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コラム

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ライタープロフィール

吉岡 宏敏
吉岡 宏敏(よしおか ひろとし)

東京教育大学理学部応用物理学科卒業。ベンチャー企業経営、ウィルソンラーニング・ワールドワイド株式会社コーポレイト・コミュニケーション事業部長等を経験後、株式会社ライトマネジメントジャパンに入社。人材フローマネジメントとキャリアマネジメントの観点から、日本企業の組織人材開発施策の企画・実行支援に数多く携わる。ライトマネジメントジャパン代表取締役社長を経て、現職。

By Communication | その他

By Communication

 目標管理制度は難しい。  目標さえ適切に設定できれば、あとは、達成できたかどうかを見るだけだから、評価に迷いはないのだけれども、このそもそもの目標の設定が悩ましいのだ。適正な目標の設定は、 1. 組織目標の分解  2. 難易度設定(=等級相応の目標)  3. 目標の表現  が3つのポイントとされるが、これがなかなかできない。  組織目標に連動していなければならない(1.)のに、「自身のダイエット」が目標化されるなんて笑い話が現実にあったりする。また、等級が違うのに同じ目標だったりする(2.)ことも多い。とくに、多くの会社で共通してできていないのが、3.の表現の妥当性。目標表現の基本は、「To be」、つまり目指す状態を示さなければならないのに、「To do」が目標として書かれている。プロセスや行動といった手段だけが書かれ、その結果のゴールが示されていないのである。  ゴールとして達成した状態、その達成水準が示されていれば、期末でできたかできなかったかの判断に悩むことはない。そうできるように、目標=目指すゴール、とそのためにやるべき行動、を切り分けて考えよ、ということだ。要は、「手段を目的化するな」ということである。  「To be」表現の重要性は、とくに定性目標でクローズアップされる。たとえば、モチベーション高い組織状況ならES調査結果、効率的な働き方の定着なら、時間外労働時間数など何らかの定量指標が達成水準と設定されるならいいけれども、そういった指標がない目標もある。だからたとえば、部下育成なら、どのような状態(=レベル)にするかの記述が不可欠になる。若手営業担当が部下なら、独力で顧客訪問ができる、独力で顧客ニーズ把握ができる、独力で提案ができるレベル、といった書き分けということだ。  では、目標として、「コミュニケーションのよい状態」というゴール設定はありうるか。  まず、コミュニケーションの良い状態とはなにか。それが特定できなければならない。口数の多い組織、一体感ある組織、和気藹々組織、阿吽の呼吸組織、、等々とあいまいではあるができなくはないかもしれない。しかしそもそもの問題は、コミュニケーションとは、「手段であって目的ではない」ということだ。だから、この目標は成立しない。コミュニケーションもまた、目的と手段が混同され使われがちな言葉である。  人事部の方々から、社内のコミュニケーションを良くする研修をしたいとの御要請をいただくことがある。しかし、コミュニケーションは手段であるから、大事なことは、コミュニケーションをよくすることで解決しなければならない組織課題はなにか、ということである。その課題の内容により、どの種のコミュニケーション機能をつかうか、あるいは、誰に、どのようなコミュンケ―ションスキルを身につけさせるかは変わってくるし、もしかすると解決手段はコミュニケーションではないのかもしれない。  手段としてのコミュニケーションには、明確なさまざまな機能がある。相互理解や伝達、意思疎通、共感形成といった情報の交換・交流だけではなく、行動促進や交渉、さらには情報の創造という機能もある。創出的なディスカッションはよく経験することだし、コミュニケーションするなかで意味が生まれることもある。そのためのスキルを教えることもできる。統合した会社のビジョン作成セッションや風土改革には、複数のコミュニケーション機能を組み活用したりする。  そうしたコミュニケーションのどの機能を使って、あるいはスキルを磨いて、どのような組織状態を実現するのか。組織のコミュニケーション課題とはつまり、「For Communication」ではなく「By Communication」なのである。

