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コラム

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転換の年へ | その他

転換の年へ

新しい年が始まった。過去数年間にわたり、「日本経済はオリンピックまでは何とかなるだろう」という期待通り、好景気とは言えずとも、深刻な景気悪化には陥る事はないまま、件の2020年になった。未来の事は誰にもわからないが、5G投資の本格化や、オリンピック後の建設需要も当面見込まれる事などから、今年の後半から深刻な景気悪化を予測する専門家は少なく、心配しなくてよいという声をよく聞く。深刻な経済不況にならなくて済むのはなによりなのだが、ただ、そんな感覚で本当によいのだろうかとも思う。 昨年の我が国の実質GDP成長率は、およそ0.9%程度と見込まれていて、ここ数年の水準から見て、決して悪い水準ではないが、同年の世界全体の成長率見込みの約3%、アメリカの約3%、EUの約2%と比べると、やっぱり、さえない成長率と言わざるを得ない。一昨年の日本のGDP(名目)は約5兆ドルで、世界第3位の規模だが、トップのアメリカの約21兆ドル、2位の中国の約14兆ドルから、ずいぶん大きく引き離されている。また、1995年には、日本は世界のGDPシェアの約18%を占めていたが、2018年には5%台にまで低下している。 昨年は、直近の過去と比べてそれほど悪くないというだけで、世界各国の成長スピードにはついて行けていない状態が長年続いているのだが、低成長経済にあまりに慣れてしまったのか、日本経済の相対的地位の低下に対する深刻な危機感はそれほど感じられない。日本は基本的に優秀な国家なので、今のまま頑張っていれば、いずれ、風向きも変わるだろう、くらいに思っている向きも少なくないのだろうか。世界が大きく変化している事を直視せず、従来の世界観が正しいと思い込んでいる事自体が、我々の大きな課題なのかも知れない。 昨年のベストセラー本、「ファクトフルネス」(ハンス・ロスリング、 オーラ・ロスリング 、アンナ・ロスリング・ロンランド 著 日経BP社)を読むと、そうした我々の思い込みがいかに数多くあるかを知らしめてくれる。例えば、「いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいるか」の三択(A 20%・B 50%・C 80%)や、「世界の平均寿命はおよそ何歳か」の三択(A50歳・B60歳・C70歳)という問いが本書の中にはある。いずれも答えはCだが、回答者の大半は正しい答えを選べなかったという。世界の貧困や健康の状況は、日々改善されつつあり、過去に学んだ事や認識した事実から大きく変化しているのだが、先進国の国民や知的労働に従事する人ほど、正解率は低かったそうだ。我々が思っている以上の規模とスピードで、世界は日々、変化しているのだ。そうした変化を直視して、認識をアップデートしないままでは、正しい意志決定や適切な行動を行うことはそもそも難しいだろう。 世界の変化に後れを取っている事態は、人事領域にも当てはまる。特に、女性の役員、管理職の登用の推進には、多くの企業で、総じて腰が重い。ILOによると、2018年の世界の管理職に占める女性の割合は約27%に対し、日本はわずか12%とG7諸国で最下位だった。多くの企業ではこの課題を認識しつつも、自社(の業界)は特別なので・・という事で、本気でこのテーマに取り組んでいる企業は少ない。本来、労働力人口の減少に直面する我が国こそ他国以上に、女性人材の積極登用は優先度の高い課題ともいえるのだが、過去から引きずる強烈な思い込みが障害になっているのかもしれない。 ただ、個人的には日本の潜在的能力を強く信じている。なかなか火がつかないところがあるが、オイルショックも、プラザ合意も、一たび、危機に身が置かれると本気で取り組み、一気に世界をけん引する馬力を持ち合わせていたはずだ。2020年はそんなパワーが発揮され、未来に明るい光が灯されるきっかけの年になってほしいと願う。

