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コラム

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M部長 | その他

M部長

今回はある製造業のM部長について話をしてみたいと思います。この会社は精密機器の製造メーカーです。近年の環境の激変で厳しい経営を余儀なくされています。商品サービスの抜本的な再編、生産拠点の合理化、管理機能の徹底したスリム化など、考えられる経営施策を次々と実施してきました。しかし急激な環境変化は、実施する経経営施策でも追いつくことができません。人員削減なども含むかなり大胆な経営施策の実施を行っても、環境変化からみると後追い施策のようにみられてしまうほど変化のスピードが早かったといえます。 この会社とはすでに10年ほど関与させていただいております。この間社長役員もたびたび交代となりました。人事部長もこの間に3回交代し3年前よりM氏が就任しました。M部長就任当初も業績の低下傾向に歯止めがかからない環境であり、当時の新経営計画もどちらかというと縮小均衡の消極的な計画でした。M部長就任前にもすでに数回の人員削減を行い、給与カット、一時帰休など考えられる施策はほとんど実施してきた状況です。 M部長は入社後一貫して事業部に所属していました。事業部では主力の部の部長を長らく担当し安定した実績を挙げてきました。部長としての人物能力は高く評価され事業部には不可欠なキーマンと言われた人材です。会社は今の縮小均衡をさらに押し進めることと同時に、新たな成長領域を必死に模索しなくてはなりません。人件費をさらに圧縮すると同時に、業績低下に歯止めをかけるべく営業の強化、新たな製品開発への挑戦といったマイナスとプラスを同時に行わなくてはならない非常に難しい環境です。会社はこの難しい局面の人事部長の大任を人事経験のないM氏に託しました。 M部長はやさしそう誠実そうで端正な外見からうける印象と異なり、頑固でねばり強さが際だった人物です。一度決定した方針は徹底して実行します。厳しい会社の状況の中で率先して自らを厳しく律し、自分の納得する経営施策をうまく調整していきながら着実に実行しました。特に労働組合との協議については知恵も気も時間も十二分に使い厳しい中でのこの会社での新しい労使協調の意識を強力に醸成したといえます。 M部長の最後の仕事は非常に見事なものでした。会社は下げ止まらない業績の根本的な原因は、国内生産拠点を抱えているからであると判断しました。かなり以前より海外生産拠点はもっているものの、労働組合や地元の強い要請もあり国内生産拠点の見直しは小規模なものを複数回実施したにすぎません。労働組合も国内工場存続は組合の存在意義をかけた譲れない一線と認識していました、工場閉鎖は難しいため抜本的な改革は進まず、そのため高コスト体質を脱却できないということです。しかし長期低迷の経営から脱却するためには国内生産を中止し、コストの構想的見直しを行わなければならないことは誰しもがわかっていることでした。 工場閉鎖が進まない原因は、労働組合の強力な反対だけではありません。歴代の経営側のスタンスも一因がありあす。歴代の経営陣もこの最も難しく厳しい決断を自分の短い任期中におこなうことに積極的になれなかったということです。しかし新経営陣は躊躇なくこれ以上工場閉鎖を遅らせることはできないと決断しました。会社の歴史の中で最大の苦渋の決断であったと思います。しかし決断した後工場の閉鎖を実際にやり遂げなければなりません。トラブルなく、できるだけ円滑に、しかもできるだけコストを少なく短期間で。主たる問題は工場勤務者の雇用対策を中心とした人事問題です。M部長の最も過酷な使命でした。 まず工場閉鎖を社員や株主に理解してもらうために、今後の経営方針、経営計画、工場閉鎖のメリットデメリットを詳細に説明しなくてはなりません。会社として工場閉鎖は再建に必須な不退転の決断であることを浸透させるということです。その中で最も重要なのは今後の会社の方針やあり方、すなわち将来のビジョンということになります。同時に工場勤務者の雇用対策をしなくてはなりません。工場閉鎖ということですので基本的には工場勤務社員は全員必要がなくなるということです。この工場勤務の社員及び労働組合との協議折衝については、正攻法しかないと判断し、社長はじめとし役員に全面に出てM部長指揮のもと何度も何度も説明をしました。今まで数度の人員削減を行ってきましたが、M部長は、工場閉鎖に伴う退職条件を経営側も組合側も想定していなかったこの会社の中では破格の条件を提示することを提案しました。これは工場勤務社員全員が退職に応じてもらうこと、今までの会社に対する貢献への報償、最後の人員削減であること、労働市場が厳しくすぐに転職できることが困難であることなどがその理由です。このくらいの条件を提示しなければ経営責任を果たしたことにならないという意識と、労働組合や社員が想定以上の条件を提示することによって後の交渉を進みやすくするという戦術的な面もありました。経営陣はできるだけ少ないコストでという意識が強かったですが、M部長のはっきりとした真摯な説明によって原案通りの施策となりました。それでも工場閉鎖に至るまでは様々な問題が発生しました。ひとつずつ丁寧に解決していき最終的には無事に工場は閉鎖となりました。 仕事柄多くの人事部長と会いますがM部長は強力な印象が残っています。無口であり物静かに見えますが、方針や計画を決めたら迅速にねばり強く行動します。人事の細かな知識はありませんので逆に経営や事業という観点からの人事のあり方を先入観なしで判断できます。工場閉鎖の大仕事も外見的には淡々と実施しているように見えますが、相当の決意と努力と工夫がなければできないはずです。経営の大きな変革期での見事な人事部長でした。経営陣もM氏だからこそ人事部長にしたのでしょう。この大任が終結した3ヶ月後M氏の別部署への配転が決まりました。 人事部長としての活躍に敬意を表するとともに今後の活躍をお祈りしてコラムという形で書かせていただきました。 以上

