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鬼が笑っても、来年の段取りを! | その他

鬼が笑っても、来年の段取りを!

今週から12月。忘年会等、年末ならではのイベントもあり、「できるだけ年内に成果や結論をだしておきたい」という日本人的な?心理もあって、今月は、慌ただしい日々を過ごす人は少なくないだろう。そんな最中に、来年の事をいうと鬼に笑うと言われそうだが、来年2020年(令和2年)が、いつもの年とは違う状況になりそうな事は、予め踏まえていたほうがよい。 来年は何といっても、7月から9月にかけて開催される東京オリンピック・パラリンピックを中心に様々な日程が展開していく年となる。祝日の日取りは今年と異なり、いままで10月だった「体育の日」が「スポーツの日」として、オリンピックの開会式に合わせて、「海の日」の翌日の7月24日(金)となり、オリンピックの閉会式は、8月10日(月)の「山の日」の前日、9日(日)に設定されている。その直後から、多くの会社が休暇を取るお盆休みの1週間があり、さらにその後、8月25日から9月6日まで、今度はパラリンピックが開催される。 また、新しい天皇が即位された事で、来年から天皇誕生日は12月から2月に移るため、ただでさえ日数が少ない2月に祝日がもう一つ増える。また、昨年の有給消化義務化の法改正もあり、ゴールデンウィークの飛び石を利用して、有休休暇を指定する動きも高まり、1週間を超す長期休暇とする企業も少なくないのではないか。ついでに言うと、9月には、月曜日と火曜日に敬老の日と秋分の日が続くので、土日と合わせると4連休となる。 まとまった休みが提供される環境ができる事は、ワークライフバランスの改善という観点から歓迎される事かも知れないが、一方で、休みをしっかり取る分、就業中はそれを埋め合わせるべく、業務に集中し生産性を高めて、個人や組織としてのアウトプットは、しっかり出して行かないと、競争力が保てないと考えるのは自然な事だろう。 ところが、東京を中心としたオリンピック・パラリンピックの競技会場周辺には、開催期間中、相当数の観客や関係者が集まる事になるので、いつもと同じような仕事環境を期待することは難しいかもしれない。来年のオリンピックの予想観客数は800万人、パラリンピックは300万人という試算もあり、さらにイベントに合わせて入国する訪日観光客の増加も見込むと、来年の7月~9月の東京は、ピーク時は、いつもの倍ぐらいの人口が存在する状況を想定していたほうがよいだろう。それなりに対策がなされるとはいえ、道路や交通機関の渋滞や混雑は相当なものになるだろうし、ホテル等の宿泊施設の空きはなく、かつ料金も高騰することになる、と覚悟しておいたほうがよさそうだ。 さらに、2002年の日韓共同開催のサッカーワールドカップの時もそうだったが、平日の昼間に日本のゲームが行われる際は、就業時間中にTV観戦を許したり、休暇扱いにした企業も少なくなかったことを考えると、一生に一度あるかどうかのビッグイベントで日本のチームや選手が大活躍していて心が落ち着かず、国民全体として、その間、仕事をしていても気が散って、生産性が高まらないという事態も想像しうる。 いっそ、こうした状況を見越して、リモートワークの積極的な推奨期間にしたり、在宅勤務に切り替えてしまったほうが、社員が移動することで疲弊するより、仕事の効率ははるかに上がるかも知れない。 いずれにせよ、来年の計画は、いつも以上に綿密に行っておくに越したことはないだろう。普通に考えれば、偶発的にやってきた変則的な年への対応ということになるが、東日本大震災の後、電力不足というやむを得ない状況を通じて、クールビズなど軽装・カジュアル化が結果として進んだ側面もあり、むしろ、そうした素直な?日本人の性格を利用して、来年はチャンスと考え、働き方に対する様々な課題解決や改革を推進する好機ととらえてもよいのかもしれない。

