©️ Transtructure Co.,Ltd.All Rights Reserved.

MENU

©️ Transtructure Co.,Ltd.All Rights Reserved.

コラム

column

ライタープロフィール

林 明文
林 明文(はやし あきふみ)

青山学院大学経済学部卒業。 トーマツコンサルティング株式会社に入社し、人事コンサルティング部門シニアマネージャーとして 数多くの組織、人事、リストラクチャリングのコンサルティングに従事。その後大手再就職支援会社の設立に参画し代表取締役社長を経て当社設立。代表取締役シニアパートナーを経て現職。明治大学専門職大学院グローバルビジネス研究科客員教授。

働き方改革のKPI | その他

働き方改革のKPI

 働き方を変えることが注目を浴びている。働き方を変えることで現在よりより高いパフォーマンスを追求するというものだ。さまざまな企業で行われているこの改革は、単に残業時間の短縮といったものから、特定の働き手のパフォーマンスやモチベーション改善などその施策の範囲は広い。働き方改革の目的や施策の範囲が広く便利に使える反面、あいまいな印象を受ける。この改革によって企業や働く側が得られるメリットをもっと整理する必要があるだろう。  働き方改革は4つの目的があるだろう。一つは生産性向上である。働き方を変えることでより多くの付加価値が生み出されるというものだ。そのためには現在の生産性を数字で把握しなければならない。生産性の数字がどの程度改善したかが改革の果実であるからである。数字に依拠していない生産性改善の多くは超過勤務時間の短縮が限界であろう。  2番目にモチベーションや退職率の改善だ。エンプロイアビリティーの向上とも言える。例えば職場に定時に出退勤する必要のない業務などを在宅勤務を認めるようなものである。通勤時間が短縮され、また個人の都合のよい時間に執務ができることによって、モチベーションが上がり、自己都合退職が減少することが望める。  次にコストである。働き方改革をして結果コストが大幅に増加することは経営は望まない。会議をWebで行えば移動時間や交通費などが抑制される。在宅勤務にすればオフィスコストが減少する。最も原則的なことを言えば、職務に合った給与にすることも含まれるだろう。管理職待遇であっても管理職ポストに就いていない社員は割高な人件費となっている。適正な人件費とすることもこの改革の中に含まれる。  4番目は競争力である。改革を行うことによって、企業の競争優位性が向上することである。必要な情報を適時に得て、コラボレーションを促進することによって、企業の競争力が増すことになる。そのためにはコミュニケーションの在り方をより効果的効率的にすることが求められる。新たなサービスの創造や競争力の差別化は、多くの有用な情報を適時得るインフラがあって機能する。生産性向上以上に企業の創造性や革新性を高めることも視野に入れるべきであろう。  働き方改革はこの4つの指標で自社を測定することによって、その方向性や施策が決定される。その結果働き方改革の施策は実に広範囲でありユニークなものになるだろう。人事制度改革なども、大きくはこの改革の中に含まれるものである。働き方改革の目的や効果がはっきりしない例が散見される。働き方改革が掛け声だけで終わってしまわないように、まずは正確な分析が必須である。 以上

