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コラム

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ライタープロフィール

小野寺 真人
小野寺 真人(おのでら まこと)

大学卒業後、大手アパレル会社にて人事、商品企画、新規ブランド事業開発に携わった後、ファッション雑誌系ECサイト運営会社の事業責任者として、人事、ブランド開発、新規ECサイト構築をリードする。当社に入社後はマーケティング部門に所属し、営業、Web施策の企画・開発、セールスプロモーションを主体とした業務に従事。

自主的ワークホリック | その他

自主的ワークホリック

かつて日本型経営スタイルがもてはやされた時代があった。 この日本型での課長は、仕事上、上司に楽をしてもらい、部下を鍛えて、自分が将来楽をするために、10年・20年後の会社をしっかりとつくる種まきをする。そして最後はゆっくりと自分も楽をさせてもらうということだった。 この循環が順送りにうまく機能していれば良かったが、経営環境の変化に伴い、それまでと打って変わって欧米流の経営手法を導入した。その最たるものが業績主義だが、これが導入されてからはしきりに改革が叫ばれるようになった。 会社の改革を進めていく際、部長よりも課長にプランを練らせるという会社がある。なぜなら、ベテランの管理職だけで立案しても、せいぜい5.6年程度のタームでしか考えてないからだという。 また、ベテランが会社を去った後で、かわりに着任した人が責任を取って賞与や報酬をカットされるような事態を防ぐためだという。 欧米型経営に目を向ければ、会社の計画は経営からのトップダウンが多いものの、経営層は退職金の長期後払いや、業績比例後払い制度があって、結果辞めた後でも業績に責任を負うことになる。 この会社は、かつての日本型のように立案者である課長が在職中に将来を見据えてステップアップしながら責任を全うして欲しいということだ。 一方、現代の中間管理職である課長は、ワークホリックの典型のように言われ、長時間労働で休暇も少ないと言われているが、果たして本当だろうか。 実際は自分が納得するまで資料を作成したいとか、知識を学びたいとか、自分の判断でやっている部分が多いのではないだろうか。 同じ長時間労働をホワイトカラーとブルーカラーを一律に論じることができない。労働集約型であるブルーカラーの労働時間は時間管理として決められており、個人が勝手に残業することは許されない。その日の残業時間は作業の進行状況を見て、上司である作業長や工場長が決定する。 それに対し、ホワイトカラーの労働は資料作りでも調べていくうちに様々なことが分かってきて、今度使えるなとか、こんなこともあるのかと際限がない。また、PCを駆使してレポートを作成したり電卓をたたいたり、仕事に興味を持ち始めて没頭しだすと切りがなくなるのだ。 長労働時間はたしかに体に負荷がかかるだろうし、今は「働き方改革」で業務の効率化とか残業時間削減の工夫を考えなければならないが、自分のための勉強と仕事が渾然一体になったようなことをしていると、 自分自身にとっても後々で応用がきく。課長は個人の知識の幅を広げていけばいいわけで、あくまで自分の自主性を大切にすることが大事だ。 ただ、自分の部下が長時間労働をしているときは、その理由について見極めたい。上席に説明するための膨大な資料作りに忙殺されているのか、それとも個人が創造的にさらに突っ込んで調べたいと思って、時間をかけて一生懸命考えてやっているのか。そこを良く見て仕事のメリハリをつけさせるのも課長の大きな役割だろう。 以上

部課長が保守派? | その他

部課長が保守派?