あふれかえるデータが判断力を鈍らせる | その他

あふれかえるデータが判断力を鈍らせる

 インターネットが普及し始めた1990年代後半からの情報技術の急速な発展が、職場環境や働き方をどれだけ変えてきたか、もはやネットのない世界なんて知らない世代もいるぐらいだから、遥か昔のことのように感じるが、たかだか20数年間のことだ。私たちは既に驚異的なレベルの働き方改革を体験してきているのだ。  情報技術の目覚ましい発展により、個人で大量の情報を容易に得られるようになった一方で、日常的に処理しきれないほどのデータにさらされるようになった。ビジネスパーソンは「何かを探す」という行動に年間に150時間もの時間を費やしているといわれているが、机の引き出しから資料を探したり、PCやファイルサーバのファイルやフォルダ、大量に貯まったメールなど、膨大なデータの中から必要なデータを探し出したりするのは、想像以上に仕事の生産性に悪影響を与えていると考えた方が良い。  人には意思決定を長時間繰り返すと判断の質が低下する「判断疲れ」という現象があることが知られている。スタンフォード大学のジョナサン・レバーブ教授らが、裁判所の仮釈放委員会の「服役中の囚人を仮釈放すべきか」という決断について分析を行った実験によると、午前の初めの方に審査した囚人に対しては仮釈放を認める率が高く、時間が経過するにしたがって仮釈放を認めなくなる傾向がみられるという。つまり、重大な判断を続けて行うことでエネルギーを使い、後半は「判断疲れ」に陥ったというわけである。この例ほどではないだろうが、探したり調べたり、という作業も取捨選択、判断を伴う作業であるから、長時間繰り返すことによって、判断の質の低下が生じることが想像できる。つまりビジネスにおいて、重要な判断をしなければならない者は、極力無駄な判断をしない、というのが合理的なのである。かのスティーブ・ジョブズも常に黒のタートルネックシャツを身に着けていたのは「今日は何を着るか」という選択に頭を使いたくなかったから、と言っていたのは有名な話だ。  人間の生物学的な特性を変えることはできない以上、企業はこのような付加価値を生まない時間を削減し、社員が判断力のレベルを維持しやすい職場環境を整備しなければならない。近い将来、業務システムで扱っているようなデータだけでなく、画像や音声、Web上の口コミ情報、メール、SNSのログといった、従来のシステムでは分析が難しかったような種類のデータも収集・蓄積し、利用者の目的に応じて処理をすることができるようなデータマネジメント基盤が整備されるようになる。分析、将来予測といった業務が人工知能に置き換わっていくことが予想されている中で、人は高度な判断力が求められるようになるだろう。先進的な企業はすでに、そのような取り組みを進めており、成果を出しつつある。まだ着手していない企業は、組織内の情報を整理、蓄積し活用するためのデータマネジメント基盤を整備することが急務なのである。  余談ではあるが、上述の仮釈放委員会の実験の結果から、上司へお伺いを立てたり、あるいは採用面接を受けたりするのであれば、できるだけ早い時間帯、できれば朝一番の方が、エネルギッシュな上司や面接官の好意的な判断を期待できるかもしれない。

キャリア研修2.0 | 人材開発

キャリア研修2.0

キャリア研修参加者の満足度は、対象年代を問わず、たいへん高い。 キャリア研修の中では、自分の過去のキャリアを棚卸し、成功や失敗の経験を通じて発揮されたあるいは獲得されたスキル、やりがいの源泉だったこと等を確認する。つまりは、自身の仕事上の価値観や行動の基準を知り、能力発揮のクセ=キャリアを重ねていく上での強み弱みを内省し腹落ちさせる。そうした「自己発見」のよろこびが、高い満足度をもたらす。 近年、リーダーシップ論で盛んに取りざたされるキーワードでいえば「自己認識力」を高める効用があるということだ。自己認識力(=セルフアウェアネス)には、内的自己認識と外的自己認識力の二つがあるといわれる。内的とは、自身の価値観や譲れぬ信念やモチベーションを喚起するものの自己認識。要は、何のために働くのか、仕事を選ぶ判断の軸は何か、どんな仕事をしている時が楽しいのか、といった自己像である。 対して、外的自己認識力とは「他者から見た自己」像を認識する力。 この内的自己認識力をキャリア研修は高める。自覚していないかもしれない自身の行動原理を知ることは、今後のキャリアをデザインしていく上では、まずおさえておくべき大事な前提だ。そのうえで、組織内の役割として求められることを検討し、強み弱みを踏まえて、将来のキャリア開発計画を描くのが、研修の後半で行うことだ。この計画は、ほかならぬ自分起点の計画であることに大きな意義がある。反面、その自分起点であることに起因する限界もある。 研修内の検討を経て「キャリア目標達成のためにどのように行動するか」の意思と覚悟は宣言されているが、その方法の実効性が検討されていないからである。自身のキャリアゴールを目指す行動は、日々の職場内の行動の積み重ねである。当面の役割を果たし、目指す仕事へ向かうためには、成果発揮へむけ的確に行動し、また上司や周囲の人たちをうまく巻き込まなければならない。そのために必要なのはリアルな行動課題をもつことだ。 「自分は」どのように行動すればよいか。その答えを出すには、内的自己認識力に加えて、外的自己認識力の向上が必須である。外的自己認識つまり、自分が人にどう見えるかの認識=自己客観視能力である。それが高ければ、人との関係のなかでの自分の行動のクセ=行動課題が分かり、自分がどうふるまえばよいかを方法論化できるのだ。 その意味の実効性を高めたキャリア研修2.0のためには、まずは、自分が人にどう見えているかを知らなければならないが、さてどうするか。 360度診断(=周囲の上司、同僚、部下に対するアンケート集計分析)がもっとも有効である。診断結果には、鏡のように自身の行動傾向が写し出される。しかしキャリア研修としては、やや手間とコストがかかるというネックがある。いちばん簡単なのは、受講者が自分で周りの人に聞くことである。自分起点の360度インタビューや簡易アンケートをとることで、「自分の知らない自分」を知るステップを検討作業に組み込めばいい。聞き方さえ、きちんと設計すれば、自身の行動を客観的に振り返る材料としては充分使える。 自己認識力、とくに外的自己認識力は、マネージャーにいちばん求められる能力といわれる。リーダーとして人を動かすには、自己客観視つまり他者の目に映る自分が見えていなければならないからだ。マネジメントの役割でなくても、この事情は変わらない。ほかならぬ「自分のキャリア」の実現のためだからこそ、周りの人々への働きかけやチームとしての成果発揮にむけて、「自分にとっての行動課題」を自覚しなければならないのだ。