ストレスワクチン | モチベーションサーベイ

ストレスワクチン

多くの組織で問題になっているメンタルヘルスの予防的施策として、ストレスワクチンという処方がある。 メンタル不調を結果するような状況に至る前に、ワクチンを打ってストレスの抗体を作り、個々人のストレス耐性を高めておく手法だ。「ワクチンを打つ」とは、Off-JTのワークショップとフォロープロセスのことで、まずは組織診断によりその会社固有のストレス因子を検出し、それを使ってストレスフルな状況の予行演習を体験する。主に、入社間もない社員に対し行われる予防施策である。 企業内ストレスにさらされる状況はある程度決まっている。一般的には、入社直後や配属直後、異動後や転勤後、管理職への昇格したときがそうであり、加えて各社の業務や組織の特性と風土や慣習によって、ストレス状況の類型化ができる。部門による人間関係の特性や組織の意思決定のクセが、その会社固有のストレス因子かもしれない。それを“抗原”として、想定される状況下で、自分がどのように対処すべきかを先行して考えることで、ストレスを受け止める力を身につけさせるということである。 言うまでもなく、生産性を追及する組織である限りストレスは必須だから、組織のストレスをなくしていくのではなく、個人のストレス耐性が課題になる。「メンタル失調になりそうな候補者を検出できないか」という採用担当の方々からの要請も少なくないように、“個々人の資質問題”に偏りがちなアプローチに対して、ストレスの抗原−抗体反応の仮説は魅力的ではないか。 この仮説が正しければ、EAPや産業保険医体制の整備、あるいは管理職へのメンタルヘルス研修などで、不調者の予兆を個別的に早期発見、早期対応するくらいしかメンタルヘルス対策がないなかで、組織的な予防施策として展開できるからである。 「必ず直面するストレス状況を、事前にイメージさせ、受け止められるようにする」とは、その時どうすればよいかをシミュレーションさせることだけが大事なのではない。何より、その状況の背景の意味を考えさせ、理解させること。個人の業務や役割の意味とその背景にある会社のミッション、そうした業務が自分にとって、自分の将来にとってどのような意義を持つのかを、深く考えさせることこそが重要だ。つまり、将来のストレス状況にポジティブな意味づけを予め前提させる。ストレスとモチベーションが表裏の関係あること自体を体感させるのが、こうした施策の最大のポイントだろう。 さらに、ストレスワクチンの効用はもうひとつある。組織の暗黙知が明示化することである。抗原を検出するための事前のストレス診断により、暗黙のルールや集団行動のクセのインパクトがわかる。例えば、ある部門はきわめて家族的な人間関係に特性があるかもしれない。新入社員がこうしたことを事前に知ることで、効率的に仕事に集中できるはずだ。 かつて、辞めてほしくない社員に対して、アメリカの会社は“ゴールデン・ハンドカフ(金銭による手錠)”をかけるが、日本の会社は“エモーショナル・ハンドカフ”をかけると言われたことがある。日本企業の雇用関係は、長期雇用の黙契がなくなり、成果と報酬の契約的関係になりつつあるとはいえ、暗黙のルールや人間関係の圧力は存在する。ストレスワクチンは、それに対するプラグマティックな挑戦でもあるのではないか。