最近、企業の経営者の方に会うと働き方改革の話題から始まり、激しく変化する経営環境に対して、どんな姿勢で臨むべきかといった話題になる。 「トライ&エラー」という言葉があるが、これについてはどうお考えですか。と質問すると自分もそういった姿勢や考えでやっていると返ってくる。経営者としては、それだけ変化の激しさに迅速に対応せざるを得ない状況、ということだ。 経営者としてのリーダーシップや経営意思決定は「経営状況の関数(f)」であり、その時々の状況に合ったものが求められる。 安定的な経営環境下では、方針をブレなく遂行することが大事で、変化の激しい環境下では、素早い方針の転換が必要ということだ。 経営トップがこのような姿勢なら、その下の部課長も同じかというと、そうでもないらしい。 中間管理職として業務の遂行が第一であり、考えがコンサバになっていて変革を嫌う節があるというのだ。部下から新しい企画が上がってきても、リスクが多いとか現実味がないとか、そもそもリソースがないとか。この手の考えが自分の立場を守ること、すなわち保守的な立場に逃げ込んでいるケースが多いという。 今の時代が部課長に要請するのは、組織を安定させるだけでなく、変革に向けて自組織を引っ張り、トップや部下を巻き込んでいくような意識改革・行動変容である。 トップからの指示待ちではなく、自らが変革の気概と意欲を持ち、変革の担い手としてリーダーシップを発揮することが求められている。 先人の変革者を見てみると、日本という枠にはまらず、自由奔放な越境精神で日本社会の変革に貢献した坂本竜馬が上げられる。彼が変革者として成功したのは、立場の違う人の言うこともしっかりと 聞き、良い所を吸収する柔軟な考えを持っていたこと。そして、多くの人が実現不可能だと思っていることでも成功させられる行動力を持っていたこと。新しい時代の明確なビジョンを持っていたこと。 そして最も重要なのは、優れた人脈を幅広く持っていたことだと言われている。さらに、龍馬は北辰一刀流の達人だったが、 ピストルを使いだしてからは刀を捨て、着物に革靴を履き、香水も付けた。貿易結社である海援隊をつくって貿易ビジネスに挑戦したのだ。 彼はこう言っている。「何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり」 こうした変化・改革を恐れない勇気や柔軟な発想と行動に学びたい。 以上

プレイングマネージャーの目線 | その他

プレイングマネージャーの目線

最近名刺交換をさせていただくと、グループリーダーやチームリーダーという肩書が非常に多くなったことを実感する。従来の部・課制を廃止し、組織の見直しと共にフラット化を進め、ユニット単位で仕事をしているということだ。 このグループやチームを牽引する部課長は、ライン型の職場の長と違い自分自身も固有の担当業務を持ち、かたわらでメンバーの指導・育成にあたる。これまでのスタイルで部門目標や方針を立案し、部下の管理をしていくのとは違い、頼れる兄貴分のように部下と協議しながら、アドバイスをし、チームの成果をあげていく。いわゆるプレイングマネージャー型である。 このプレイングマネージャー型にはメリット・デメリットの両面がある。もちろんメリットの方が大きいと思うが、デメリットがないわけではない。その最たるものは、プレイングマネージャー型の管理職は、部下やメンバーと同じ目線で仕事をしてしまいがちな点だ。兄貴風を吹かすわけでもなく、自身も業務をこなしていくメンバーの1人なのだから、チームワークを大事にしていくのは良い。 しかしそのことが変に作用し、リーダーであるはずのマネージャーの考え方や判断の仕方、仕事の質がメンバーと同レベルになってしまうことがある。 人というものは、一度身についてしまった自分なりの判断の基準や、決断のタイミングに無意識のうちにこだわることが多いと言われる。チームの部下からの報告をうける場合、「かなり売れています」、「ほとんど大丈夫です」、「できるだけ頑張ります」、「なるはやで対応します」等のあいまいな表現を聞いて、そのまま自分の判断も流されていないだろうか。 部下ごとの時間や量の尺度を理解して判断していれば良いが、実際は聞いた言葉をそのまま受けとめてしまって、感覚で判断しているのである。 報告に対し指示を出す場合、部下には具体的な数値や時間軸を的確に伝え、あいまいな部分を残さないようにしたいものである。 そして「さすがリーダーはそこまで考えているのか」といった感服が必要だ。 それが部下の成長につながるだろうし、信頼も生まれる。 チームワークはもちろん大事だが、絶えず一段上の目線で仕事をするためにいつでも自分の判断力、決断力をチェックし、磨いておくことを忘れてはならない。 ビジネスは生き物で、常に状況は動いているのだから。

