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コラム

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怪我の功名? | その他

怪我の功名?

昨年末にちょっとした怪我をして、しばらく自宅から外出できなかった。年に1,2度、風邪を引いて休むことはあるが、今までの職業人生で、1週間以上連続してオフィスに出なかった記憶はなく、おそらくは、今回が、未出社の最長期間という事になる。傷口を縫合した後数日は、流石に終日、ひたすら寝ていたが、怪我の場合、病気と異なり、体力自体は割と早く回復して来るようで、日を追うごとに、布団の中でじっとしていることは難しくなって来る。かといって、傷口がしっかり閉じていないうちに、外出すれば事態を悪化させることになると医者から言われ、年内の予定は、基本的にキャンセルせざるを得なかった。 そこで昨年最後の10日間は、在宅で、怪我の治癒を進めつつも、体力の回復に合わせて、徐々に、自宅で仕事を再開し、メールや電話を使っての社内のメンバーとやり取りや、いくつかのミーティングにもリモートで参加した。今まで当社でも部分的に在宅勤務は認めて来たし、ウェブ会議システムを使ったリモートミーティングも行っているので、今回が、初めてのリモートワークの機会という訳ではないが、約10日間もの間、継続して、職場のメンバーとはまったく顔を合わさぬまま、仕事をしたのは初めてであり、結果として疑似的ではあるが、リモートワークをそれなりに実体験する機会となった。 この経験を通じて感じる事ができたのは、「これは行けそうだ」、というリモートワークに対する確かな手ごたえだ。すでに、世の中にはリモートワーカーだけで構成されている企業もあるようで、そうした先進的企業からすれば、「何をいまさら・・」と思われるかも知れないが、私が関与しているクライアントの中で、リモートワークを本格的に実践している企業はごく限られているし、TV会議やウェブ会議でさえも、そもそもそうした設備がなかったり、あったとしても積極的に開催されていない企業も少なくないのが実態である。 多くの企業が、リモートワークの有効性や必要性を認識しつつも、必ずしも積極的な実施に至っていない背景には、セキュリティ上の不安やオフィス外で働く社員のマネジメントの難しさ等があると言われているが、既にテクノロジーの進歩がセキュリティ上の問題の多くを解決しつつあるし、実際、部下がオフィスに居さえすれば、マネジメントできるという話でもないのだから、それらは、本質的なリモートワーク浸透の障害とは言えない。むしろ、リモートワークが浸透しない本当の理由は、「仕事はオフィスに集まって、顔を突き合わせてやらないとうまくいかないものだ」という固定観念に縛られている事なのではないかと 思っている。 また、「慣れ」の問題もあるだろう。10日間、疑似的なリモートワークを続けることによって、正直、最初はリアルに会ってコミュニケーションしたほうが早くて確実と思っていた部分もあったが、継続的にリモートでコミュニケーションしているうちに、徐々に慣れて来るもので、業務の品質や生産性に深刻な問題があるとは、振り返って、感じる事はなかった。 働き方改革が進行する中、就業時間を短縮しつつ、アウトプットは維持・増大、という難しい課題に我々は直面しているが、やはり、その有効な解の一つに、リモートワークは数えられるのではないか。一日24時間の中で、オフィスと自宅を往復する通勤時間が不要になる分だけでも相当なメリットがあるはずだ。一気に切り替えるのではなく、週1~2回から始めることも可能だろう。世界経済も今年は厳しくなるという見通しの中、いずれにせよ、我々は、自らの脳の中を検証し、固定観念を見つけては壊し、一つ一つ新しい働き方を実践していかねばならないのだ。

