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コラム

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ライタープロフィール

林 明文
林 明文(はやし あきふみ)

青山学院大学経済学部卒業。 トーマツコンサルティング株式会社に入社し、人事コンサルティング部門シニアマネージャーとして 数多くの組織、人事、リストラクチャリングのコンサルティングに従事。その後大手再就職支援会社の設立に参画し代表取締役社長を経て当社設立。代表取締役シニアパートナーを経て現職。明治大学専門職大学院グローバルビジネス研究科客員教授。

貧富の差 | 雇用施策・その他

貧富の差

 日本は総中流意識が強いと言われてきましたが、バブル崩壊以降さらにはリーマンショック以降は貧富の差が大きくなってきました。常用雇用者の中でも正社員の占める割合が少なくなり、新卒の就職難も長く続いています。長引く不況で企業も正社員採用を抑え総人員数も減少傾向です。そのため正社員にならずに(なれずに)非正社員や派遣社員として働く人も増加し、“フリーター”というあまり歓迎できない名称の被雇用者スタイルまで生まれています。バブル経済崩壊前は総中流意識から現時点では貧富の差が激しくなり、総中流ではなくなってきました。  正社員の中でも、製造業における製造業務従事者やサービス業の一線で働く人などの給与レベルも低下傾向にあります。これは高くなりすぎた日本の製造コスト改善の一環として製造業務従事者の給与レベルをダウンする傾向が強いからです。またサービス業などは国内需要が縮小する中で、価格競争が激しくできるだけ人件費コストを抑制しなければ競争に勝てないからです。国内市場が再活性化しない限りは今後もサービス業の給与は高くなることはありません。  製造業はもっと深刻で中国、韓国などの台頭で日本における製造が困難となる商品が多くなり、そのため国内生産から海外生産へと切り替えなければなりません。日本の国内で製造できるものは、国内消費用か極めて高度な技術や技能による商品となりつつあり、今後もこの傾向は、大きな環境変化がない限りは変わらないと予想されます。そうなると日本の製造業は国内工場を縮小、閉鎖し、海外への移転をすることになり、製造業務従事者は給与がダウンするのではなく、雇用そのものがなくなってしまうという危機的状況になりつつあります。しかし企業としては高い日本の工場で生産するのではなく海外で生産するのですから、今までよりも利益が上がる、要はグローバル化の推進は企業にとって利益増加となりますが、国内の雇用が犠牲になるという見方もできます。  正社員の中でも、高度な技術者やグローバル人材については今まで以上に需要が高くなりますので給与も高くなる傾向が強く、同じ正社員でも職種別に貧富の差が激しくなるということになります。職種別賃金とはかつての単一的給与構造と異なり、社内の中で貧富の差が発生する仕組みともいえます。  このように日本の推進力であった製造業が国内から製造拠点を移転せざるを得ない状況下では、国内市場は成長することが難しく、さらに超高齢化時代に突入することでさらに国内市場は低迷し、その結果過当競争となり、さらに国内市場中心の企業の社員の給与はダウンすることになります。日本の中で貧富の差は現在でも問題となっていますが、将来はより大きな差となることが予想されます。実際に大規模な製造従事者削減などが各社で発表されていますが、今後も続くことが予想されます。企業は利益を増加させることが可能で、その推進役となる職種の社員は給与が上がりますが、ドメスティックな職種の雇用は減少し給与が少なくなる人も増える、貧富の差が非常に大きくなるということです。  これは単体の企業の構造転換としては仕方のない施策ですが、雇用の維持や国内市場再活性化という国策レベルで対応しなければならない重大な問題です。企業としては利益増加と雇用責任をどうバランスさせていくかが現実の施策として問われていますし、将来はよりシビアになるということです。

雑多な専門職 | その他

雑多な専門職

 専門職とは、“高度な専門的知識や経験をベースに企業に貢献する職種”という定義になるでしょう。例えば化学や医薬における高度な研究開発者や技術営業や、アパレルなどのデザイナー、商社におけるバイヤーなどがその代表であり、個人に帰属した極めて高度な専門性が、企業発展にとって不可欠な人材で、そのため部下はいなくとも専門職として高く遇することが本旨であります。有名な小売業で“全員専門職”と称して社員であれば何かしらの専門領域を持つべきである、マネジメントも専門性の一つにすぎないといった優れた人事制度などもあるように、企業のビジネスモデルや社員のコアスキルという観点で、最終的なキャリアゴールが必ずしもラインマネジメントだけでないということです。そのため多くの人事制度では若いうちはいろいろな経験を積み、ラインマネジメントか専門職かに分岐する“複線型”人事制度が導入されています。  しかしこの複線型人事制度における専門職で極めて重大なミスをしている企業があまりにも多くあります。専門職は特定の専門性を追求する職種であることからローテーションに向いていません。一つの分野を深く探求しなければならないからです。それに対してラインマネジメントは最終的に事業や経営を担うことになるため、異なる複数の職場の経験が必須です。そうでなければ複合的な機能をバランスよく統括できないからです。したがってローテーションは必須で、異なる機能の経験がない限り、複合的機能の集合体であるラインマネジメントはできないからです。このようにラインマネジメント職と専門職は別々の育成方針と育成方法であり、双方の互換性は理論上ないのです。  現実の企業で多くみられる専門職は実は雑多な人材の集合体となっていることが多くみられます。正確に言うと、ほんとの専門職と何らかの事情でラインマネジメント職からはずれた人材を一緒にしてしまう例が多いということです。本来はラインマネジメントとして期待し育成したが、ポストに就けることができない社員を専門職として職種転換することなどが多くに見られます。たしかにラインマネジメントと言ってもプレイイングマネージャーが多い企業ですと、このような職種転換はできなくはないのですが、そもそもローテーションをしてマネジメント能力を磨くことを指向する人材と、職場や領域固定で徹底して専門性追求を指向する人材は、根本的に異なります。それを一つの専門職とまとめることが、本当の意味での専門職重視になっていないことになります。要はラインマネジメントから外れた人材は、本来の専門職でなく、本当はラインマネジメント職の一つ下の人材ということだということです。  企業のビジネスモデルによってこの本当の専門職がどの程度必要かが決まってきます。また同じようにラインマネジメント職もビジネスボリュームと組織機構によってその必要数が決定されます。モデルとボリュームによってこの構造が決まっていますが、多くの企業ではラインマネジメント職が多すぎるために、途中で専門職への職種転換や役職定年制度などの理論上は正しくない仕組みが導入されてしまっています。  現在のように管理職の一格、半格下のイメージではなく、本当の専門職とは何かを再定義し、管理職と同様かそれ以上の評価処遇ができる本当の専門職として位置付け再確認する必要があります。

徹夜せよ! | その他

徹夜せよ!

