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林 明文

column
数字のない生産性向上 | その他

数字のない生産性向上

日本は主要各国に比較して社員の生産性が低い。先進28か国の中で26位という低さである。多くの社員が長時間働いているのだが付加価値が低いのだ。より利益が上がり、社員の処遇をよりよくするためには、この生産性向上が必須である。生産性が上がれば、会社も社員もより良い状態になるからだ。近年この“生産性向上”がブームであり、多くの企業で重要な経営課題として認識し、経営計画の目標に掲げている。  ある企業の部長以上を集めた経営会議でのことである。社長が次年度の経営計画を説明した。会社の経営方針、数値目標や各事業の重要課題など話をし、その最後に今年の全社共通の重要課題として“生産性の向上”の説明をしたという。内容は非常に簡潔で、生産性向上の重要性とそのための施策の概要であった。具体的な施策としては、残業時間の短縮、業務の見直しによる無駄の排除ということであった。ひととおり説明した後に質問を促したところ、ある部長がこう質問したそうである。「質問させていただきます。生産性向上が当社にとって重要だということがよくわかりました。お聞きしたいのは、当社の生産性はどれくらいでしょうか?また現在の生産性をどの程度向上させるのでしょうか。さらに当社は業界の中で生産性が低いのでしょうか?」 社長は質問を聞いたのちに、経営計画をとりまとめた経営企画部長とすこし話をし、こう答えたという。「そんな細かいことは気にしなくていい。生産性を向上させるのが今期の目標だ。とにかく部下を早く帰宅させることを徹底してくれ。」  この企業の例はすこし大げさかもしれないが、生産性向上を掲げている企業で、生産性の現状や目標を“数字”で掲げている企業はあまり見ない。現在の生産性の数字と目標とする数字が明確になっていないことが多すぎるのだ。さらには本来の生産性目標ではなく、単に目標残業時間など本来的でなく小さな目標に置き換えられていることすらある。  生産性といってもさまざまな指標がある。売上生産性、労働生産性、1人当たり利益、賃金生産性、労働装備率などである。より正確にはこれらの指標を、全社だけでなく事業別に把握する必要があるだろう。現在の生産性が過去の生産性と比較して高いのか低いのか、また他社と比較しての高低も知らなければならない。実態を知らないで生産性向上の具体的な施策を打つことはできない。生産性の数字を把握しないで、精神論や単に残業時間短縮などの時間管理的な視点での施策はうまくいかない。生産性改善と標榜し、生産性の数値を知らないというのはあまりにも滑稽だ。まずは数字からということである。 以上