目標と投下 | その他

目標と投下

 多くの企業で目標管理について基本的な間違えがあると感じる。それは“目標”と“投下”という点である。  社員個人の目標は、各人のミッションに合わせていくつかの目標を設定することになる。例えば“個人の売上目標5億円”と同時に“部内の営業成績管理の精度を向上する”“部下の育成強化(部下の目標達成を100以上)”などのように複数の目標を設定することが多い。3つの目標すべてが100%の達成であれば、合計100の評価になるように、目標に“ウエイト”を設定するのが一般的である。上記の例であれば最初の目標が最も重要であるから60、2番目と3番目はそれぞれ20とし、合計を100とするのだ。  非管理職社員はこの目標達成のために、時間という資源を投下する。全く超過勤務がないことを想定した月150時間投下を前提とした目標と月30時間の超過勤務をする場合(月180時間)の場合では目標は異なるはずである。投下量が150と180では20%も異なるが、目標が同じであるのはおかしいからだ。合理的に考えれば前者はウエイトの合計が100に対して後者は120でなければならない。多くの企業では目標管理の考え方の中に投下量と目標の関係が不明確になっている。  さらに目標管理と超過勤務管理が全く連動していないことも重要な点である。超過勤務0を前提とした目標である社員が超過勤務なしで100%達成した場合と、0を前提としつつも毎月20時間の超過勤務をして目標100%達成した場合で評価が同じであるのは問題だ。目標業績が同じでも、超過勤務をした社員のほうが、収入が多いことになる。もっと言えば時間生産性が低い社員のほうが、収入が多いことにある。  加えて次のような問題も発生する。仮に月給30万円の社員(賞与4か月とした場合年収480万円)の場合、20時間の超過勤務をした社員は毎月の約5万円の超過勤務手当、年収で約60万円多く受け取ることになる。この社員はもともと超過勤務0ベース、目標を100%達成したとする。同じ目標で超過勤務を0ベースで、目標を120%達成した好業績の社員を想定しよう。この社員は評価がよいので賞与が多くなるだろう。一回の賞与は標準で60万円である。評価がよいので、70万円から80万円くらいは分配されるだろう。好業績の見返りとして年間20万~40万円のプラスとなる。  しかし前者の社員の超過勤務手当の増加分に届かない。結果としては超過金勤務をして通常の業績の社員と超勤務0で好業績社員の年収が逆転してしまう。目標管理における超過勤務業績による分配が過小な企業が多いため、思ったような“メリハリ”がつかないのである。  近年生産性向上の議論が多くの企業で課題となっている。そのため目標と投下についての議論も顕著に多くなってきた。より生産性を上げるためには、目標管理を改造して、目標と投下、目標管理と超過勤務管理の見直しが必要だということだ。 以上

概念化力を高める | 人材開発

概念化力を高める

 社会人としての基礎スキルの思考面の力といえば、「課題発見力」「計画力」「創造力」(=経済産業省社会人基礎力の「考え抜く力」)などといわれ、ベーススキル研修として、ロジカルシンキングや課題解決スキル、あるいは段取り力、プロジェクトマネジメントスキルといったテーマがよく取り上げられる。これらは、確かに大事は要素能力ではあるが、ビジネスマン、とくに管理職者にとって、もっとも大事な能力は「概念化力」である。  概念化力とは、状況の本質をとらえ、端的に表現する能力。それはビジネスシーンのあらゆる局面での基盤スキルであり、大半の「困った管理職」はその欠如に起因する。たとえば、大局観のない自部署の方針、目的を逸脱した対症的判断、要を得ない経営報告などなど、経営者を怒らせる管理職者たちはまず第一に概念化力に課題があるのだ。  報告を聞いていていらだち「要は何なんだ、一言で言え!」という怒号や、現状課題や実績から積み上げられた計画に対して「いったいどうしたいんだ、コンセプトがない!」という叱責は、実に日常的によく聞かれることではないか。この能力は、目的志向での職務遂行や的確なコミュニケーションにも直結する、つまりパフォーマンスを左右し、また、経験から学ぶための思考方法(=経験の本質をとらえ、他に展開できる)でもあるから、管理職に限らず、社会において仕事をする際のベーススキルでもある。  さて、そのようなキースキルである概念化力を、どう高めるか。残念ながら、概念化力向上トレーニングといった便利なものがないように、その育成方法は明確ではない。ただ2つの実務的なスキルが強く関係しているので、その向上は概念化力のブラッシュアップにつながる。  ひとつは、文章力だ。採用選考に文章を書かせる試験があるように、文章をみれば、いくつかのアセスメントディメンションでの評定ができる。それは、文章から信条や姿勢や問題意識を読み取れるからではなく、文章には純粋に思考力のレベルが顕れてしまうからだ。文章、とくにビジネス文書を書く能力とは、「本質抽出能力」と「論理展開能力」であり、だから能力評価にも使えるし、文章力を高めることでそれら能力向上のトレーニングができる。  例えば、我々のような仕事であれば、複数の経営幹部のインタビュー記録が大量にあって、それをもとにその会社の課題をまとめ200字以内の報告書に書き上げよ、といった演習をくりかえす。ここでは、情報を精査し、得られた内容を構造化し、関係や因果や相似を見極め、いくつかの課題にまとめ、分かりやすい順番で文章化する、そのプロセスが問われることになるから、このトレーニングによって「要約」というスキルを理解し向上させることができる。  要約力は、文章の内容(=コンテンツ)にかかわる能力だが、文章には内容とともに表現力も問われる。わかりやすく伝えることのベースは、論理展開力であってそれはロジカルライティング研修などで学べるが、もう一段上の表現上のワザがレトリック(=修辞)だ。レトリックは、読み手の印象を操作する法なので、ビジネス文章ではあまり使われないが、提案文書ではここぞという記述で有効だったりする。  レトリックの一つに比喩がある。直喩、隠喩(=メタファー)、換喩(=メトノミ―)など手法はさまざまだが、要は、伝えるべきモノゴトを別のものに置き換えて言うことによって、読み手の気づきや実感を喚起するテクニックだ。この置き換えが適切で成功するためには、置き換えるモノゴトとの共通性が妥当でなければならない。つまり、それぞれのモノゴトの本質をつかむ――概念化力が問われるのである。ゆえに、レトリックの訓練(=例えば相似によって横に跳ぶ演習)もまた、概念化力向上につながる。  もうひとつの、概念化力と関係する実務スキルは、デザイン力である。とりあえずは、パワーポイントの資料を美しく作れるようになるためのトレーニングから始めるのだっていい。「書類として美しくない」イコール「コンセプチャルでない」なのである。デザインとは、構成化と意匠化のワザであり、語源を「de-signare」というように、「脱-しるし(=signare)化」し、意味をカタチにすることなのだから。