タイトリングの技術 | その他

タイトリングの技術

 このコラムには、読んでいただいた方々がボタンを押すことで評点がつく。我々はその結果をみて日々一喜一憂しているのだが、痛感するのは、内容もさることながら題名による評点の高低だ。タイトルがよくなければ、そもそも読まれないし(=総得点が低い)、評価も悪い(=読者一人当たり評点が低い)。良いこと書いたなーと自画自賛していても、点が悪いときは、えてしてタイトルがつまらなかったりする(=内容がダメだとは思いたくない)。  よいタイトルとはどのようなものか。コラムというものの性格からすれば、キャッチー、つまり凡庸でなく読み手の目を惹く、ということがある。そのポイントは、「当たり前」ではない表現。例えば、 「MBOの課題」ではなくて「間違いだらけのMBO」(14/10/14掲載) 「なくせない残業」ではなくて「麻薬的残業の正体」(10/4/9掲載) 「絶対評価と相対評価」ではなくて「絶対評価は絶対か」(16/5/19掲載) といったタイトリング。いづれも、常識的な見解とはすこし違ったり、挑戦的(=なんらかの問題提起)な気配があり、見た人に、「ん?」と思わせる効果がある。  しかしこういったテクニックよりも、重要なポイントは、タイトルがそのままメッセージになっていることだ。言いたいことが、一言で表現されている。例えば、 「直間比率を気にするな」(14/1/30掲載) 「時代遅れの二次評価」(15/1/20掲載) 「従業員満足はいらない」(17/3/7掲載) 「管理という誤訳」(15/8/18掲載) といったタイトリング。内容を読まなくても、何を言いたいのかがイメージできる。つまり、タイトルは、何かを語っていなければならないのだ。これは、コラムに限らず、あらゆる文書におけるタイトルの要件である。  社内の告知文書でも、よく「○○〇について」とかがタイトリングされることがある。これは何も語っていない。本文を読んでいって初めて何が言いたいのかがわかる。読み手に取って極めて非効率だし、読むモチベーションもあがらない。結論を一言でいうのは難しくても、せめて、論点ぐらいは匂わせたい。例えば、 「残業時間の削減施策について」ではなくて「残業時間の基準と運用ルールの策定」 「生産性向上施策について」ではなくて「メール文面簡素化に始まるコミュニケーション効率化施策」 「女性活躍推進施策について」ではなくて「女性管理職比率〇%へむけた行動計画」 といったタイトリング。社内施策なのであればなおのこと、何をしようとしているのかが一目瞭然でなければならない。読まなくても、見出しを目にしただけで経営のメッセージが伝わることが第一に重要だからである。  しかしこの事情は、書籍となると少し異なる。仕事で必要な知識や考え方を知るための本であれば、まったく同様な観点でタイトリングされるべきだろうが、刺激的な思想を味わう愉しみや気づき喚起の悦びを旨とする「快楽読書」には、魅力的な気配をまとうタイトルが必要になる。つまりは、レトリックのワザや細心かつ戦略的なコトバ選びである。  例えば、個人的にはここ数年でもっともインパクトのあった本のタイトルがこれだ。本屋で手に取り躊躇なくレジにむかったのだった。 「世界のなかにありながら、世界に属さない」

演技力を鍛える | その他

演技力を鍛える

 管理職に求められる能力で重要なものはなにか?と問われたときに、実はこれが最も重要なのではないか、と常々思っている能力がある。それは「演技力」である。  子供のころに学芸会の演劇で、何かの役を演じたことがある方は、おそらく、本番で恥をかかないよう、一生懸命、台本のセリフを覚え、いかに間違えないように読めるか、ということに注力していたことだろう。そのため、”演技”というと、セリフを覚えて台本のとおりに振舞うことをイメージするかもしれないが、ここでいう”演技”とはもちろんそういうレベルのものではない。  演技においては、発声の仕方、表情の作り方、表現の仕方など、様々なスキルが求められるが、プロの俳優と我々のような素人では、まず役作りに対する力の入れ方が違う。台本を隅々まで読むのは当たり前。例えばドラマの刑事役であれば、自分が追っている事件は何か、捜査の状況はどうか、これまでの自分の仕事ぶりはどんなであったか、相棒はどんな性格の人物か、などなど、自分が演ずる人物の背景、現在どのような状況に置かれているか、を把握することから始める。そのうえで、どのような振る舞いをする人物なのか、詳細なイメージを作り上げるのである。必要であれば、取材もするし、時にはリアルさを追求するため、整形手術を行う俳優もいるほどだ。そこまで精緻にイメージすることで、その役にはまった演技ができるようになるのである。  この役作りのプロセスを見ると、実はビジネスの場において、我々も同じようなことをしていることがわかる。任命されている職位、役割を務めるためには、まず、その役割を深く理解しなければならない。自社は業種・業界ではどのような位置にあるのか、直近の売上はどうか、どのような課題があるか、課せられた業務の目的を理解した上で、どのような言動が求められているか、という役(人物像)を作り上げ、その役というフィルタを通して、物事を判断し行動するのだ。管理職に就く者は、役を務める能力、演技力が求められているのだ。  良い演技をするためには、周囲の協力も必要だ。自分の視点だけで役を作ったり、表現していたりしては、NGを出してしまう。俳優であれば監督、社員であれば上司や部下からの指摘(フィードバック)を受け、自身の役作りに反映し続けていくことで演技力は向上していく。さらに極めていくと、その役が憑依、あるいは融合するということが起る。映画やドラマの撮影が終わった後の「まだ役が抜けない」という俳優のコメントは、役を演じているうちに、その役が自分の一部になったことを示している。最初は意識しなければできなかったことが、自然と行動に移すことができるようになる。言い換えると、演技が実力になったとも言える。  よく、「立場が人を育てる」という言葉を聞くが、単に立場(役)を人に与えただけで、その人が成長するわけではない。その役に見合った人物になりたい、という本人の意思と、その役を演じる能力、すなわち演技力によってこそ、人は成長するのである。