「管理」という誤訳 | その他

「管理」という誤訳

 Managementを「管理」と訳すからいけないのである。  マネジメントは「経営」であって、管理ではない。だから、マネジャーは管理職ではなく、経営職である。そのことは、多くの人が分かっているけれども、言葉のもつ力は強い。「管理」というラベルがついているために、ついつい、課長という管理職者は課の経営ではなく、まず管理をしてしまう。役所のような手続きに気を配り、木を見て森を見ないようなマネジメントをしてしまったりする。  だから、管理職階層の名称を経営職層としている会社は正しい。正しいラベルをつけておけば、ときに人事部の方々から管理職研修で要請される「管理職は、非管理職のプレーヤーとはちがい、経営サイドの一員であることを分からせてほしい」といったこともなくなるだろう。名は体を表すのだから、その名称は極めて重要である。  誤訳の最たるものが、「目標管理」ではないか。目標管理がドラッカーの言ったMBO(Management by objectives)の翻訳だとしたら、この誤訳の弊害は甚大である。まず、目標管理という言葉は、「目標を管理する」と読める。部下たちの目標を管理することを目的化してしまい、目標の設定と達成度の把握だけに注力してしまったりする。  原語を知っていれば、逐語的に訳して、「目標による管理」と理解する。これは幾分ましではあるけれども、まだ組織目標を分解して達成を図るという組織のオペレーションや個々人の業務管理のニュアンスに留まる。「目標による経営」と言ってはじめて、マネジャーが部門経営の意思と責任をもって、組織成果と人材活用の最大化をめざし、人々の目標という“ツール”を工夫凝らして駆使することになる。  もちろん、ラベルはどうあれ、そうした含意を理解していればいいだけのことだから、マネジャー昇格時にきっちり教えておけばいい。ただ、繰り返しリマインドしないと、管理という言葉のパワー(言霊?)に侵されかねないから、評価者研修や管理職研修では、目標管理(MBO)の意味を必ず強調し再確認することをお勧めする。  ついでにいえば、そもそもドラッカーは「Management by objectives and self-control」と言った。目標を設定し、自律的な業務遂行を促すということである。いちいち指示しなくても、部下が自分でやるべきことをやっていく、そういうマネジメントのことである。つまりそれにより、マネジャーが楽にならなければならない。  ともすれば、管理的な観点で正しい目標設定に腐心するあまり、目標管理制度の運用で多大な時間と労力がかかったりする。それでも、それにより部下が自律的主体的に動いてくれればいいわけだから、そうした目標たりえているかが一番問うべきポイントだろう。あるいは、決め事やルールに縛られないマネジャーの裁量性と説明責任による目標管理制度の自在な運用が、もっとさまざまに、あってもいいのではないか。  Manageとは、意思をもって、いろいろ工夫して、やりとげる――をもともとの語義とするのだから。

1人7役 | その他

1人7役

 中間管理職は忙しい。  プレイングマネジャーとして、必死に目標達成に邁進する一方で、経営者から「環境が変化しているから、今までのやり方を続けるだけではだめだ。みずから変革をリードしろ」といわれ、絶対に不祥事は起すなとコンプライアンスの徹底とリスク管理を厳命され、さらには、メンタルイッシューに気配りせよ、ダメな部下だろうがくれぐれもパワハラに注意せよ、と要求は増えるばかりだ。  加えて、次世代リーダーが育っていないと気付いたせいか、近年は、「当社は、管理職者の人材育成力が十分でない。人という経営資源を責任もって育てられるようにそのスキルを高めてくれ」といった、経営からの指示がよく人事部門に出たりする。たしかに管理職者の役割は、教科書的にいえば自組織の目標達成と人材育成ではあるけれども、中長期的な育成マインドと人材育成スキルをにわかに高めることは容易ではない。育成が大事なことと痛感しつつも、マネジャーの負荷感は高まるばかりだろう。  たとえば、「キャリア面談」というものが増えてきた。単年度の人材育成という意味では、期首に目標や課題を握り、期中指導し、きちんと人事評価をして、部下の成長課題を含めてフィードバック面談をするといったサイクルが回されているが、それとは別に、中長期の成長の意思確認と指導を明示的にするというものだ。若年層に対しては、リテンション、中堅社員に対しては“複線化”等の進路選択、50歳前後の社員は役職定年や雇用延長のレディネスといった狙いのキャリアマネジメント施策である。  つまり、マネジャーはキャリアカウンセラーの役割も要請されるのだ。「自分のキャリアは自分で決めろ、そんなことまでできるか」という管理職者の声が聞こえてきそうだな、と思っていたら、米国の人材マネジメントの本を見て驚いた。そこには、マネジャーが果たすべき7つの役割としてこうあった。 1. コミュニケーター ・部下と公式および非公式な話し合いを持つ ・部下の本当の悩みに耳を傾け、理解する 2.カウンセラー ・部下がキャリアに関連するスキル、興味、価値観を明確化できるよう援助する ・部下がさまざまなキャリアの選択肢を探せるように援助する ・部下がそれらの選択肢がそれぞれ適切かどうか評価できるよう助ける ・部下がキャリア目標を達成するための行動計画を立てられるよう援助する 3. 評価者 (略) 4. コーチ ・具体的な職務に関連するスキルや専門的スキルを教える ・部下の効率的な働きを促す ・向上のための行動を具体的に提案する 5. アドバイザー ・組織の成長に関する非公式および公式な現実を部下に伝える ・部下のためになりそうな訓練機会を提案する ・キャリア発達のための適切な戦略を提案する 6. 仲介者 ・部下を、キャリアの面で互いに助け合うことができそうな人材に引き合わせる ・部下が適切な教育または雇用機会にめぐり合えるよう援助する ・部下が外部の機関の援助を受けられるように橋渡しし、支援する ・紹介した機関が有効に作用しているかどうか追跡調査する 7. 擁護者 ・経営面での改善策がうまくいかなかった場合、別の戦略を部下と一緒に考える ・代表者として、部下の心配事を経営幹部に伝え、具体的な改善策が取れるように働きかける  仲介者や擁護者の記述には笑ってしまうけれども、数の多さに驚きながらも総じてうなずける役割の整理ではある。7役に書き連ねられると辟易するマネジャーもいるだろうが、人材育成やキャリア支援という意味では、多様な役割が求められるのは事実だろう。問題は、それ以外の、自部門の戦略や業務や不測の事態に応じたたくさんのマネジメントの仕事に加えて、こうした役割を果たさねばならないという負荷である。  中間管理職は組織の要であり、その機能発揮が経営を支える。ゆえに役割と責任の拡大とは仕方がないのだとしたら、まず「武器」を与えるべきではないか。たとえば、ICTによるタレントマネジメントシステムは、その観点から設計されるべきであり、武器のひとつとして、早々にマネジャーの手元に配備されることを期待したい。