部下を育てること | その他

部下を育てること

部下を育てることに関して、企業が大きな勘違いをしていると思うことがあります。 それは、部下はすべて同じ手法で育てるものだと考えているところです。 部下の人材には大きく2種類あり、ひとつは「成長する気がある部下」、もうひとつは 「成長する気がない部下」であり、これを最初に見抜くことが必要です。なぜならそれぞれに対応の仕方が異なってくるからです。 「成長する気のある部下」ですが、これは簡単です。まず話をキチンと聞いてあげる。もし間違っていればその場で軌道修正をして、あとは褒めていけば勝手に伸びていくのです。 ところが、こういった成長する気のある部下は少なく、やはり成長する気のない部下の方が多いと感じるのです。画一的な教育を受けてきて、あまり自分を出したらよくないのではないか、目立ちたくないし、お金もそんなに要らないとか、消極的な考えになっているのです。 そんな消極的な彼らは、いわゆるマニュアル人間であることをふまえて、やり方をこと細かく教えていくことがポイントになります。それから自分の頭で考えさせることが大事です。 「この先はどうすればよろしいでしょうか」と聞いてきたら「自分で考えなさい」と突き放す。「この先はあれをしなさい、これをしなさい」と指示するのは楽ですが、やっぱり自分で考えさせるには答えを教えてはいけないのです。 アメリカで生まれたファストフード店、とにかくマニュアル通りに仕事を進めることで有名ですが、これはアメリカという国事情がからんでいると言われています。それは英語も話せないスタッフを雇用して仕事をさせるため、この通りにやっていけば安全の最低限度が確保されるということです。マニュアルを使うと、どうしてもそれを絶対視する傾向があります。マニュアルにすべて頼ってしまうと進歩がなくなるのですが、このフード店では最低限度のレベルを整えて、そこからそれを超えて創意工夫を期待しているため、店ごとの良い点に少し違いが出ているようです。 また、最近の若手社員を育成するキーワードとしては、マズローのいう「自己実現」があります。仕事の選択は、面白いかどうかであり、この面白さでやる気や意欲が違っています。 例えばゲームソフトを開発する者は、二日や三日の徹夜も平気だし、営業も目標やノルマとなると嫌だが、ゲームとして捉えると面白くなる。スポーツ選手も競技で自己実現する喜びを分かっているから厳しい練習にも耐えているのです。 今のマニュアル人間である若手社員は、基本的に上司の意図を察する能力が欠落しているとよく聞きます。あ・うんの呼吸で仕事を進めるということもありません。 これからの上司は、仕事の面白さを伝え、自分で考えさせることが必要であり、上司自身が「仕事のマニュアル」を作り、こういう方針で進めていく、こういう方法で仕事をするようにと部下にしっかりと伝えていかなければなりません。この上司の作ったマニュアルを超えられた者が、将来のリーダー層になっていくことを期待しながら。

鬼が笑っても、来年の段取りを! | その他

鬼が笑っても、来年の段取りを!