富山県人 | その他

富山県人

 経営者、人事部門は社員に対して厳しい目で見ている。活躍する社員や活躍しない社員に対して、類型化するのが好きである。経歴や性格、ライフスタイルなどを分析して、活躍するタイプ、活躍しないタイプを見極めようとする。新卒にせよ中途にせよ人材のセレクションは、自分が重要視している“尺度”によって判断することが多い。平板な採用基準では語れない、実例の蓄積からの“感覚”が重要なのである。それだけ経営資源たる“人材”は複雑であり解明が困難な存在と言えるのだ。  国内市場がシュリンクしていくことが予想され生き残りをかけた競争が激化する。グローバル展開は海外の競争相手と戦わなくてはならない、そのためには人材も変化に柔軟に対応し、新たな価値を生み出し、スピード感ある人材が必須となる。このような人材に育つには、安定志向が強い人材は向かないだろう。異なる環境を理解し、多様な経験、交流を持つ人材のほうが適している。時にグローバル展開をしている企業や競争の激しい環境の中にいる企業の経営者や人事部門は、人材に対して強い危機意識を持っているため、現在の人材では満足せず、新たな価値を創造できる素養のある人材がほしいのだ、もっと言えばそれ以外の人材には高い価値を感じないともいえる。  “富山県の人材は採用しない”といった不二越の本間会長に対して否定的な意見が強い。富山県人は保守的で進取の気風がないという発言に対してである。富山で生まれ、富山で育ち、富山の学校を卒業した人材は“革新性”、“創造性”、”攻撃性“で物足りないと感じるのであろう。この発言に対しての批判は痛烈である。差別的、公平感がない、富山純正人材も優秀だといった意見である。たしかにこの批判は一面の説得性はあるが本質を突いているのか疑問である。  不二越の会長には面識はないので人となりはわからないが、発言の主旨はよく理解できる。経営の一線で活躍してきた独自の“尺度”で判断したときに、“純富山人材”は活躍する人材の比率が低いということだ。実例に基づく重要で意味のある発言である。純富山人材の傾向が明確なのであろう。 営利を追求する企業が自社の基準で採用を判断することの自由は確保されなければならない。全責任を負って経営を担う立場の人が“求める人材”を語るのであるから相当重い発言であり、説得力がある。一民間企業の採用が過度に公平であり、一般人の感覚の“常識”である必要はない。批判する側の“公平”という言葉が暴力的にすら感じる。  発言が仮に“特定の価値観にとらわれない”、“様々な環境を享受できる”、“異文化を受け入れられる”という表現で、”国内一か所だけでなく海外留学経験がある”、“英語がネイティブに近い”などのようにポジティブに表現すれば問題なかったではないか。この表現であればだれでもが賛同するだろう。しかしその主旨で一歩踏み込み、妙な具体性のある“純富山人材はいらない”という表現をしたので過度な批判をされてしまう。一線で活躍してきた経営者の発言の“主旨”に重点を置くべきで、ほしい人材に対して“世間”、“常識”を意識せず尖るべきだ。ユニークなビジネスモデルの企業にはユニークな人材が必要である。普通の要求ではないのだ。世の中の“常識”的な感覚など関係なく、独自に価値観、独自の基準を貫くことが生命線である。  経営者、人事部門は日本の小さな常識など意識せず、もっと尖った基準で判断することに恐れを抱くことはない。強い企業は他にはない強いモデルで、他と比較するものではない、人材も他と比較するものではなく公平などの観点でなくユニークでなくてはならないからだ。

トイレの張り紙 | その他

トイレの張り紙

 クライアントや営業先の会社に訪問する時によくトイレを拝借します。特に初訪のクライアントでは意識的にトイレを拝借するようにしていると言っても過言ではありません。 “いつもきれいに使っていただきありがとうございます” トイレにこのような張り紙があったりします。この張り紙はとても好感が持てます。会社と社員の関係が良好な関係であると感じるからです。社員もトイレをきれいに使っているし、そういう社員に対して感謝をする会社側という関係は高い信頼レベルにあると思うからです。このような会社の管理部門は、管理レベルが高く、社員に対するケアを常に意識しているのだろうと。  “タバコはご遠慮ください”このような張り紙も目にします。このメッセージは、管理部門が社員に強く言えないのではないかと勘ぐってしまいます。本当は禁止したいのだが、禁止と強く言えない立場の弱さの表れかと疑ってしまいます。もしかしたら管理部門が営業や製造部門などの直接部門に比較して弱い立場なのかと。人の採用や配置に対して直接部門が権限を持っている、評価が部門によってばらついている、昇格などが公平ではない、このような状況にストレートに意見を言えない情景を想像してしまうのです。  もっとも警戒するメッセージは次のようなものです。“タバコは吸えないことになっております”このメッセージは危険だと感じます。会社の施設を管理する管理部門が、自分の意志で禁止していないのです。誰かほかの人が決めたルールを伝えているのであり、自らの意思を感じません。“人事考課は公平に行うことになっております”と人事部が言ったら顰蹙(ひんしゅく)を買います。自分の責任でしっかり管理しろと言われそうです。他責、他動的なのです。この後のミーティングに出席する管理部門、人事部門は、主体的に管理をしないのではないかと心配するのです。  会社や社員がよりよい状態になるために管理部門、人事部門はいろいろ考え、さまざまな施策を実施します。新しいことをやるにはそれなりの社内の抵抗などもあるでしょう。このような抵抗を乗り越えて自分の責任で施策を実行してこそ成果が上がります。そのような姿勢と“吸えないことになっております”の姿勢にギャップを感じるのです。  トイレの張り紙を見て、管理部門、人事部門の姿勢を推測し、会議に向かうことがたびたびあります。張り紙と管理部門、人事部門の姿勢にどの程度の関係性があるかは統計的にわかりませんが、“吸えないことになっております”を見ると、実は疑いながら会議に出ています。 以上