会社と社員の距離 | その他

会社と社員の距離

会社に対する社員の意識が変わったと言われるようになって久しい。高度成長期からバブルの時代まで、社員は終身雇用の枠組みの中で年功序列的な昇進・昇格が約束され、その見返りとして会社に対し忠誠を尽くすことが当然のことであった。会社は安定的な賃金を支給し、社宅を提供し、社内運動会や社員旅行に家族ぐるみで参加するのも当たり前のように行われてきた。その結果、社員は親しみを込めて勤務先を「うちの会社」と呼ぶようになり、これはとりもなおさず「会社と社員の距離」が極めて近かったことを意味する。 ちなみに私が子供の頃、私の父は地方金融機関に勤務しており、まさしく会社と極めて近い距離での生活を送っていた。周りが同じ会社に勤める人ばかりの社宅に住み、運動会、旅行、釣り大会、等々の行事に参加しても同じ会社の関係者ばかりと言った状態であった。しかし、これは決して特別な話ではなく、当時の多くの会社員とその家族が同様の生活を送っており、それに対し何らの違和感も持たなかったのである。 バブル崩壊後、多くの会社で終身雇用や年功序列の仕組みを維持することが困難となり、それまでの会社と社員の関係は変質を余儀なくされた。会社に忠誠を尽くしても、その見返りを会社が与えてくれないと社員が感じ始めたところから「会社と社員の距離」は徐々に遠くなり始めた。社員と上司、社員と社員の関係も、以前は同じ会社と言う運命共同体に勤める同志だったものが会社と雇用契約を結んだ個人同志との関係へと変貌して行った。年功序列的な賃金体系から成果主義的な賃金体系への移行は少数のハイパフォーマーを満足させることはできても、それ以外の多く社員の満足にはつながらなかった。 もちろん、この変化の原因としてはバブル崩壊後の事業環境の激変だけでなく、社会全体の人間関係の変質も大きく影響しているのであろう。会社の懇親会や忘年会と言った従来の価値観からすると大切な社内コミュニケーションの機会も最近の若い社員には敬遠する人が多いと聞く。以前なら先輩社員から多くの経験談や非公式な情報を入手するせっかくのチャンスとばかり、先輩に酒を注いで回るのが若手の常識的な行動だったが、現在の若い社員は世代の異なる先輩社員とは話が合わないと言ってこうした機会を避けたがる傾向にあるらしい。 話は逸れるが、先日、通勤電車に乗っていて面白いことに気付いた。その電車はドアの左右に横向きのシートがあり、ドアとドアの間の車両中央部に4人が向かい合って座れるボックス席が配置された通勤電車である。ドア左右の横向きシートは中央部のボックス席に比べて背もたれが低い上、乗り降りする人も多いので落ち着かないため、以前なら電車に乗って来た人は空席があればまず中央部のボックス席に座ろうとしたものである。しかし現在の若い人は違う。ボックス席に空席があってもそこには座ろうとせず、ドア左右の横向きシートに座ろうとするのである。若い人は体格が良いので足を伸ばせる席が良いのだと言う意見もあるが、私の見解は違う。つまり見知らぬ人と目と目が合ったり、場合によっては見知らぬ人との会話を余儀なくされる可能性があるボックス席を潜在的に回避しているのだと思う。前述の宴会を避ける若い社員の行動と同じで、自分と同じ世代、あるいは話が合う人以外とのコミュニケーションを避けたい意識が現れているのだろう。 少し前のことだがある調査会社が従業員500名以上の企業に勤める会社員に対し、社長や会社に感じる「気持ちの上での距離」に関する調査結果(注)を発表した。それによると社長は火星にいるくらい遠いと回答した社員が2割おり、会社との気持ちの上での距離については半数が「遠い」と回答したとのことである。問題なのは会社との距離が遠いと答えた社員の多くはモチベーションが上がっていないことである。逆に会社との距離を縮めるための施策として最も重要なのは「会社の理念や戦略を認識し、共感できる」こととの結果も出ている。 前述のとおり昨今の経済環境下においてはバブル期以前のように社員の働きに対してポジションや金銭で報いることは難しくなってきている。これをそのまま手をこまねいて見ているのでは「会社と社員の距離」は決して縮まらず、社員のモチベーションは上がらない。だが幸いなことに会社側から積極的なコミュニケーションを社員に働きかけ、社員が「会社の理念や戦略を認識し、共感できる」ようになれば「会社と社員の距離」を縮めることができるのである。また社員への金銭的な報いが難しくとも、会社側が社員のニーズを汲み取り、知恵を絞れば所謂「非金銭的報酬」として社員に報いることも十分可能であろう。金をかけずに「会社と社員の距離」を縮める方法はまだいくらでもあるのである。 (注)出典:社長や会社に感じる「気持ちの上での距離」に関する調査(JTBモチベーションズ)