拡張自我 | 調査・診断

拡張自我

普段何気なく使っている筆記具や腕時計、鞄などの様々なアイテムをキチンと意識して、毎日使っていることに感謝することが必要です。身のまわりのものが自分の行動に影響を与えてくれたり、自身を映し出す鏡になってくれたりするからです。 この筆記具や腕時計など、自分の身近なものを褒められると、自分が褒められたように嬉しくなることがあります。これは、私たちが自分周辺のものを自らの一部として認識しているからで、このことを心理学的には「拡張自我」と呼びます。 身につけるもので分かりやすいのはブランド品です。ブランド品を身につける人は「自分は高価なものを身につける価値がある人間だ」と思っていたり、そうありたいと思ったりしているからだそうです。高価なブランド品によって「拡張自我を利用して自信をつけようとしている」とも言えるのです。 また人間の脳は、実際の価値の議論は置いておいて、ブランド名に惹かれる傾向があるそうです。このことは、アメリカのベイラー医科大学で脳科学を専門とするモンタギュー博士らの有名な「コカコーラ」と「ペプシコーラ」の実験から明らかになっています。コカコーラとペプシコーラのブランド名を隠した状態とブランド名を見せた状態で、どちらかを選ぶ時の脳の反応を比較しました。実験の結果、ブランド名を隠した状態では、コカコーラとペプシコーラは同じように好まれて差がありませんでしたが、ブランド名を見せた状態では、コカコーラがより好まれる傾向を示したそうです。 (引用元:2004年『Neuron』掲載、Neural Correlates of Behavioral Preference for Culturally Familiar Drinks) さて、このように無意識のうちに自分自身に影響を与える自分の身のまわりの品について、日頃は身近すぎてほとんど意識しないと思いますが、きちんと手入れをして大切に扱うことが必要です。 野球のイチロー選手は道具の手入れをすることで知られています。「イチローの流儀」小西 慶三 (著)によるとイチロー選手がどのくらい道具を大切にしているかが伝わってきます。イチロー選手は勝った試合でも、負けた試合でも試合が終わってロッカーに帰って来ると、必ずグローブの手入れをするそうです。負けた腹いせにグローブを投げつけるなどは、もってのほかの行動です。 拡張自我から考えると、使用後に道具を手入れするということは、自分を手入れすることと同じです。仮に失敗した時にも感謝の念を持ちながら手入れをして向き合うことで、次へのパワーや自信が生まれてくるのかもしれないのです。 身近な物を大切に思い丁寧に心をこめて手入れをすると、きっとそれは自分の自信や力となって戻ってきてくれるのです。さて、このように無意識のうちに自分自身に影響を与える自分の身のまわりの持ち物たちへ、日頃は身近すぎてほとんど意識しないと思いますが、きちんと手入れをしたり大切に扱ったりしていますか?

