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人事制度

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エフェクチュエーション―創造的ご都合主義のすすめ | 人事制度

エフェクチュエーション―創造的ご都合主義のすすめ

 経営にしろ、ビジネスを行うにしろ、日常の業務遂行にしろ、まず目標/ゴールを定めることが鉄則である。経営とはそもそも構想主導の取り組みであり、ゆえに経営リテラシーの筆頭はビジョンニング力とされる。ビジネスへの着手は、つねにゴールセッティングに始まる。定めた目標をゴールとし、そこへ至るプロセスを考えるのが合理的な方策であることには、疑いの余地はない。  しかしそれは、過去の常識かもしれない。VUCAの状況下では、目標設定自体が難しいし、設定した目標の正しさもあやういからだ。かくして近年は、「コーゼーションからエフェクチュエーションへ」といった言葉が目に付くようになってきた。コーゼーション(Causation=原因/因果関係)とは、環境を予測し目標(結果)を定め逆算的にプロセス(原因)を描くこと。エフェクチュエーション(Effectuation=実用/効力発生)とは、目標を定めず現実的に採れるプロセス(実用)を進めていくなかで決定要因(効力)を見出し結果を創り出していくこと。要は、因果論ではなくて、実効論である。  平たく言えば、「目標から考える」のではなく、「走りながら考える」。と聞けば、先の見えない新規事業開発などは、まさに走りながら、試行錯誤しながら、形にしていくという実態にならざるを得ないこともよくあるから、耳慣れない「エフェクチュエーション」も、とりわけ目新しい概念というわけでもない。ただ注目したいのは、これが起業家に特徴的な意思決定行動だということだ。  この言葉が日本に登場したのは、『エフェクチュエーション』(サラス・サラスバシー著)が翻訳出版された2015年。学際型の経営学者として定評ある加護野忠男さんの監訳だったから買ってはみたもののその分厚さもあって積ん読状態だったが、どこかで見た言葉だなと書架の本に気づいてひも解いてみた。実証的起業家研究の書で、起業家たちを特徴づける能力を調べてみると、それがエフェクチュエーションだったということである。  「走りながら考える」とは、目的からではなく手段から考えるということである。つまり、手持ちのリソース、能力、人脈で何ができるか考え、できることから始める。これが、①掌中の鳥の原則、と命名され熟達した起業家行動の第一の特徴とされる。以下、②許容可能な損失の原則、③クレージーキルトの原則、④レモネードの原則、⑤飛行中のパイロットの原則の5原則が提示される。ちなみに、レモネードの原則とは、「酸っぱいレモンをつかまされたら、レモネードをつくれ」との格言の意で、偶発性の活用という行動原理だ。良いことも悪いことも、途中で起こったサプライズは、価値創造の源泉と考える。  5原則の概要はググれば出てくるので確認いただきたいが、それぞれに示唆的ではあるが刮目するほどのものではない。しかし、こうした原則に通底する起業家行動、その原理にはなるほどとうならされる。彼らは、未来を予測しようとするのではなく、未来をコントロールしようとするのだ。ゆえに、今あるリソースから確実にできることをはじめ、実際にコミットした関与者をリソースとし、サプライズもまたリソースとしてインプットするのである。つまり、不確実な未来だからこそ、すべてを自分に都合よくデザイン(=創出)しようとする。  サラス・サラスバシーは、エフェクチュエーションを支える論理をプラグマティズムだと説明し、こんな逸話を書いている。  ある日、学生たちに、私が背の低さゆえにバスケットボール選手になれなかったことを語った時、クラスのなかのプラグマティストは、「背が低い人のバスケットボールリーグを作ればよいじゃないですか」と言い返したのだ!