 コンプライアンス観点では主張することができませんが、近年のワークライフバランスなどの議論に本音ベースで真っ向から対立する論点を提示します。週40時間労働や有給取得奨励、在宅勤務などのワークライフバランスの考え方は、多様で豊かになり、高齢化が進行する中で注目を浴びる議論です。この方向自体については全く反対ではありません。また当社はクライアントに対して適正なワークスタイル確立のコンサルティングをしているとも言えますし、自社でも徹底する努力をしています。しかしこの議論に決定的に欠如していることは、勤務時間の短縮、非連続な時間での業務遂行、自宅などオフィス環境が整備されていない場所での業務遂行など働き方への規制を緩めることそのものに焦点が当たりすぎていて、反対に今まで以上の時間生産性や協業生産性を上げることが同じ以上の重さで議論されていないということです。勤務形態の自由化と生産性向上の議論では、後者のほうが相対的に軽視されていると感じるのです。まあストレートに言うと過去に比較して働き方が甘くなったということです。  このような“緩和”が議論される前までは、仕事の仕方や仕事に対する時間投下が今よりもシビアでした。どんなに夜遅くなろうとも仕事が終わらなければだれも帰りませんし、忙しい中プライベートで先に帰る時などは、上司にこっそり事情を告げて周りに気を遣いながら帰ったものです。またどんなに遅くなろうとも、徹夜しようとも翌朝の朝九時には何もなかったかのように振る舞うことがビジネスマンとしてのよきスタイルと思われていました。自分のミスや生産性が低いことから遅くなることについては、超過勤務手当の申請などは自制するのが当たり前で、会社に存在していた時間を超過勤務手当の対象とはだれも考えていなかったのではないでしょうか。もちろん生産や営業などの現場では当時から時間管理は意識されていましたので、上記のような感覚ではなかったと思いますが、企画や管理などのいわゆるホワイトカラー業務では、時間なんて関係ないという感覚が濃厚でありました。  現在では高齢化成熟化していく中での新しい時代の働き方という方向性を強力に推進していかなくてはならないことは当然です。しかし前述のように“緩和”が大きくなった分、生産性を向上させなければなりません。また経営環境は依然厳しく、企業が成長していくためには今まで以上のアウトプットの量と品質が要求されます。現在よりもさらに生産性を向上しなくてはならないということです。このような生産性向上を実現するためには、いくつかの重要なポイントがあると思います。まず単純に時間生産性向上のためのタイムマネジメントの徹底を常態化するということです。これを常態化し、しっかり管理していく企業は未だ多くありません。次にこれだけ情報技術や様々な技術進化をしている環境において、個人及び組織がより高い生産性を実現する手段をもっと研究しなくてはなりません。以前よりオフィス環境の整備の重要性は認識されていますが、環境整備という観点でも、物理的なオフィス構造をより科学的根拠で見直すことも必要でしょうし、音や香や内装、など他分野にわたって生産性向上のための検討範囲に入ります。また会議など複数の人による共同生産性向上のための様々なツールや教育なども、もっと注力しなければなりません。また働く側の生産性向上に対する何らかの処遇反映も必要でしょう。端的に言えばちゃんと評価して処遇しましょうということです。  そして最後にコンプラ違反になる覚悟で言いますが、働く側の権利主張を重視する傾向、就業の終了時間が来れば帰宅してよいなどという甘い考えや、自分の能力やモチベーションが欠如していることから、時間内に十分な生産性で仕事ができない社員に対して、強烈な指導をする文化を創ることが必要です。能力・やる気が欠如している社員に対しては、自己研鑽の指導をするなど、時間外での能力向上を求めることを普通の文化にしなければなりません。時間内にミスや能力、モチベーションの欠如でアウトプットが出せないなら、会社にはわからないように、いくらでも時間を使ってでもアウトプットを出さなくてはならないという文化をもつことも精神論として必要です。徹夜せよ!と会社側からは言いませんが、それでも隠れて徹夜してアウトプットを出し、何食わぬ顔で出勤するくらいの気概がほしいというのが本音ではないでしょうか。