働き方改革のKPI | その他

働き方改革のKPI

 働き方を変えることが注目を浴びている。働き方を変えることで現在よりより高いパフォーマンスを追求するというものだ。さまざまな企業で行われているこの改革は、単に残業時間の短縮といったものから、特定の働き手のパフォーマンスやモチベーション改善などその施策の範囲は広い。働き方改革の目的や施策の範囲が広く便利に使える反面、あいまいな印象を受ける。この改革によって企業や働く側が得られるメリットをもっと整理する必要があるだろう。  働き方改革は4つの目的があるだろう。一つは生産性向上である。働き方を変えることでより多くの付加価値が生み出されるというものだ。そのためには現在の生産性を数字で把握しなければならない。生産性の数字がどの程度改善したかが改革の果実であるからである。数字に依拠していない生産性改善の多くは超過勤務時間の短縮が限界であろう。  2番目にモチベーションや退職率の改善だ。エンプロイアビリティーの向上とも言える。例えば職場に定時に出退勤する必要のない業務などを在宅勤務を認めるようなものである。通勤時間が短縮され、また個人の都合のよい時間に執務ができることによって、モチベーションが上がり、自己都合退職が減少することが望める。  次にコストである。働き方改革をして結果コストが大幅に増加することは経営は望まない。会議をWebで行えば移動時間や交通費などが抑制される。在宅勤務にすればオフィスコストが減少する。最も原則的なことを言えば、職務に合った給与にすることも含まれるだろう。管理職待遇であっても管理職ポストに就いていない社員は割高な人件費となっている。適正な人件費とすることもこの改革の中に含まれる。  4番目は競争力である。改革を行うことによって、企業の競争優位性が向上することである。必要な情報を適時に得て、コラボレーションを促進することによって、企業の競争力が増すことになる。そのためにはコミュニケーションの在り方をより効果的効率的にすることが求められる。新たなサービスの創造や競争力の差別化は、多くの有用な情報を適時得るインフラがあって機能する。生産性向上以上に企業の創造性や革新性を高めることも視野に入れるべきであろう。  働き方改革はこの4つの指標で自社を測定することによって、その方向性や施策が決定される。その結果働き方改革の施策は実に広範囲でありユニークなものになるだろう。人事制度改革なども、大きくはこの改革の中に含まれるものである。働き方改革の目的や効果がはっきりしない例が散見される。働き方改革が掛け声だけで終わってしまわないように、まずは正確な分析が必須である。 以上

悪い報告 | その他

悪い報告

 変化の激しく、スピードの早い環境下では、想定しないことが起こりがちである。製品やサービスの寿命が短くなり、新しいマーケティング手法が発達し、システム化、業務改善などでコストが大幅に下がり、労働市場の発達で社員の流動化が促進される。このような環境であるため、今までの勝ちパターンはすぐに通用しなくなってしまう。常に環境をウオッチし、現在のビジネスモデルが正しいかを問い直すことを習慣化することが重要だ。今のモデルに既に問題があったり、将来にリスクを抱えるのであれば、それを解消するために直ちに新たなモデルを考え、生み出さなくてはならない。  変化が激しいということは、想定しないことが頻繁におこるということである。成功パターンは長くは続かないため、常に新たなパターンを考えなくてはならない。今まで受注できた仕事が受注できなくなる、単価が大幅に安くなる、新たな競争相手が出現する、コストが高くなる、担当する社員がいなくなるなど様々な問題が次々に発生する。  優秀なビジネスマンは“失敗”を糧にするタイプである。失敗はさまざまなことを教えてくれる。極めて貴重な情報である。失敗の原因を検証し対策を打てば、今後は失敗しなくなる。失敗の本質を理解しスピーディーに効果的な対策を打てるビジネスマンが求められる。このような人材は経験したことがないからわからないとは決して言わない。むしろ経験していないことに遭遇することが普通と考えているのだ。さらには想定しないことに遭遇することを楽しみにすら感じるのだ。近年企業においての社員の優秀性は、だいぶ変容してきていると感じる。  優秀だと思っているビジネスマンほど失敗を隠しがちである。失敗をすることは自分の価値、評価を下げると思っているからだ。しかし変化する環境下では失敗ほど貴重な情報はない。この貴重な失敗情報を正確に把握し、検証分析し、二度と失敗しないように対策を立てる能力やスタンスが今後の優秀さの基準になるだろう。  企業は組織で運営されているので、個人が遭遇した失敗は一個人の努力で解消できるものではないことが多い。そのため失敗情報をタイムリーに関係者に共有することも極めて重要である。失敗を堂々と社内で報告することが優秀さなのである。企業という組織にとっても悪い報告ほど示唆に富みかつ貴重なものである。経営する側も貴重な失敗情報、悪い情報を得ることが非常に重要であるということを、もっと強く認識する必要がある。社員に求める能力も、“よい失敗をする”、“悪い情報を経営資源にできる”“失敗の経験を成功につなげる”などが必須となるのだ。  優秀な社員は良い成果を出すことはよくわかっている。しかし変化する環境で良い成果を出し続けるためには、自分の失敗を積極的に公表する行動が必要である。経営としてはよい情報は歓迎すべきであるが、良質な“悪い報告”を大事にするスタンスが必要だということだ。 以上