ネガティブフィードバック | その他

ネガティブフィードバック

 聞きなれない言葉だが、厳しい評価結果をきちんと伝えることの意味で、そのための面談スキルを教えたい、という御要請が増えている。  そうした面談のテクニックとしては、座る位置は対面でなく斜め、必ず先に席についていてイニシアティブをとる、ねぎらいやほめることから始めるとか、相手の心理フェイズの移行に即した心理学的コミュニケーションのワザとか、いくつかはあるものの、コトの本質は「勝負は、面談前についている」であって、日常のマネジメントがダメであれば、面談の場面だけでどんなスキルを発揮しても効果は望めない。  ネガティブフィードバックとは、LP(ローパフォーマ)に対して、まず前段で低い評価を伝え、処遇が悪くなることを伝え、理解させることである。そのうえで後段、今後の改善に向け、動機付け、アドバイスし、方針を合意することである。日常の指導が不十分であまりコミュニケーションもなく面談に臨んだら、まずは、この前段で紛糾する。つまり、イエローカード出されていないのに、いきなりレッドカード。本人うすうすわかっていたとしても、そこはマネジメント批判という武器を得て反撃に転じる。  多くのマネジャーは、ともすれば、HP(ハイパフォーマ)やAP(アベレージパフォーマ)とのコミュニケーションには時間をとっている反面、見切っているし気分も乗らないからかLPとはほとんどその時間をとっていない。本来は逆で、HPは放っておいてもやるのだから、LPとこそ時間をかけ指導しなければならない。LP指導にある程度の時間をかける効用は、第一に、「見られている、気に掛けられている」という本人認識、第二に問題行動に対するその時点での指摘=イエローカード提示、のふたつ。  こうした日常のマネジメントが留意されれば、心理学も駆使した面談テクニックを使うことで、悪い評価に「納得」はさせられないまでも「理解」はさせられる。自己評価が高いLPは、悪い評価はなにがあっても納得しない。しかし、日常のコミュンケ―ション(=相互確認)を踏まえて、上司がそのように評価することを理解することは、ギリギリできるのである。さらに、自分を気に掛ける日常の態度から、改善を望む上司のスタンスをわかっているから、後段の会話にまでいたることができることがたいへん大きな効用だ。  だから、ネガティブフィードバックスキル研修では、面談テクニックも教えるけれども、日常のLPへの指導、そのコミュニケーションスキルの獲得がポイントになる。大事な日常の指導にこそ、コミュニケーションのワザが効くからだ。そして、もうひとつ必ず扱う内容は、LPを作り出させないための心得だ。単なる業務遂行能力の多寡だけが、パフォーマンスを分けるものではない。LP予備軍には、行動特性や性格、あるいは人間関係面での“LPになりそうなアラームが出ている状態”というものがある。  そうしたアラームをきちんと掴んで、個々人のLP化をどう阻止するか、ということである。すでにいるLP対策もさることながら、LPを生み出さないことこそがマネジメントの要諦だろう。それが本来、マネジャーとして業務と人の両面をマネジメントすることの役割であり、醍醐味のはずである。