今週から12月。忘年会等、年末ならではのイベントもあり、「できるだけ年内に成果や結論をだしておきたい」という日本人的な?心理もあって、今月は、慌ただしい日々を過ごす人は少なくないだろう。そんな最中に、来年の事をいうと鬼に笑うと言われそうだが、来年2020年(令和2年)が、いつもの年とは違う状況になりそうな事は、予め踏まえていたほうがよい。 来年は何といっても、7月から9月にかけて開催される東京オリンピック・パラリンピックを中心に様々な日程が展開していく年となる。祝日の日取りは今年と異なり、いままで10月だった「体育の日」が「スポーツの日」として、オリンピックの開会式に合わせて、「海の日」の翌日の7月24日(金)となり、オリンピックの閉会式は、8月10日(月)の「山の日」の前日、9日(日)に設定されている。その直後から、多くの会社が休暇を取るお盆休みの1週間があり、さらにその後、8月25日から9月6日まで、今度はパラリンピックが開催される。 また、新しい天皇が即位された事で、来年から天皇誕生日は12月から2月に移るため、ただでさえ日数が少ない2月に祝日がもう一つ増える。また、昨年の有給消化義務化の法改正もあり、ゴールデンウィークの飛び石を利用して、有休休暇を指定する動きも高まり、1週間を超す長期休暇とする企業も少なくないのではないか。ついでに言うと、9月には、月曜日と火曜日に敬老の日と秋分の日が続くので、土日と合わせると4連休となる。 まとまった休みが提供される環境ができる事は、ワークライフバランスの改善という観点から歓迎される事かも知れないが、一方で、休みをしっかり取る分、就業中はそれを埋め合わせるべく、業務に集中し生産性を高めて、個人や組織としてのアウトプットは、しっかり出して行かないと、競争力が保てないと考えるのは自然な事だろう。 ところが、東京を中心としたオリンピック・パラリンピックの競技会場周辺には、開催期間中、相当数の観客や関係者が集まる事になるので、いつもと同じような仕事環境を期待することは難しいかもしれない。来年のオリンピックの予想観客数は800万人、パラリンピックは300万人という試算もあり、さらにイベントに合わせて入国する訪日観光客の増加も見込むと、来年の7月~9月の東京は、ピーク時は、いつもの倍ぐらいの人口が存在する状況を想定していたほうがよいだろう。それなりに対策がなされるとはいえ、道路や交通機関の渋滞や混雑は相当なものになるだろうし、ホテル等の宿泊施設の空きはなく、かつ料金も高騰することになる、と覚悟しておいたほうがよさそうだ。 さらに、2002年の日韓共同開催のサッカーワールドカップの時もそうだったが、平日の昼間に日本のゲームが行われる際は、就業時間中にTV観戦を許したり、休暇扱いにした企業も少なくなかったことを考えると、一生に一度あるかどうかのビッグイベントで日本のチームや選手が大活躍していて心が落ち着かず、国民全体として、その間、仕事をしていても気が散って、生産性が高まらないという事態も想像しうる。 いっそ、こうした状況を見越して、リモートワークの積極的な推奨期間にしたり、在宅勤務に切り替えてしまったほうが、社員が移動することで疲弊するより、仕事の効率ははるかに上がるかも知れない。 いずれにせよ、来年の計画は、いつも以上に綿密に行っておくに越したことはないだろう。普通に考えれば、偶発的にやってきた変則的な年への対応ということになるが、東日本大震災の後、電力不足というやむを得ない状況を通じて、クールビズなど軽装・カジュアル化が結果として進んだ側面もあり、むしろ、そうした素直な?日本人の性格を利用して、来年はチャンスと考え、働き方に対する様々な課題解決や改革を推進する好機ととらえてもよいのかもしれない。

タイトリングの技術 | その他

タイトリングの技術

 このコラムには、読んでいただいた方々がボタンを押すことで評点がつく。我々はその結果をみて日々一喜一憂しているのだが、痛感するのは、内容もさることながら題名による評点の高低だ。タイトルがよくなければ、そもそも読まれないし(=総得点が低い)、評価も悪い(=読者一人当たり評点が低い)。良いこと書いたなーと自画自賛していても、点が悪いときは、えてしてタイトルがつまらなかったりする(=内容がダメだとは思いたくない)。  よいタイトルとはどのようなものか。コラムというものの性格からすれば、キャッチー、つまり凡庸でなく読み手の目を惹く、ということがある。そのポイントは、「当たり前」ではない表現。例えば、 「MBOの課題」ではなくて「間違いだらけのMBO」(14/10/14掲載) 「なくせない残業」ではなくて「麻薬的残業の正体」(10/4/9掲載) 「絶対評価と相対評価」ではなくて「絶対評価は絶対か」(16/5/19掲載) といったタイトリング。いづれも、常識的な見解とはすこし違ったり、挑戦的(=なんらかの問題提起)な気配があり、見た人に、「ん?」と思わせる効果がある。  しかしこういったテクニックよりも、重要なポイントは、タイトルがそのままメッセージになっていることだ。言いたいことが、一言で表現されている。例えば、 「直間比率を気にするな」(14/1/30掲載) 「時代遅れの二次評価」(15/1/20掲載) 「従業員満足はいらない」(17/3/7掲載) 「管理という誤訳」(15/8/18掲載) といったタイトリング。内容を読まなくても、何を言いたいのかがイメージできる。つまり、タイトルは、何かを語っていなければならないのだ。これは、コラムに限らず、あらゆる文書におけるタイトルの要件である。  社内の告知文書でも、よく「○○〇について」とかがタイトリングされることがある。これは何も語っていない。本文を読んでいって初めて何が言いたいのかがわかる。読み手に取って極めて非効率だし、読むモチベーションもあがらない。結論を一言でいうのは難しくても、せめて、論点ぐらいは匂わせたい。例えば、 「残業時間の削減施策について」ではなくて「残業時間の基準と運用ルールの策定」 「生産性向上施策について」ではなくて「メール文面簡素化に始まるコミュニケーション効率化施策」 「女性活躍推進施策について」ではなくて「女性管理職比率〇%へむけた行動計画」 といったタイトリング。社内施策なのであればなおのこと、何をしようとしているのかが一目瞭然でなければならない。読まなくても、見出しを目にしただけで経営のメッセージが伝わることが第一に重要だからである。  しかしこの事情は、書籍となると少し異なる。仕事で必要な知識や考え方を知るための本であれば、まったく同様な観点でタイトリングされるべきだろうが、刺激的な思想を味わう愉しみや気づき喚起の悦びを旨とする「快楽読書」には、魅力的な気配をまとうタイトルが必要になる。つまりは、レトリックのワザや細心かつ戦略的なコトバ選びである。  例えば、個人的にはここ数年でもっともインパクトのあった本のタイトルがこれだ。本屋で手に取り躊躇なくレジにむかったのだった。 「世界のなかにありながら、世界に属さない」