低すぎる価値 | その他

低すぎる価値

 企業の人事制度の設計をしていると、しばしば“管理職の価値”が低すぎると感じることがある。本部長、部長、課長などの管理職社員は、企業の方針や計画達成の欠かすことのできない重要な人材である。自分に与えられた人やお金などの資源を有効に活用して、競合会社と戦い、社内の各部署と調整し、方針目標を達成するというとてつもなく難しい仕事だ。特に最近は経営環境の変化が激しい。そうなると管理職の仕事はさらに難しさを増す。環境が変化すると、組織の価値、業務モデル、人の配置、指導方法など常に見直しが必要だ。マネジメントは同じことの繰り返しではなく変化を要求されることになる。近年の管理職の仕事は非常に難易度が高いのだ。  また管理職は組織の中では孤独である。目標達成のために部下をコントロールしなくてはならない。経営目標の重要な一端を担っているため、経営的な視点、スタンスで仕事に臨まなくてはならない。部下を指揮命令する“使う側”である。部下も会社の方針や目標をよく理解して、積極的に協業してくれるのであれば苦労はないが、日々様々な場面で“使う側”と“使われる側”とのギャップに悩まされ、そして自分の組織の中では決してその苦労を共有できない。  さらに管理職はリスキーである。方針目標達成を重視すればするほど、部下に対して厳しさを要求することになる。思うように成果の出ない部下に対して、命令、指導することになるが、少しでも行き過ぎと部下が感じたら、アウトになってしまう。法律、ハラスメントなどの十分な知識と、極めて強い自制心がなければ、身分を失うことになる。  一般の社員に比較してこれだけ難しく、孤独で、リスキーな仕事をしているのが管理職である。多くの企業では部長、課長などの役職に就くと“管理職手当”を支給する。これは管理職としての職掌の重さに報いるためである。部長で5万~10万くらい、課長で3万~5万くらいが一般的である。安すぎではないだろうか。一般の社員の倍とは言わないが、もっと大きな差があってよい。現在大手企業の課長の年収が800万円だとしたら。価値的には1200~1500万円くらいでよいかもしれない。日本の企業の人事制度の中で、管理職はひどく安く値付けされているが、今後は管理職の給与を重点的に大幅に増加させる必要があると感じるのだ。 以上