マネージャーの意思に始まる | その他

マネージャーの意思に始まる

 誰でもが同じように評価でき、評価される側も納得感のある評価制度を設計することは難しい。  しくみを精緻に作りこもうとして、ともすれば複雑な計算式による評価が、どうも実態と離れた運用となり「評価のための評価」となってしまうことがある。あるいは、抽象度の高い評価項目に対して、基準が分からず曖昧でつけにくいと、現場の管理職者から文句がでたりもする。  いま主流になってきている絶対評価は、基準に即した評価ということだから、基準がはっきりしなければ始まらない。目標管理であれば、目標の達成水準が大事だし、能力評価や行動評価でも何をもって標準的か、標準より高いレベルか、低いレベルかを判断するか評価者を悩ませる。しかし、その答えを評価制度を作った人事部に求めるのは筋違いだろう。  目標の達成水準とは、管理者自身が「この部下には、ここまではやってほしい」と思うレベルである。さらに、ここまでいけば120%だし、この状態なら不十分で80%だと心づもる。「この部下には」、つまり等級や熟練度や給与に相応なレベルということも勘案して、である。その、自分が意思する達成水準を、期首に部下本人とにぎることがMBO(目標管理)の基本だろう。  能力や行動の評価も同じことだ。「この部下には、こういう行動をとって欲しい」という意思を、評価項目に即して具体的に描き、伝えておく。あとは、期中の具体行動をもって評価し、みづからつけた評点についての基準と根拠の説明責任を果たす。説明責任が果たせなければならないのは、もちろん、部下本人の納得感のためでもあるが、それ以上に経営に対する説明と宣言でもある。  目標にしろ能力や行動にしろ、評価運用時の「基準」とは、マネジメントの意思そのものだからだ。自部門では、誰に、何を、どのレベルでやらせることによって、組織目標を達成するという意思の表明である。そこは管理職者自身が、やりたいように自由に、裁量性をもって行えばいいのである。ただし、説明責任を果たせることを絶対条件として。  その意思が独りよがりでないかを確認をするのが、二次評価者の役割だし、意思する「基準」が他と比べてレベルがあっているかどうかは、一次評価者同士の評価会議で、目標達成水準や評価根拠の妥当性を相互検証すればいい。たとえば、いかに抽象的な能力評価項目であっても、この等級でこういった行動なら、「3」じゃなくて「2」だな、といった評価会議での検証・共有が蓄積していくことで、自社のリアルな評価基準が浸透していくことになる。  だから評価制度は、管理職者が意思を持って運用しやすいしくみであることが最重要な要件である。そして、評価者たちがみな、裁量性と説明責任を意識した評価運用をする。評価会議等を通じたその組織的実践が、各社固有の評価品質を高めていくはずである。  各社の人事部の方々を集めて評価セミナーをやることがある。そこではいつも、MBOで目標を立てるのは、上司か部下のいづれかを聞いてみる。すると、たいていは部下が立てる社の方が多い。もちろん、最終決定は上司なのだろうけれども、やはり、部下の目標は上司が設定することを原理原則にして、目標設定というマネジメント意思の表明を突きつけるべきではないか。

企業の安楽死 | その他

企業の安楽死

 全ての企業が、ゴーイング・コンサーンであるべきなのか。  なくなった方がいいような反社会的な企業は論外としても、業績不振でどうあがいても立ちいかず瀕死の状態が長く続いている企業や、一時代を経てその役割を終えている企業もある。場合によっては、意志して企業をいったん終息させたほうがよいかもしれない。  そうした「企業の安楽死プログラム」を逆説的につくって、関わっていた企業組織論専門誌に掲載しようと思ったことがある。といってもそれは、容易ではない。企業は、ステークホルダーズに支えられた社会的存在だから、経営者の勝手にはできない。投資家や顧客に対する手立てはいろいろ考えられるものの、従業員の存在がある以上、会社がなくなって従業員がいきなり生活できなくなったら“安楽”とはいえない。  そんなことを夢想しては、経営学や組織論の論客と議論したけれどもどうもうまく方法論化できない。そんな奇をてらったプログラム仮説作成はあきらめようとしていたら、なんと、実業のほうが危機的状況を迎え、自分の会社の安楽死を検討せざるを得ない状況となったのだった。  状況はこうだ。20年くらい前、社員数200人売上100億円の会社がバブル崩壊後に、3分の1の規模に縮小。しかもバブル崩壊直前に分不相応に立派な自社ビルを建てていたため、その負債で半永久的に黒字化は不可能という羽目に陥っていた。瀕死の状態で会社を死守し、消耗戦のなかで金利を支払っていくことの展望のなさから、真剣に「安楽死」計画を練ることにした。  ベンチャー事業としての存在理由、いわば魂(=事業コンセプト)は捨てたくないし、仲間たちが路頭に迷ってしまっては、安楽死ではなく悲惨な会社の最期になってしまう。かくて、不良債権ごと会社を消滅させながら、事業と人を生きながらえさせる計画をたてたのだった。「社員全員雇用の条件をつけた、営業権譲渡」と「訴訟覚悟の会社清算の実行」というシナリオである。  そのためには、単年度黒字化が必須である。現状赤字であり、営業権は、事業展望とともに買い手がつくわけだから、その証としての単年度収益の確保は、絶対条件だった。あまり詳しくは書けないけれども、メインバンクとももろもろ謀りながら、アクロバティックではあるが、実態としての事業の黒字化を実現し、その発展としての事業計画をもって、いくつかの会社の経営陣に対しての“営業”を行った。  いま我々の研修事業で提供している「上級プレゼンテーション研修」のコンテンツであるところの“タフ・クエスッチョン”の最大級版を浴びせられる場面を何度も経験したなかで、ようやくある会社の社長が、買ってくれることになった。売却価格の妥当性は当事者としてはなんとも言えないものの、なにより全員雇用や訴訟案件としてのリスクも含んでまるごと受け入れたその社長の判断には、大胆にして思い切りのよい経営判断として感謝し感服をしたものだった。  しかもその会社にとって、購入した事業はもともとのその会社のドメイン範囲外のものだった。その会社の一員となって何か月かたったとき、社長に、なぜ買う気になったのかを聞くと、「知らない領域の事業だし、聞いても良くわからなかった。採算性も不確かだし。とくに、事業展開の今後の広がりは、何を言っているか意味不明。でも、君たちがそれを確信持っていろいろ語っているのが、なんか面白くてね、その構想自体にも興味が湧いたんだ」と笑った。  経営者の意思決定とは、教科書的な意思決定の常識とは全く別物なのだと、このとき知った。つまり、そこに有効な「企業の安楽死プログラム」を作り得たからではなくて、ある一人の、独自の経営意思と出会えたことによって、私のいた会社の安楽死は実現したのだった。