経営者に必要な資質 | その他

経営者に必要な資質

フォーブズジャパンの2019年度の長者番付によると、日本の長者トップは、ファーストリテーリングの柳井社長だそうだ。柳井社長といって思い浮かぶのは、「繰り返し挑戦して、失敗から学ぶ」という経営スタイル。圧倒的な行動力と、失敗に蓋をせず、そこから徹底的に学ぶ姿勢が、柳井氏の成功の源泉となっている。 かつて、それを綴った「一勝九敗」という本が出版されたが、その本の一節に、当時、ファーストリテーリングの幹部が多面評価(360度評価)を実施した時の下りがある。他の幹部と柳井氏との間で、多面評価の結果を比較すると、彼だけが、自己評価と他者評価がほとんど同じだったそうだ。「自分自身を客観的に分析・評価できる事は、経営者に必要な資質」と柳井氏本人は考えており、そのエピソードは、自らの言動やその影響を、日々、自己認識し、今後の言動に反映していく柳井氏の経営姿勢を示す、興味深い一例と受け止めた。 当社も人事コンサルティング会社として、多面評価(360度評価)サービスを提供している。多面評価は、上司、同僚、部下等、異なる立場から多面的にフィードバックを受け取る評価手法で、通常の人事評価で行われる上司評価のみならず、組織上の同位者、下位者からも評価されることで、日ごろ、気づいていない自分自身の課題やクセを認識し、自己成長の効果的な機会として、今や多数の企業が実施している。 一方、多面評価に対して、ネガティブな見解もある。『評価者トレーニングもしたことない下位者の評価など、あてにならない。』『部下が忖度して、本心で評価しないだろう。』といった観点から、多面評価は品質が低く、やっても意味がないとする組織も少なくない。あるいは、上司は部下に対して絶対であり、そもそも、「部下が上司を評価するなんて、もってのほかである。」という階層構造を重んじる組織もまた、多面評価はなじまないかもしれない。こうした見方が必ずしも間違っているとは思わないが、結局のところ、その背景に、上司、部下は、所詮、相互に信頼しきれないものだ、とする前提が見え隠れしていて、少し悲しい気がしてしまう。 先日、当社内でも、管理職以上のメンバーを対象に、多面評価を実施した。楽しみ半分、恐ろしさ半分で、自分自身の結果レポートを開いてみると、あいにく、柳井氏のように、自己評価と他者評価がぴったりという訳にはいかなかった。 とは言うものの、他者評価より自己評価が総じて低かったり、高かったりという訳でもなかった。ただ、「部下を褒めて伸ばす」「長所を伸ばす」といった項目については、自分なりに配慮しているつもりだったが、他者はそう認識しておらず、散々な評価結果を見て、深く反省させられた。 自分自身の多面評価を受けるのは正直なところ、気が重く感じるところもあるが、評価結果は、ある意味、宝の山で、読み込む事で様々な気付きを与えてくれる。組織の硬直化を防ぎ、環境変化に柔軟に対応できる経営者・管理職であるためにも、多面評価は、非常に魅力的なツールであることを改めて感じた次第である。

質問に答えろ! | その他

質問に答えろ!

 質問に対する答えを聞くと、その人の優秀さがよくわかる。  会議などで質問が呈されたときに、その質問に対し的確に答えるビジネスマンは優秀である。誰しも質問に対しては、なんらか答えるのであるが、質問者の意図を十分に把握し、的確な内容を瞬時に答えることは決して簡単ではない。優秀な人は、的確、効果的に答える術を知っている。  会話や会議をしている中での質問は、その質問者の求めている解答を提示しなくてはならない。質問者が求めているものが何かを把握しないで、相手が満足する回答は提示できない。まず何を求めているかを把握することが重要なのだ。質問者は単にわからないことがあり単純に質問をする場合もあるだろう。また自分の見解との違いから質問することもある。これはすこし批判的なニュアンスが入っている。更には他の参加者に同意を得るために、あえて質問をして強調するという場合もあるだろう。いずれにしても相手がなぜ質問したのかを瞬時に理解をすることが求められるのだ。間違えた解釈をすると相手の満足は得ることができない。  質問の意図を理解した後に重要なのは、どう回答するかを瞬時に考えることだ。まず質問に対して、自分が今答えられるか、答えられないかを判断する。答えるだけの情報や考えがなく返答すると全く相手の満足は得られない。今答えられないという選択肢も重要なのだ。答えることが可能な質問に対しては、その答えるべき内容を瞬時に用意しなくてはならない。YES/NOを聞いているのか、量を聞いているのか、それとも感想を聞いているのか、何を聞いているかを間違えてはいけない。  答え方も重要である。優秀な人の特徴は、まずは結論を言うことにある。“去年より生産性は上昇したか?”という質問には、まずは上昇したかしないかを先に言うべきだ。この質問に対して、延々と生産性の出し方や生産性の数字を解答するようなスタイルをよく見るが、これは質問者の要求にストレートに答えていない。このような回答者に対しては、質問者の信頼感や評価は高まらない。なかにはイライラする人まで現れる。  優秀な人は見事に質問に対する期待以上の対価を提供してくれる。結論がわかりやすい上に関連する魅力的な情報も提供してくれるのである。質問に対する満足が得られるとともに、解答者に対する信頼感は極めて高まる。  日常のコミュニケーションの中で、質問をすると満足な答えを得られることが少ないと感じる人は多い。こちらの質問の意図や内容を理解せず、延々とずれた回答を聞かせられることもある。このようなビジネス上重要で頻繁に必要とされるコミュニケーション能力を継続的に上昇させる努力が必要だ。ズレた回答者に対しては遠慮せずに“質問に答えろ!”とストレートに言うべきであろう。 以上

