欲しいものだ。  それには学習モデルの理論が役立つだろう。代表的なモデルとしては、「経験学習モデル」がある。OJT等で採用している企業も多いことだろう。このような学習モデルは教える側、学ぶ側の双方が、人材育成についての共通認識を持つためのツールとして非常に有効である。  また、新入社員は翌年には部分的にではあるが、学ぶ立場から人に教える立場になる。何かを教える際には、自分の経験をもとに教えてしまうことが多い。これがうまくはまる場合もあるが、逆効果となってしまったり、悪くすると組織としての教育計画を破綻させてしまう可能性すらある。したがって、経験を積んでいるときから理論を理解し、実践する機会を作ることが重要だ。  そのためには、学びの源泉である動機付けの理論が参考になるだろう。動機付けの理論とは、いわゆるモチベーションに関する理論である。代表的なものとしては、マズローの欲求段階説や、外発的/内発的動機づけの理論がある。  例えば、先輩社員から仕事の指示を受けたが、自分のやりたいこととギャップがあったとしても、自分なりに仕事に意味を持って取り組んだり、自身の成長課題として取り組むなど、自ら動機付けし、仕事をやり遂げたという経験の有無は、自分が仕事を指示したり教えたりする立場になった際に、大いに役立つに違いない。  ここまで新卒社員研修のケースを例に挙げてきたが、これは何も新卒社員の場合に限定されるものではない。階層別研修やリーダーシップ研修においても、理論は社会人としての正しい学び方を習得するための一助となるだろう。それは何もこれまでと違うことをやるというわけではなく、今実施している人材育成の施策に理論的な裏づけを与え、学ぶ側にも理解を求めるということである。  このような理論中心のアプローチが一般的になることで、企業の人材育成の領域は学問として成熟し、より具体的な育成成果が期待できるものになっていくだろう。

内なる敵 | その他

内なる敵

 個人的なエピソードを書く。  その①  新しい社長が着任してきて1か月くらいたったときに、社長室に呼ばれて、こういわれた。「なぜ、指示したことを一切やらないのか?」 えッ~! なにを言っているのだろう、と驚愕、まったく身に覚えがない。よくよく聞いてみると、彼が言っていたことを、「命令」だとは、私は思っていなかったことが判明。聞き流して、ごくふつうに自分でやるべきと思うことをしつづけていたということだった。  その②  その当時、なぜか派遣社員の方々が頼んだ以上のことをやってくれて、ずいぶん助けられた。どんな意気に感じてくれたのか。ある時、その理由を直接彼女らに聞いてみると、社長と話すときも、派遣社員と話すときときも、同じ話し方、要はどちらも「タメグチ」だから、というのだ。よく社長と立ち話をしているところを彼女らに目撃されていたのである。  振り返れば社会に出た当初から、「上下関係」という意識をなぜかもったことがなかった。上司は部下より偉くて、部下はその命令に従うという雇用関係の原則がはら落ちしていない。だからきっとこういうことがおこる。ヒエラルキーで人を見ない、ニュートラルな人間なのだなぁ、自分は、、、、と都合よく自画自賛していたのだが、実は、そうではなかったのである。  真相に気づいたきっかけは、ある「診断」だった。グローバルでひろくつかわれているリーダーシップ・アセスメントツールがある。その信頼性については、それをもとに処遇を下げられた従業員個人から何度も訴訟されているが負けたことがない、というセールストークがされる診断。それを受けてみたときに、自身の結果で顕著な特徴があった。ある項目についてだけ極端に低い点がついていたのだ。  なんと、10段階評点の1点。他の項目はどんな悪くたって5点くらいなのに、である。その項目とは「Interpersonal sensitivity」。対人感受性である。間をおかず、別の種類の診断も受けてみたが、結果はまったく同様の傾向。つまりはそういうことだったのである。 すなわち、対人感受性不全ゆえのエピソード。  マネジメントとは、「ヒトを通じてコトをなす」ことである。つまり、人を動かすことがその要諦だ。対人感受性を発揮するとは、「人は、どうすればどんな気持ちになるか」をわかって人と接する。それをもって、戦略的に人を動かすことである。リーダーシップ行動の古典たるカーネギー『人を動かす』にあれこれ書かれている、相手を知り、相手に好かれ、相手を動かす原理は、要はそういうことだ。  対人感受性の欠如を自覚していれば、そこを留意し、不得意だからこそ自身に強制し、きっともっとましなリーダーシップが発揮できたはず、と悔やまれる。  だからマネジャーたるものちゃんとした診断ツールをつかって自分を知ることを、ぜひやってみるべきである。センター方式アセスメントや360度診断による「自分の可視化」は十分に意味があるけれども、できれば、対人感受性のような、より奥深い自身の心理特性の自己確認もしたほうがいい。と、大いなる悔恨をもって、お勧めしたい。もしかしたらリーダーシップの障害になる、「内なる敵」を発見できるかもしれないから。

数字のない生産性向上 | その他

数字のない生産性向上

 日本は主要各国に比較して社員の生産性が低い。先進28か国の中で26位という低さである。多くの社員が長時間働いているのだが付加価値が低いのだ。より利益が上がり、社員の処遇をよりよくするためには、この生産性向上が必須である。生産性が上がれば、会社も社員もより良い状態になるからだ。近年この“生産性向上”がブームであり、多くの企業で重要な経営課題として認識し、経営計画の目標に掲げている。  ある企業の部長以上を集めた経営会議でのことである。社長が次年度の経営計画を説明した。会社の経営方針、数値目標や各事業の重要課題など話をし、その最後に今年の全社共通の重要課題として“生産性の向上”の説明をしたという。内容は非常に簡潔で、生産性向上の重要性とそのための施策の概要であった。具体的な施策としては、残業時間の短縮、業務の見直しによる無駄の排除ということであった。ひととおり説明した後に質問を促したところ、ある部長がこう質問したそうである。「質問させていただきます。生産性向上が当社にとって重要だということがよくわかりました。お聞きしたいのは、当社の生産性はどれくらいでしょうか?また現在の生産性をどの程度向上させるのでしょうか。さらに当社は業界の中で生産性が低いのでしょうか?」 社長は質問を聞いたのちに、経営計画をとりまとめた経営企画部長とすこし話をし、こう答えたという。「そんな細かいことは気にしなくていい。生産性を向上させるのが今期の目標だ。とにかく部下を早く帰宅させることを徹底してくれ。」  この企業の例はすこし大げさかもしれないが、生産性向上を掲げている企業で、生産性の現状や目標を“数字”で掲げている企業はあまり見ない。現在の生産性の数字と目標とする数字が明確になっていないことが多すぎるのだ。さらには本来の生産性目標ではなく、単に目標残業時間など本来的でなく小さな目標に置き換えられていることすらある。  生産性といってもさまざまな指標がある。売上生産性、労働生産性、1人当たり利益、賃金生産性、労働装備率などである。より正確にはこれらの指標を、全社だけでなく事業別に把握する必要があるだろう。現在の生産性が過去の生産性と比較して高いのか低いのか、また他社と比較しての高低も知らなければならない。実態を知らないで生産性向上の具体的な施策を打つことはできない。生産性の数字を把握しないで、精神論や単に残業時間短縮などの時間管理的な視点での施策はうまくいかない。生産性改善と標榜し、生産性の数値を知らないというのはあまりにも滑稽だ。まずは数字からということである。 以上