コミュニケーションに「こころ」はいらない | その他

コミュニケーションに「こころ」はいらない

縁あって、平田オリザさんの話を聞いた。 平田さんは、劇団を主宰するとともに、現代演劇の理論化とそれを活用したコミュニケーション教育で知られる。16歳のとき自転車で世界一周したことは有名だが、近年は、大学の教員も歴任し、管直人政権下では内閣官房参与の任にあった。 そのなかで、大阪大学で共同研究している「ロボット演劇」の話があった。ロボットが劇を演じ、人が観客として鑑賞する。そのお披露目では、ロボットの演技で、観客は涙を流したという。感情も意思もないロボットも、演じることで人を感動させられたということだ。 ロボット演劇が成立するとしたら、演技つまり“コミュニケーションの型”が的確でさえあれば、自身の感情や思い、価値観とは無関係に、人を動かすことができるということではないか。これは、企業組織のなかのコミュニケーションを考える際にも示唆的である。 以前、ある仕事で複数の企業の管理職者たちに、「リーダーシップの持論」をインタビューしたことがある。主旨は、部下育成に優れるリーダーとおぼしき方々を選定し、「人を育てるリーダーとは何か、どう行動しているか」を聞いて、類型化することだった。どの方の話も自身の実践の中で培われた方法論で興味深いものだったが、ある女性管理職の方の言葉が印象的だった。 彼女は、管理職を「どう効果的に演じるか」について語り、また、部下にも「あなたの役割を演じるんだ、とまず考えなさい。あなた自身と役割は別のものだから」と指導していると言った。 そのとき「管理職を効果的に演じる」といわれてみて、リーダー達がそれぞれに実践している行動を改めて振り返ると、確かに、みな芝居がかっていた。それが、リーダーシップ・コミュニケーションという型(=演技)ということだ。 さらに彼女のスタンスは、管理職でなくても、若い社員であっても業務の役割があり、組織の一員という役割もあるのだから割り切れ、ということである。そして、役を演じろと。 ロボット演劇の話は、コミュニケーションに「こころ」はいらないという極端な仮説である。コミュニケーションとはそういうものだ、とは短絡できないが、ただ、コミュニケーションに「こころ」は必須ではないという指摘は、大事なことだろう。「こころ」とは、あるがままの自分とか、本当の自分の思いであり、それを考えるあまり、組織のなかで不具合や葛藤が起こってくることもある。 若年層に頻出しているメンタル失調やそれに伴う離職者が多いことには、こうした不具合も原因しているのではないか。自分を見つめなおしたり、あるがままの自分であるべき、といった内省は、会社で働く上で必要がない。会社の一員としての「役」を、いかに意識的に演じるか、という姿勢があればいい。 平田さんの演劇教育は、企業研修にも応用可能である。タフな社員を育成するために、新入社員の時から、「役」を演じる面白さ、楽しさを教える施策として、展開してみようと思う。 以上 参照 コミュニケーションに「こころ」は必要 という立場でコラムの執筆があります。 (リンク先はこちらです↓) https://www.transtructure.com/column/20100809/