演技力を鍛える | その他

演技力を鍛える

 管理職に求められる能力で重要なものはなにか?と問われたときに、実はこれが最も重要なのではないか、と常々思っている能力がある。それは「演技力」である。  子供のころに学芸会の演劇で、何かの役を演じたことがある方は、おそらく、本番で恥をかかないよう、一生懸命、台本のセリフを覚え、いかに間違えないように読めるか、ということに注力していたことだろう。そのため、”演技”というと、セリフを覚えて台本のとおりに振舞うことをイメージするかもしれないが、ここでいう”演技”とはもちろんそういうレベルのものではない。  演技においては、発声の仕方、表情の作り方、表現の仕方など、様々なスキルが求められるが、プロの俳優と我々のような素人では、まず役作りに対する力の入れ方が違う。台本を隅々まで読むのは当たり前。例えばドラマの刑事役であれば、自分が追っている事件は何か、捜査の状況はどうか、これまでの自分の仕事ぶりはどんなであったか、相棒はどんな性格の人物か、などなど、自分が演ずる人物の背景、現在どのような状況に置かれているか、を把握することから始める。そのうえで、どのような振る舞いをする人物なのか、詳細なイメージを作り上げるのである。必要であれば、取材もするし、時にはリアルさを追求するため、整形手術を行う俳優もいるほどだ。そこまで精緻にイメージすることで、その役にはまった演技ができるようになるのである。  この役作りのプロセスを見ると、実はビジネスの場において、我々も同じようなことをしていることがわかる。任命されている職位、役割を務めるためには、まず、その役割を深く理解しなければならない。自社は業種・業界ではどのような位置にあるのか、直近の売上はどうか、どのような課題があるか、課せられた業務の目的を理解した上で、どのような言動が求められているか、という役(人物像)を作り上げ、その役というフィルタを通して、物事を判断し行動するのだ。管理職に就く者は、役を務める能力、演技力が求められているのだ。  良い演技をするためには、周囲の協力も必要だ。自分の視点だけで役を作ったり、表現していたりしては、NGを出してしまう。俳優であれば監督、社員であれば上司や部下からの指摘(フィードバック)を受け、自身の役作りに反映し続けていくことで演技力は向上していく。さらに極めていくと、その役が憑依、あるいは融合するということが起る。映画やドラマの撮影が終わった後の「まだ役が抜けない」という俳優のコメントは、役を演じているうちに、その役が自分の一部になったことを示している。最初は意識しなければできなかったことが、自然と行動に移すことができるようになる。言い換えると、演技が実力になったとも言える。  よく、「立場が人を育てる」という言葉を聞くが、単に立場(役)を人に与えただけで、その人が成長するわけではない。その役に見合った人物になりたい、という本人の意思と、その役を演じる能力、すなわち演技力によってこそ、人は成長するのである。