ひとりひとりの社員に向き合う組織力~人事評価の本質~ | 人事制度運用支援

ひとりひとりの社員に向き合う組織力~人事評価の本質~

 求める人材要件に対して正確に測定し、充足を把握する。社員からは公平性、公正性を求められる。人事評価が機能しないと、社員のやりがいは低下し、離職に至る。社内の片隅でひっそり活躍している宝物を見つけることもできない。給与を決めるだけの形式的、儀式的、属人的な人事評価は人材育成に貢献はしない。戦力は安定せず、戦う集団にならない。人事評価はあるべき人材のポートフォリオを実現していく上で、重要なファンクションと言わざるをえないが、とにかくこの人事評価が機能していない。  そもそも多様な人材の活用を求められているなかで、求める人材要件も多様になり、一律ではない。人材要件を詳細に定義し、評価していくこと自体、無理な話かもしれない。そもそも全く同じ人間など存在しない。何らの基準に対して、達しているか、達していないかの絶対評価も重要ではあるが、ひとそれぞれの特性を把握することが改めて重要になりつつある。  多くの企業で評価は管理職の重要な役割となっている。たったひとりの管理職に多くの人材について要件に対して詳細に評価する責任は重い。その役割を課されることに負担に感じるのも無理もない。本来は評価者である上司が指導をすべきであるが、その上司も評価者を評価、指導できていないことは多い。そんな簡単なことではないということか。  しかしなぜこんな人事評価になってしまったのか、軽視されていたわけではないが、ひとりひとりの人材に向き合う重要性が相対的に高くなかったことにあると思う。年齢を重ねるだけで給与があがってきた日本的な事情や、人口増加を背景に経済的な発展を果たしてきた経済事情などが考えられる。年齢とパフォーマンスのアンバランスの放置。変わらない、変えない、保守的な事業戦略。ただ過去の関係を続けるための予算の策定、それでも成り立ってきた。人材をひとくくりに定義し、何か問題があってやり過ごしていくマネジメントで事業が成立していた。    改めてここでいう必要もないとは思うが、今後ごまかしは通用しない。先の読めない事業環境に対して、リスクをとり、挑戦しつづける集団になること、ひとりひとりの人材を生かすといった観点で組織的に向き合う重要性が高まる。タレントマネジメントに情報管理の業務改革やテクノロジーの進化による人材の特性分析はITベンダにぜひともその発展をお任せするとして、それを使いこなす人材の育成、そして組織としてひとりひとりの社員に向き合う組織力が求められている。    先日の娘の高校の入学式、学年担任の言葉が印象的。「ひとりひとりに担任はいますが、教員全員がひとりひとりを見守ります」と。難しい問題はその責任をもつ人々が当事者意識をもって、常にアンテナを張り、得られた情報を交換し、適宜対応していく組織力が欠かせない。ひとりの子供を養っていくことも相当大変と感じるが、仕事とはいえ、40名もそんな「大変」を一手に引き受け向き合っていこうとする先生の意気込みは尊敬でしかない。未熟な生徒に向き合うことは容易ではないが、しかし大人になったはずの社会人も相変わらずだとは思う。    経営者が先頭にたって、次の世代に向き合って、牽引していく。そんな経営者を見て多くの管理職がもっと人に向き合うことに時間と労力をかける。ひとりひとりをただ純粋に大切に思い、継続的、一貫性をもって、忍耐強く、謙虚に、そして誠実に向き合っていく組織にしていくこと、それが「この会社で働きたい」を増していくはずだ。

シニア人材の活用ポリシーが明確な企業は意外と多くない | 関連制度設計

シニア人材の活用ポリシーが明確な企業は意外と多くない

 新型コロナ、米中覇権争い、国家間衝突、為替変動、急速な物価高騰など、10年前、いや5年前には想像していなかったことが今、起こっており、日本企業は、これまで以上に二極化が進んでいくことが想像できます。企業経営は困難な時代に突入しています。  市場環境の変化だけでなく、速度をコントロールできない高齢化が進んでいく中、シニア人材の活用も企業経営には大きな課題です。各社の人事担当者にシニア人材の活用についてお聞きすると、優秀な人材は積極的に活用したい、基本、現役時給与の〇〇%(※)にしていますとの声が大半である。ある程度の方針は存在するものの、明確なポリシーが定まっている企業は意外と多くない。70歳までの雇用義務化が想像できる、現場業務などシニア人材に頼らざるを得ない職場があるなど、シニア人材の活用ポリシーは、今後の人事施策面において非常に重要です。大袈裟かもしれませんが、企業が競争を勝ち抜いていくポイントになるかもしれません。 (※)国税庁が公開している「2020年民間給与実態統計調査」によると、現役世代と定年世代の給与比較で、男性は22%減、女性は17%減となっています。  内閣府が2019年に実施した「高齢者の日常生活に関する意識調査」では、仕事をしている60歳以上の人のうち、「65歳くらいまで働きたい」と回答したのは25.6%、次いで「70歳くらいまで」(21.7%)、「働けるうちはいつまでも」(20.6%)と、高齢期にも高い就業意欲を持っていることがわかっています。  シニア人材の活用について、特徴のある事例についてご紹介します。 ・高齢化しているものの60歳までは好待遇(組合が強く制度改定が困難)。ただし、要員に余剰感があるため、60歳以上のシニア活用について、「活用しない」という明確なポリシーがあり、特例を除いて再雇用者は簡易な業務で時給になります。8割以上が再雇用を希望しないそうです。 ・シニア層の職場確保に課題がありました。大企業であれば出向という手段がありますが、中堅企業には当該手段は選択肢になく、同社は業務委託しているコールセンター業務を自社で行うことを検討しています(その他委託業務も自社実施が可能か検討)。 ・更に、大胆は企業では、FC加盟でシニア層の活用を検討している企業があります。将来的な成長が見込めるフランチャイザー(国内外)を真剣に探しています。A社長曰く、収支トントンでいいんだよ。雇用義務も果たせるし、結果、人件費は抑制できるから。  70歳までの就業の確保(努力義務)が定められた後、定年再雇用制度設計(含定年延長)の相談は増えています。制度設計に際しては、シニア人材の活用ポリシーが明確であることが必至です。まだ時間はあると思っていても、時の経過は想像以上に速いものです。まだであれば、シニア人材の活用ポリシーについて議論してもらいたいと思います。  シニア層で運営できる、将来性のあるフランチャイズビジネス。 「見つからなかったら自分で創ってしまおうかな。儲かるかもしれない」と、A社長は笑顔で言っていた。 以上