10年後の女性管理職比率 | その他

10年後の女性管理職比率

 近年の人事管理では社員を、優秀な社員(ハイパフォーマー、以下HP)、普通の社員(アベレージパフォーマー、以下AP)、優秀でない社員(ローパフォーマー、以下LP)に区分して議論することが多くなった。HP社員、AP社員は会社の主力である。この社員にはできるだけ満足度を高くし、社外への流出を防ぐことが求められる。社員をHP、AP、LPに区分するには、昇格のスピードや評価情報を組み合わせるのが一般的である。その結果HP、AP、LP社員の人数や比率を把握することができる。またどこに存在しているかも明確になる。  この会社全体のHP、AP、LP比率をさらに様々な区分で見ると有益な情報を得ることができる。その代表的なものは“女性活用度”である。男性社員と女性社員の発生率を比較することによって、女性活用がどの程度すすんでいるかがはっきりわかるのだ。同じ総合職社員で女性活用が進んでいると言っている企業は発生率が同じような数字であるはずである。  多くの企業で分析した結果、真に女性活用が進んでいる企業では、この比率が男性とほぼ同じである。このような企業では“女性活用”を大きなスローガンにしていないことが多いのも特徴だ。すでに男女という区分なく人事管理をしているので、あえて高々とスローガンを掲げる必要がないのかもしれない。  活用が進んでいない典型的なケースは、女性のLP比率が高い(HPが少ない)というものだ。女性であると無意識に限定的な仕事をさせている企業もある。その結果成長が男性社員よりも遅く、結果管理職社員の発生も比率も少ない。長い間このような女性の限定的な活用しかしてこなかった企業で、突然女性活用を強力に推進しようとしてもうまくいかない。男性と同じような仕事の機会を与え、同じ評価、育成、処遇を継続的に長期間行うことで、同じようなHP,LP発生率になるのであるから、すでに入社して長い女性社員を無理やり活用しようとしても難しいのだ。  女性活用が二層化している企業も少なくない。近年入社した社員に対しては男女の差をなくす努力をしている企業だ。このような企業では、30歳以上の女性社員はLPが多く、20代の女性社員は男性と同じ発生率になっていることが多く、発生率が二層化しているのである。  このような企業では10年後に女性活用の結果が次第に現れはじめる。10年後には女性管理職比率はまだあまり変わらないことが予想される。20年後にむけて女性管理職比率が次第に改善される段階に入るだろう。30年後にやっと女性活用が企業全体として実現するのである。長い道のりである。  最も不幸な例は、スローガン主導で女性を無理に昇格させたり、管理職ポストに就けることである。女性活用を重視するあまりに、女性であることで昇格や管理職登用に下駄をはかせたりするケースだ。女性活用は今後の人事管理で非常に重要であることは疑いようがない。女性管理職比率を高くすることだけが重要な目標だと思わないが、一つのわかりやすい指標として掲げるのであれば、30年後の目標であることを理解しなくてはならない。そのためには今から男女の差をなくす運用を継続して行っていかなくてはならない。女性活用、女性管理職比率向上をスローガンはいまから30年間変わらずに掲げなくてはならない。10年後の比率は変らない。短期の結果を求めることなどナンセンスなのだ。 以上