「モンスター社員」の増殖 | モチベーションサーベイ

「モンスター社員」の増殖

最近、「モンスター社員」と言う言葉をよく耳にする。厳密言うと「モンスター社員」にも色んなタイプがあるようだが、一般に、処遇や福利厚生に対し過度な要求をしたり、会社の制度やルールに対して否定的・非協力的な主張をして、自身の要望が受け入れられないと、「労基署に行く」等と言って人事を脅したり、実際にそうする「やっかいな社員」の事を指すようだ。 入社時点に想定していた内容と異なる業務を求められると、話が違うと、拒否したり、上司や人事から気に入らない注意を受けると翌日から無断で休む、さらには、インターネットのSNSや掲示板上に、そうした状況を誇張・曲解した上で、会社や上司・同僚を誹謗中傷する投稿をする等・・。こうした「モンスター社員」は、従来の「やる気のない社員」や「さぼり社員」とは異なり、よりたちが悪いと言える。会社にとっては深刻な存在で、対応を間違えれば、一人のモンスター社員が、会社全体の価値を下げてしまうリスクさえあるかも知れない。 モンスター社員が「増殖」している背景には、採用難が続く中で、会社の採用基準が甘くなりがちな事や、働き方改革が進む中で、残業時間の抑制や休暇の取得など、労働者の権利をきちんと確保していこうとする社会的要請が高まる中、「会社」より「社員」の権利をより尊重する空気が我が国の社会全体に漂っていることも影響しているだろう。 また、SNS上に発信されたコメントにひとたび火が付くと、その内容の正否を確認される間もなく、それが世界中に瞬時に拡散してしまうというネット社会特有の現象もまた、事態をより悩ましくしている。 最近、かつて目覚ましい企業再生を果たし、賞賛されてきた著名な企業経営者が、一たび、逮捕されると(まだ有罪と確定したわけではないのに、)手のひらを返したように、否定的なコメント一色になる我が国のマスコミや識者の論調に、正直、驚いているところだが、我が国のそうした「推定有罪的」国民性?もまた、会社が毅然としたアクションを取りにくくしていて、結果として、「モンスター社員」をのさばらせてしまっているようにも思う。 会社のいわゆるブラック企業的行動を排除させるために、「社員」の権利をより尊重する方向で、「会社」と「社員」の関係をリバランスする取り組みはよいのだが、それが行き過ぎて、社員の権利を守ることに囚われすぎてしまうと、会社の中に、多数のモンスター社員の増殖を許してしまうような事にならないか。ルールに基づく「モンスター社員」への毅然とした対応と共に、社会全体としての「会社」と「社員」のパワーバランスが適切かどうかを検証していく姿勢が、我々、ひとりひとりに求められている。

2:6:2の法則 | その他

2:6:2の法則

人事評価では、「2:6:2の法則」によりハイパフォーマーやローパフォーマーを識別する法則があります。 社員を評価する場合、20%を「優秀な人(ハイパフォーマーHP)、60%を「普通の人(アベレージパフォーマ-AP)、20%を「目標の成果を出せない人(ローパフォーマーLP)」というセグメントのことです。 この中のLPとは、組織において業績の芳しくない人材、能力やスキルが不足している社員を『パフォーマンスの低い人』という意味でLPと呼びます。能力を最大限発揮して組織に大きく貢献するHPの対義語にあたる存在で、業績の悪化や伸び悩み、他の社員への悪影響などを生む原因となり、ぶら下がり社員などとも言われます。 組織にLPがいる場合、切り捨てるべきだという乱暴な意見もありますが、果たしてそうでしょうか。 「LPの20%を退職に追いやることで、残り80%の社員のモチベーションが低下する」 ということがあります。 それは、上位20%のHP社員も、中位60%のAP社員も、常に「下位に落ちるリスク」があり、「下位20%になったら、退職しないといけないかもしれない」となると、組織のために働く意欲は低下するだろうし、転職を検討するなど人材流出のリスクも出てきます。 個人的な理由や市場環境の悪化などで、思うように成果が挙がらないことは誰にでも起こりうることですが、「会社はこういう状況でも、長期的なスパンで育成を考えてくれている」とあらかじめ確約されていれば、組織のために働くモチベーションは高まるはず。 パフォーマンスが上がらないからと退職を勧告されれば、社員たちは、「会社はいざというときに社員を簡単に切ってしまう。自分も会社に尽くす必要はない。」だったら「仕事はそこそこにして、自分の趣味や余暇に時間を使ったほうがいい」という思考が働くようになるでしょう。 また仮に、上位2割の優秀なHPがいなくなった場合、残り8割に優劣の差が生じて再び2:6:2の割合にセグメントされると言われています。LPの2割がいなくなることで、組織の生産性は向上するというイメージをお持ちの方もいると思いますが、結局は再びLPが生まれ、生産性が低い下位ができるのです。組織化された会社ではよく見られる傾向です。 また、「HP2割」「AP6割」「LP2割」で構成されていた営業部を、「HPだけのチーム」「APだけのチーム」「LPだけのチーム」に再編成したところ、APとLPのチームから、HPチームをしのぐトップセールスを記録するメンバーが複数誕生したという例も聞きます。LPの成績も、時期や役割によって変わる可能性が大きいことを示しています。 チームを編成する場合、多くの部署が存在する組織などは、各部署の「AP」のみを選抜してプロジェクトを任せたり、各部署の「LP」のみで会議を実施するなどで、それぞれのセグメントで力を向上させる施策から実行に移すのも有効です。 人材育成においては、AP層はもちろんのこと、モチベーションが低下しているかも知れないLP層に、より高い関心を持ち、彼らが業績に貢献できる仕組みを整えることを意識しておくことが必要です。 それには、組織全体の人材の構成を、まずはきちんと分析し、適宜、組織に最適な人材育成に乗り出すことが重要なのです。 社員がLPになる原因はさまざまでしょう。「採用時に見誤った」で済ますのではなく、またパフォーマンスが低いというだけで、その存在や役割をマイナスにとらえるのではなく、社員一人一人と向き合い、それぞれの原因を探ることが大切です。 個人の能力の差だけでなく、仕事への姿勢や意欲、周囲との関係からなぜLPに留まっているかを本人と上司や人事部で認識しなくてはなりません。 そして、AP社員のレベルまで引き上げる研修・教育などを実施すべきであり、またHPが有するスキルや行動特性を意識させれば、組織全体の強化につなげていくことができます。 LPの能力や意欲を向上させることは、会社の利益につながることを忘れてはいけないのです。 以上

居残り勉強は非か? | その他

居残り勉強は非か?