管理職昇進を望まない社員増加は心配事ではない | スマートアセスメント®

管理職昇進を望まない社員増加は心配事ではない

 近年は労働観が多様化し、管理職になりたくないという人が増えています。厚生労働省の調査(平成30年版労働経済の分析)によれば、実に61.1%もの人が「管理職に昇進したいと思わない」と回答しており、更に直近の調査会社の結果では80%という数字も散見されます。管理職になりたくない理由として、「出世欲がない」「責任が伴う」「仕事量が増える」が上位を占めます。バブルの時代「24時間戦えますか?」というフレーズが流行り、管理職になることはキャリアにおける一つの目標であったものの、現在は誰もが出世を夢見た時代は終わり、働き方が多様化し、仕事はほどほどに、私生活の充実も重視するライフワークバランス派の増加だけでなく、専門性を突き詰めるために管理職にならない道を選ぶポジティブなキャリアを選択する社員も増えているということです。  この様な状況から、企業の人事担当者との商談で、管理職登用試験を受けない社員が増えているが他社でも同じ傾向ですか。自分が試験を受けた時は、試験を受けられなかったらどうしようと思っていたのに・・・、という場面がリピートします。  企業としては、管理職になりたくない人が今後も増えていくことを前提に人事管理を行っていく必要となるものの、一方、現状の管理職層の問題課題として、40歳前半になると管理職に昇格させてきたことで、部下無し管理職や会社貢献が希薄な管理職の扱いに苦慮している企業は少なくありません。 「2:6:2の法則」「8割を2割が生み出す“パレートの法則”」から、会社を牽引する管理職は20%が適切で、80%の社員が管理職になりたくないことは、管理職の歪な状態を見直すトリガーになり得るとも言えます。ただし、留意点としては、会社が管理職にしたい社員が管理職を目指す仕組みが整っているかです。ミスマッチを回避するために、以下のようなことを確認することをお薦めします。これが全てではないですが。 ①本人のキャリアプラン確認(入社5年・10年の節目で複数回設定) ②会社からのメッセージ(上位職から君は管理職として会社を牽引する人材だと情熱を持って伝える、情熱が欠けると意味がない) ③人事制度(キャリアプランが選択できる複線型パス、適正な評価、報酬格差等) ④能力把握の適正診断(アセスメント等) ⑤管理職候補者に絞った育成研修(社員全員の底上げでなく選抜型での育成)  働き方の多様化から、管理職昇進を望まない社員の勢いは止めることは出来ないでしょう。管理職試験を受けたくない社員がいること自体、50代の管理職は理解できないことかもしれません。この傾向を管理職の歪さ解消を中心とした組織見直しのチャンスと捉え、前向きに人事管理に向き合っていくことができれば、決して心配することではないと言えます。どの様な場面においても、プラス思考を忘れなければ、進むべき路は見えてくるものです。

変わったヤツだね、あいつ | 人事制度

変わったヤツだね、あいつ

 東京に本社を置くその会社は、600人ほどの従業員を擁する大手企業傘下のシステム開発会社だ。管理職と専門職の複線型人事制度を設けている。この専門職というのをどう位置付けたらよいのか、ずいぶん長く議論してきたが明らかな結論が見えてこない。曰く・・ 「40代後半にもなって、ポストが無いという理由で管理職に昇格できない人材を遇するには、専門職という立場がどうしても必要だ。」 「いや、ちょっと待て。専門職というのは、他人に無い高い専門性を持つ人材を処遇するためのものだ。単に優秀な総合職社員を格付けるものとは違うのではないか。」 「優秀ではあるが管理職には向かないという人もいる。こういう人も、それなりに処遇しなければ辞めてしまうだろう。」 「ところで、管理職に昇格させてみたがうまく成果の出ない人材は管理職ポストから外したいのだけれど、格付けを一般社員まで落とす訳にもいかない。専門職に移ってもらえば収まりが良いな・・。」 そうこうするうちに、若くて優秀な専門人材と管理職リタイア組が混ぜこぜになった、妙な人材集団が出来上がった。多くの若手社員から声が上がる。 「いったいこの専門職というのは何なのだろうか? うちの専門職に何かの専門家はいるのですか? 年功序列の大義名分に過ぎないのでは?」  さて、同じICT系の会社だけれど、地方都市に本拠を置く新興の会社がある。まだ200人ばかりの会社だが、クルマの先進情報技術を武器に急成長を遂げている。前述の会社と同じような複線型制度を設けているが、少し違った景色が見える。 ここで働く人は、全員が非常に高い専門技術を持っている。例えば、この会社のコーダー(コーティングを仕事とする職種)は、ふつうのプログラマーの5人分から10人分もの仕事をするのだそうだ。彼らは、あたかも日本語とコーディング言語のバイリンガルだ。部下に帰国子女がいれば、辞書を引きつつ汗かきながら英語で会話をしなくても倍のスピードで仕事が片付くのと似て、注文主が「こんなシステムがあるといいな」と夢を語れば、たちどころにコンピューターと話をつけてくれるのだそうだ。 コーダー職以外にも、AIのアルゴリズムを考える人、巨大なデータセンターを切り盛りする人など、数多くの専門家が腕を振るう。綺羅星のごとき人材たちが数多く働く専門家集団だ。 ここでは、専門家としてのウデの良さでグレードが決まる。誰もが、自らの専門分野で、もっともっとウデを磨きたいと考えている。だから、ポスト不足の悩みなどない。そもそも管理職という仕事への憧憬が無いのだ。若い技術者たちが仲間のうわさ話をする。「あいつ、次のワンオンワンで管理職コース希望するんだってさ、変わったヤツだね・・」  根拠の無い直観だが、二番目に述べたような会社がにょきにょきと姿を現しているように思う。その半面、数多くの人事部門で、一番目に述べた会社のような議論が依然として交わされている。技術の急激な発展があり、産業構造やビジネスモデルの地殻変動が起こる。そして、わが国の人事管理は、その後を周回遅れで追いかけているように見える。  ところで、人事制度を刷新するとき、経営者は社員にそのいきさつを語る。米国の経営者の多くは、『私はこんど、このような制度を導入することを決心しました。』と言う。日本の経営者の多くは、『わが社では、こんど、このような制度を導入することになりました。』と言う。両者の表現には微妙なニュアンスの違いを感じる。 マスコミがそのことについて盛んに論評し、業界の多くがそれに賛同し、有識者の協力を得、従業員の皆さんの大方のご理解が得られ、十分に環境が整い、機が熟したときに、日本の人事管理は漸く、一歩、前に進むのだろう。熾烈なグローバル競争の中で、遅きに失することがないとよいが。