なぜ進まない「女性活躍」 | 人事アナリシスレポート®

なぜ進まない「女性活躍」

2016年4月に女性活躍推進法が施行され、各企業は様々な取り組みをしている。 政府も2020年には指導的地位に占める女性の割合を30%に引き上げるという目標を掲げて推進しているが、現実はどうだろうか。遅々として進んでいない。 女性社員の働き方改革に対応した社内制度はある程度整ってきていて、ダイバーシティ推進課や女性活躍推進課の新設とともに、テレワークのような新たな働き方を導入しているケースがある。ただし、マミートラック(仕事と育児の両立は実現できても、昇進昇格とは縁遠いキャリアコース)だったり、R職への格付け(HR、PR、CSR、IR等のRがつく職種)のパターンが多い。 女性社員はなぜ活躍できていないのだろうか。企業の担当者からは、うちの女性社員は管理職になりたがらなくて困っている、管理職に魅力がないのだろうとよく聞く。 他に何か阻害要因があるのではないだろうかと考えると、女性社員の働き方は男性社員に比べてライフステージ(結婚、出産、育児)に応じて多様なことから、各ステップを通じて自分らしい生き方や進路の選択ができるようにしなくてはならない。だが、男女共同参画の視点に立ったキャリア教育や、キャリア形成ができていない。そもそも女性に大きな仕事やレベルの高い仕事をさせていないケースも多い。組織内での経験や短期業績評価を基に昇進・昇格させていく企業では長時間労働が前提とされ、子育て中の女性社員のように限られた勤務時間の中で生産性高く働いて帰宅しても、長時間職場にとどまっている他社員に比べて評価されにくいこともあるだろう。 出産・育児等で仕事を一旦離れ、キャリアやスキルの形成が中断した場合、復帰しても管理職、役員といった立場で意思決定過程に参画していくための環境も十分に整っていない。そしていまだに残るガラスの天井があげられる。 こういった阻害要因を排除した取り組みを本格化していかなくてはならない。 また、短期的に一定の業績を上げる必要がある企業にとっては、株主・顧客・社員といった様々なステークホルダーにそうした取り組みが理解されることが不可欠である。そのためには,女性の活躍推進に取り組むことが企業の活動や職場にプラスの効果をもたらすことをステークホルダーに対して示していく必要もあるだろう。 一方、政界に目を向けてみると、日本の女性政治家は世界に比べてまだまだ少ないといわれている中で、小池百合子氏が女性で初めて都知事に就任し様々な問題を解決すべく奮闘している。世界でもイギリスのテリーザ・メイ氏が故サッチャー氏以来26年ぶりの女性首相に就任、アジアでも台湾では、蔡英文氏が第14代総統に就任した。アメリカでは、ヒラリークリントン候補者が史上初めて女性で米大統領選の主要政党候補になるなど女性の活躍が進んできている。 女性活躍推進法が制定された2016年は、日本で女性が参政権を獲得して70周年となる年だった。100年前の大正時代では女性が参政権をもつなど考えられない、それを別に変とも思っていなかっただろう。現代では当たり前になっているように女性の活躍が当たり前になる時代はすぐそこまで来ている。現代社会の当たり前がどんどん変わっていくように。 女性活躍推進法は10年の時限立法だ。今後2025年までに、女性の働き方はどこまで変わるのだろうか。社会や企業の意識が変わっていくと同時に、働く女性自身も意識を変えるべき時がきているのかもしれない。 前出の故サッチャー氏はこう言っている。 考えは言葉となり、 言葉は行動となり、 行動は習慣となり、 習慣は人格となり、 人格は運命となる。