 「若いころは、寝る間も惜しんで、仕事に打ち込んだ」「自宅には本や資料がないから、会社で居残り勉強の毎日だった」というのは、わりと良く聞く話だ。きちんと統計を取ったわけではないが、感覚的に40代以上の世代にそういう人が多いように感じる。 かつてはそのような勉強の仕方が奨励されていたり、そうしなければ1人前になれない、というような空気が確かにあった。  私自身も社会人になったばかりのころを振り返ってみると、会社のリソースを拝借してずいぶんと勉強させてもらったものだ。当時はOA化の掛け声のもとにPCが職場に導入されるようになってきたころで、入社したばかりの私の机の上には、これまで触ったこともないPCが置かれていた。実際の業務で使うのはワープロソフトぐらいであったが、これをうまく使えば面倒な仕事も楽々こなせるのではないか、と毎晩、会社に残って情報処理の学習をしつつ、業務での活用方法にとどまらず、どんな可能性があるのか、それこそ寝食を忘れて没頭していた時期があった。  だが、時代は変わり、今では自身の学習のためでも会社に残っていると、「業務もないのにダラダラ残っている」だとか、「会社のリソースを私物化している」とかで、服務規律、コンプライアンス違反に問われたりする。居残り勉強は是か非か?と問われれば、現在では間違いなく“非”なのだ。  さらに、現在のように、ビジネスの変化が激しい状況では、時間をかけて習得した知識・スキルが一瞬で陳腐化するリスクを考慮しなければならない。そして、今やっていることが活かせるシーンが今後も続くのか、ということを認識しておかなければならない。今まで以上に自身が学習すべきテーマを絞り込み、限られた時間の中で効率的に学習するというスキルが重要になるだろう。 自身を振り返ってみて、良いイメージのある経験が、やれルール違反だ、非効率だ、などといわれてしまうのには少々隔世の感があるが、今や会社に残って寝食を忘れてひとつのことに打ち込む、というような学び方は、要領の悪いダメ社員のレッテルを貼られてしまうのかもしれない。

2035年 | その他

2035年

 64歳の部長が部下の若手社員にWeb会議で話をしている。営業部の業績の説明と、この若手社員の担当するクライアントへの新たな指示をするためである。ちなみに若手と言っても52歳である。営業1部は全員で25名。定年再雇用社員は10名、正社員は15名である。正社員の年齢構成は60歳以上65歳未満が8名、50歳台が4名、40歳台が2名、30代はわずか1名で20代はいない。部長は若手社員に一通りの話をした後にこう続けた。”君はまだ若手の社員だが、あと10年くらいすると管理職になる可能性もある。そろそろ実務だけではなく、マネジメントも意識して業務に取り組んでくれ“  今から十数年後の2035年には、職場は上記のような状況になっているだろう。日本の大手企業の多くは、国内市場の縮小と少子高齢化、超流動的な労働市場により、驚くほどの高齢化が予測される。70歳ないしは75歳までの雇用義務化は避けられないだろう。75歳まで雇用しなければならないとすると、人事管理の考え方を一変させるくらいの激震だ。標準的なライフプランを想定した“年齢”を軸とする人事管理から、年齢に関係のない“実力”軸の管理へと急速に舵を切ることになる。また過去20年間新卒を中心とした若手社員の採用抑制の影響が圧倒的に大きくなる。会社のノウハウや文化を継承する中堅社員がいないということだ。  これに拍車をかけるのは労働市場であろう。より流動的になる労働市場により、他の会社より魅力に劣る企業からは驚くほど人材が流出する。20、30歳台の社員がほとんど離職する会社も出てくるだろう。また日本国内市場を基盤としている企業は、業績の低下に苦しみ続ける。ビジネスボリュームの低下と反比例して、生き残りをかけた熾烈な競争が激化し単価が下落する。社員の処遇をより良くすることが困難となる。今後企業を取り巻く環境は、平成の延長線上の環境ではなくなるのである。  少子高齢化、歪な人員構成、長期の継続的な業績低下が予測される中で、個別の企業が力強く成長するためには、サービス、商品、技術、ビジネスモデルの革新はもちろんであるが、人事管理も重要なキーとなる。環境が連続的変化でないと予測されている以上、人事管理も過去の延長線上の発想では機能しない。しかし近年の多くの企業の人事管理の改革は、受け身的な印象が強い。現在発生している問題への対処というスタンスであり、間違いなく起こる大きな変化を先取りしたものと言えない。  法律や常識という観点では、人事管理は過去を継承しなければならない。しかし今後の変化は過去の継承を重視するスタンスでは対応できるものではなさそうだ。今までの変化と全く異なる次元の変化が急速に到来しつつあることを改めて認識する必要があるのではないだろうか。 以上