トイレの張り紙 | その他

トイレの張り紙

 クライアントや営業先の会社に訪問する時によくトイレを拝借します。特に初訪のクライアントでは意識的にトイレを拝借するようにしていると言っても過言ではありません。 “いつもきれいに使っていただきありがとうございます” トイレにこのような張り紙があったりします。この張り紙はとても好感が持てます。会社と社員の関係が良好な関係であると感じるからです。社員もトイレをきれいに使っているし、そういう社員に対して感謝をする会社側という関係は高い信頼レベルにあると思うからです。このような会社の管理部門は、管理レベルが高く、社員に対するケアを常に意識しているのだろうと。  “タバコはご遠慮ください”このような張り紙も目にします。このメッセージは、管理部門が社員に強く言えないのではないかと勘ぐってしまいます。本当は禁止したいのだが、禁止と強く言えない立場の弱さの表れかと疑ってしまいます。もしかしたら管理部門が営業や製造部門などの直接部門に比較して弱い立場なのかと。人の採用や配置に対して直接部門が権限を持っている、評価が部門によってばらついている、昇格などが公平ではない、このような状況にストレートに意見を言えない情景を想像してしまうのです。  もっとも警戒するメッセージは次のようなものです。“タバコは吸えないことになっております”このメッセージは危険だと感じます。会社の施設を管理する管理部門が、自分の意志で禁止していないのです。誰かほかの人が決めたルールを伝えているのであり、自らの意思を感じません。“人事考課は公平に行うことになっております”と人事部が言ったら顰蹙(ひんしゅく)を買います。自分の責任でしっかり管理しろと言われそうです。他責、他動的なのです。この後のミーティングに出席する管理部門、人事部門は、主体的に管理をしないのではないかと心配するのです。  会社や社員がよりよい状態になるために管理部門、人事部門はいろいろ考え、さまざまな施策を実施します。新しいことをやるにはそれなりの社内の抵抗などもあるでしょう。このような抵抗を乗り越えて自分の責任で施策を実行してこそ成果が上がります。そのような姿勢と“吸えないことになっております”の姿勢にギャップを感じるのです。  トイレの張り紙を見て、管理部門、人事部門の姿勢を推測し、会議に向かうことがたびたびあります。張り紙と管理部門、人事部門の姿勢にどの程度の関係性があるかは統計的にわかりませんが、“吸えないことになっております”を見ると、実は疑いながら会議に出ています。 以上

悪い報告 | その他

悪い報告

 変化の激しく、スピードの早い環境下では、想定しないことが起こりがちである。製品やサービスの寿命が短くなり、新しいマーケティング手法が発達し、システム化、業務改善などでコストが大幅に下がり、労働市場の発達で社員の流動化が促進される。このような環境であるため、今までの勝ちパターンはすぐに通用しなくなってしまう。常に環境をウオッチし、現在のビジネスモデルが正しいかを問い直すことを習慣化することが重要だ。今のモデルに既に問題があったり、将来にリスクを抱えるのであれば、それを解消するために直ちに新たなモデルを考え、生み出さなくてはならない。  変化が激しいということは、想定しないことが頻繁におこるということである。成功パターンは長くは続かないため、常に新たなパターンを考えなくてはならない。今まで受注できた仕事が受注できなくなる、単価が大幅に安くなる、新たな競争相手が出現する、コストが高くなる、担当する社員がいなくなるなど様々な問題が次々に発生する。  優秀なビジネスマンは“失敗”を糧にするタイプである。失敗はさまざまなことを教えてくれる。極めて貴重な情報である。失敗の原因を検証し対策を打てば、今後は失敗しなくなる。失敗の本質を理解しスピーディーに効果的な対策を打てるビジネスマンが求められる。このような人材は経験したことがないからわからないとは決して言わない。むしろ経験していないことに遭遇することが普通と考えているのだ。さらには想定しないことに遭遇することを楽しみにすら感じるのだ。近年企業においての社員の優秀性は、だいぶ変容してきていると感じる。  優秀だと思っているビジネスマンほど失敗を隠しがちである。失敗をすることは自分の価値、評価を下げると思っているからだ。しかし変化する環境下では失敗ほど貴重な情報はない。この貴重な失敗情報を正確に把握し、検証分析し、二度と失敗しないように対策を立てる能力やスタンスが今後の優秀さの基準になるだろう。  企業は組織で運営されているので、個人が遭遇した失敗は一個人の努力で解消できるものではないことが多い。そのため失敗情報をタイムリーに関係者に共有することも極めて重要である。失敗を堂々と社内で報告することが優秀さなのである。企業という組織にとっても悪い報告ほど示唆に富みかつ貴重なものである。経営する側も貴重な失敗情報、悪い情報を得ることが非常に重要であるということを、もっと強く認識する必要がある。社員に求める能力も、“よい失敗をする”、“悪い情報を経営資源にできる”“失敗の経験を成功につなげる”などが必須となるのだ。  優秀な社員は良い成果を出すことはよくわかっている。しかし変化する環境で良い成果を出し続けるためには、自分の失敗を積極的に公表する行動が必要である。経営としてはよい情報は歓迎すべきであるが、良質な“悪い報告”を大事にするスタンスが必要だということだ。 以上