自分の可視化 | その他

自分の可視化

 行動を変えるには、まず自分を知らなければならない。だから、自身の行動や性格、思考のクセ、対人関係のスタイルなどを可視化するツールを、研修でよく活用する。  360度診断では、自分の行動が周囲の人たちからどう見られているかが分かる。パーソナリティ診断では、コミュニケーションや判断、好き嫌いの特徴やビジネス行動の得意不得意を知る。言動のスタイルを4分類して、自分がどのスタイルにあたり、他のスタイルの人たちとの接し方を学んだりするのは、コミュニケーションスキル研修の常套手段だ。  スタイル分類はいろいろな流派があるけれども、理論的出自は共通なのでスタイル名称は異なるものの意味していることがあまり変わらないから、一度知ると、結構共通言語的に使える。そのトラディショナルなものを初めて体験したときは、驚愕したものだった。  先にチェックリストに答えることで、自分が知らないうちにスタイル分けがされている。同じスタイルでグルーピングされて、演習をやるのだけれども、その振る舞いやアウトプットが、自分たちのスタイルを教えられた後で振り返ると、その特性をあまりにも如実に示していたからだった。  ちなみに私のグループは、例えば営業相手の顧客タイプでいえば、「結論から言え」、「世間話はいらない」、「余計な挨拶は不要」、「長々と理由は言うな」という“単刀直入すぐに決めたい”派。その特性は知らないまま、演習をするという仕掛けで、演習のお題は、(1)自分達を一言でいうと何か (2)自分たちの好きなもの とか他愛ない事柄を話し合って決めるといったものだった。  まず、われわれのグループは、いちばん早く演習が終わっている、というのが後で知る特徴のひとつ。他のたとえば“社交派”グループは声高にうるさく熱く議論をしているし、“親密派”は無駄話ばかりして時間超過といったわかりやすさ。さらにわがグループでは、(1)自分達を一言でいえば、「唯我独尊」だったし、(2)好きなものは「ドイツ製品」という見事にスタイル特性に符合するアウトプットだったのである。  こういった自分の特性の可視化は、それを知ることで、自覚的に行動を変えることができる。360度診断の結果から、なぜ周囲はそう感じているのかを考え、行動改善を図る。資質的にチームワークが苦手ならそういう自分を意識して行動する。スタイル特性を知れば、その活かし方、留意点を踏まえ、ビジネス行動を意図する、といった具合。  たいていはこんな風に行動に生かせるのだけれども、どうやら、自己認識ができても変えられない特性もありそうだということもわかってきた。それは、「対人感受性」。これが、低い人は、なかなか行動変容は難しい。そもそも感受しないのだから、気を付けようがないということもあるけれども、それ以前にその点に気を付けようという気にならないらしい。  あるとき、コミュニケーション不全者だけを集めた研修をしたことがある。2日間、手を変え品を変え対人行動のアセスメントを行い、厳しいフィードバックをした。多くは、以降の行動改善に結びついたけれども、もっとも重篤な受講者は変わらなかった。いわば、筋金入りの確信犯として、行動を変えようとしないのだった。  対人感受性が極度に低いから、対人問題そのものがその人にとっては存在しないのである。つまり、自分にとって、大きな問題ではない。自分の可視化に意味があるのは、それが、自身の問題認識に結びつく限りにおいてだろう。とすればまず、組織として他者とともに仕事し成果を上げていくことに必要な振る舞いは何か、その基本中の基本の問題意識の喚起から始めなければ、コミュニケーション不全の根絶はできないのかもしれない。 以上