退職勧奨のすすめ | 雇用施策・その他

退職勧奨のすすめ

 多くの企業に対してリストラのコンサルティングに関与してきましたが、日本企業の人員削減はある意味残酷だと感じます。企業業績が低下すると、企業としては人件費コスト低下のために人員削減を行うことがあります。バブル経済崩壊後のリストラブームでは団塊の世代と言われた50歳代社員が主たるターゲットでした。また最近ではバブル期大量採用世代の人員削減を行う企業が多い状況です。日本企業は年功的な要素が残っている企業が多いために、若年社員よりも中高年社員を削減するほうが、人件費削減効果が高いのはある意味で当然です。しかし中高年社員削減を行う企業で、退職を勧める社員を選別するに当たり、“そもそもあまり能力が高くない”であるとか“昔から業績貢献が少ない”とか“当社の方針や文化に合わない”“職務に適性がない”という理由がよく言われます。拠点が閉鎖になる地域で転勤できない社員に対して優遇した退職条件で退職を勧めることはまだ理解できますが、業績低下時に能力や適性を理由として中高年社員の退職を行おうとすること自体にそもそも問題があります。このようなローパフォーマー社員は中高年になってからローパフォーマーになったのであれば仕方ありませんが、若年段階からローパフォーマーだと言われている社員のほうがむしろ多いのではないでしょうか。この社員に対して業績低下を理由に、中高年になってから転職を勧めることが残酷だということです。日本の労働市場は特に45歳以上の中高年の転職年収が一般的には非常に安い傾向にあります。30歳代で転職すればそれなりの転職ができるのでしょうが、わざわざ労働市場価値が下がった時点で、そもそも戦力ではないなどと言ってしまうことが問題なのです。  このような社員はたまたまこの企業では能力発揮や適性がなかったかもしれませんが、他の企業で適職に就ける可能性もあります。しかしその可能性が低くなってから退職を勧めることをしてしまうのは、平時における人事管理がいかに甘いかということでしょう。最近では情報産業や環境変化の激しい業界、競争の厳しい業界などで、若年段階で優遇した退職条件で退職を勧める施策を定期的に実施する企業も増え始めました。退職勧奨といい割増退職金や再就職支援などの条件を提示し、早期に別のキャリアのチャンスの獲得を支援するというものです。このような退職勧奨を制度として毎年実施している企業もあり、そのために評価制度の品質も向上させ、評価が連続して悪い社員に対して、この仕組みを提示します。  日本の企業では大手になればなるほど退職勧奨を嫌う傾向が強いです。退職勧奨は優遇した条件で退職を勧誘するだけですので全くの適法行為です。しかし個別に退職を勧めることが違法だと勘違いしていたり、雇用を維持し続けることが大事であると思っている企業では、非常に強い拒否感があります。しかし雇用維持と言っておきながら業績低下となり人員削減をするときに、中高年社員にそもそもローパフォーマーだと言ってしまう感覚が残酷だということです。  成果・職務・実力主義的人事制度のもとでは、入社して早期に能力や適性があるかが以前よりわかりやすくなってきました。採用した社員を大事にするというのは、全員の雇用を維持することではなく、企業に向かない社員は労働市場価値が高いうちに大事に他の企業に送り出してあげることと認識され始めています。  人事制度の改革とともに退職勧奨は重要な部品として認識され始め、また社員に対する新たな救済措置として重要な施策になりつつあります。平時においてローパフォーマーに対して退職勧奨を定期的に実施することをお勧めいたします。

二つの時限爆弾 | 雇用調整施策・支援

二つの時限爆弾

 日本の大手企業の人員構成は企業の歴史が色濃く反映しています。代表的な人員構成は50歳台が少し多く、バブル期採用の40歳台社員が非常に多く、30歳台社員が少なく、20歳台社員が極端に少ないという構成です。年齢別の人員構成では45歳以上社員に大きなコブがあり、逆に30歳台20歳台が非常に少ないという歪な構成です。企業の業績が低調な中で最近の人事問題として深刻さを増してきているのはこのバブル期大量採用世代の問題です。これはすでに20年以上前から指摘されてきた問題です。バブル崩壊後のリストラブーム当時では、団塊の世代問題という50歳台の高齢社員の人数が多すぎ、そのため50歳代社員の削減が大きな人事問題でした。この時すでに突出した年齢層の社員が存在することが企業の人事管理上大きな問題であることが認識されていましたが、その後の20年間でバブル期大量採用世代の問題に抜本的な改革が行われずに来てしまったために、ついにこの歪な中高年社員偏在問題が顕在化深刻化しています。 そもそも短期業績がよいからといって新卒正社員の採用を大量に行うことは人事理論上全くナンセンスですが、ついにこの大量採用世代が企業の中核的存在としての年齢層となり、人件費の高騰化や管理職社員の余剰、活性化の阻害など極めて深刻さを増しています。バブル期の経営者が仕込んでしまった時限爆弾です。この問題のインパクトは非常に大きいとともに、今後10年〜20年長期にわたりこの問題に悩まされることが容易に想像されます。現在の業績低迷期にこの時限爆弾が爆発しかけてきており、さらには65歳までの雇用義務化が追い打ちをかけます。この爆弾処理は大規模な人員削減を行うか、年齢に関係のない人事制度にするか、企業が飛躍的に成長するかのいずれかの解決策しかありません。現在の経営者は過去の経営者が仕掛けた時限爆弾に対しての処理を求められているとも言えます。  この時限爆弾とともに、静かに進行しているもう一つの時限爆弾があります。すでに導火線に火が付き始めていますが、現時点では前述の時限爆弾処理もあり、あまり真剣に議論されていません。もう一つとは10年後20年後に企業の中核を担うコア人材が不足するという大問題です。バブル崩壊後新卒採用は抑制傾向にありました。特にリーマンショック後は新卒採用をストップした企業も多く、歪な構造がより一層悪化してしまいました。業績低迷時でも一定の新卒採用を行わなければ企業の中長期的発展は望めません。短期的視点で人件費抑制のために新卒採用を大幅に縮減すること自体も人事理論上は問題があります。新卒社員を大幅に抑制し続けている企業は、企業活力が次第に衰えるとともに、将来を担う人材を調達していないという点で、あまりにも短期的な視点と言わざるを得ません。不足している年齢層は中途採用すればよいと言う企業は、新卒から企業のコア人材を育成が必要でないと言っているようなもので、自社独自のビジネスモデルやマインドを軽視していると言わざるを得ません。  この同時進行している二つの時限爆弾を同時処理することが、将来の企業の継続的な繁栄の基盤となります。短期的、損益的視点で新卒社員採用を軽視する経営者や人事部門は将来に責任を持っていると言えません。まずは単純に将来20年後までの自社の人件費や人員構成のシミュレーションを定量的に目の当たりにすることが必要です。感覚的な議論ではなく目に見える形で将来の姿を数字として直視しなければ将来への経営責任を果たしているとは言えません。知らないうちに次の世代の経営者に対して新たな時限爆弾をセットしているとも言えます。