富山県人 | その他

富山県人

 経営者、人事部門は社員に対して厳しい目で見ている。活躍する社員や活躍しない社員に対して、類型化するのが好きである。経歴や性格、ライフスタイルなどを分析して、活躍するタイプ、活躍しないタイプを見極めようとする。新卒にせよ中途にせよ人材のセレクションは、自分が重要視している“尺度”によって判断することが多い。平板な採用基準では語れない、実例の蓄積からの“感覚”が重要なのである。それだけ経営資源たる“人材”は複雑であり解明が困難な存在と言えるのだ。  国内市場がシュリンクしていくことが予想され生き残りをかけた競争が激化する。グローバル展開は海外の競争相手と戦わなくてはならない、そのためには人材も変化に柔軟に対応し、新たな価値を生み出し、スピード感ある人材が必須となる。このような人材に育つには、安定志向が強い人材は向かないだろう。異なる環境を理解し、多様な経験、交流を持つ人材のほうが適している。時にグローバル展開をしている企業や競争の激しい環境の中にいる企業の経営者や人事部門は、人材に対して強い危機意識を持っているため、現在の人材では満足せず、新たな価値を創造できる素養のある人材がほしいのだ、もっと言えばそれ以外の人材には高い価値を感じないともいえる。  “富山県の人材は採用しない”といった不二越の本間会長に対して否定的な意見が強い。富山県人は保守的で進取の気風がないという発言に対してである。富山で生まれ、富山で育ち、富山の学校を卒業した人材は“革新性”、“創造性”、”攻撃性“で物足りないと感じるのであろう。この発言に対しての批判は痛烈である。差別的、公平感がない、富山純正人材も優秀だといった意見である。たしかにこの批判は一面の説得性はあるが本質を突いているのか疑問である。  不二越の会長には面識はないので人となりはわからないが、発言の主旨はよく理解できる。経営の一線で活躍してきた独自の“尺度”で判断したときに、“純富山人材”は活躍する人材の比率が低いということだ。実例に基づく重要で意味のある発言である。純富山人材の傾向が明確なのであろう。 営利を追求する企業が自社の基準で採用を判断することの自由は確保されなければならない。全責任を負って経営を担う立場の人が“求める人材”を語るのであるから相当重い発言であり、説得力がある。一民間企業の採用が過度に公平であり、一般人の感覚の“常識”である必要はない。批判する側の“公平”という言葉が暴力的にすら感じる。  発言が仮に“特定の価値観にとらわれない”、“様々な環境を享受できる”、“異文化を受け入れられる”という表現で、”国内一か所だけでなく海外留学経験がある”、“英語がネイティブに近い”などのようにポジティブに表現すれば問題なかったではないか。この表現であればだれでもが賛同するだろう。しかしその主旨で一歩踏み込み、妙な具体性のある“純富山人材はいらない”という表現をしたので過度な批判をされてしまう。一線で活躍してきた経営者の発言の“主旨”に重点を置くべきで、ほしい人材に対して“世間”、“常識”を意識せず尖るべきだ。ユニークなビジネスモデルの企業にはユニークな人材が必要である。普通の要求ではないのだ。世の中の“常識”的な感覚など関係なく、独自に価値観、独自の基準を貫くことが生命線である。  経営者、人事部門は日本の小さな常識など意識せず、もっと尖った基準で判断することに恐れを抱くことはない。強い企業は他にはない強いモデルで、他と比較するものではない、人材も他と比較するものではなく公平などの観点でなくユニークでなくてはならないからだ。