マズローの罪 | その他

マズローの罪

 入社2年目や3年目社員の研修で決まって要請されることがある。それは、「初任配属が希望と違うかもしれないけれども、目の前の仕事を全力でやることが次のキャリアにつながる」というメッセージを伝えてほしいということだ。  現場の仕事が予想以上にしんどいとか上司と相性が悪くて評価されていないとかの状況に加え、同期の彼は希望通りの配属なのに自分は違う。やりたい仕事がやれていない、どうすれば今後、そうした「自分のやりたい仕事」つけるのか、といった想いを持つ若手社員が多いということである。    そもそも社会に出たばかりで、自分のやりたい仕事が明確であるのだろうか? 子供のころや学生時代に何かのきっかけや社会的問題意識から、明確な目指す職業ゴールを持つ人もいるだろうが、多くは、仕事経験の中で、向き不向きや自分は何を面白いと思うのかを“発見”していくのではないか。 まだほとんど仕事経験がないときの自分のやりたいことなど単なるイメージにすぎないのに、それにとらわれて迷ってしまう。ましてや、大学のキャリア教育で、自分の将来のキャリアをデザインしたりするから、自分がやるべきこと、やりたいことを言語化し、それにこだわってしまう。 自己実現の呪縛である。よく知られるマズローの欲求階層は、最上位に自己実現欲求を置く。この整理は、人はなぜ働くか、という問いの答としては明快ではあるけれども、実現するべき自己がまずあるかのような誤解もうむ。経験や関係のなかで、自己がアイデンティファイされていくという事情をともすれば見落としてしまう。  キャリアデザインでは、よく「やりたいこと」と「できること」を棚卸しし、その重なりが強みだ、と言ったりする。しかし、この二つは独立しているのではなくて、経験を経ての「できること」つまり能力の向上や広がりが、次の「やりたいこと」を生み出していくことのダイナミズムこそがキャリア発展の醍醐味である。  こうした若手社員研修では、目の前の仕事をただやるのではなくて、その意味(会社にとっての、社会にとっての、自分にとっての)を考え、全力を尽くすこと。そのことの意義を、具体的に気付かせることに腐心する。だから最初の配属がどうあれ、無能な上司であろうが、そこを成長の場にできるかどうかは本人次第と分からせる。  とはいっても、最初の配属先がその人の将来を決める、といった調査結果もある。そのときどんな上司につくかが、その後の進路を左右するようなクリティカルな経験といった面もあるかもしれない。社会に出たばかりの若者にとって、上司の影響力がきわめて大きいこともまた事実だろう。  できる管理職者だなぁと日ごろから思い、おそらく部下にとって良い上司と目されるあるメーカーの課長に、この、新入社員の自己実現呪縛の話をしたら、彼はきっぱりとこう言った。  「そんなこと簡単だよ。これが君のやりたい仕事だ、といって業務をわたせばいい」

発達不全 | その他

発達不全

 研修のなかで、参加者一人一人の行動を観察しアセスメントすることがある。そのときのポイントの一つは、グループで議論をしていて意見が対立したときに、別の観点を提示して、その停滞局面を打破し議論を前に進めるような発言をしているか、ということだ。  単に、同調したり、頑なに自説にこだわるのではなく、意見の違いを踏まえたうえでコミュニケーションの階梯を一段あげるような発言たりえてるか、に注目して観察をする。そこに、思考力やリーダーシップ、とくにコミュニケーションのスキルレベルを診ることができるからである。  グループディスカッション演習では、だいたいどのグループにもそうした役割を果たす人がいるものだが、ときに、そうした場面がまったく見られないことがある。そもそも意見の対立自体が起こらなくて、むしろ違いの表出を避けるかのようにグループの結論がまとまる。予定調和的な議論が展開され、正解というか優等生的な答がきちんとだされたといった印象。そんな会社が何社かあった。  それが事業特性から醸成されている社風なのかもしれないし、優秀な人たちならではの“研修だから”といった割り切った所作かもしれないけれども、そこには強い違和感を覚える。個々人は優秀でおそらく実務でも問題ないけれども、もしかするとこの集団は、「大人の仲間関係」ではないのではないか。つまり、違いを前提にして合意形成に至るというコミュニケーションレベルに至っていないのではないか。  成長過程で、集団におけるそうした振る舞いのベースが身に付くには、3段階の仲間意識の発達を経ると臨床心理学でいわれる。  子供は、小学生高学年くらいから、親の言うことよりも友達の言うことを重視するような仲間意識が現れる。その第一段階は、「ギャンググループ」と呼ばれ、そこでの一体感は、同一行動による。同じ格好や行動をするから、仲間だということである。つまりみんなでつるんで、悪さばかりしているからギャング。  第二段階は、「チャムグループ」。チャム(chum)とは、ぺちゃくちゃしゃべってばかりいることで、この年代の一体感は、言葉による確認になる。「昨日〇〇を見た」「私も見た見た」「あれかっこいいよね」「そうそう」と言葉でお互いが同じだと言い合う。ときに自分達だけの共通の言葉で、行動ではなく内面の類似性を確認する。これが中学生ぐらい。  高校生以上になると、本来の仲間という意味の「ピアグループ」となる。今までと違って、お互いの違いを認めたうえでの、仲間意識。チャムの段階だと、自分の言葉を否定されると自分を否定されたと受け取るけれども、そうではなくなる。つまり、議論ができるようになる。  大学生を対象にしたエンカウンターグループセラピーを実施しているカウンセラーに、「受験教育のなかで仲間関係を十分に経験せずに大学生になって、ギャングやチャムを楽しむ学生が増えている。より深刻な問題は大学生の病理現象の変化だ」と聞いたことがある。学生のノイローゼは、かつては“自分”に関するものだったが、いまはすべてが“対人関係”の悩み。「人と付き合えない」「女性と口がきけない」「沈黙が怖い」といった集団としての行動がうまくとれないといったものだ。  もしかすると、企業の中のコミュニケーションもチャムレベルにとどまっている場合もあるのかもしれない。そこでピアの議論などすると仲間関係がうまくいかない。だから大人の議論を避ける。もしかすると、メンタルイッシュ―もその発達不全に起因しているかもしれない。  大人のコミュニケーションとは、お互いが違うときに、少しずつ傷つけあって、第三の道を見出していくことだ。第三の道とは、交渉における合意点であるだけなく、今までにない考え方や方法でもある。だとしたらそれは、決められたことをきちんとやるのではなく、仕事のやり方の革新を生み出すために不可欠の、集団の振る舞いでもあるのではないか。  組織変革力が求められる状況下、それは社風やコミュニケーションのクセといって片づけられない、きわめて大きな問題なのかもしれない。

