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コラム

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ライタープロフィール

林 明文
林 明文(はやし あきふみ)

青山学院大学経済学部卒業。 トーマツコンサルティング株式会社に入社し、人事コンサルティング部門シニアマネージャーとして 数多くの組織、人事、リストラクチャリングのコンサルティングに従事。その後大手再就職支援会社の設立に参画し代表取締役社長を経て当社設立。代表取締役シニアパートナーを経て現職。明治大学専門職大学院グローバルビジネス研究科客員教授。

コミュニケーションに「こころ」は必要 | その他

コミュニケーションに「こころ」は必要

当社のコラム内で論争をするつもりはありませんことを表明してから書き始めたいと思います。当社吉岡執筆の”コミュニケーションに「こころ」はいらない”というコラムがあります。 (リンク先はこちらです↓) https://www.transtructure.com/column/20100513/ このコラムは非常に衝撃的な内容で、いろいろなところから反響をいただいております。人と人とのコミュニケーションは役割を演じるのであり、一人の人間としての人格や性格は会社の中では本来的に必要ないということです。コミュニケーションは技術論であり、その実証としてロボットによる演劇で感動を与えられるというのです。 私は30歳くらいの頃より講演やセミナーで話す機会が多くなりました。30代前半の時は企業のリストラに関する内容が多く(当時はリストラの専門家があまりいなかったのでよく登板しました)、その後は人事関連やベンチャー企業経営などについて様々なテーマで話す機会をいただいています。通算して何回話をしたか数えていませんが、年間30〜40回程度話すと思いますのでそれなりの回数話しているはずです。わざわざ話を聞きに来ていただく方に対して出来るだけのパフォーマンスを出したいと思って行っていますが、講演セミナーがうまくいくために重要なポイントは2つあると思っています。一つは内容(コンテンツ)です。講演セミナーのテーマに即して、分かりやすく、インパクトのある、実例に基づいた内容でなければ聞き手は満足してくれません。 二つ目は、吉岡流に言うと「こころ」です。開演の5分前には常にこう思っています。“この講演で失敗したら今後講演は二度とやらない!”いつも何度もこう思いながら講演前の時間を過ごしています。(周りからはそう見えないようですが・・・)同じコンテンツを伝えるにしても、聴衆の期待にできる限り答えようとするスタンスや姿勢が満足感に大きく影響するのです。もっと言うとコンテンツよりも、この「こころ」のほうが極めて重要なのではないかと感じています。これは「演じる」レベルではないのではないかと思います。 実験したことがないので「こころ」があるのと「こころ」がないのは聞き手側の評価がどう変わるかはわかりません。プレゼンテーターとしての役割をうまく演じるという感覚以上の「こころ」の部分は必要ないのかと思うと肯定も否定もできません。社員も「演じる」ことで役割を達成できるという感覚も、肯定も否定もしませんが、やはり否定したいです。職業人としての自己の思いが、組織内でのキャリアを形成していくのであり、役割を演じることによって(その程度で)キャリアが開かれるとは思いたくないと言うのが本音です。吉岡コラムを読むと、自分のキャリアに関する感覚が古いのか役割の演じ方に甘さがあるのかと考えさせられます。 今度ロボットに講演させてみましょう。「こころ」が必要か否か。聴衆の反応が私が話すのとロボットと変わらなければ、2度と講演しないと宣言します。 以上