生産性への意識 | その他

生産性への意識

 民間企業は、商法や商慣習、社会的常識などのルールの中で利益の最大化を目的にして活動する組織である。ビジネスチャンスを見つけ、稼ぐモデルを作り、それを実行して利益を上げるという団体である。  多くの学生は学校を卒業し、民間企業に入社する。学校は実態的には民間企業人材を養成しているともいえる。しかし民間企業の目的や会社組織の基本構造、ビジネスの基本的な知識などビジネスの基礎的素養を伝授できていないのが実態である。新規に入社した社員や、その後キャリアを積み重ねた社員を見ても、利益の最大化を目的とした組織で働く知識やスキル、マインドをあまり理解していないと感じることすらある。自己の役割の根源が短期、中長期の利益のためということが本質的に理解されていないため、経営者からみると多くの場面で営利企業の構成員として違和感を持つのである。  たとえば管理職の社員にもかかわらず経理財務的な知識やスキルがないことなどはその代表的なものだ。管理職は企業の一つの組織を経営から委嘱されて管理するものであるから、当然組織の方針、計画、日常の業務管理、部下の人事管理、コンプラなどとともに自組織の経営的効率性という観点での管理が必須である。基本的な経理財務知識がなければ、効率的効果的な利益貢献活動などできない。自組織のあるべきコスト構造やそれがどこまでコントローラブルかという視点なくして、適正なコストマネジメントはできない。管理職になって基礎的な経理財務的な研修を行うことは、今までのキャリアでそのような視点を持っていない、指導を行っていないのではないかと疑ってしまう。管理職社員に経理財務的な教育を行うことがあるが、あまりにも遅すぎる。  利益の最大化という視点に立てば、社員の業務に対する意識は、高いアウトプットをいかに少ない資源投下で出すかということである。民間企業の社員は常に生産性を意識するのが仕事の本質ともいえるのだ。近年にわかに残業時間の適正化、社員の生産性の向上が議論になるが、そもそも利益追求のために生産性向上は根源的、恒常的課題であるにも関わらず、社員側の意識、行動がそうなっていないことが放置されているのだ。非効率な残業が発生する、過去から行っているという理由で無駄な業務を行う、状況に合わせた柔軟な業務遂行ができない、コミュニケーションが悪く組織効率が上がらないなど多くの問題現象が職場で日々発生している。業務指導の中でビジネスの本質や魅力やモデルを伝えられていない可能性が高い。これは日常の中で“いかに効率的に稼ぐか“が目的となっていないのだ。  民間企業で働く社員は、その職業特性として“生産性”への意識は生命線であることを再認識しなければならない。入社時点で“営利企業人“としてのマインド、特性、行動をインストールしなければならない。このあたりがあいまいで、社内が”稼ぐ“マインド行動となっていない企業も散見される。営利企業人としてのマインド、知識、スキルを、再度徹底して浸透させる必要があるのではないだろうか 以上

設計と編集 | その他

設計と編集

 人事制度は社員にとって極めて重要な仕組みであるにもかかわらず、十分に理解されていないと感じることが多い。新たな人事制度を導入する時は説明会を開催し、背景や目的、そして仕組みについて、十分な理解が得られるような工夫をする。社員への説明会やQ&Aや新制度のハンドブックなどを充実させる。特に経営陣や管理職に対しては自分たちで説明できるようなトレーニングなども行ったりする。さまざまな工夫をして社員の理解を深めようとするのであるが、人事制度導入当初から十分に浸透したと思えることは少ない。制度が導入されしばらくして新たな制度で評価を行い、その結果昇格や昇給、賞与支給など自分に直接的に関係する時に、はじめて理解が促進されるように思える。  そもそも人事制度を変えるということは、新たな経営方針や計画に合わせ、企業に必要な人材像、人材の価値、働き方が大きく変化することになるが、この本質的な部分がなかなか浸透できないのだ。新たな人事制度の社員への説明会などでよく見られるのは、社員側にあまり真剣さがない情景だ。社員にとって極めて重要であるにもかかわらず、直接的に響かない。  社員に対して新たな人事に関する考え方を浸透させるためには、今までのような“まじめ”なアプローチでは限界があるのかもしれない。新制度の説明は全体として堅くて面白くない。また社員は人事制度のエンドユーザーであるが、ユーザー視点で語られていないことも多い。人事側は正確に伝えるために、等級制度、給与制度、評価制度などの人事制度の“部品”を個別に説明することが多いが、これは制度を提供する側、制度を設計する側の説明スタンスではないか。新たな人事制度によってエンドユーザーがどのような期待ができ、リスクを負うのか、今までとどう異なるのかが重要であって、制度の“つくり”を説明することではない。説明する側のスタンスに議論があると感じる。  また新制度の資料も一層の工夫が必要である。人事部が一生懸命作成する人事制度の説明資料はあまりにも堅い。社員が資料を持ち帰り、再度読み込むとはあまり思えない。伝えたい内容を興味もって理解してもらうためには、資料そのものをワードとエクセルで作ることが間違えなのかもしれない。動画や漫画などで面白く作成したほうがよほど効果的であろう。  新たな人事制度を導入することは企業にとって大きな転換点である。この転換点を社員にできるだけ浸透させるには、浸透のスタンスを再認識し、手段を大きく変えなくてはならないと感じることが多い。よい制度を設計することは前提であるが、浸透に対する意識や工夫が少ない。人事制度の仕組み部品は精密に作るが、それをエンドユーザーにどう見せるかを意識できていない。人事制度の設計の後に、これを効果的に浸透させるための“編集”が必要なのではないだろうか。 以上