うまくいかない目標管理 | 人事制度運用支援

うまくいかない目標管理

 目標管理は言うまでもなく“企業の目標の達成のために、組織や社員が目標を設定し、達成を促進する”ものである。多くの企業で目標管理が導入されているが、うまく機能している企業は非常に少ない。うまく機能しないのは、経営や人事が目標管理に対して過度に期待しているからではないか。多くの企業でみられるうまくいかない代表的なパターンは次のようなものである。 -そもそも会社や組織の目標が不明確  企業が毎年掲げる目標が明確でないことが散見される。目標そのものが十分に社内で検討されていない、また実現可能性が低いなど企業目標として“質”を疑うものがある。この企業の全体の目標を、各組織や個人に分解するのであるから、元の目標の質が十分でなければうまくいくはずがない。十分な社内協議や計画の裏付けのない目標が掲げられているということである。こうなると企業目標を組織や個人に割り振っていくと不整合が発生し、解決できない様々な矛盾が発生する。目標設定の段階で失敗しているということだ。目標設定がうまくできないので、結果正しい測定になりようがない。企業目標、経営計画が不明確な企業は目標管理をする前提がないのである。 -所詮“正確”に測定できないことを前提としていない  企業の経営目標も売上や利益のような数字だけでなく、管理レベルの向上、人材育成、コンプラ、社会貢献などの数字で測定しづらい目標も多くある。このような定性的な目標に対しても、達成度合いを判断しなければならない難しさがある。所詮定性目標の達成度は人により判断することであるので認識が完全に一致することはない。しかし多くの人の認識を一致させる必要はある。“目線合わせ”というのは、多くの人に認識が一致することであるので、これには“衆目の目”にさらすことが有効である。目標と達成度合いを公開すれば目標そのものの設定やその評価に対して様々な意見議論が発生するだろう。衆目の目にさらすことによる目線合わせを行うことによって、適正な評価をする文化が醸成される。 -目標管理は管理職以上  目標を設定するということは、その目標に対して責任権限がなくてはならない。自分の責任権限外の目標は自分ではコントロールできないからである。そのため目標管理の対象は組織の長には最適である。本部、部、課などの組織は目標が設定しやすくかつ責任権限がある。まず管理職の目標管理を機能させることが第一歩である。一般の社員の目標管理は実際には非常に困難で、多大な時間を投下しても得るものは少ない。仕事は個人に閉じて遂行しているのではなく、チームとして動いていることが多い。そうなると課の目標を個人にきれいに分解することは困難であり、またあまり意味が無くなる。さらに目標を自分で設定させる例を目にするが、業績の測定という観点では全くナンセンスだ。業績管理のための目標管理では、会社や組織の妄評を達成するための個人に対する指示であるので、あくまでも会社や上司が決定しなければならないからだ。 -測定技術が不正確、非合理  せっかく目標を設定してもその測定方法が曖昧であったり非合理であれば正しい評価とは言えない。例えば目標を100%達成ならB、120%ならAなどのように、目標に対して一律の達成基準で測定する方法がよく見られる。目標に対する達成の振り幅は目標によって大きく異なる。ルートセールスであれば売れる数量はあまり大きく変わらないかもしれないが、新しい商材の営業や個人の営業努力で数字が大きく変動する業態では振り幅は非常に大きい。本来は個別の目標ごとに達成基準を設置しなければ正しい測定はできない。 また目標に難易度を付ける例などもあるが、どこまで合理性があるか疑問である。 -ほんとうは重要視していない  目標の設定が曖昧で測定も非合理であるために、評価の結果は当然適正で整合性があるものとは言えない。それでも目標管理に多大な時間を投下しているが、この結果をストレートに反映している企業はごく少数だ。目標管理は通過儀礼的なもので評価は最初から答えがありきではないかと疑われてしまう。社員の処遇に対して大きな影響を与える評価であるのであれば、仕組みや運用などもっと厳格にするべきであるが、曖昧な目標や甘い評価が散見されても経営者も人事も身を挺して防ぐことをしない。本当は重要視していないのではないか。  目標管理を否定しているのではない。現在の目標管理があまりにも機能していないため、まずは原則に従いできる部分から始めることが有効だと考える。会社そのものや経営者の目標管理を明確にし、次に管理職の目標管理を機能させることを優先させるべきであろう。 以上