故きを温ねて・・ | その他

故きを温ねて・・

新しい期を迎え、ただでも多忙なのに、部下の人事評価を書いて人事部に提出しなければならない大変な時期だ。人事評価などという仕事は面倒くさいものだと思っている管理職は多いだろう。いきおい、何とか「表を埋める」ことに終始することになる。評価される側にとっても、普段の仕事を評価されるとなると楽しいことばかりではないだろう。評価が公平でないなど不満の声を上げる向きも多い。多大なパワーをかけて行うこの人事評価という年中行事、もっと効果的なものにする手はないものだろうか。 先日、100年近く前にわが国の海軍省が運用していた古い人事制度の話を聞く機会があった。ずいぶん昔の、しかも軍という特殊な組織の中でも、私たちが日頃目にしているのと同じような人事評価制度が運用されていたことを知り、興味深く感じた。だが、それにも増して印象深かったのは、その評価制度が現代の我々の悩みにも存外答えてくれそうなものであったことだ。 まず、人事評価の目的を何に置いているか。海軍省では人事評価の主目的を、「適材を発見し、適所に配置すること」とし、同時に「適切な教育を実施すること」としていた。「進級と増俸の決定は人事評価の副次的な目的」であったという。この点、現代でも変わらぬ重要なポイントを衝いているではないか。社員の能力の不足を精力的に補い、偏り無く人材を配置し続けることは、会社の成長と生産性向上に欠くことのできない仕事だ。人事評価、特に能力評価はこのためにこそあるといえる。評価の目的をきちんと理解すれば、多忙な中でもきちんと時間を割いてじっくり向き合うべき仕事だと考え直すことができる。 また、被評価者の個別事情に配慮していることも見逃せない。決められた評価フォーマットの中には、被評価者の自己申告を記述するスペースがあり、上官は、被評価者本人の意思を十分に斟酌したうえで、本人のワークモチベーションに十分に配慮した適正な配置を進言するという仕組みになっていたようだ。 この評価制度は、また、人事評価の基礎として十分な観察と正確な記述を求めていた。「評価者は、常日頃からよく部下の言行、技能、能力を観察し、慎重に考察のうえ、正確な考課事実を集め記述すべきだ」とし、評価の記述に当たっては「忌憚無く的確精細に記述して本人の真価を表現するように努めるべきだ」としている。さらに、「婉曲すぎて真意を伝えにくい文章の修飾を避け、直裁に真相を表現するべきであり」、そのためには「慣用句や俗語を使っても構わない」としていた。 さらに、この評価制度は、「評価は評価時期にだけ行う仕事ではなく、評価期間の途中であっても賞賛や非難に値する行為があったときや能力や身体の状況に特筆すべき変化が起こったと認められた場合は、そのポイントだけを評価表に記述し臨時評価表を提出すること」を求めていた。これらのことは、勘や印象に基づく評価を避け、事実に基づいた正確な評価を行おうとする誠に的を射た施策であり、今日の多くの管理職にとって耳の痛いアドバイスである。 評価者から収集された評価表の記述は、「短冊」と称する個人別帳票に転記され、訓練実績、能力の伸長、本人の志向など一目瞭然にがわかるよう人事担当部局で大切にファイルされていたそうだ。いまでこそ人事データベースの整備が唱えられるが、有効利用している会社が多いとはいえないのではないか。 海軍省の人事評価の仕組みには、限られた人材の力を十分に発揮させ、組織のパフォーマンスを最大化しようとする工夫がたくさん詰まっていた。人事評価の本質は時代や組織を超えて普遍のものなのだろう。