業績と人材力 | その他

業績と人材力

 企業が成長を維持向上するためには、人材は欠かすことのできない重要な資源です。人材が高い能力、モチベーション、コンディションを持ち続ければ、企業のパフォーマンスは上がると考えられています。この人材の状態を総括して人材力というのであれば、人材力が上昇すれば業績が上がり、逆に低下すれば業績が下降することになります。これに対して異論を唱える人はいないくらい、どの経営者も人事部門も誰も疑わない考えでしょう。  問題は、人材力と業績の関係が明確でないことです。どの程度人材力が上昇すれば業績がどの程度上がるのかがわかりません。またそもそも“人材力”を総合的に測定する指標がないのです。仮に人材力が測定できれば、人材力と業績の関係性を解析できる可能性があります。そうなると経営としては人材力の投資に基準を持ってできることになります。  さて、経営者はこの人材力が業績に与える影響が大きいと考えているのでしょうか。現在の人材力が100だとして、これを110に上昇したとしたら、業績はどの程度上がると考えているかは、分析事例がないのでわかりませんが、実際にはあまり高くないリターンであると思っているように感じます。人材力がほどほどであれば、それ以上に投資してもリターンが経験的感覚的にそんなに大きくないと思っているのかもしれません。  一方多くの企業では、現在の人材力に対して必ずしも満足していません。例えば、管理職の能力が不足していると感じている企業も多いでしょうし、経営方針が徹底していない、モチベーションが十分なレベルでない、離職者が多い、高齢化によってパフォーマンスが低下したなど、重要性や影響のレベルは企業によって異なりますが様々な問題を感じているのです。本来望ましい人材力レベルを100とすると、経営者や人事部門は現在の人材力を何点と評価するでしょうか。100点以上を付ける企業は多くはなく、60点から80点くらいが回答として多いと思います。仮に80点であるとすると、これを100点以上する努力を本来はしなくてはなりませんが、80点を100点にするための投資、要は金額やマンパワーとその結果得られる業績、リターンがバランスしない、ないしはあまり影響しないと考えているのかもしれません。  日本企業は他の先進国と比較すると社員の生産性が低いと言われています。低生産性は人材力に起因している問題であり、これを早急に改善しなければなりません。今後日本企業が成長するための、証明されていない一つの重要な施策は人材力を経営として望ましい状態にすることです。この人材力向上をしても業績に影響がない、ないしは少ないということであれば、人事管理はほどほどに行えばよいということになります。ポジティブに言えば、人材力向上が企業業績の向上のための非常に重要な施策であり、人事管理の強化こそが成長のエンジンであると確証が持てる可能性があるということです。