生産性向上と高齢化社会 | 人材開発

生産性向上と高齢化社会

働き方改革が進む中、多数の日本企業が、労働時間の短縮や生産性向上に取り組んでいる。付加価値を生み出さない業務の見直し、ウェブ会議やビジネスチャット等のITツールの導入、さらには、残業時間の少ない社員を高評価する仕組みの検討、等々、どの企業も、様々な視点から生産性向上にむけて、必死に頭を悩ませているところだ。ただ、実のところ、そうした取り組みの多くは、今までも不況の折にも行ってきたものであり、今まで以上に、際立った効果を期待するのは難しいかも知れない。 もちろん、組織として、そうした構造的な生産性向上アプローチは続けていかねばならないのだが、それ以上に重要なことは、社員一人ひとりが、仕事や時間に対する意識を強烈に変えていく事だと思っている。同じアウトプットを出すにも、いかに必要な事だけを行い、いかにそれに対する時間投下を減らしていくかという事に、一人ひとりがどれだけ本気で取り組めるか。 「前回は半日かかったこの業務を、今回は3時間でやってしまおう」「いままで、20時まで残業してやっていた作業を、集中して17時までに終わらせて、定時に帰宅する」等、所定の時間内に必ずアウトプットを出す取り組みは、組織としての施策と言うより、個人の姿勢・マインドによるところが大きい。上長に言われるからやるのではなく、だらだらと時間をかけて仕事をするより、密度の濃い仕事を短時間で集中して行い、さっさと帰る事を良しとする観念や美学?のようなものを個人の信条として身に着けていく事ができないと、我が国は、世界中で繰り広げられている厳しい競争から取り残されてしまうかも知れない。 一方で、我が国では、「高齢化」という大きな社会的トレンドも進行している。 先日、急いでクライアントのオフィスに行く際、ICカードにチャージしようと駅の自動券売機に行くと、ひとりの高齢の男性が前にいて、右往左往していた。使い勝手もよくわからずに、あれやこれやとボタンを押してはやり直し、後ろに私を含め、多くの列ができてしまった。仕事の生産性から言えば、はやくチャージして切符を買い、クライアントに、予定の時刻に到着したいところだが、年老いて、機械の操作に慣れないのだから、仕方ない。ゆっくり操作方法を説明してから、急いでチャージをして、その日はなんとか事なきを得た。 また、別の日には、半休をとって母の診療同行したことがあった。 母も高齢で、いまや軽やかに歩く事もできないし、コミュニケーションの内容を理解するにも時間がかかる。病院への道中、ゆっくりした母の歩行に合わせて歩いたり、大きく明瞭な声で話しかけ、必要であれば、何度か同じ事を何度かくり返し話しなら、同行していたが、その日の午前中は、オフィスで複数のウェブミーティングをしたり、多数のメールや電話でのコミュニケーションをフルスロットルで行ってから、病院にやって来ただけに、流れる時間のスピードギャップが極めて大きく、高速運転からローギアへとチェンジをする事に相応のエネルギーを必要とすることを痛感した。 おそらく、これから高齢化が進行する我が国では、同じ場所に住みながらも、個人間で流れている時間のスピードのギャップが、ますます広がっていく事だろう。国際的な競争が激化する中で、我々は、仕事上ではより強烈に生産性コンシャスなマインドで臨まなければならない一方で、ゆったりとした時間が求められる高齢者ゾーンでは、彼らの生活に配慮し、やさしく寄り添っていかなければならない。状況に応じて時間への向き合い方に柔軟性が求められる訳で、我々は、脳の筋力を、益々、鍛えていかねばならならない時代に突入していく。