人生のジレンマとの付き合い方 | その他

人生のジレンマとの付き合い方

企業経営に大きな影響を与えた名著の中でも、ハーバードビジネススクールのクリステンセン教授の「イノベーションのジレンマ」は、私にとって、重要な示唆を与えてくれた経営書のひとつだ。と言うのも、あれだけ世界的にエクセレントだと賞賛されていた日本の一流企業が、せいぜい10年か20年ぐらいの間に、アジアの新興国の企業に続々と追いつかれ、追い抜かれていった現実を分かりやすく解説しているからだ。 少なくともバブル経済が崩壊するまで、世界における日本企業のステータスは、素晴らしいものだった。当時、アメリカを抜いて、日本が世界一になるのではないかという幻想まで起こさせた。バブル崩壊後も、山あり谷ありしながらも、やがて日本企業は復活するだろうと言われ続けながら、次第に潮目が変わっていき、やがて世界を席巻した日本企業の地位がずるずると崩れ落ちていったが、なかなか、その現実を頭の中で理解することができなかった。「イノベーションのジレンマ」では、1)優秀な大企業は顧客と投資家に資源を依存しており、主要顧客のあるマーケット中心に戦略を遂行せざるを得ない。2)将来、成長するかも知れないが、成長途上にある市場の規模が小さいと優先順位は下がってしまう。3)優良な大企業は、市場分析は得意だが、そもそも過去に存在しない市場の分析はできず、分析せぬまま新たな市場へチャレンジはしない。4)既存の事業のより良い仕組みややり方を追求するあまり、新規の事業を扱うのが逆に下手になる。5)既存の事業の延長線上で改良を続けていくうちに、顧客ニーズを追い越し、顧客から魅力が感じられなっていく・・。といった具合の説明を読むと、ああ。日本の優良企業もこうした罠に落ちてしまったのかもしれないと納得してしまう。 実は、この本の著者のクリステンセン教授には、「イノベーション・オブ・ライフ」という大変、興味深い著作がもう一つある。この本は、教授が、ビジネススクールの講座の最終回に、学生たちに対して行ってきた「How will you measure your life ?」という授業内容がもとになっていて、企業経営の理論をベースにしながらも、我々個人の人生がテーマになっている。 「どうすれば、幸せで成功するキャリアを歩めるのか。」「どうすれば、家族や友人たちと幸せな関係を築いていけるのか。」「どうすれば、罪を犯すことなく、誠実な人生を歩んでいけるだろうか。」といった問いに対するソリューションを論理的に提示している。論理的といっても、決して机上の話ではなく、彼の経験してきた事象をベースに展開されていて、金銭的報酬を追求するあまり、家庭の人間関係が崩壊したり、仕事で充実感を得られず心身が疲弊したりした友人・知人の例を挙げながら、キャリア的成功を収めながらも、プライベートがハッピーではない人々や、本当に自分が求めるキャリアから遠ざかっていく構造をわかりやすく解き明かしている。 個人としての人生も、企業経営同様に、頭で考えすぎず、行動することが重要である事、走りながら、状況次第では、ゴールや方針変更もすべきである事、仕事がいくら面白くても、人生の資源配分をしっかり見極めるべき事など、誰でもどこかで感じるだろう人生のジレンマともいうべき事象を理解し、それに対応するために役立つ示唆が多々ある。人生100年時代と言われている今、就職前の学生のみならず、いくつになっても自身のキャリアを整理する助けとなるだろう。