拡張自我 | 調査・診断

拡張自我

普段何気なく使っている筆記具や腕時計、鞄などの様々なアイテムをキチンと意識して、毎日使っていることに感謝することが必要です。身のまわりのものが自分の行動に影響を与えてくれたり、自身を映し出す鏡になってくれたりするからです。 この筆記具や腕時計など、自分の身近なものを褒められると、自分が褒められたように嬉しくなることがあります。これは、私たちが自分周辺のものを自らの一部として認識しているからで、このことを心理学的には「拡張自我」と呼びます。 身につけるもので分かりやすいのはブランド品です。ブランド品を身につける人は「自分は高価なものを身につける価値がある人間だ」と思っていたり、そうありたいと思ったりしているからだそうです。高価なブランド品によって「拡張自我を利用して自信をつけようとしている」とも言えるのです。 また人間の脳は、実際の価値の議論は置いておいて、ブランド名に惹かれる傾向があるそうです。このことは、アメリカのベイラー医科大学で脳科学を専門とするモンタギュー博士らの有名な「コカコーラ」と「ペプシコーラ」の実験から明らかになっています。コカコーラとペプシコーラのブランド名を隠した状態とブランド名を見せた状態で、どちらかを選ぶ時の脳の反応を比較しました。実験の結果、ブランド名を隠した状態では、コカコーラとペプシコーラは同じように好まれて差がありませんでしたが、ブランド名を見せた状態では、コカコーラがより好まれる傾向を示したそうです。 (引用元:2004年『Neuron』掲載、Neural Correlates of Behavioral Preference for Culturally Familiar Drinks) さて、このように無意識のうちに自分自身に影響を与える自分の身のまわりの品について、日頃は身近すぎてほとんど意識しないと思いますが、きちんと手入れをして大切に扱うことが必要です。 野球のイチロー選手は道具の手入れをすることで知られています。「イチローの流儀」小西 慶三 (著)によるとイチロー選手がどのくらい道具を大切にしているかが伝わってきます。イチロー選手は勝った試合でも、負けた試合でも試合が終わってロッカーに帰って来ると、必ずグローブの手入れをするそうです。負けた腹いせにグローブを投げつけるなどは、もってのほかの行動です。 拡張自我から考えると、使用後に道具を手入れするということは、自分を手入れすることと同じです。仮に失敗した時にも感謝の念を持ちながら手入れをして向き合うことで、次へのパワーや自信が生まれてくるのかもしれないのです。 身近な物を大切に思い丁寧に心をこめて手入れをすると、きっとそれは自分の自信や力となって戻ってきてくれるのです。さて、このように無意識のうちに自分自身に影響を与える自分の身のまわりの持ち物たちへ、日頃は身近すぎてほとんど意識しないと思いますが、きちんと手入れをしたり大切に扱ったりしていますか?

経営者に必要な資質 | その他

経営者に必要な資質

フォーブズジャパンの2019年度の長者番付によると、日本の長者トップは、ファーストリテーリングの柳井社長だそうだ。柳井社長といって思い浮かぶのは、「繰り返し挑戦して、失敗から学ぶ」という経営スタイル。圧倒的な行動力と、失敗に蓋をせず、そこから徹底的に学ぶ姿勢が、柳井氏の成功の源泉となっている。 かつて、それを綴った「一勝九敗」という本が出版されたが、その本の一節に、当時、ファーストリテーリングの幹部が多面評価(360度評価)を実施した時の下りがある。他の幹部と柳井氏との間で、多面評価の結果を比較すると、彼だけが、自己評価と他者評価がほとんど同じだったそうだ。「自分自身を客観的に分析・評価できる事は、経営者に必要な資質」と柳井氏本人は考えており、そのエピソードは、自らの言動やその影響を、日々、自己認識し、今後の言動に反映していく柳井氏の経営姿勢を示す、興味深い一例と受け止めた。 当社も人事コンサルティング会社として、多面評価(360度評価)サービスを提供している。多面評価は、上司、同僚、部下等、異なる立場から多面的にフィードバックを受け取る評価手法で、通常の人事評価で行われる上司評価のみならず、組織上の同位者、下位者からも評価されることで、日ごろ、気づいていない自分自身の課題やクセを認識し、自己成長の効果的な機会として、今や多数の企業が実施している。 一方、多面評価に対して、ネガティブな見解もある。『評価者トレーニングもしたことない下位者の評価など、あてにならない。』『部下が忖度して、本心で評価しないだろう。』といった観点から、多面評価は品質が低く、やっても意味がないとする組織も少なくない。あるいは、上司は部下に対して絶対であり、そもそも、「部下が上司を評価するなんて、もってのほかである。」という階層構造を重んじる組織もまた、多面評価はなじまないかもしれない。こうした見方が必ずしも間違っているとは思わないが、結局のところ、その背景に、上司、部下は、所詮、相互に信頼しきれないものだ、とする前提が見え隠れしていて、少し悲しい気がしてしまう。 先日、当社内でも、管理職以上のメンバーを対象に、多面評価を実施した。楽しみ半分、恐ろしさ半分で、自分自身の結果レポートを開いてみると、あいにく、柳井氏のように、自己評価と他者評価がぴったりという訳にはいかなかった。 とは言うものの、他者評価より自己評価が総じて低かったり、高かったりという訳でもなかった。ただ、「部下を褒めて伸ばす」「長所を伸ばす」といった項目については、自分なりに配慮しているつもりだったが、他者はそう認識しておらず、散々な評価結果を見て、深く反省させられた。 自分自身の多面評価を受けるのは正直なところ、気が重く感じるところもあるが、評価結果は、ある意味、宝の山で、読み込む事で様々な気付きを与えてくれる。組織の硬直化を防ぎ、環境変化に柔軟に対応できる経営者・管理職であるためにも、多面評価は、非常に魅力的なツールであることを改めて感じた次第である。