N+2 | その他

N+2

 企業の人事管理レベルが向上すると、企業経営に大きな貢献をすることが期待される。人事管理のレベルアップとは非常にシンプルで、次の2つの要件を満たすことである。まず経営方針、計画を達成するための人材がそろっていることがまず挙げられる。方針、計画を達成するためには、必要な能力を持った人材が必要人数必要になる。この必要人材の保有は企業の目標達成のための前提である。二つめは保有している人材が高いパフォーマンスを発揮することである。人材を保有しているだけでなくこの人材がより高いパフォーマンスを挙げるマネジメントが必要である。この2つの要件をどの程度満たしているかが企業の人事管理、人事機能のレベルである。  人事制度の改定や雇用施策、人材育成施策は、人事管理レベル向上の具体的施策である。環境が変化し経営計画達成に必要な人材が変化したときには、人材像を明確にし、継続的に育成する仕組みを再構築しなければならない。またパフォーマンス向上のために報酬制度の変更をすることもあるだろう。ビジネスモデルやボリュームが大きく変化した場合には、採用の見直し、雇用調整などの退職施策を実施することになる。必要な能力や知識が変化した場合には教育などの人材育成を強化しなくてはならない。具体的な人事施策は、人事管理レベルを上昇させるために行うということである。人事管理が経営に大きな貢献をするためには、自身の人事管理レベルを把握することが前提であろう。人事管理の強み弱みを把握し必要な強化をしなくてはならない。  人事改革を行う際に経営や人事部門が最も意識しなくてはならないのが、この人事管理レベルの“測定”である。改革初年度(N年)とすると、一年間かけて人事制度の設計や導入準備を行う。翌年(N+1年)新たな人事制度が導入される。その翌年(N+2年)には人事制度改革の成果が出ていることが求められる。N年の人事管理レベルとN+2年の人事管理レベルを比較し想定通り、想定以上のレベルアップになっていることが重要である。  人事改革はその成果が重要であり、制度の設計などはその過程の一フェーズでしかない。制度設計から導入された後に人事管理レベルを比較するという発想はどの企業でもあるが、このNとN+2のパフォーマンスの定量的な比較こそが改革の重要なインディケーターである。人事制度の改定のような大きな施策の時には、制度を設計導入することではなく、結果のパフォーマンス向上のみが需要であることを再認識しなくてはならない。  さらには改革時だけではなく平時においても、パフォーマンスを定量的に経営に明示することが望ましい。そうすることで人事部門の経営に対する貢献を具体的に証明できることになる。経営への貢献に軸足を置いた人事管理に変貌しなければならないのではないか。

評価して! | その他

評価して!

 当社では一週間に一つ以上のコラムを掲載させていただいています。定期的に出させていただくこのコラムに対しては、多くの方に読んでいただき、直接コメント、感想をいただくこともあり、ありがたい限りです。またコラムの評価をしていただくことによって、その結果がわれわれにとって非常に参考になるのです。  コラムを評価いただくと平均の評価点がでます。これはコラムの“出来”を表しています。 点が高ければ総じて良い内容であるということです。しかし単純な平均点だけでなく、評価の分かれ方も非常に重要で参考になります。挑戦的、攻撃的、刺激的な内容のコラムは総じて点が分かれます。同じ平均点のコラムでも、全員が同じ評価の場合と良い評価と悪い評価に分散する場合とがあり考えさせられるものがあります。  平均点のほかに、総点数も重要視しています。総点数とは評価点の総合計点であり、多くの人が高い評価をしてくれれば高くなります。コラムは読者が読んだ後に評価する行動をしてもらえるものと、評価ボタンを押さないものがあります。面白くない、的外れなものは評価の投票数が少ない傾向にあります。少ない人数が高い評価をしているコラムは、限られたセグメントのみに“ウケ”ていることになるでしょうし、少ない人数が低い評価の総点数の非常に低いコラムは反省しきりです。総点数はインパクトの大きさですので、この点も大変参考になる数字なのです。  皆様が行うコラムの評価を毎週見ることによって、人事管理として関心のある分野や、議論が分かれる論点などを理解できます。コラム読者が日本企業の経営者、人事責任者、人事従事者ですので、この反応はあるべき人事管理、必要な人事ソリューションを考える上で、当社の重要な財産なのです。コラムという対外発信を通じて、当社は人事業界という市場の貴重な“声”を聴かせていただいているという感覚なのです。  書籍や雑誌、講演・セミナーなどの手段とともにこのコラムは当社の重要なアンテナであり、今後も継続して行っていきます。コラムが途絶えると、“ネタ切れになった”とか“体調が悪くなったのか”果ては”死んだのか“と思われそうですので、継続せざるを得ないという面もあります。  結論は非常にシンプルです。ぜひ今後ともコラムを読んでいただき、他の方に勧めていただき、そして評価していただきたいのです。皆様の評価によって人事管理のあるべき姿を研究し、またそれを何らかの対外発信でお返しすることが一つの重要な義務であると思っているからです。コラム読んだら評価ボタンを!よろしくお願いします。 以上