なぜ間違えるのか | その他

なぜ間違えるのか

 世のなかには、ミスの多い人とそうではない人がいる。以前の複数の職場で、なぜか、「大きなケアレスミス」を頻発する人が一定数いることに気づいた。たいていは、見た瞬間にわかるようなあり得ないミス。たとえば、クライアントの社名、ご担当者名、案件名や見積金額、エクセルの集計値といった類で、不注意による単純なミスながら、そのインパクトは大きい。一気にクライアントの信頼を損なう結果になる。  この人たちは、都度指摘されているから自覚しているはずなのになぜかミスを繰りかえす。その原因をいろいろ考えてみると、そこには2つのタイプがあるように思う。一つは、社名や人名や案件名といった名称の間違い。これは、思い込みによる。なんらかのきっかけで(つまり理由があって)名前を間違えて認識し、それが是正されないまま、文書やメールが書かれてしまう。  ポイントは、その後何度もその誤記を自分で目にしながら気づかないことだ。認識論的に言えば、一度できたパラダイム(=認識の枠組み)が堅固でなかなか揺るがない。そういえば、この人たちの仕事ぶりを振り返ると、ものごとを自分の理解できる枠組みでとらえるために、しばしば、見当違いの解釈になったりする傾向があるようにも思う。つまりこのタイプは、なにかキャップをはめるようにしか認識できない、思考の硬直性が原因なのではないか。  もう一つのタイプは、金額や集計値の間違い。こちらは、その数字を積み上げられた結果としてのみ見ていて、「意味」を見ていないことが原因である。なぜなら、金額や集計値の間違いは、その意味からしてあり得ないことが一目瞭然だからだ。金額が一桁違えば気づくし、例えば経費データだったら異常値はすぐわかる。  指向性でいえば、目的指向でなくオブジェクト指向。そういえばこの人たちの仕事ぶりを振り返ると、積み上げや要素分解の思考スタイルであって、ときに「何のために」を見失う傾向があるようにも思う。木をみて森をみない。つまりこのタイプは、概念化力の欠如が原因なのではないか。  もしこの仮説が正しいとすれば、こうした子供じみたミスは、人材育成的には結構大きな問題である。「彼は、ケアレスミスさえなくなれば何の問題もないんだけど」とは言えない。ミスはご愛敬どころか、思考力そのものに課題があるかもしれないからだ。  ちなみに、一つ目のタイプは、加齢によって頻発することを身をもって体感しており、思い込みのプロセスもその頑なさもしっかりと自己分析されていることを付記しておきたい。しかもここには、老眼による誤認までも添加されているのだから困ったものだ。  いまのところ、2つ目のタイプは我が身に出現はしていない。概念化力は加齢によっても低下しないのである、、、と思いたい。

台風15号 | その他

台風15号

台風15号による大規模停電が未だに千葉県で続いています。台風が上陸した千葉県内の停電は、9日午前8時のピーク時に約64万軒に及び、自然災害では東日本大震災以降で最大となりました。9月13日からの3連休は雨の予報であり、被害のあった家屋の対応も急ピッチで進めなければならず、房総にある知り合いの家に片付けの手伝いに行ってきました。 そこはニュースで見ていた状況と被害の想像をはるかに上回る被害が出ており、道端には倒れた電柱や、強風で飛ばされた屋根の一部や割れたガラスが散乱していて、防災行政無線も聞こえず完全に孤立していました。付近の住民も「電気の復旧や物資の支援があまりにも遅すぎる。市は何をしているのか。」と悲痛な叫び声を上げていました。 今回の台風15号の特徴を一つあげると、令和元年4個目の上陸台風であり、台風の強さの割には大きさが小さい台風で、台風の進行速度が時速30キロですから、単純計算すると、台風中心が通った場合でも、暴風が吹くのは3時間前、少しずれた場合は、これよりも直前ということになります。 このように、台風15号は暴風圏が小さく、かなり接近してから急に暴風が吹くため、台風が来る前の準備があまり進んでいなかったことも今回の被害につながったと言われています。 気象庁では、安心を与えてしまうなどの理由から、台風情報等で使用を控える用語になっていますが、昔は「豆台風」といわれ、新聞等でも使われていた言葉です。 日本はこのような災害があった場合には、各自治体が被害状況を把握し、市や県に報告を行い、やっと自衛隊の災害派遣を申請するとか、とにかく対応が遅い感じがします。 一方、アメリカは、災害対応の組織をまとめるような形でFEMAが組織され、その迅速な対応が評価されています。 FEMAとは大災害に対応するアメリカの政府機関で、「Federal Emergency Management Agency」の頭文字であり、日本語ではアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁と翻訳されています。 テロ対応等で知られているアメリカ合衆国国土安全保障省の下に置かれている組織であり、アメリカでハリケーンや洪水などが発生すると、災害が発生した州や連邦政府と調整しながら災害対応に当たります。災害によって受けた経済的なダメージに対して企業や政府に資金的な援助を行うことでも知られています。 このようにFEMAはアメリカで大規模災害が発生した場合に、その災害対応を迅速に支援し統括するアメリカにおける大きな組織であると言えます。 比べて日本の防災対策はあくまで「想定」を前提とした避難訓練、ハザードマップの提示、防災教育や災害時の情報伝達などの手段で避難を促すという対策に重点が置かれています。 結果、ありとあらゆるところに想定を設け,対策を整えるという「想定主義」なわけです。また、災害対策の前提となる被災の原因の検証についても、メディアで言われていることや思い込みで仮説を構築し,そこから改善策を検討していく「仮説主義」に陥っているのではないでしょうか。だから、実際に調査検証が進むに従って、仮説自体が誤っているといったことがみられるのです。 これら日本の防災対策の問題点は、あの東日本大震災を踏まえても何も変わっていません。「想定」を重視するだけではなく、起こった事実に向けた行動を考えること、ハードとソフト対策のバランスという原点に立ち返ること、メディアの論調や思い込みではなく、予断を持たず、徹底的に被災の現実に向き合うことが求められているのです。                                         以上