乗り心地 | その他

乗り心地

 私たちは車を買うときには、乗り心地、安全性、燃費などで選びます。自分が気になる車種をいくつか選び、実際に試乗し、営業の人にいろいろ聞き、そして決定します。高価な買い物であり、また自分の生活に密着したものであることから、慎重に判断することになります。  車は精密な機械で数多くの部品からできています。一般的には3万もの部品からできているそうです。この数多くの部品が総合的に機能して、乗り心地、安全性、燃費などを実現するのです。よい乗り心地、より高い安全性、燃費を実現するために、車全体の設計がされ、最終的に構成する一つ一つの部品が作られ、組み込まれます。逆に言えばユーザーは個別の部品の性能を評価して車の購入はしません。たしかに特徴ある部品で、その部品の効果によりユーザーニーズを満たすのであればその部品の優位性が車を選ぶ際の重要な判断になるでしょうが、多くのユーザーは技術者ではないので部品の優劣での選択はしないでしょう。要はニーズを満たすのかどうかが重要であり、部品の優秀性は従属した判断事項だろう、ということです。  経営者の人事に対するニーズは車と同様非常にはっきりしています。経営方針、計画を達成するために必要な人資源を過不足なく保有していること、人資源がより有効に機能すること、短期だけでなく中長期に安定した人資源が提供されることの3つです。経営者にとっての人事の乗り心地、安全性、燃費と言ってもよいでしょう。この状態が続けば経営者ニーズを満たすことになります。この経営者ニーズを満たすために人事管理は様々な部品から構成された複雑な構造体となっています。主要部品としては採用。教育、等級、給与、評価、代謝、労働条件、システム、社会保険、給与計算・・・など様々です。本来はこれらの部品が相互に関連、連動して機能することによって経営者ニーズを満たすことになります。しかし現在の日本ではこれらの部品群が体系的効果的なベストな組み合わせになっているとは言えません。各部品を提供する会社は別々であり、企業側で様々な部品を組み合わせて人事管理を行っているのです。なかには自分で作成した部品もあったりします。  たとえば新卒採用は企業の将来の継続した発展のために、一定数の採用を継続することが望ましいですが、業績好調企業などが、驚くほど多くの新卒社員採用を突然行うようなことがあります。このような一時的に多くの新卒社員を採用すると、バブル期大量採用などを見てもわかるように将来大きな問題を発生させる原因になります。新卒採用サービスを提供する企業にとっては受注が大きくなってよいのですが。新卒採用サービスと人事コンサルティングの両方の部品を提供している企業があれば、異常に多い新卒採用を相談されても、否定しなければなりません。  日本における人事管理は、個別の部品領域に閉じた世界から、経営ニーズを満たす個別部品の統合を指向することになるでしょう。個別部品に閉じた世界では本来の経営ニーズを満たせないからです。企業の人事部門や人事サービスを提供する企業は、個別部品の良し悪しを議論するのではなく、人事管理の“乗り心地”“安全性”燃費“こそが重要な論点であることを、強く意識しなければなりません。 以上