パンドラの箱 | その他

パンドラの箱

 メンタルヘルスの予防的施策の一つであるストレス診断は、個々の従業員の「心の健康診断」として役立つだけでなく、組織の病理を鮮烈に描出することができる。さまざまなストレス因子が個々人に影響する度合が診られるということは、それを全社的に分析すれば、部門ごとのストレス環境の状態がわかるということになる。  しかも鮮烈に、つまり、そこで検出される組織の問題は、実態的できわめて生々しい。組織診断と言えば、モラールサーベイや従業員満足度調査がよく使われるが、答える側の“警戒と配慮”や本人に自覚できている不満に限られるといった限界があるけれども、自身の健康を診る心理学的テストであるストレス診断では、よりプリミティブな回答が得られるからだ。  たとえば、「自尊心の毀損」という因子によるストレス状況にある従業員が多い部門とは、いったいどういう組織状況なのか。加えて、「リーダーとの関係」にも共通して起因しているとしたら、極めて問題あるリーダーシップが推測できる。また、「組織市民性の低さ」というストレス因子は、同僚が困っていても助けない、というチームワーク状況を示すから、そういう不健全な部門が特定できる。  長時間労働、キャリア展望、雇用条件、リーダーシップ、人間関係等々、多様で詳細なストレス因子をはかる診断ツールを使えば、怖いほど組織がどう病んでいるかが分かる。それは、そのままマネジメント問題としての病理であり、明快で鮮烈なだけに、開けたことを後悔するようなパンドラの箱でもある。  以前、6000人の全従業員でこの診断を使ったことがある。30の部ごとに組織状況の分析を行い、各部のストレス因子状態を部長にフィードバック。状態の悪い部から順次、原因の検討と改善施策を個別に強制し、指導し、実行していくという施策をとった。ストレスマネジメントは、モチベーションマネジメントと表裏であり、当然、業績にも影響するから、これはパフォーマンスマネジメントの施策にほかならない。実際、この会社では部ごとの分析結果と部業績との関係をまず検証している。  通常、メンタルヘルスの診断は、福利厚生担当の所轄だったり、健康管理の一環にとどまり、部門のマネジメント診断にまでは至らないけれども、組織診断としての活用がもっとされてもいいのではないか。それだけ経営施策としての効用が大きい。このケースでは、組織診断としての意義に着目した常務取締役が、むしろ個々人のストレス診断を副次的効用として、実施を決断したものだった。  ただし、この施策は劇薬である。組織のリーダーが突きつけられる結果の深刻さは、360度診断の比ではない。経営者が知ってしまったら、全社的な、踏み込んだ手を打たざるを得ない。  こうしたパンドラの箱を開けてみたいという勇気ある方は、ぜひご一報を。もっとも強烈な診断ツールをご紹介します。