数字のない生産性向上 | その他

数字のない生産性向上

日本は主要各国に比較して社員の生産性が低い。先進28か国の中で26位という低さである。多くの社員が長時間働いているのだが付加価値が低いのだ。より利益が上がり、社員の処遇をよりよくするためには、この生産性向上が必須である。生産性が上がれば、会社も社員もより良い状態になるからだ。近年この“生産性向上”がブームであり、多くの企業で重要な経営課題として認識し、経営計画の目標に掲げている。  ある企業の部長以上を集めた経営会議でのことである。社長が次年度の経営計画を説明した。会社の経営方針、数値目標や各事業の重要課題など話をし、その最後に今年の全社共通の重要課題として“生産性の向上”の説明をしたという。内容は非常に簡潔で、生産性向上の重要性とそのための施策の概要であった。具体的な施策としては、残業時間の短縮、業務の見直しによる無駄の排除ということであった。ひととおり説明した後に質問を促したところ、ある部長がこう質問したそうである。「質問させていただきます。生産性向上が当社にとって重要だということがよくわかりました。お聞きしたいのは、当社の生産性はどれくらいでしょうか?また現在の生産性をどの程度向上させるのでしょうか。さらに当社は業界の中で生産性が低いのでしょうか?」 社長は質問を聞いたのちに、経営計画をとりまとめた経営企画部長とすこし話をし、こう答えたという。「そんな細かいことは気にしなくていい。生産性を向上させるのが今期の目標だ。とにかく部下を早く帰宅させることを徹底してくれ。」  この企業の例はすこし大げさかもしれないが、生産性向上を掲げている企業で、生産性の現状や目標を“数字”で掲げている企業はあまり見ない。現在の生産性の数字と目標とする数字が明確になっていないことが多すぎるのだ。さらには本来の生産性目標ではなく、単に目標残業時間など本来的でなく小さな目標に置き換えられていることすらある。  生産性といってもさまざまな指標がある。売上生産性、労働生産性、1人当たり利益、賃金生産性、労働装備率などである。より正確にはこれらの指標を、全社だけでなく事業別に把握する必要があるだろう。現在の生産性が過去の生産性と比較して高いのか低いのか、また他社と比較しての高低も知らなければならない。実態を知らないで生産性向上の具体的な施策を打つことはできない。生産性の数字を把握しないで、精神論や単に残業時間短縮などの時間管理的な視点での施策はうまくいかない。生産性改善と標榜し、生産性の数値を知らないというのはあまりにも滑稽だ。まずは数字からということである。 以上

数字のない生産性向上 | その他

数字のない生産性向上

 日本は主要各国に比較して社員の生産性が低い。先進28か国の中で26位という低さである。多くの社員が長時間働いているのだが付加価値が低いのだ。より利益が上がり、社員の処遇をよりよくするためには、この生産性向上が必須である。生産性が上がれば、会社も社員もより良い状態になるからだ。近年この“生産性向上”がブームであり、多くの企業で重要な経営課題として認識し、経営計画の目標に掲げている。  ある企業の部長以上を集めた経営会議でのことである。社長が次年度の経営計画を説明した。会社の経営方針、数値目標や各事業の重要課題など話をし、その最後に今年の全社共通の重要課題として“生産性の向上”の説明をしたという。内容は非常に簡潔で、生産性向上の重要性とそのための施策の概要であった。具体的な施策としては、残業時間の短縮、業務の見直しによる無駄の排除ということであった。ひととおり説明した後に質問を促したところ、ある部長がこう質問したそうである。「質問させていただきます。生産性向上が当社にとって重要だということがよくわかりました。お聞きしたいのは、当社の生産性はどれくらいでしょうか?また現在の生産性をどの程度向上させるのでしょうか。さらに当社は業界の中で生産性が低いのでしょうか?」 社長は質問を聞いたのちに、経営計画をとりまとめた経営企画部長とすこし話をし、こう答えたという。「そんな細かいことは気にしなくていい。生産性を向上させるのが今期の目標だ。とにかく部下を早く帰宅させることを徹底してくれ。」  この企業の例はすこし大げさかもしれないが、生産性向上を掲げている企業で、生産性の現状や目標を“数字”で掲げている企業はあまり見ない。現在の生産性の数字と目標とする数字が明確になっていないことが多すぎるのだ。さらには本来の生産性目標ではなく、単に目標残業時間など本来的でなく小さな目標に置き換えられていることすらある。  生産性といってもさまざまな指標がある。売上生産性、労働生産性、1人当たり利益、賃金生産性、労働装備率などである。より正確にはこれらの指標を、全社だけでなく事業別に把握する必要があるだろう。現在の生産性が過去の生産性と比較して高いのか低いのか、また他社と比較しての高低も知らなければならない。実態を知らないで生産性向上の具体的な施策を打つことはできない。生産性の数字を把握しないで、精神論や単に残業時間短縮などの時間管理的な視点での施策はうまくいかない。生産性改善と標榜し、生産性の数値を知らないというのはあまりにも滑稽だ。まずは数字からということである。 以上