平知盛 | その他

平知盛

 日本史に登場する人物の中で、平知盛の生き様には考えさせられるものがあります。平知盛は平家物語の平家側の主役とも言える人物です。清盛の四男として生まれ、34年という若さで自害した人物です。平家の衰退がはじまり清盛が死亡すると、兄の宗盛が家督を継ぎます。宗盛の戦略性のなさと優柔不断さにより、源氏に次第に追い詰められていく過程において、知盛はそれこそ平家再興のために奮迅の働きをします。もともと病弱であり戦場の第一線に出られる体力を持ち合わせなかったと言われていますが、優れた軍事的才能と統率力で源氏の軍勢を幾たびか打ち破ります。しかし時勢には逆らえず一の谷で源義経に敗れ、さらには屋島でも敗戦します。この決定的ないくつかの敗戦の中で知盛はなんとか残る平家の支柱として、宗盛の代わりに指揮を執り続けます。壇ノ浦の戦い時ではとても戦える体調でなかったといわれていますが、最後まで戦い抜き、そして敗戦濃厚となった時点で自害します。その時に言ったのが、“見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん”というあまりにも有名な言葉です。鎧を二重に着てさらに碇を持って海に入水したと言われ、歌舞伎の“義経千本桜“での“碇知盛”といわれる名場面になります。  このように世の中の時勢という運命に対して、自己の存在をかけて最後まで抵抗する姿が、“悲劇”として人の心を打つのでしょう。最終的には運命には勝てない自分がいるのに対して、それを肯定することができずに最後まで自己の存在を運命に徹底して逆らうということです。そして最後にはこの運命を受け入れざるを得ない自分を肯定できずに碇をもって入水するという生き方です。  逆に時勢に乗り勢いがあり成長するときの成功話に人はあまり劇的さを感じません。ともすると自慢話的になり、これが過ぎるとたまたま時勢に乗った幸運な人物と評されてしまいます。人はこのような成功話にはあまり大きな感動を持ちませんが、知盛のような悲劇的な人物にはいたく心を打たれる感性を持っています。このような劇的な生き方をする日本人が歴史上には何人も見ることができます。命を懸けて自己の存在を証明しようとし、そしてその証明ができなくなることにより、自己を否定しなければならない。これは架空の話ではなく現実の日本で起きた実話なのです。  このような悲劇的人物は戦後日本であまり見当たらなくなってしまいました。環境の変化に対して大幅な構造転換をしなければ生き残れない企業でも、将来の予測から徹底したリストラをしなければならない状況と頭でわかっていても実行する人物は少ないのです。また逆らうことのできない環境変化に徹底して反抗し、その結果回復する企業もありますが、最終的には企業が存続できない事例も多くあります。自己の存在をかけて環境や運命に徹底して抵抗することを通じて活路を見い出だす可能性に賭けるわけでもなく、なんとなくリストラをしてそしてまた衰退して中途半端なリストラを繰り返す。そして最終的にはどこかの企業に吸収されたり清算されてしまうという、あまり締まりのないリストラ劇が多すぎます。このようなリストラ劇は劇としては生ぬるく面白い舞台ではありません。主役が誰かもわからなかったり、主役のキャラクターや意思が不明であり、役として成立していないのです。脇役も舞台上で果たすべき役を演じないばかりか、舞台から降りてしまう人までいます。  企業はリストラによって再生することが望ましいに決まっていますが、これは環境に徹底して逆らい新たな価値を見出した企業のみが生き残るのであって、環境に対して徹底した自己存在意義を問い直さないリストラは失敗します。さらに失敗したリストラ劇の結末には、現代日本人の“日本人らしさ”がなくなったゆるい結末で、だれも責任を果たしたと言える状況ではないのです。“見るべき程の事をば見つ”と言えるリストラは非常に少なく、徹底した戦略再構築や経営施策を断行するという命を懸けるような深刻さがなく、単に経営ゲームとして負けたというような感覚にすら感じることがあります。真剣に経営をしているかと問われて命がけでやっていると胸を張って言える経営人が少なくなっているのではないか。日本的な重要な特性が失われているのではないかと感じることがあります。