麻薬的残業の正体 | その他

麻薬的残業の正体

「なかなか残業が減らせない」という声が、多くの人事担当の方々から聞かれる。業務効率の向上はもちろん、過重労働の軽減やワークライフバランスを考慮した働き方の要請からも長時間労働をなくしていかねばならないが、その実現は簡単ではない。 その理由には、「当社の仕事は“特殊”だから」という、“共通”したものや、「お客さんに合わせざるを得ないから」、「なによりもまず業績回復」といった組織の状況があげられるが、従業員の側にある要因の指摘としてしばしば聞かれるのが、目先の仕事に没頭してしまう自発的かつ習慣的残業。好きで残業しているとしか思えない、いわば、「麻薬的残業」である。 ITエンジニアやクリエイティブワークといった顧客とともにモノを作り上げていくタイプの仕事に多い、「時間をつぎ込むだけ品質が上げられる」との想いで、際限なく残業を続ける人々の存在である。彼らは、強制されてではなく自ら進んでやっているように見えるし、かつてのWorkaholic世代であった上司からみれば「まあ仕方がない」とも思える。ライフの充実のために残業するな、と命じても、家に早く帰ってもやることがないとまで言われれば、それはそれである種のワーククライフバランスか、と納得したりする。 麻薬的残業の麻薬性は、目の前の仕事の面白さや分かりやすい顧客満足の手ごたえにある。たとえば多様なプロジェクトワークのなかで顧客との同志的な感覚や達成の高揚感を感じる。顧客満足の向上は、自分の価値の向上にも思える。結果、日々の仕事に耽溺し、多大な時間を投下するということになる。 この限りでは、たしかに理解はできる。やりがいを感じて働いている分、よしとしたい、と言えなくもない。問題はこの働き方がメリハリなく習慣化していることである。仕事の緊急度や求められるアウトプット品質のレベルにかかわらず常にだらだらと残業を続けることをやめられない。その常習性が問題だ。 そこには、不安からの逃避という心理があるのではないのか。仕事の分かりやすい面白さにのめり込むことで、本来の仕事のあり方や自身のキャリアやビジョンの不安から、意識的にか無意識的にか目を閉ざしているのかもしれない。そのことが、将来の仕事やキャリアのための自己投資の時間確保を阻害し、成長への不安をまた醸成するという悪循環。 だとすれば、これは個人の側だけの問題ではなく、やはり組織の問題だろう。麻薬的残業の足元にある不安は、組織の将来の不安に起因するはずだからだ。 背景にある組織の不安仮説としては、自社のビジネスモデルへの不安、そこにもとずく人材像の不安、あるいは組織の在り方の不安。つまり、会社の事業の将来が見えない、仕事の将来が見えないということが、自分自身のキャリアや成長目標を見えなくしている。どんな能力開発に投資すべきかが分からない。そうしたビジョンやメッセージが伝わってこない組織が、自分の価値を見失わせ、目先の仕事に逃避する。 いわば「ビジョンなき繁忙」が生み出すメリハリのない麻薬的残業。タイムマネジメントの実践には、この観点も忘れてはならないだろう。