内部公平性という呪縛 | 人事制度

内部公平性という呪縛

 人的資本経営の重要性の認識が高まる中で、人事制度の見直しに着手する企業が増えている。人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、企業価値向上につなげる経営のあり方だ。具体的には、企業理念・経営戦略を実現するための人材価値や人材像が言語化され、事業戦略・経営計画と合致した視点や時間軸で目指すべき人材ポートフォリオが明確にされ、その姿を目指して、要員計画・人件費計画や、採用、配置、育成などの各人事機能別方針・施策が統合的に展開されるアプローチと言えるだろう。 経営理念や経営戦略と連動した明快な人事戦略の下で、人事マネジメントを行っていく事であり、当然、人事制度もその方針に合致したものとなる。  この人的資本経営という概念を大きく否定する人はあまりいないが、実際の人事制度の設計プロセスにおいて、スムーズに事が決められていくかと言えば、実際はそうならない。「多様な働き方へ対応するために地域限定の総合職を導入するか?」「優秀なITエンジニアを中途採用で採用可能にするために、他の部門よりIT部門の給与水準を上げるか?」こうした問いに対する判断の論点は、外部競争力を優先させて、世代間や部門間の公平性を犠牲にすることを許容するかどうかにかかってくるが、同一企業の経営層や人事部内でも意見は様々で、共通の人事ポリシーや判断軸を持ち合わせている企業は多くない。  管理職役職定年の是非、定年延長やシニア世代の処遇の在り方等、多様な人材の柔軟な働き方を許容していくトレンドが進む中で、こうした従前からの人事制度上の検討事項が、改めて着目され、見直しを迫られている状況だが、制度見直しをすれば、既存社員の特定の誰かにしわ寄せがきて、不利益や不満が発生する事を恐れ、容易に意思決定に至らない。本来、こうした見直しの判断の拠り所も、企業の人事戦略で謳われた方針であるはずだが、社内の内部公平性を重視する日本的マネジメントの足枷は、思いのほか強く、様々な人材セグメントが持つ既得権益を否定するまでには至らず、議論が長引く事が少なくない。  結局のところ、人材や働き方の多様性を受け入れていく中で、それぞれの立場で、既得権益を持つ既存社員も含めて、一律的な公平性を追求していけば、当然ながら、どこかで袋小路にぶつかる。どこかでゲームのルールを変えていかざるを得ない。  内部公平性は、人事制度設計において、外部との競争力の強化と共に主要な視点であり、社内の多様な人材を公平に扱うという考えは尊重すべきものだが、それぞれの人材セグメント上で発生した既得権益を温存しがちな、従来からの日本的社内公平性の概念からの転換が必要だ。  例えば、リスキリングやキャリア形成支援等、各人材セグメントに即した最適なキャリア成長の支援を、公平に提供していく事を前面に出していく等、人的資本経営時代にふさわしい新しい公平性の在り方を社内外に提示し、粘り強く、内部公正性という意味合いの転換の必要性に理解を求めていく事が、それぞれの企業文化や経営戦略に即した人的資本経営を具現化していくうえで、カギとなっていくだろう。