M部長 | その他

M部長

今回はある製造業のM部長について話をしてみたいと思います。この会社は精密機器の製造メーカーです。近年の環境の激変で厳しい経営を余儀なくされています。商品サービスの抜本的な再編、生産拠点の合理化、管理機能の徹底したスリム化など、考えられる経営施策を次々と実施してきました。しかし急激な環境変化は、実施する経経営施策でも追いつくことができません。人員削減なども含むかなり大胆な経営施策の実施を行っても、環境変化からみると後追い施策のようにみられてしまうほど変化のスピードが早かったといえます。 この会社とはすでに10年ほど関与させていただいております。この間社長役員もたびたび交代となりました。人事部長もこの間に3回交代し3年前よりM氏が就任しました。M部長就任当初も業績の低下傾向に歯止めがかからない環境であり、当時の新経営計画もどちらかというと縮小均衡の消極的な計画でした。M部長就任前にもすでに数回の人員削減を行い、給与カット、一時帰休など考えられる施策はほとんど実施してきた状況です。 M部長は入社後一貫して事業部に所属していました。事業部では主力の部の部長を長らく担当し安定した実績を挙げてきました。部長としての人物能力は高く評価され事業部には不可欠なキーマンと言われた人材です。会社は今の縮小均衡をさらに押し進めることと同時に、新たな成長領域を必死に模索しなくてはなりません。人件費をさらに圧縮すると同時に、業績低下に歯止めをかけるべく営業の強化、新たな製品開発への挑戦といったマイナスとプラスを同時に行わなくてはならない非常に難しい環境です。会社はこの難しい局面の人事部長の大任を人事経験のないM氏に託しました。 M部長はやさしそう誠実そうで端正な外見からうける印象と異なり、頑固でねばり強さが際だった人物です。一度決定した方針は徹底して実行します。厳しい会社の状況の中で率先して自らを厳しく律し、自分の納得する経営施策をうまく調整していきながら着実に実行しました。特に労働組合との協議については知恵も気も時間も十二分に使い厳しい中でのこの会社での新しい労使協調の意識を強力に醸成したといえます。 M部長の最後の仕事は非常に見事なものでした。会社は下げ止まらない業績の根本的な原因は、国内生産拠点を抱えているからであると判断しました。かなり以前より海外生産拠点はもっているものの、労働組合や地元の強い要請もあり国内生産拠点の見直しは小規模なものを複数回実施したにすぎません。労働組合も国内工場存続は組合の存在意義をかけた譲れない一線と認識していました、工場閉鎖は難しいため抜本的な改革は進まず、そのため高コスト体質を脱却できないということです。しかし長期低迷の経営から脱却するためには国内生産を中止し、コストの構想的見直しを行わなければならないことは誰しもがわかっていることでした。 工場閉鎖が進まない原因は、労働組合の強力な反対だけではありません。歴代の経営側のスタンスも一因がありあす。歴代の経営陣もこの最も難しく厳しい決断を自分の短い任期中におこなうことに積極的になれなかったということです。しかし新経営陣は躊躇なくこれ以上工場閉鎖を遅らせることはできないと決断しました。会社の歴史の中で最大の苦渋の決断であったと思います。しかし決断した後工場の閉鎖を実際にやり遂げなければなりません。トラブルなく、できるだけ円滑に、しかもできるだけコストを少なく短期間で。主たる問題は工場勤務者の雇用対策を中心とした人事問題です。M部長の最も過酷な使命でした。 まず工場閉鎖を社員や株主に理解してもらうために、今後の経営方針、経営計画、工場閉鎖のメリットデメリットを詳細に説明しなくてはなりません。会社として工場閉鎖は再建に必須な不退転の決断であることを浸透させるということです。その中で最も重要なのは今後の会社の方針やあり方、すなわち将来のビジョンということになります。同時に工場勤務者の雇用対策をしなくてはなりません。工場閉鎖ということですので基本的には工場勤務社員は全員必要がなくなるということです。この工場勤務の社員及び労働組合との協議折衝については、正攻法しかないと判断し、社長はじめとし役員に全面に出てM部長指揮のもと何度も何度も説明をしました。今まで数度の人員削減を行ってきましたが、M部長は、工場閉鎖に伴う退職条件を経営側も組合側も想定していなかったこの会社の中では破格の条件を提示することを提案しました。これは工場勤務社員全員が退職に応じてもらうこと、今までの会社に対する貢献への報償、最後の人員削減であること、労働市場が厳しくすぐに転職できることが困難であることなどがその理由です。このくらいの条件を提示しなければ経営責任を果たしたことにならないという意識と、労働組合や社員が想定以上の条件を提示することによって後の交渉を進みやすくするという戦術的な面もありました。経営陣はできるだけ少ないコストでという意識が強かったですが、M部長のはっきりとした真摯な説明によって原案通りの施策となりました。それでも工場閉鎖に至るまでは様々な問題が発生しました。ひとつずつ丁寧に解決していき最終的には無事に工場は閉鎖となりました。 仕事柄多くの人事部長と会いますがM部長は強力な印象が残っています。無口であり物静かに見えますが、方針や計画を決めたら迅速にねばり強く行動します。人事の細かな知識はありませんので逆に経営や事業という観点からの人事のあり方を先入観なしで判断できます。工場閉鎖の大仕事も外見的には淡々と実施しているように見えますが、相当の決意と努力と工夫がなければできないはずです。経営の大きな変革期での見事な人事部長でした。経営陣もM氏だからこそ人事部長にしたのでしょう。この大任が終結した3ヶ月後M氏の別部署への配転が決まりました。 人事部長としての活躍に敬意を表するとともに今後の活躍をお祈りしてコラムという形で書かせていただきました。 以上