次世代リーダー | 人材開発

次世代リーダー

 “次世代リーダー”という言葉を意識している企業には、様々な背景があるのだろう。 以前の経営環境が大きく変化して、新しい発想や管理手法で経営をリードしなくてはならない企業などでは“次世代”という言葉はよく理解できる。技術の進化により以前のビジネスモデルが通用しなくなるような業界などでよく見られる。近年ではネットの発達によって、流通や広告などのビジネスモデルが大きく変化したが、これを牽引している人材の多くは旧環境の人材ではない。旧モデル化の人材と新モデル化の人材の別な層があるために、新たな層の中でリーダー育成が必要となり、それを急ぐために次世代リーダーの選抜と育成が必要となるのだ。  上記のような“真性”の次世代リーダーは、市場や業界の大きな変革期における重要で適正な経営課題である。しかし最近の“次世代リーダー”の議論はこのような真性のものだけでなく、不純、不適正なものが混じっているように感じることがある。それは、現在の管理職社員が十分なパフォーマンスを出しておらず、役員候補もいないために、その下の層に期待するというものである。要は今の管理職社員では不十分であり、主力の管理職としても、ましてや経営者として期待しないと言っているようなものである。このようなタイプの企業は、社員の年齢構成が歪であることが共通してみられる現象だ。中長期にわたる人材管理がうまく機能していないことが、“次世代リーダー”という言葉に置き換えられているともいえる。  企業の安定した継続性は、人事的に言えば必要人材を持続的に提供することといえる。正社員一人採用すると大卒であれば38年間(プラス再雇用5年間)の拘束がある。特に企業のコアスキルや文化を継承する総合職社員などは短期の業績で採用の増減など行ってはならない。また業績によって育成施策も影響してはならない。こうなると必要な人材を持続的に提供できないからである。短期的な業績コントロールと中長期の経営の持続性を混同しているともいえる。  業績の良い特に大量の新卒採用を行い、悪くなるとストップする。業績の良い時には教育をするが、悪い時にはしない。このような施策は企業の持続性がないばかりか、社員に対して雇用責任を果たしていないとも解釈されてしまう。長年間育成施策を講じてこなかった今の大量の中高年社員からは優秀な経営者や管理職が多くは出現しないと予測し“次世代”に期待をすることが、強い違和感をもたせるのである。  悪くとらえると中長期の雇用責任を特定の世代に果たしていない上に、これからも継続的な育成を行わないと解釈もできる。本来は常に企業の文化やコアスキルを継承し、優秀な人材を多く出現させることが重要であるが、今いないから特別な施策で育成するという感覚が、人事マネジメント的には短期的視点に偏っているように感じる。  “次世代リーダー”育成を否定しているのではないが、これは環境の激変などを除いては、継続的恒常的施策であり、単に通常の教育研修の一部であるという認識が必要ではないだろうか。

がんばります | その他

がんばります

 “がんばります”という言葉はどういう意味なのか疑問に思うことがしばしばだ。何かの仕事を誰かに依頼すると、“がんばります”という返事をもらうことが多い。これは快く了解したという意味でしょうからあまり疑問に感じない。しかし仕事に対して指摘する、ミスを指摘するなど、こちらが期待している水準に満たない場面で、“がんばります”と言われると、この言葉の意味がよくわからず、果ては発言者のこの仕事の取組み自体や、さらにそもそも仕事に対する姿勢にまでさかのぼり疑問を感じることすらある。  “がんばる”という意味を逆さにとると、いつもは通常のレベルで仕事をしていると聞こえる。“通常”のレベルと、“がんばる”のレベルの二つのレベルがあるのか。仕事の品質や生産性が高くなかったのは、通常レベルで仕事をしていたからなのだろうか、そうなると通常レベルでは品質生産性は高くないということなのか、などと勘ぐってしまうのだ。  そもそも仕事に対する指摘や指導をした時に問題としているのは、その仕事の成果である。成果を判定するにはアウトプットのレベルと時間などの投下資源の量である。成果が十分でないという指摘に対して、がんばる、がんばらないということには何ら意味はなく、興味もない。何の返答にもなっていないのだ。あえて言うならがんばらないで成果を出してほしい。  日本は欧米に比較すると生産性が低い。日本のビジネスマンは勤勉であるが、驚くほど長く働く。生産性が改善されれば、企業も社員も大いにメリットがある。社員一人の生産性が増加すれば、企業は利益が増えると同時に社員への配分も多くなるからだ。日本企業は生産性を強く意識しなければならないが、生産性を“数字”で管理している企業が実に少ないのが現状である。これでは生産性向上といっても、効果が測定できない。そのため生産性向上という壮大な課題は、往々にして残業時間削減という矮小な課題に転換されてしまうのである。  重要なのは成果を出すことである。これは高いアウトプットと、より効果的な資源投下をすることであり、数字で測定することが重要だ。残業時間削減のような狭い議論から脱却し、真に生産性向上に真正面からの取り組みが重要ということだ。生産性向上、成果を上げることは、もっと技術論として議論されなければならない。そのためには社員への能力開発を思い切ったレベルと範囲で行う必要がある。今までの能力開発で生産性は大幅に向上していない。このことは能力開発の量と範囲が間違っていたと考えることもできる。また生産性向上のための様々なシステムやツールももっと積極的に導入するべきであろう。  経営者や管理職社員は、成果、生産性の話に対して、“がんばります”という返事をする文化をなくす努力をしなければならない。何の返事もしていないのと同じであり、もっと言えば違う話にすり替わっているのだ。“がんばります”はできていないことに対する免罪符のように聞こえるのだ。“がんばります”という言葉を聞かないようにしたいものである。