中高年は使えない | その他

中高年は使えない

 中高年社員はビジネスの第一線で使えないと言われることがあります。例えば情報産業では一時期に35歳定年説と言われたように一定の年齢ピークを過ぎると技術的にまた体力的に第一線での活躍ができなくなるということです。また広告業では40歳以上の社員の多くは、世の中のトレンドについていけなくなり、センスが古いと言われてしまいます。建設や営業や製造の現場でも体力的に若年社員と同様に働くことが難しくなるとも言われます。このように一定年齢をピークにして次第に現場の主戦力と位置付けなくなる業界や企業が多いと感じます。大企業ではこのような第一線で活躍できなくなった社員を体力的な負担の少ない間接部門などに異動させることによって、社内のアウトプレースメント場所として吸収している例も多くみられます。また小売業やサービス業などでは中高年社員に対して退職促進するスタンスの企業も散見されます。  この中高年社員は使えないということ自体が本当であるのか強く疑問に感じるとともに、今後高齢化成熟化する社会において、逆に中高年社員の活用や再活性化が企業の成長を支える大きな原動力になる可能性も議論しなくてはなりません。65歳までの雇用を考えると、この中高年社員の戦力化の問題はさらに深刻です。  中高年社員は本当に使えなくなるのかということについて大いに疑問であると論じましたが、この使えなくなる現象は企業の努力不足によるところが大きいとも推測できます。例えば情報産業では中高年社員は技術進化についてこれないという理由を挙げる企業が多いですが、若手社員と同様のまたはそれ以上の技術教育と意識改革を継続して行っている企業は非常に少ない状況です。常に新たに若い技術者を採用して中高年は使い捨てにしているともいえます。本当に技術やマインドの教育をした結果使えないのであれば仕方ないのでしょうが、努力を怠っている企業は雇用責任を軽視しているとも言えるでしょう。広告業などでもセンスが古くなるといわれていますが、常に最新のトレンドに鋭敏さを持つべく教育努力は十分なのでしょうか。社員側も厳しい第一線で仕事をした後にはのんびりとした中高年用のポジションに就くことを暗に期待しているのではないかとも感じます。  体力的に厳しいという現象についても議論しなくてはなりません。確かに中高年になれば健康上の問題が多く発生することになります。しかし日本の労働市場では第一次産業のように最も体力的に厳しい職場(農業や漁業など)の平均年齢は非常に高く、それでも第一線で活躍している人が大半です。また中小中堅企業では中高年といえども若年社員と同様の働きをしている人が多いのです。中高年社員が使えないと言っているのは大企業や労働市場が発達をして若年社員の採用が容易な業界だけの話とも考えられます。このような業界や企業では企業側の努力も足りませんし、中高年社員自身も甘えています。体育の時間ではありませんが体力強化を研修に加えたほうがよいかもしれません。  日本の高齢化成熟化が急速に進行することに対応して、人事制度や教育も中高年社員に照準をあてた抜本的な見直しが必要になるのではないでしょうか。中高年社員は使えないというスタンスや社員の甘えの構造を抜本的に正さなくては雇用に魅力があり責任のある企業と言えなくなる時代が来ています。中高年こそ主戦力となる人事管理を早急に検討しなくてはなりません。

50歳管理職登用 | 人材開発

50歳管理職登用

 今後65歳までの雇用義務化や70歳までに延長される可能性があることから考えると、ビジネスパーソンの人生は今までに比較すると激変することになるでしょう。終身雇用のように長期雇用を前提とした場合には、極論すると2つのタイプの人事管理スタイルのどちらかになると予想されます。一つのタイプは年齢に関係のない人事管理スタイルです。年齢に関係なく実力によってポジションや職務を決めるというものです。プロ野球のように活躍しているときは年俸が高く、実績を残せなくなると年俸が下がるようなエレベーター式の人事制度ということです。このような実力主義的人事管理スタイルは、企業にとって人材の短期的な有効活用という観点ではメリットのある方法でしょう。デメリットとしては、かつて活躍した社員が降格したり給与がダウンするといった現象が多くなり、モチベーションの維持や雇用の安定、技術の伝承という観点で問題が発生することになります。  このような実力主義に対して、年功序列的な人事管理スタイルがもう一つの考え方です。大学を卒業して65歳まで勤務するということは43年間の在籍ということになりますが、企業の階層をピラミッドにするためにはあまり若い年齢で管理職にすることができなくなります。現在では40歳前後で管理職に登用する企業が多いですが、43年勤務を前提とした場合には、50歳前後で管理職登用くらいのスピードが理論上適正になるはずです。逆に50歳登用くらいのスピードでなければ、企業内に管理職だらけになってしまうのです。  そもそも管理職への登用はビジネスパーソンにとってひとつの成功の象徴的事象であると同時に、人事上も重要な管理事項です。管理職登用の理想的な年齢を聞くと、経営者や人事部門は40歳前後や優秀であれば30歳前半で登用したいという答えが多くあります。この感覚は企業の成長力が高い状況であれば成立する考え方ですが、成長が鈍化した場合には、40歳管理職登用は全く合理性のない感覚にしかすぎません。また、優秀であれば30歳前半で登用できるようにしたいということ自体は非常によいことですので否定するべき話ではありませんが、若くして登用する社員がいるのであれば、管理職の平均登用年齢を維持するためには、遅く登用する社員がいなければバランスしません。要は平均登用年齢と登用の分散をどのように考えるかという構造的な問題だということです。  年齢に関係のないマネジメントスタイルか、ある程度年齢を意識したマネジメントスタイルかはビジネスモデルや企業のおかれている環境によって、どちらが適合しやすいかということでしょう。習熟に長い年月のかかる高度な技術を基盤とした製造業であれば安定した雇用や技術の伝承を重視しますので、必然的に遅い管理職登用型の人事制度になっていくでしょう。一方で、環境変化の激しい小売、サービス、情報産業などは短期の人事パフォーマンスを重視する傾向にあると同時に、労働市場での流動性も高いので年齢に関係のない実力主義的マネジメントスタイルが適合します。  企業が大きくなればなるほど社会的責任が大きくなりますので、終身雇用や安定した処遇が強く求められるようになります。そのため日本企業全体という観点でみると50歳管理職型のようなスタイルに次第に変容していくとも考えられます。50歳管理職登用というのは一見あり得ないという感覚がありますが、理論上は一つの適正なスタイルだということで、一笑に付すことができない重要な論点です。