役職定年は「消化試合」をもたらす | 関連制度設計

役職定年は「消化試合」をもたらす

 多くの日本企業で高齢化が進むなか、高齢化対策として導入されてきたのが「役職定年制度」です。役職定年制度は、1986年に施行された高齢者雇用安定法により55歳定年から60歳までの雇用を努力義務とされたことを契機に拡大してきました。  定年が引き上げられ、1つの役職に長く留まる人が増えると、世代交代が滞り、若手のモチベーションダウンにつながります。また、年功型の人事制度の場合、時には実際のポスト数より多くの役職者が発生し、総額人件費も増大化します。そこで、一定年齢(多くは50代前半)になった段階で、役を外し、それによって若手にポストをあけ、賃金を抑えることを目的としているのが役職定年制度です。  しかしながら、役職定年制度の実態をみるとさまざまな問題が生じています。  役職定年後の当事者は、ほぼ同じ仕事で、給与は6-7割にダウンするのが通例です。当然モチベーションダウンは避けられず、生産性も低下します。シニア人材は定年までの「消化試合」をして過ごすということにたとえられるのではないでしょうか。バブル層が今55歳前後に差し掛かり、5年後に60歳の定年を迎えます。大量の人材が「消化試合」状態になる姿を、経営側は望んでいるはずがありません。  一方で、優秀な方においては役職定年を機に離職するという負のスパイラルを生み出します。  また、役職定年制は年齢差別であるという批判もあります。外国に目を向けると、米国や英国では、年齢を理由に雇い入れや労働条件を差別することを原則禁じられている例もあります。  そんな中、最近においては、55歳前後で管理職から外す役職定年制度を廃止する企業が増えています。例えば、大手の某電気メーカーにおいては、役職定年を迎えた約1,000名を、成果実力主義に則り管理職に復活させました。  さまざまな状況を踏まえ、今後を見据えた場合、「もはや、年齢を理由にした人事管理は限界にきている」と考えています。  しかしながら、若手が相変わらず役職に就けないというのも望ましくはありません。これらを解消するためには、仕事内容を明確にするジョブ型雇用が考えられます。 管理職の登用については、管理職の役目を担えるスキルや能力があって、パフォーマンスが発揮できる方であれば、男性、女性、高齢者、若年者、外国人などに関係なく昇格できる評価制度が確立されていることが重要になります。つまり、ペイフォアパフォーマンスを徹底することです。  シニア人材のモチベーション低下も、仕事と成果レベルによって処遇パターンを変えることを合意の上で雇用を継続すれば、一律ダウンは避けられるはずです。  シニア人材を消化試合化させず、誰もがモチベーション高く活躍できるために、成果・能力・貢献を評価基準とした制度設計と、それを明確に正しく厳格に評価できる評価者の育成こそが求められています。

うまくいかない目標管理 | 人事制度運用支援

うまくいかない目標管理

 目標管理は言うまでもなく“企業の目標の達成のために、組織や社員が目標を設定し、達成を促進する”ものである。多くの企業で目標管理が導入されているが、うまく機能している企業は非常に少ない。うまく機能しないのは、経営や人事が目標管理に対して過度に期待しているからではないか。多くの企業でみられるうまくいかない代表的なパターンは次のようなものである。 -そもそも会社や組織の目標が不明確  企業が毎年掲げる目標が明確でないことが散見される。目標そのものが十分に社内で検討されていない、また実現可能性が低いなど企業目標として“質”を疑うものがある。この企業の全体の目標を、各組織や個人に分解するのであるから、元の目標の質が十分でなければうまくいくはずがない。十分な社内協議や計画の裏付けのない目標が掲げられているということである。こうなると企業目標を組織や個人に割り振っていくと不整合が発生し、解決できない様々な矛盾が発生する。目標設定の段階で失敗しているということだ。目標設定がうまくできないので、結果正しい測定になりようがない。企業目標、経営計画が不明確な企業は目標管理をする前提がないのである。 -所詮“正確”に測定できないことを前提としていない  企業の経営目標も売上や利益のような数字だけでなく、管理レベルの向上、人材育成、コンプラ、社会貢献などの数字で測定しづらい目標も多くある。このような定性的な目標に対しても、達成度合いを判断しなければならない難しさがある。所詮定性目標の達成度は人により判断することであるので認識が完全に一致することはない。しかし多くの人の認識を一致させる必要はある。“目線合わせ”というのは、多くの人に認識が一致することであるので、これには“衆目の目”にさらすことが有効である。目標と達成度合いを公開すれば目標そのものの設定やその評価に対して様々な意見議論が発生するだろう。衆目の目にさらすことによる目線合わせを行うことによって、適正な評価をする文化が醸成される。 -目標管理は管理職以上  目標を設定するということは、その目標に対して責任権限がなくてはならない。自分の責任権限外の目標は自分ではコントロールできないからである。そのため目標管理の対象は組織の長には最適である。本部、部、課などの組織は目標が設定しやすくかつ責任権限がある。まず管理職の目標管理を機能させることが第一歩である。一般の社員の目標管理は実際には非常に困難で、多大な時間を投下しても得るものは少ない。仕事は個人に閉じて遂行しているのではなく、チームとして動いていることが多い。そうなると課の目標を個人にきれいに分解することは困難であり、またあまり意味が無くなる。さらに目標を自分で設定させる例を目にするが、業績の測定という観点では全くナンセンスだ。業績管理のための目標管理では、会社や組織の妄評を達成するための個人に対する指示であるので、あくまでも会社や上司が決定しなければならないからだ。 -測定技術が不正確、非合理  せっかく目標を設定してもその測定方法が曖昧であったり非合理であれば正しい評価とは言えない。例えば目標を100%達成ならB、120%ならAなどのように、目標に対して一律の達成基準で測定する方法がよく見られる。目標に対する達成の振り幅は目標によって大きく異なる。ルートセールスであれば売れる数量はあまり大きく変わらないかもしれないが、新しい商材の営業や個人の営業努力で数字が大きく変動する業態では振り幅は非常に大きい。本来は個別の目標ごとに達成基準を設置しなければ正しい測定はできない。 また目標に難易度を付ける例などもあるが、どこまで合理性があるか疑問である。 -ほんとうは重要視していない  目標の設定が曖昧で測定も非合理であるために、評価の結果は当然適正で整合性があるものとは言えない。それでも目標管理に多大な時間を投下しているが、この結果をストレートに反映している企業はごく少数だ。目標管理は通過儀礼的なもので評価は最初から答えがありきではないかと疑われてしまう。社員の処遇に対して大きな影響を与える評価であるのであれば、仕組みや運用などもっと厳格にするべきであるが、曖昧な目標や甘い評価が散見されても経営者も人事も身を挺して防ぐことをしない。本当は重要視していないのではないか。  目標管理を否定しているのではない。現在の目標管理があまりにも機能していないため、まずは原則に従いできる部分から始めることが有効だと考える。会社そのものや経営者の目標管理を明確にし、次に管理職の目標管理を機能させることを優先させるべきであろう。 以上