会議の風景 | その他

会議の風景

 会議は複数の参加者によって意思決定、情報共有、意思統一などを目的に実施する。組織的に業務を遂行するために、非常に重要な“アクティビティ”である。この会議がうまく機能しなければ、会議の目的を達しないという問題とともに、多くの参加者の時間を無駄にするということになってしまう。そのため会議は、目的を明確にし、その目的達成のためのシナリオを練り、コンティンジェンシーへの対応も想定しておくべきであろう。うまく企画され、うまくコーディネートされている会議は非常に充実感がある。複数の参加者がこういった充実感を持つことが、会議の成功と言えるのだ。会議の成否は会議主催者やコーディネート役の力量にかかっている。よりよい意思決定、高いレベルでの情報共有、納得する意思意識の統一がなされるためには、相当な準備と会議の場でのコーディネートが必須である。日々多くの会議が実施されるが、“よい会議“はどの程度あるだろうか。集団の知的作業である会議がうまく機能することによって、組織的な活動が促進される。そのため”よい会議“が大半でなければならない。  この会議の”品質“に対して非常に鋭敏な感覚を持っている企業にたまに出くわすことがある。会議の目的、参加者、進行、資料などに対して厳格な指導をし、問題のある会議については、会議主催者、進行者に報告書を提出させることまでしている。組織の活性化、組織の生産性向上のための取組みとして大変面白いと感じる。このように厳格に管理していない企業では、実施される多くの会議が十分なレベルに達していない可能性が高いだろう。例えばこんな状況が散見される。  まず致命的であるのが、目的が不明、曖昧な会議である。決定するのか、事実認識を統一するのか、共通認識を持つための意見交換をするのかが不明であったり、甘かったりするために、会議の体をなさない。また目的・ゴールが明確でも進行のコントロールが甘いと、目的・ゴールを達成できないか低いレベルの結論になる。しかも参加者の満足度も高くないのだ。会議を進めるために資料などを用意するが、この資料が的を得たものでなかったり、資料の説明が“読み上げ”的であったりすると、とたんに参加意欲を低減させ、活発な議論にならない。そうなると参加者も、座っているだけの人も多く発生する、熱心に説明を聞いている風であるが、頭脳は動いていなさそうである。果ては“メモ魔”なども出てくる。会議の内容を詳細に紙やPCに記録するのだ。一見真面目に会議に参加しているように見えるが、共同の知的作業であることを放棄しているとも言える。  多くの日本企業ではコミュニケーションスキルに対する教育や指導がもっと必要であろう。会議などはその代表的なものであるが、会議の進行・コーディネートは高い意識で訓練しなければ身につかないスキルである。環境変化が激しくなりスピーディーな情報認識、意思決定がより強く求められている。また複雑なビジネスモデルを組織的に進めていかなくてはならない。さらにはグローバル化の進行や様々なタイプの関与者と会議をしなければならない。会議のスキルをさらに磨かねばならないはずであるが、現状ではそこまで重要視をされているとは言えない。社内の会議の風景を見て十分な品質と思えればいいのであるが、そうでなければ会議を行うごとに、組織力を劣化させてしまっているくらいの認識が必要ではないだろうか。 以上