人事部長には先がない | その他

人事部長には先がない

 統計をとっているわけではありませんので、感覚的な話になりますことをまずは宣言させていただきます。結論は、人事部長経験者は役員になる可能性が低いのではないかということです。人事部長ポストは確かに重要なポストではありますが、人事を含めた管理部門の責任者に直結したポストかというと、経理や経営企画のほうが、分があるようです。多くの企業(特に株式公開している企業)では経理部長出身者が管理部門全体の責任者に昇進する可能性が高いように思えます。CFOという言葉は日本語では最高財務責任者ということになりますが、実際には管理本部長ということです。経理財務を制する者は他の管理分野の統括も包含していくことが普通な感覚です。たまにCHO(チーフ・ヒューマンリソース・オフィサー、最高人事責任者)などのような言葉もありますが、管理部門全体を掌握できるルートにいない人事関係者の寂しい思いが、このような中途半端な言葉を生んでいるのでしょう。  そもそも管理間接部門は企業経営の基盤を整備することが主たる任務です。主要な機能としては、経営企画、経理財務、人事、総務、法務、システムなどしょう。これらの機能の中で短期業績重視、株主経営重視、対金融機関重視という観点で、経理財務責任者が管理部門全体を掌握していくことが普通な流れと認識されているのです。経営の重要なリソースはヒト、モノ、カネ、情報と言われています。特に資源のない日本企業ではヒトの管理が企業の成長に絶大な影響を与えるはずです。しかし実際の人事管理のレベルはこの経営の期待に対して大きく遅れていると言わざるを得ません。実際には給与計算や評価の後処理、採用などの実務に追われて、本来のヒト資源の有効な管理を提供していないのです。経営計画を達成するには、人員配置、採用退職、評価給与のコントロールが絶対的な力を持つのであれば、人事機能の地位はもっと格段に向上するでしょう。  人事が十分に機能していないことは、経営にとっても重大だと思う企業も多くあります。そのため今まで古い変革のしない人事部で育った社員を人事の責任者にせず、営業や製造の第一線で活躍してきた社員を人事部長に任命するケースも散見されます。過去の人事管理のレベルを脱却して、新しい視点で経営が求める人事管理を構築したいというのが本音なのでしょう。このような人事も効果的に作用することはあります。特に大規模なリストラを断行する場合などは有効な手法ではあります。  今後人事機能が経営に対してより高い付加価値を提供し、人事機能の強化なくして企業の成長がないくらいの重要性の認識が持たれるほどのレベルに成長しなければ、人事部長に明日はないでしょう。厳しい環境における再成長のためのヒト資源の管理を合理的に提供できる人事機能を性急に求めています。このように人事が経営の本質的なニーズに近づけば、将来CFO(最高財務責任者、管理部門責任者)は人事部長から昇進することになるでしょう。CHOなどのような矮小な概念で今の人事の地位を守ろうとするのではなく、企業経営により貢献する機能として再出発しなければなりません。

合併前夜 | その他

合併前夜

 3つの企業が合併するための準備プロジェクトに関与したことがありました。同業界内での中堅の3社が、大手企業に対抗して規模メリットを追求して合併するというものです。正式な合併の調印をするまでに、合併の諸準備を行わなくてはなりません。各領域に個別委員会を編成し、全体を統括する合併準備委員会で決済をする臨時組織を編成しました。主要な個別の委員会は、合併後の経営計画を立案する経営企画委員会、営業統合を進める営業統合委員会、組織機構や人員配置を検討する組織委員会、諸規定や人事制度の整備をすすめる総務人事委員会、新会社の情報システムを統合する情報システム委員会などです。これらの委員会にコンサルタントを数名づつ配置し、統合準備のアドバイスを行うというものでした。私は大元の合併準備委員のメンバー、組織委員会と総務人事委員会の2つの委員会のコンサルティングの責任者として、部下数名づつ配置して統括する役割でした。  個別の委員会は委員長1名と副委員長2名の元、3社から数名の担当者が配属されます。また諸連絡調整のための委員会事務局を設置しました。これにコンサルタント数名が加わり委員会を運営します。委員会は3社の出身者によって多くのテーマについて協議して決定していくことになります。簡単に合意できるテーマもあれば、合意が極めて難航するものもあります。組織委員会では、あるべき組織機構については3社とも合意するものの、責任者の任用の決定方法についてはなかなか合意に至りません。出身会社の規模による役職ポストのバランスの調整が難しく、そのため本当は1名の部長で十分なところを、副部長2名を配置せざるを得ない妥協も選択せざるを得ません。組織人事委員会での難しい大きなテーマは2つありました。社名の決定と人事制度の統合です。社名に関してはA社が旧社名を連想させる名称にこだわります。他の2社は現在の3社の名前を全く連想させない新しい名称にすることを強烈に主張します。  3社を仮にA社B社C社とします。売上規模はA社を3とするとB社は2、C社は1.5の規模です。大手企業に対抗していくためには規模拡大によって、コスト削減や営業の統合にシェアの拡大を実現しなければなりません。時勢の流れでは3社合併は理にかなったものでした。今のままでは3社とも将来はじり貧と予想されますが、合併すれば新しい成長戦略が描けます。この合併はB社C社は積極的に推進したい意向です。しかしA社は合併後もA社オーナーが主導する立場を保持したいと考えています。A社としては他の2社を吸収したい意向もありましたが、企業規模や収益状況からA社による吸収合併は困難です。A社は合併をして主導権取りたいという思惑が根底にあります。そのため委員会の中ではA社vsB社C社という構図が多くみられました。その最たるものが、主要ポストへのA社社員の配置や社名、人事制度です。  様々なテーマは多くの困難や長い協議の結果、なんとか解決の方向が見いだせました。しかしこの3つのテーマについては結論のでない長い協議を繰り返すのみです。最終的には役職者任用は1年間は旧3者出身者を配置し能力適正を判断した後、1年後に1名とすることになりました。社名は現在の合併スキームからは新しい社名を公募することで一応の決着をみました。これは3社の社長に個別に状況を話をして何度も根回し調整の後にやっと結論に達しました。人事制度はもっとも困難でした。A社はさしたる理由もなく、A社の人事制度をそのまま準用することを主張します。日本的な人事制度で成果実力主義的とは言えない制度です。最も人事制度が整備されているのはB社でした。厳しい経営環境を想定した人事制度であり非常に考えられ工夫されたものでした。規模メリットによるコスト削減効果を実現するためにも、また旧3社のイメージを残さないで実力主義を実現し、社員の融合を促進するためにも、B社をベースとした人事制度への転換が誰の目からも合理的です。最終的には委員会内での多数決で決しました。  様々な苦労や困難を経て、やっと合併の最終合意書への調印の日を迎えようとしていました。コンサルティング部隊もやっとの思いで準備作業を進めてきましたので、主要なテーマが解決のめどが立ち、一仕事終わった達成感があります。しかし合意書への調印前日の深夜に電話が鳴ります。相手は組織委員会の責任者であるB社の専務取締役です。電話の内容は、調印前夜にA社のオーナー社長は合併を撤回したという衝撃的なものでした。様々な準備がなされ、いよいよ新会社の誕生という前夜に、合併条件にかねてから不満のA社社長が翻意したということです。3社合併は前夜に無くなったということです。その後A社社長に対して多くの関係者が説得しましたが、首を縦に振ることはありませんでした。  当然コンサルティングも突如終了します。組織・人事については、ある程度理想的な姿にできる準備が整っていただけに、あまりに突然の終了で唖然とした記憶があります。その後数年たち、A社は業績低迷で業界大手企業に吸収されます。B社C社は他の連衡先を探し数社からなる企業連合をつくります。しかしその企業連合も数年後には大手企業の攻勢に逆らえず吸収されることになります。B社専務とはその後も何回か会う機会がありました。その度にあの3社合併が成立していればこのような状況にならなかったと回想します。経営にとって時勢を読むことが重要だとつくづく感じる案件でした。