自分の取扱説明書 | その他

自分の取扱説明書

雇用延長や役職定年を前にした人たちのモチベーション向上は難しい。権限と報酬を失うことによる意欲低下を凌駕するような動機付けがそう簡単にできるとは思えない。そうしたキャリア研修の御要請もあるけれども、限定的な効果でよければ、と但し書き付きで、やらせていただくようにしている。 かつての部下が上司となり、同じような仕事を大幅ダウンした報酬でやる限り、100%気持ちよく前向きに働け、ということに無理がある。使われる立場と割り切るから、少なくとも自分が気持ちよく働けるように使ってほしい。たとえば、そうした自分たちの使い方を提案するといった研修で、限定的な動機付けをしたりする。 以前、たいへんうまくいったけど、失敗した、という研修をやったことがある。役職定年直前の方々に対する2日間の研修で、自分たちで自分たちの貢献領域を考え会社に提案する、というものだった。まず、自分の知識やスキル、経験、人脈などを“リソース”として棚卸して、グループの中で各人のリソースをお互いに評価し、その使えるものをグループのリソースとする。 それを使ってグループで起業する計画を立て発表し、その出来栄えを競い合う、までが研修の前半。ゲームではあるが、大いに盛り上がりつつ発想が広がったところで、今度は、再度自分のリソースを検証して、自社の中でどんな貢献ができるかを企画し、会社への提案書を作成するという趣向である。真剣で熱のこもった、また、自身の経験を活かした貢献案がアウトプットされ、受講生の満足度も高いものとなった。 しかし失敗した、というのは、彼らの提案を会社として受け止めなかったからである。案を実際にやるかどうかの採否はともかく、会社として、一旦はきちんと検討するとすべきだったのに、研修の場限りのアウトプットという扱いだと、人事部事務局が研修の最後に宣言。とたん、一瞬にして、炎上。モチベーションは下がり、反発だけが残る結果になったのだった。 会社の対応スタンスさえはっきりさせておけば、「自分たちの新しい使いみちを、自分たちで考える」のは、効果的で元気の出る方策である。間違いなく、活発な議論になる。場合によっては、実際にシニア人材の職域開発につながることもある。あるいは、もっと単純に、自分たちをうまく使う方法を自分たちで整理させるだけでも十分、意義ある研修になる。 たとえば、自分は、こんな経験をしているから、この種の問題であれば応えられる。社内社外のこのことについて詳しい。この技術は教えられる。この部門には言うことをきかせられる。この点をほめると喜ぶ。ここに触れられるとキレる。。。といった自分の使い方を言語化しまとめるのである。 年下の上司や会社にとっては、扱いかたが一様でなく、難しいシニア人材であるからこそ、彼ら自身に「取扱説明書」をつくってもらえば間違いがない。本人の満足度も高く、会社としてアウトプットが現場で使える。限定的ながらも一石二鳥の研修として、推奨したい。

部長がヘンです | その他

部長がヘンです

管理職だけで1,100人もいる企業で、管理職ブラッシュアップ研修をしたことがある。 1グループ約50人で3日間の研修を20数回行うという大型施策だったが、全管理職への一斉研修は初めてということであり、本研修に先立つプレ研修でマインドセットを行うことにした。それも200人ずつ2週間連日で一気に行う企画だった。教育のテーマは「人を育てるリーダー」だったので、プレ研修はそれに先立つ触発を狙い、いろいろな事例を見たうえで、「自身のリーダーシップ論」を書くという事前課題の告知をする場と設定した。 リーダーシップの事例というと企業人でも著名な方々のエピソードが使われることが多いが、それではあまり刺激がない。ここでは、あえて無名の、しかも他社の管理職者を取り上げることにした。4社の4人の管理職者に対して、VTRインタビューを行い、彼らの人を育てるリーダーシップの持論を、個別具体的に語ってもらった。それを各5分ほどの映像に編集して投影しながら、講師が問題提起をするという趣向である。 人選と交渉を入念に行ったこともあり、4者4様、実に興味深い“日常の理論”を堪能することができた。このプレセッションは受講者の反響もよく、期待通りの刺激たりえたことが事後のアンケートにもおどろくほど饒舌に書かれていた。4人ともに触発的な話だったが、そのなかで、「部下管理は子育てと同じだ」との持論を持つエンターテイメント企業の開発部長(男性)の話が、ひときわ面白かった。 彼は、部下たちとのコミュニケーションの、自分なりの行動原理を語った。たとえば、部下に話があるときに、自室に呼ぶことはしない。必ず、部下の席に行って、そこで話す。その際には、立って座る部下を見下ろしながら話すとか、部下を立たせて話すとかではなく、近くのゴミ箱にでも腰を掛けて同じ目線で話をする。あるいは、仕事を与えたら、ある程度自分でできるようになるまで、決して具体的指示は与えない。ここぞというところで介入するといった、さまざまな“ワザ”をその理由とともに楽しそうに話してくれたのだった。 2週間のセッションが終わって、アンケートの好評さからも手ごたえはあったが、組合を通じて、現場の“異変”が人事部に伝えられた。それは、上司がプレ研修に出てから自分達に接する態度が変わったというものだった。なかでも、「部長が突然席まできて、ゴミ箱に腰かけて話かけてくるんですけど。。。」といった報告が複数あった。いったいどんな研修をやったのか、と組合は聞いてきたのだった。 これは、副次的な効果である。研修などをやるくらいで行動を変えるのは難しいといわれる。それでも、「なるほど」と自分が胎落ちするようなやり方であれば、素直に真似てみるということから、行動変容は始まるのだろう。しかし、やってみようという気にさせた原因は、その方法の納得感が高かったからだけではないのでないか。振り返ると映像のなかで持論を語る4人はそろって、いかにも楽しそうだった。そのことこそが、刺激だったのではないか。 人を育てることは、楽しい。そのノンバーバルなメッセージが映像から伝わったからこそ、共感を呼び行動を喚起したのだと思う。