質問に答えろ! | その他

質問に答えろ!

 質問に対する答えを聞くと、その人の優秀さがよくわかる。  会議などで質問が呈されたときに、その質問に対し的確に答えるビジネスマンは優秀である。誰しも質問に対しては、なんらか答えるのであるが、質問者の意図を十分に把握し、的確な内容を瞬時に答えることは決して簡単ではない。優秀な人は、的確、効果的に答える術を知っている。  会話や会議をしている中での質問は、その質問者の求めている解答を提示しなくてはならない。質問者が求めているものが何かを把握しないで、相手が満足する回答は提示できない。まず何を求めているかを把握することが重要なのだ。質問者は単にわからないことがあり単純に質問をする場合もあるだろう。また自分の見解との違いから質問することもある。これはすこし批判的なニュアンスが入っている。更には他の参加者に同意を得るために、あえて質問をして強調するという場合もあるだろう。いずれにしても相手がなぜ質問したのかを瞬時に理解をすることが求められるのだ。間違えた解釈をすると相手の満足は得ることができない。  質問の意図を理解した後に重要なのは、どう回答するかを瞬時に考えることだ。まず質問に対して、自分が今答えられるか、答えられないかを判断する。答えるだけの情報や考えがなく返答すると全く相手の満足は得られない。今答えられないという選択肢も重要なのだ。答えることが可能な質問に対しては、その答えるべき内容を瞬時に用意しなくてはならない。YES/NOを聞いているのか、量を聞いているのか、それとも感想を聞いているのか、何を聞いているかを間違えてはいけない。  答え方も重要である。優秀な人の特徴は、まずは結論を言うことにある。“去年より生産性は上昇したか?”という質問には、まずは上昇したかしないかを先に言うべきだ。この質問に対して、延々と生産性の出し方や生産性の数字を解答するようなスタイルをよく見るが、これは質問者の要求にストレートに答えていない。このような回答者に対しては、質問者の信頼感や評価は高まらない。なかにはイライラする人まで現れる。  優秀な人は見事に質問に対する期待以上の対価を提供してくれる。結論がわかりやすい上に関連する魅力的な情報も提供してくれるのである。質問に対する満足が得られるとともに、解答者に対する信頼感は極めて高まる。  日常のコミュニケーションの中で、質問をすると満足な答えを得られることが少ないと感じる人は多い。こちらの質問の意図や内容を理解せず、延々とずれた回答を聞かせられることもある。このようなビジネス上重要で頻繁に必要とされるコミュニケーション能力を継続的に上昇させる努力が必要だ。ズレた回答者に対しては遠慮せずに“質問に答えろ!”とストレートに言うべきであろう。 以上