人事評価の新トレンド | 人事制度設計

人事評価の新トレンド

我が国では、人事評価を年1回、ないし、半年に1回行っている企業が大半を占めているが、米国では、数年前から、年次評価や半期の中間評価をやめ、社員にリアルタイムでより頻繁にフィードバックを行う企業が増えている。 この背景には、期初に目標を置き、期末にその達成度を確認・評価するという従来の目標管理制度がうまく機能していない実態がある。ビジネス環境が日々刻々と変化する中では、期初に立てた目標は、1年後の期末には、陳腐化してしまう事があるし、何か月も前に起こった事象に対して、後から上司と部下双方でその時を思い出しながら、まとめてフィードバックや改善施策を議論しても遅きに失してしまうという事もある。 年に1回、AとかBとか各社員をレーティングすることもやめて、代わりに、上司が部下へ頻繁にフィードバックを行う。部下の個々のアクションに対して、「先週のクレーム処理は完璧だった」「あのプレゼンは、正確でなかった」「この業務は期限内の終了しなかった」と言った率直なフィードバックを行い、課題解決に向けた方策を双方で議論する。直近の部下の行動やパフォーマンスについて速やかに議論を行い、上司と部下とのコミュニケーションを増やすことで、双方の認識がズレたまま、漫然と業務を遂行し続ける事を防いだり、課題を解決するための行動をより速やかに導くことを目指している。 1年まとめてじっくりパフォーマンスの評定をするより、日々の行動の都度、フィードバックを行うことを重視する人事評価のトレンドは、今後も、社会の変化のスピードがさらに加速すると言われている中で、ますます、浸透していくと考えられるが、この仕組みを導入している企業の現場では、まだ、必ずしもスムーズに事が運んでいるわけではない。実際、現場の管理職には、多くの負荷が掛かっていて、毎月、何十回も部下とのフィードバックのミーティングを行う時間を確保することだけでも大変であり、また、部下に対し、ストレートにフィードバックする事で、感情的なストレスを抱えることもある。こうした取り組みが定着していくためには、上司、部下ともに、一定の試行錯誤の時間が必要なことは確かだろう。 今後、このようなフィードバックを効率的に行うためには、管理職の負荷軽減と部下とのコミュニケーション力の向上がカギとなる。それを推進するには、なによりITツールの活用が不可欠となる。目標設定や社員の進捗状況をリアルタイムで評価するツールや、会議やイベントの終了後に関与した社員にその評価を求める多面評価システムなどがそれにあたる。例えば、大きな会議が終了した後、出席した上司や同僚が席に戻るとパソコンにメールが送られてきて即、その会議の内容や進め方についてのアンケートを求められ、その結果は、即、会議を主催した当事者にフィードバックされるといった具合である。 従来のように、1年まとめてじっくり評価しようとしても、当初の目標設定がずれたり、上司の認識が異なるまま評価され、不満を抱えたまま、翌年を過ごすより、一つの業務の節目ごとに、ほぼリアルタイムで周囲からフィードバックを受け、頻繁に、今後どうするべきかを上司とともに建設的に考えていく事ができれば、社員の評価に対する不満は減り、モチベーションは向上していくことになるだろう。 我が国においても、以上のようなITツールが充実するに従い、こうした頻繁なフィードバックをベースとした評価システムへと移行していく事になるのではないだろうか。