飲み会のスタンス | 人事制度

飲み会のスタンス

 私も50歳弱の年齢となりましたが、最近、飲み会での風景やマナーや礼儀が以前に比較してずいぶんと変わってきたと実感します。我々の年代がまだ駆け出しだった頃は、クライアントとの会食でも社内での飲み会でも、ずいぶんと気を遣った記憶があります。クライアントとの会食は年輩の方との会食が多いため、私自身の振る舞いなどは以前と変わらないのですが、同席する社員の言動やスタンスなどにははらはらすることがあります。また、社内を意識的にフラットにしていることもありますが、それにしてもあまりに気を遣わない、気が利かないなどという感覚を強く感じます。これはよい面と悪い面がありますので一概に以前に比較して問題だと思わないのですが、個人の感覚との差として驚くことも多くあります。  具体的にギャップを感じることを列挙してみます。まず第一に、酒を注ぐことをしなくなったなと思います。酒を注ぐという行為は相手に対する慰労や感謝、親近感の現れの一行為です。接待側であればお客さんに対する礼儀として、常に杯やグラスの状況から適度なタイミングで酒を注ぐのが気遣いというものです。当社の社員は比較的女性比率が高く、また、人事関連サービスをしている企業ですので、女性がお酌をするのも妥当認識は全くありません。フラットな企業文化にするためにも、男女とも基本的には社内での飲み会は酒を注ぐことはしないようにと指導しています。そのため社内での飲み会では酒を注がれることは稀です。この感覚をクライアントとの会食に持ち込まれると、世の中の常識と異なることにすら気づかないことのではないかとも思います。接待の席で静かに座っており、酒も注ぐという感覚がないのです。マニュアル的に酒を注ぐ注がないと言っているのではなく、酒を注ぐという行為の意味や自分の位置付けがあまり理解されないようです。  次に、飲み会の主旨の理解です。飲み会はいろいろな意味で絶好なタイミングであることを理解していません。これも我々が若いときは、飲み会は普段話さない相手や話さないことを会話できる絶好のチャンスなのです。コンサルティング会社は基本的にはプロジェクト単位で組織編成しますので他の社員と日常コミュニケーションを十分にとれません。ノウハウや情報を共有するという観点からも、もっと積極的にいろいろな人といろいろな話しをする絶好のチャンスであるということを認識していない人もいます。仲のよい数名の社員が固まって酒を飲んでいることなどもありますが、別の機会に数名でいけばよいのであってチャンスを生かしているといえません。クライアントに対してもそうです。クライアントの経営者や幹部との会食ですので、様々な話を聞ける絶好のチャンスです。チャンスを生かせるか否かは本人のスタンスによります。  第三には、場の雰囲気を見ないということです。テーブルに料理が運ばれてくれば、気が付いた者が率先してテーブルに置いたり、スペースがなければ少量残っている料理を皿を取り分けてスペースを空けるなどの配慮ができないようです。自分に取り分けられた料理を食べるか、自分の食べるものを自分で取るくらいで、テーブルにいる他の社員への配慮やテーブルの状態などへの場を見ることができないのです。遅れてきた社員に対しては、まずは席を指定して用意することがその社員への礼儀ですのに、あまり気を遣ってはいないのではと思えることが多くあります。  この他にもいくつか気になることはありますが、クライアントにせよ社内にせよ、宴会や飲み会の行動やマナーや礼儀がずいぶんと感覚が違うなと感じます。これは職場を離れて飲食をともにするという意味やスタンスが違うのだと感じます。クライアントとの会食時には口うるさく言いますが、社内の飲み会ではこれも自然な文化の一つかなと思ってしまいます。ですので、飲み会始まりますと、食べ物飲み物への配慮などは私がしていることが多いことに気が付きます。最近ではいたずら心もあり、酒の瓶やボトルは私の横に確保して私が他のメンバーに注ぐようにしています。たまに私に注ごうとする社員はいますが、断りますとすぐに引き下がります。形式の問題ではなく、酒を注ぎたいと思ったら、私から瓶やボトルを奪っても注ぐくらいの気合いがなければ、注いでもらわないで結構だということなのです。  お酒を飲まない社員の比率も高くなってきている中で、宴会や飲み会のスタンスやマナーを論じること、特に社内での飲み会などはそうですが、昔の飲み会の方が人間味があったなと感じてしまいます。クライアントとの会食などは、普段は話せない普段では聞けない仕事や人としての話が聞けます。時代とともに変わるのでしょうが、最低限のマナーや礼儀はビジネスマンとして意識するのが当然です。私などはクライアントとの会食で本当にいろいろなことを教えていただきましたし、親交を深められました。せっかくの機会ですので、気持ちよく、さらには勉強になるような、いい酒を飲みたいと思っています。