人生のジレンマとの付き合い方 | その他

人生のジレンマとの付き合い方

企業経営に大きな影響を与えた名著の中でも、ハーバードビジネススクールのクリステンセン教授の「イノベーションのジレンマ」は、私にとって、重要な示唆を与えてくれた経営書のひとつだ。と言うのも、あれだけ世界的にエクセレントだと賞賛されていた日本の一流企業が、せいぜい10年か20年ぐらいの間に、アジアの新興国の企業に続々と追いつかれ、追い抜かれていった現実を分かりやすく解説しているからだ。 少なくともバブル経済が崩壊するまで、世界における日本企業のステータスは、素晴らしいものだった。当時、アメリカを抜いて、日本が世界一になるのではないかという幻想まで起こさせた。バブル崩壊後も、山あり谷ありしながらも、やがて日本企業は復活するだろうと言われ続けながら、次第に潮目が変わっていき、やがて世界を席巻した日本企業の地位がずるずると崩れ落ちていったが、なかなか、その現実を頭の中で理解することができなかった。「イノベーションのジレンマ」では、1)優秀な大企業は顧客と投資家に資源を依存しており、主要顧客のあるマーケット中心に戦略を遂行せざるを得ない。2)将来、成長するかも知れないが、成長途上にある市場の規模が小さいと優先順位は下がってしまう。3)優良な大企業は、市場分析は得意だが、そもそも過去に存在しない市場の分析はできず、分析せぬまま新たな市場へチャレンジはしない。4)既存の事業のより良い仕組みややり方を追求するあまり、新規の事業を扱うのが逆に下手になる。5)既存の事業の延長線上で改良を続けていくうちに、顧客ニーズを追い越し、顧客から魅力が感じられなっていく・・。といった具合の説明を読むと、ああ。日本の優良企業もこうした罠に落ちてしまったのかもしれないと納得してしまう。 実は、この本の著者のクリステンセン教授には、「イノベーション・オブ・ライフ」という大変、興味深い著作がもう一つある。この本は、教授が、ビジネススクールの講座の最終回に、学生たちに対して行ってきた「How will you measure your life ?」という授業内容がもとになっていて、企業経営の理論をベースにしながらも、我々個人の人生がテーマになっている。 「どうすれば、幸せで成功するキャリアを歩めるのか。」「どうすれば、家族や友人たちと幸せな関係を築いていけるのか。」「どうすれば、罪を犯すことなく、誠実な人生を歩んでいけるだろうか。」といった問いに対するソリューションを論理的に提示している。論理的といっても、決して机上の話ではなく、彼の経験してきた事象をベースに展開されていて、金銭的報酬を追求するあまり、家庭の人間関係が崩壊したり、仕事で充実感を得られず心身が疲弊したりした友人・知人の例を挙げながら、キャリア的成功を収めながらも、プライベートがハッピーではない人々や、本当に自分が求めるキャリアから遠ざかっていく構造をわかりやすく解き明かしている。 個人としての人生も、企業経営同様に、頭で考えすぎず、行動することが重要である事、走りながら、状況次第では、ゴールや方針変更もすべきである事、仕事がいくら面白くても、人生の資源配分をしっかり見極めるべき事など、誰でもどこかで感じるだろう人生のジレンマともいうべき事象を理解し、それに対応するために役立つ示唆が多々ある。人生100年時代と言われている今、就職前の学生のみならず、いくつになっても自身のキャリアを整理する助けとなるだろう。

なぜ間違えるのか | その他

なぜ間違えるのか

 世のなかには、ミスの多い人とそうではない人がいる。以前の複数の職場で、なぜか、「大きなケアレスミス」を頻発する人が一定数いることに気づいた。たいていは、見た瞬間にわかるようなあり得ないミス。たとえば、クライアントの社名、ご担当者名、案件名や見積金額、エクセルの集計値といった類で、不注意による単純なミスながら、そのインパクトは大きい。一気にクライアントの信頼を損なう結果になる。  この人たちは、都度指摘されているから自覚しているはずなのになぜかミスを繰りかえす。その原因をいろいろ考えてみると、そこには2つのタイプがあるように思う。一つは、社名や人名や案件名といった名称の間違い。これは、思い込みによる。なんらかのきっかけで(つまり理由があって)名前を間違えて認識し、それが是正されないまま、文書やメールが書かれてしまう。  ポイントは、その後何度もその誤記を自分で目にしながら気づかないことだ。認識論的に言えば、一度できたパラダイム(=認識の枠組み)が堅固でなかなか揺るがない。そういえば、この人たちの仕事ぶりを振り返ると、ものごとを自分の理解できる枠組みでとらえるために、しばしば、見当違いの解釈になったりする傾向があるようにも思う。つまりこのタイプは、なにかキャップをはめるようにしか認識できない、思考の硬直性が原因なのではないか。  もう一つのタイプは、金額や集計値の間違い。こちらは、その数字を積み上げられた結果としてのみ見ていて、「意味」を見ていないことが原因である。なぜなら、金額や集計値の間違いは、その意味からしてあり得ないことが一目瞭然だからだ。金額が一桁違えば気づくし、例えば経費データだったら異常値はすぐわかる。  指向性でいえば、目的指向でなくオブジェクト指向。そういえばこの人たちの仕事ぶりを振り返ると、積み上げや要素分解の思考スタイルであって、ときに「何のために」を見失う傾向があるようにも思う。木をみて森をみない。つまりこのタイプは、概念化力の欠如が原因なのではないか。  もしこの仮説が正しいとすれば、こうした子供じみたミスは、人材育成的には結構大きな問題である。「彼は、ケアレスミスさえなくなれば何の問題もないんだけど」とは言えない。ミスはご愛敬どころか、思考力そのものに課題があるかもしれないからだ。  ちなみに、一つ目のタイプは、加齢によって頻発することを身をもって体感しており、思い込みのプロセスもその頑なさもしっかりと自己分析されていることを付記しておきたい。しかもここには、老眼による誤認までも添加されているのだから困ったものだ。  いまのところ、2つ目のタイプは我が身に出現はしていない。概念化力は加齢によっても低下しないのである、、、と思いたい。