成功は失敗のもと | その他

成功は失敗のもと

日経新聞の「私の履歴書」で、今月から野中郁次郎氏の連載が始まった。言うまでもなく、野中氏は、最も著名な日本の経営学者の一人で、知識経営(ナレッジ・マネジメント)の生みの親とも言われている。 第2次世界大戦に勝利した米国は、戦後も、業務の標準化や品質管理といった科学的管理手法を各企業が展開する事で大量生産を実現し、企業経営においても世界の先頭をひた走っていた。当時、サラリーマンだった野中氏は、米国が、優れた経営上のアイデアや手法を概念化し、世の中にどんどん広めていくのを目の当たりにする一方、よい経営をしている日本企業も多数ありながら、わが国の企業が取り組もうとする経営手法・管理手法は、みな米国から来たものばかりである事を憂いていた。 「また、日本は米国に負けてしまうのか」と危機感を抱いた野中氏は、米国に学びに行こうと、30歳を過ぎてから米国留学を決意、その後、経営学者に転身し、世界的に成長を遂げた日本企業の分析をもとに、経営学の中に、知識経営(ナレッジマネジメント)の領域を確立した。企業が持つ知識には、主観的で言語化しにくい「暗黙知」と、客観的で言語化できる「形式知」があり、それぞれの社員が持つ「暗黙知」と「形式知」を上手に連動させることで、個人の知識から、組織的で高次な知識(ナレッジ)レベルを創出するというSECIモデルを提唱、今までに、多くの企業がこのモデルを実践でも活用している。 三十数年前の話になるが、私が大学在学中に、野中氏が母校の研究施設に移って来られ、一度だけ、特別にマーケティングを学んでいた我々に講義をして下さったことがあった。「私の履歴書」の連載の冒頭で、ごく普通の子供時代を過ごし、数学が苦手で、高校の簿記の試験でたった5点しか取れなかった事も紹介されていたが、アカデミックの世界で、厳しい競争を勝ち抜いてきたにも関わらず、実際にお話をされている様子は物静かで、ごく普通の紳士が、淡々と話されている印象があった。しかし、話の内容とその背景にある思いは強烈で、いつの間にか、野中氏の話に引き込まれていった。 その日の講義では、暗黙知と形式知が、日本企業の中で、飲み会や合宿といったわが国特有の活動を通じて、うまく連動し、組織の知がレベルアップしていくというナレッジマネジメントを分かりやすく解説していただいた。ただ、当時、飲み会はしていたが、社会人としての実務経験のない学生の身の私にとっては、組織の中で知識がどういうもので、それらがどう形式化されていくのかというリアルなプロセスは、実感できず、その意味を理解できたのは社会人になってからの事だった。しかし、もう一つ、当時、野中氏が共著で出版された『失敗の本質』という本の解説をされた際に発せられた「成功は失敗のもと」(「失敗は成功のもと」ではなく)という言葉が、妙に深く私の心に刺さり、その後の私のキャリアの中で、ずいぶんその言葉を意識して、行動してきたように思う。 この本は、第二次世界大戦時の各作戦で日本軍が敗戦した理由を分析し、組織としての成功要因、失敗要因を明らかにした名著で、その後、多くの経営者が読む大ベストセラーとなった。第2次大戦中、日本軍は、日露戦争や大戦初期の勝利によって、それらの成功体験は正しいと言う過信を助長させていった。敵を過小評価し、一度失敗しても「運が悪かっただけ」と考え、状況の変化に敏感に対応せず、イノベーションを続けることをやめてしまった事が敗因の本質だとこの本では分析している。 あの講義の頃は、既に敗戦から立ち直り、多くの日本企業が、世界中からお手本とされる時期だったが、今や、日本企業を取り巻く環境は大きく変わってしまった。現状のやり方を疑わず、今までやってきた事が正しいという前提を置いてマネジメントをしていないか、うまくいった事があっても、絶えず、「成功は失敗のもと」であることを肝に銘じていかなければならないと、「私の履歴書」を読みながら、改めて感じている。