人事の笑えない話 | その他

人事の笑えない話

人事管理の中でよく冗談とも言えない小話があります。その時々の人事の問題や本質は捉えつつも皮肉的自虐的不謹慎であるという感覚があり、あまりおおっぴらには話されない傾向にあります。まあ笑えないジョークというところでしょうか。私が遭遇した人事関係で笑えない話を少ししたいと思います。 1.”部長ならできる” 非常に古典的な笑い話です。バブル崩壊後のリストラ時によく使用された話です。当時は団塊の世代管理職が余剰していたことから、管理職の人員削減が多く行われました。企業内に管理職待遇の社員が多かったことから、管理職としての仕事をしているのではなく、実務を半分、管理職のサポート半分という仕事のスタイルをしていた人が多かったのでしょう。実務を中心にしているわけでないので、実務のノウハウも現場の社員にはかないません。また管理能力も高い訳ではありません。部長のサポートをしているということなのですが、部長も周りにサポートしてくれる管理職がいるものですから、自分一人の責任で管理をしていません。このようなキャリア的に中途半端な管理職の社員がリストラで会社を退職して、再就職のためにいろいろな面接に行きます。面接の担当者が”あなたは何ができますか?”と聞くと、”部長ならできます”と答えるそうです。実務に自信がないことから、周りのサポートを受けて部長というイスに座ることはできるということを言いたかったのだと思います。 “部長ならできる”という言葉はビジネスマンとしてのキャリアを考えさせられる象徴的な言葉としてちょっと流行った言葉でした。 2.“みんな徹夜でがんばったんだ” ある会社でサービス残業が多く、労働基準監督署から指導が入ったそうです。この会社は損益的に厳しく、超過勤務手当をまともに支払うと人件費倒産するのではないかという状況でした。しかし現場では非常に忙しく、多少の業務効率化などをしても、厳しい経営環境の中で、残業を大幅に少なくすることは難しかったそうです。労基所の指導はしごく全うなもので、社員の労働時間管理をすること、労働時間に対する超過勤務手当を支払うこと、長時間労働者の健康管理を徹底することの3点だったそうです。総務担当取締役は労基所の担当官に、このサービス残業問題は半年間待ってほしいと言ったそうです。当然監督官は直ちに適正な状態にしろと言います。このままでは人件費倒産することなども話をしましたが、結果監督官は、次月に個人別の時間管理表の提出をする事と時間管理表通りの超過勤務手当の支払いを行うことを命じました。 会社側は各職場で毎日出勤時間と退社時間の管理表をつけるように指示をしましたが、一定範囲の時間しか残業として認めないと付け加えたそうです。要は形だけの時間管理表を作成しろということです。次月に監督署に赴き時間管理表を提出しました。監督官は時間管理表をみた後に、この管理表は適正に出退勤時間をつけていないのではと言ったそうです。総務担当取締役は、“この時間管理表はちゃんとつけるように指導しています。人事は徹夜でがんばったんです”ちなみに人事部の社員は時間管理表上では残業時間がほとんどなかったそうです。これもコンプラか会社の損益かという事でよく使われた悲しい話です。 3.“部長代理なんていらない” とある企業で人員削減の相談を受けました。社員数3000名の企業で社歴の長い伝統ある企業です。人員削減の相談で社内では問題があるので、当社に来ていただくことになりました。2、3名の方が来社されると思っていましたが、7名の方がお越しになりました。名刺交換すると、人事部長、人事部部長、人事副部長、人事部長代理が2名、人事次長、人事課長の7名です。伺った話は非常に深刻で、3000名の社員のうち500名くらいが余剰であるとのことです。しかも管理職がかなり余剰しているそうです。人事制度を簡単にお聞きすると、特に部長のポストに比較して部長級の社員が異常に多いとのことでした。そもそも年功的な人事制度や運用の結果このような状況となったということで、短期的には人員削減を実施するとともに人事制度をもっとシンプルにしなければなりません。直言癖のあるコンサルタントが、“そもそも部長がいる上に副部長がいて部付部長がいて部長代理なんていらないですね。”人事管理としてのあるべき姿を話すスタンスからは部長代理はいらないと言わざるを得ません。先方は大人の会社で、当方の意図するころや直言を素直に聞いていただきました。中間的な役職が多い企業が多く、会議をするときも参加者によっては多少気にはなりますが、直言するしか当方の存在価値はありません。 4.“シニアバイスプレジデント” 名刺交換するとたまによくわからない肩書きに遭遇します。外資系の企業の名刺の肩書きでおもしろいものがよくあります。例えば先日ある外資系企業の方3名と名刺交換しました。1名はバイスプレジデントもう一人がシニアバイスプレジデント、もう一人がディレクターでした。3名の上下関係は何となくわかりましたが、意味がよくわからなかったのでストレートに聞いてみました。“御社の社長の肩書きは?バイスプレジデントは副社長ですか?何人いますか?シニアバイスプレジデントとは?社員全員で何人ですか?”失礼になってはいけないので実際にはもっと気を遣った聞き方をしていますが、答えは、社長はCEOでCOOもいるそうです。バイスプレジデントは10名いるとのこと、その中でシニア付きが3名だそうです。社員全員で30名の会社だそうです。肩書きはビジネスを行いやすくするためにある程度自由につければよいと思いますが、ずいぶんインフレな会社もあるのだなと、ある意味感心しました。世間とズレすぎで面白すぎです。 5.“有給は無いの?” たまに遭遇する取締役です。取締役になるときに十分な教育を受けていないのか、商法上の取締役の権限や役割、人事上の扱いがよくわかっていない方がたまにいます。社員の延長線上で役員になったという意識ですので、たまに面白いことを聞かれます。”役員には有給はないの?”“役員にも夏冬の賞与を払ってほしい”“休日に出勤したときの扱いは?”などなどです。ご本人が悪いわけではないと思います。取締役は社員と全く異なる存在です。十分な教育を。