自己流の迫力 | その他

自己流の迫力

 独自の工夫でなんともユニークな人事施策を講じる会社に出会うことがある。  T工業は、外部講師を招いての小難しい研修はやらないのだと言う。各部門が、他部門の人々に知っておいて欲しい事項を4択のクイズにして、イントラのアンケート機能を使って皆に配る。これを受けた社員たちは期限までにこれに答える。翌週には出題者から正解が送られてくる。選択肢のうちひとつは冗談のようなのが入っているから、皆、面白がってこれに答えている。多くの人が間違える問題は、会社として弱みだ。だから、こういうのがあると、会議の後などに20分ほど時間を割いて、出題部門の部門長が小さな研修を行う。さて、そうこうするうちに、多忙を言い訳にクイズに答えない者が出てくる。すると、今度は課対抗クイズ大会だ。1年間に出された問題の中から選りすぐったものを用いて、早押しクイズの代表戦。優勝の課には金一封が出るから、誰かが勉強をさぼっていると非難集中だ。  S産業では、管理職が必ず1年でクビになる。正しく表わすならば、すべての管理職ポストは1年任期なのだ。役員会は新年度の2か月ほど前には次の方針・計画と組織を定め、最適な人員配置を考えて、内示する。今年の管理職のすべてが再任されるとは限らない。あくまで来年度の計画に最適な人が配置されるのだ。再任されず、他部門の管理職にも起用されなければ、ばっさり、実務層に格下げだ。だから、管理職の緊張感は並々のものではない。そんなことだと職場はよほどギスギスした雰囲気だろうと想像するが、そうでもない。実務層に退いても、次のチャンスがあるからだ。自分ならこんなチャネルを開拓する、自分ならこんな物流システムを作る、といった「提案」をする仕組みもある。能動的に経営計画に関与し、可能ならば自分が働くポストを自分で作る訳だ。  R商事の新卒新入社員研修は手が込んでいる。2週間缶詰の導入研修だ。会議室に模擬の営業所をしつらえ、模擬の受注端末を置く。隣の会議室から、顧客を装う営業社員が注文の電話をかけてくる。第一段階の演習では、優しくて紳士的なお客さんから電話がかかる。だから、予め読んだマニュアルどおりしっかりと対応できる。第二段階のお客さんは少し厳しい口調に変わる。構えを正して事に当たらねばならない。これが最終の第七段階ともなると、怒鳴りちらすようなお客さんで、言っていることもよく解らない(もちろん、営業社員の演技)。だが、どの新入社員も、これに怖じることなく、冷静に対応する。段階的に厳しくなるので、受け答えが確実に上手になるのだ。こうして、初任配属の新入社員でも自信をもって対応することができる。実務に配置されてからびっくりして退職するような者はひとりもいない。  こうしたユニークな方策を考え出す会社は、業種も規模も異なり、抱える問題もさまざまだ。だが、これらの会社が共通して持っているものがあると感じる。社員が、自分たちの言葉で問題を捉え、自分たちの工夫で解決策を練ろうとする姿勢と努力だ。こうして編み出される施策は、地味だけれど結構ヘビーデューティーで、時として迫力がある。抜けていること、漏れていることもいろいろあるだろう。思わぬリスクを抱えてしまうことだってある。しかしそれでも、問題を自らのこととして捉え、自ら解決しようとする姿勢は立派だ。そして、彼らは、滅多に尋ねない。「よその会社はどうしているのですか?」と。

パイロットフィッシュ | 人材アセスメント

パイロットフィッシュ

 職場で何か新しいことや面倒な取り組みをはじめる際に、なぜかいつも声がかかる人物がいた。中小企業の間接部門に所属していた彼は、取り立てて優秀な社員というイメージではなかったが、30代前半という若さもあったろう、どんなプロジェクトも気力と体力で突っ走っていくような男だった。  いろいろなプロジェクトに先陣を切って投入される彼であったが、なぜか、途中で他の社員にバトンタッチすることが多かった。本業が忙しくなって呼び戻されたり、どういうわけだか、プロジェクト終盤に差し掛かってくると失速し、勢いだけでは押し切れなくなるところがあった。とはいえ、あともう少しというところでプロジェクトを外される彼の気持ちを考えると、さぞ悔しかったに違いない。はたから見ていて気の毒に思うこともしばしばあった。  そんな彼のことを、仲間の間では(今にして思うと、大変失礼な言い方なのだが)”パイロットフィッシュ”と呼んでいた。  熱帯魚を飼育した経験のある方ならご存知と思うが、新しい水槽を立ち上る際に、新しい水を入れて直ぐに高価で繊細な熱帯魚を入れるようなことはしない。新しい水槽には、熱帯魚の排泄物やえさの食べ残しを分解するバクテリアが存在しないので、水質の変化に弱い繊細な魚を投入するとすぐに弱ったり死んでしまったりするのだ。 そこで登場するのがパイロットフィッシュだ。そういう名前の魚なのではなく、有益なバクテリアの繁殖を早めるために、まっさらな水槽に先陣を切って投入される魚のことを言う。無事にバクテリアが繁殖し、水質が安定すると、パイロットフィッシュの役割は終わりとなる。はじめは魚にとって過酷な環境なので、時には死んでしまうこともある。したがって、丈夫で安価な種類の魚がチョイスされるのだ。  職場で新しい取り組みを始めようとすると、誰しも苦労するものだ。誰もやりたがらない面倒なプロジェクトに次から次へと飛び込んでいく彼の姿が、アクアリウムのパイロットフィッシュと重なって見えたのだ。  先日、そんな彼と何年振りかに会う機会があった。聞けば今でも同じように、いろいろなプロジェクトを次から次へと渡り歩いているらしい。そこで、どうしても気になっていた、かつての疑問をぶつけてみた。あんなに何度も途中でプロジェクトを外されて、どうして腐らずにやっていられるのか、と聞くと、「何もないところからスタートして、造り上げていくっていう感覚がなんかいいんだよね。道筋ができると俺の中ではもう終わりっていうか、そこからなら誰でもできちゃうし」  なるほど、本当に彼は職場のパイロットフィッシュだったのである。 彼をプロジェクトにアサインしていた上司はその適性を的確にとらえていたのであった。 (ちなみに、パイロットフィッシュの語源は飛行機のテストパイロットから来ている。)