生涯現役というソリューション | 関連制度設計

生涯現役というソリューション

生涯現役というソリューション 栄養、医療等のイノベーションで、我々は、今よりも健康で長寿になると言われている。現在の日本の中学生は、2人に1人が107歳まで生きると言う予測もある。長寿自体は喜ばしい事だが、我々が長寿化することで、従来の社会システムのバランスが崩れ、今までは気にせずに済んだ悩ましい問題に向き合わざるを得なくなる。端的に言えば、我々が、今まで80歳まで生きることを前提に人生設計を組んでいたとして、実際は100歳まで生きる状況になった時、追加された20年間の経済的基盤をどう確保するかと言う事だ。 我々の一生を教育ステージ、就業ステージ、引退ステージの3ステージに区分すると、現在のそれぞれの期間は、おおよそ20年、40年、20年と考えられる。引退ステージの後にさらに20年追加されると、当然、この人生の3ステージ全体のバランスを改めて取っていかねばならない。人生80年と想定し、リタイア後の20年を年金とそれまで蓄えていた貯金を使ってやり繰りしながら80歳まで生きてきた時、「おめでとうございます。追加であと20年生きられます!」と言われたら、我々は一体、どうすればよいのだろうか?少子化の中で、政府に何かを期待できる時代ではない。もし、残り20年分の経済的準備ができていなければ、その後の人生は、かなり憂鬱なものとなってしまうかも知れない。もっとも、実際は、ある日突然、一気に平均寿命が延びるわけではなく、年齢が若くなるにしたがって、徐々に平均寿命も延びていくので、現実は、これほど極端ではないが、いずれにせよ、我々ほぼ全員が、いままで以上に長生きする前提で、これからの人生設計をしていかねばならない。 私が20代の頃、若いうちから、かなりハードに働いて、そこそこの額の貯金をため、定年を待たずに4~ 50代までにリタイアして、あとは時折、旅行でもしながら、悠々自適に暮らしたいと話す友人達が、周囲に少なからずいた。「君は一体いくつまで働くの?」飲み会の席などで、友人達からそんな質問を時折受けたことを覚えている。当時は、短期間に強烈に働いて、早々にリタイアする人生を目指す事は、将来の人生を考えるスタンスとして、それほど不適切なものではなく、実際に実現できるかどうかは別として、概ねポジティブに受け入れられていたように思う。 ただ、そうした計画を立て、中には実際に実現できた人々もいるだろうが、今になって、さらに20年分の生活が追加されるとなれば、どうだろう? 再度、収入を得るための活動を再開する必要が出てくるかも知れないし、何より100歳まで生きるのに、4~50歳で、リタイアしたら、引退後の人生の期間は、あまりに長く、時間を持て余してしまうに違いない。当時は、早期リタイアを目指す人生は肯定的であったかも知れないが、やがて来る長寿化時代を見据えると、今や、そうした人生設計はリスクが高く、あまり魅力的とも賢明な選択とも言えなくなってくる。 今後、医療の進歩等で、さらなる長寿化やアンチエイジングが進む事も考えられ、将来の自分の身体能力がどこでどのように変化していくのかも、過去の人々のケースを参考には出来なくなくなって来る。また、どの仕事がAIにとって代わっていくか、明確には予測ができない事などを考えると、これからの人生で、いつまで働こうか、どんな仕事をしていこうか、と算段することが極めて難しい現実に直面する。先を見越して計画を立てるには、自分自身も含めて、将来の環境や前提を安易に見定められない状況がそこにはある。 それならば、いっそ、潔く、生涯現役宣言をして、死ぬまで働く覚悟を持って、健康に留意しつつ生きていく方がよっぽど、気分がよいと思うのだがどうだろうか。 また、どの仕事が今後生き残るか、高い収入が得られるかと検討する事も大切だが、それも不確実性が高く、当てが外れる事も大いにあるだろう。であれば、何より、自分がやっていて楽しく感じられ、自分の特性が最大限、発揮できることで他者に貢献ができると思える仕事が何なのかを今からでも、真剣に自問し、見つけていく事が、何よりも重要なのかもしれない。そんな仕事を見つけられれば、仮に収入は多くなくとも、やりがいを感じ、大きなストレスなく、働いていけるし、より幸せを感じて過ごしていけるだろう。 この問題に対する答えは、どこかで誰かが用意してくれることはない。自分自身をよく理解し、自らその答えを見つけるしかない。今までは、そこまで深刻に考えなくても、ほど良いタイミングで寿命がやって来たが、これからは、社会を大きく変化していく環境の中で、老後を生きていかなければならないのだ。そんな未来を見据えて、我々は、早期リタイアを目指すマインドから、生涯を通じて、考え、学び、働き、そして、それを楽しむ・・そんなマインドセットに切り替えていく事になるのだろう。