愉楽の本屋 | 人材開発

愉楽の本屋

 かつて本屋は、ワンダーランドだった。子供のころは近所の本屋に入り浸っては、並ぶ背表紙に垣間見えるまだ見ぬ世界にわくわくしたし、大学の行き帰りには神保町を経由して、新本古本両にらみで本の街に遊んだ。両手に買った本を入れた紙袋を下げて歩いていると、まったく同じ姿の植草甚一さんとすれ違ったりしたものだった。  そんな日々は遠い昔、いまやすっかりアマゾンの上顧客になったせいか、本屋で長い時間を過ごすこともない。そもそも、ワンダーランドたる書店がもはやなくなってしまった。青山ブックセンターやリブロポートといった個性的な書店空間はなくなり、中小書店は廃業し、生き延びている大型書店の棚からは、大物量の本があることの魅力以外は感じられない。  かつて日参していた神保町の書泉グランデも三省堂書店も、行くことはない。アマゾンで欲しい本が買えるからこそ、書店には、出会いや発見を求めたいけれども、ありふれた分類で並ぶ大量な本たちからは予期せぬ邂逅はなかなか起こらないのだ。書店には、書店としての情報編集があるべきで、それこそが書店のアイデンティティであるはずなのに。  そんななかでただ一店、いまも独自の佇まいが快適でわざわざ出向く書店がある。神保町の東京堂書店だ。どの棚をみても、見飽きず、発見があり、ついつい大量購入してしまう。他の書店との違いが一目瞭然なのは、新刊書籍の置かれる1階レジ前のひとシマ。このシマの4辺は、①広い意味の文学系、②広い意味の科学系、③広い意味の社会系、④広い意味の美学系の本が並ぶ。  「広い意味の」と言っているのは、置かれる書籍が実に多種多彩だからだ。たとえば美学系のなかには、絵画やアートはもちろん、写真、広告、デザインから映画、演劇、役者、TVさらには本屋の本などの新刊がならぶ。ちなみに先日「プリズナー№6完全読本」を即買いしたが、こんなマニアックな新刊は他の書店の新刊書コーナーでは見かけない。  どこの書店の新刊コーナーにもあるような売れ線の平積みなどが前面にあったりはしない代わりに、さまざまな分野の新刊が小分けの平積みだったり棚にたてられたり、その並びの妙が際立っている。いろんな顔の本たちが集い、競い合い、感応したり相互作用する光景のすばらしさ。そこには、本を売る仕事としての明確な意思、目配り、大げさに言えば書店員という職業を選んだ者の矜持が感じられる。  2階3階の分野別のフロアも含めて、書店という「場」をどのように区切り、どの本を置くか、どのような並びにするか、がきちんと仕組まれている。その編集のワザ=本の選択とその配置が、個々の本を並びという関係の中で屹立させ、思わず手に取り、買う気になってしまうのである。  かつて百貨店がその売り場づくりを競った時代に流行った言葉でいえば、ビジュアルマーチャンダイジングである。本は、題名、著者、形状、意匠、素材質感が混交したオブジェであり、展示の仕方次第でいかように魅力的な「場」を作り上げることができる。書店はなによりそのことを追求してほしい。服やバッグといったファッションアイテムは、売り場では決して、サイズ別とか素材別とか色別に並べたりしないように。