飲み会のスタンス | 人事制度

飲み会のスタンス

 私も50歳弱の年齢となりましたが、最近、飲み会での風景やマナーや礼儀が以前に比較してずいぶんと変わってきたと実感します。我々の年代がまだ駆け出しだった頃は、クライアントとの会食でも社内での飲み会でも、ずいぶんと気を遣った記憶があります。クライアントとの会食は年輩の方との会食が多いため、私自身の振る舞いなどは以前と変わらないのですが、同席する社員の言動やスタンスなどにははらはらすることがあります。また、社内を意識的にフラットにしていることもありますが、それにしてもあまりに気を遣わない、気が利かないなどという感覚を強く感じます。これはよい面と悪い面がありますので一概に以前に比較して問題だと思わないのですが、個人の感覚との差として驚くことも多くあります。  具体的にギャップを感じることを列挙してみます。まず第一に、酒を注ぐことをしなくなったなと思います。酒を注ぐという行為は相手に対する慰労や感謝、親近感の現れの一行為です。接待側であればお客さんに対する礼儀として、常に杯やグラスの状況から適度なタイミングで酒を注ぐのが気遣いというものです。当社の社員は比較的女性比率が高く、また、人事関連サービスをしている企業ですので、女性がお酌をするのも妥当認識は全くありません。フラットな企業文化にするためにも、男女とも基本的には社内での飲み会は酒を注ぐことはしないようにと指導しています。そのため社内での飲み会では酒を注がれることは稀です。この感覚をクライアントとの会食に持ち込まれると、世の中の常識と異なることにすら気づかないことのではないかとも思います。接待の席で静かに座っており、酒も注ぐという感覚がないのです。マニュアル的に酒を注ぐ注がないと言っているのではなく、酒を注ぐという行為の意味や自分の位置付けがあまり理解されないようです。  次に、飲み会の主旨の理解です。飲み会はいろいろな意味で絶好なタイミングであることを理解していません。これも我々が若いときは、飲み会は普段話さない相手や話さないことを会話できる絶好のチャンスなのです。コンサルティング会社は基本的にはプロジェクト単位で組織編成しますので他の社員と日常コミュニケーションを十分にとれません。ノウハウや情報を共有するという観点からも、もっと積極的にいろいろな人といろいろな話しをする絶好のチャンスであるということを認識していない人もいます。仲のよい数名の社員が固まって酒を飲んでいることなどもありますが、別の機会に数名でいけばよいのであってチャンスを生かしているといえません。クライアントに対してもそうです。クライアントの経営者や幹部との会食ですので、様々な話を聞ける絶好のチャンスです。チャンスを生かせるか否かは本人のスタンスによります。  第三には、場の雰囲気を見ないということです。テーブルに料理が運ばれてくれば、気が付いた者が率先してテーブルに置いたり、スペースがなければ少量残っている料理を皿を取り分けてスペースを空けるなどの配慮ができないようです。自分に取り分けられた料理を食べるか、自分の食べるものを自分で取るくらいで、テーブルにいる他の社員への配慮やテーブルの状態などへの場を見ることができないのです。遅れてきた社員に対しては、まずは席を指定して用意することがその社員への礼儀ですのに、あまり気を遣ってはいないのではと思えることが多くあります。  この他にもいくつか気になることはありますが、クライアントにせよ社内にせよ、宴会や飲み会の行動やマナーや礼儀がずいぶんと感覚が違うなと感じます。これは職場を離れて飲食をともにするという意味やスタンスが違うのだと感じます。クライアントとの会食時には口うるさく言いますが、社内の飲み会ではこれも自然な文化の一つかなと思ってしまいます。ですので、飲み会始まりますと、食べ物飲み物への配慮などは私がしていることが多いことに気が付きます。最近ではいたずら心もあり、酒の瓶やボトルは私の横に確保して私が他のメンバーに注ぐようにしています。たまに私に注ごうとする社員はいますが、断りますとすぐに引き下がります。形式の問題ではなく、酒を注ぎたいと思ったら、私から瓶やボトルを奪っても注ぐくらいの気合いがなければ、注いでもらわないで結構だということなのです。  お酒を飲まない社員の比率も高くなってきている中で、宴会や飲み会のスタンスやマナーを論じること、特に社内での飲み会などはそうですが、昔の飲み会の方が人間味があったなと感じてしまいます。クライアントとの会食などは、普段は話せない普段では聞けない仕事や人としての話が聞けます。時代とともに変わるのでしょうが、最低限のマナーや礼儀はビジネスマンとして意識するのが当然です。私などはクライアントとの会食で本当にいろいろなことを教えていただきましたし、親交を深められました。せっかくの機会ですので、気持ちよく、さらには勉強になるような、いい酒を飲みたいと思っています。

偶数段階評価 | 人事制度設計

偶数段階評価

 日本人は幼いころからの学校教育の影響か、何かを評価するときに五段階で行うことが好きなようです。この五段階とは、例えばS、A,B,C,Dや5、4、3、2、1のようなもので、長年慣れ親しんできています。この感覚が企業の人事にもそのまま持ち込まれているように感じます。  この5段階評価は、特徴的であるのはBや3などの“ふつう”という概念です。平均的、まあ合格レベル的な感覚ではないでしょうか。なぜ特徴的であるかというと、非常に難しい概念であるからです。それは“ふつう”の上下の境界線が決まらなければ“ふつう”が決まらないからです。要は“ふつう”という概念は、二つの境界線を設定しなければ成立しないのです。AとB、BとCの境界線の間が“ふつう”ということだからです。Bの概念には厳密に言えば求められている基準に対して多少上回っていることと、多少下回っていることが混在している、非常にわかりづらい構造なのです。  人事管理の評価でもこの日本的な慣行は一般的で、評価を“ふつう”を中心とした5段階にする傾向が非常に強くあります。もっと言えば慣れ親しんでいる5段階で評価することになんら疑いを持っていないのです。  企業の人材管理で非常に重要であるのは、企業が求めるレベルの人材が適正数在籍しているかということです。これを制度的に言えば、昇格が最も重要と言うことになります。昇格を判断するためには、現在の等級の基準をクリアしているかが問題であります。従ってBとか普通という概念ではなく、大学を卒業すると同じように、等級を卒業するために、昇格基準を越えているかいないかが問題なのです。従って極論すれば“越えている”“越えていない”を判断することが基本的な機能として必須になるのです。これは究極には“○”か“×”かということですが、○にも段階があるでしょうし、×も同じですからそれぞれ2つに分割したら4段階評価ということになるでしょう。  要は人材管理の非常に重要な機能の昇格の判断には今までの5段階評価は合理性が全くないということなのです。基準をクリアしているかいないかが昇格の候補者であり、それがはっきりわかる評価方法に変えなければ機能しないのです。  社員の能力の評価は、昔風の5段階ではなく、クリアしているかいないかが明示できる偶数段階評価が必要になるのです。たまに昔から親しんでいる奇数段階評価でないと社員が理解できないと言う企業もありますが、大学卒業は単位が取れるかとれないかで判断される訳であり、なにも小中高校の感覚でなければ評価しづらいというのもどうかと思います。実務的にもBや普通のある概念は難しさを倍以上にします。評価の目線が合わないと言っているのであれば、合いやすいように偶数段階評価にすれば、合わない部分はたちどころに半分以下になるでしょう。 以上