百本ノック | その他

百本ノック

 成果・業績を重視した人事制度へ改定を行う企業が多くある。新たに人事制度を改定する企業では、制度の基本的なコンセプトの中に、“成果・業績の重視”、“貢献した社員により多くの配分”といった成果・業績・実力を重視した文言が圧倒的に多い。そのためには、企業が必要な人材を明確にすることと、成果、業績、実力によって大きな配分の差が発生できる処遇の仕組みが構築されなければならない。さらに社員の成果、業績、実力を正確に“測定する”ことが必須となるのである。  人事制度設計時では、この“パフォーマンスに応じた配分差”を今までよりも大きくすることが重要であると認識されており、そのための仕組みを詳細に設計することになる。設計時点で評価制度に求められる絶対的な要件は“測定”の機能であるのだ。パフォーマンスの適切な測定があるからこそ、新しい人事制度は機能するのである。この適正な測定を実現するためには、評価の制度の整備も重要であることは間違いないが、より重要であるのは、実際に評価する管理職の評価スキルである。長期雇用を前提とした日本企業では、パフォーマンスをストレートに反映した評価を行うことに、管理職は積極的ではない。マイルドな評価を行うことで、本心は組織の平穏や安定を指向しているのだ。成果、実力に対する適正な評価を行うことに価値を置いていないともいえるのである。  新しい人事制度がうまく機能するためには、実際に評価する経営者、管理職の評価スキル・マインドを格段に向上、大きな変革をしなければならない。そのためには、役員や組織の評価を厳格に行うことが必要であることは言うまでもないが、それを前提としても管理職の経営・人事管理のスキル・マインドの改革が必須であろう。  もう少し限定的に言えば、役員、管理職の人事制度、特に評価のスキル・マインドを変容させなければならない。そのためにはいくつか有効な手法はあるが、伝統的には“評価者研修”を行うことが有効と思われている。しかし一般的に行われている評価者研修は本当に有効なのであろうか。口が悪い人は“偽薬”というように、評価のレベルを上げるための研修であるのに、研修をしても実際には効果は限定的で持続性がない。治療方法としてほとんど有効性は認められないのである。実際に一般的に行われている評価者研修は、評価制度の説明や、評価者のマインド、悪い評価の例、評価のフィードバックの方法などが中心である。新たな制度では成果や実力を“測定する”ことが絶対的条件として求められているが、果ては“評価は育成である”といった本質と違うストーリで展開するものまであるのだ。これは“測定”は厳しくてやりづらいので、“育成”という言葉を使えば、まだマイルドだという感覚であるが、本質がずれている。  “測定”を徹底するのであれば、役員、管理職は、実際の部下を新しい人事制度に沿って徹底して“測定”するスキルやマインドを身につけなくてはならない。自分が行った評価が“測定”という観点で正しいのかを、何度も実施検証を繰り返すことが必要なのかもしれない。評価者研修は、新たな評価表で自分の部下を評価し、新制度の趣旨に合っているか、企業の経営者や管理職から“適正”であると評価される品質の高い評価ができることに注力するべきである。ひたすら評価を行い、ひたすら評価の品質を問う、百本ノックのような研修が有効なのかもしれない。 以上

会議の風景 | その他

会議の風景

 会議は複数の参加者によって意思決定、情報共有、意思統一などを目的に実施する。組織的に業務を遂行するために、非常に重要な“アクティビティ”である。この会議がうまく機能しなければ、会議の目的を達しないという問題とともに、多くの参加者の時間を無駄にするということになってしまう。そのため会議は、目的を明確にし、その目的達成のためのシナリオを練り、コンティンジェンシーへの対応も想定しておくべきであろう。うまく企画され、うまくコーディネートされている会議は非常に充実感がある。複数の参加者がこういった充実感を持つことが、会議の成功と言えるのだ。会議の成否は会議主催者やコーディネート役の力量にかかっている。よりよい意思決定、高いレベルでの情報共有、納得する意思意識の統一がなされるためには、相当な準備と会議の場でのコーディネートが必須である。日々多くの会議が実施されるが、“よい会議“はどの程度あるだろうか。集団の知的作業である会議がうまく機能することによって、組織的な活動が促進される。そのため”よい会議“が大半でなければならない。  この会議の”品質“に対して非常に鋭敏な感覚を持っている企業にたまに出くわすことがある。会議の目的、参加者、進行、資料などに対して厳格な指導をし、問題のある会議については、会議主催者、進行者に報告書を提出させることまでしている。組織の活性化、組織の生産性向上のための取組みとして大変面白いと感じる。このように厳格に管理していない企業では、実施される多くの会議が十分なレベルに達していない可能性が高いだろう。例えばこんな状況が散見される。  まず致命的であるのが、目的が不明、曖昧な会議である。決定するのか、事実認識を統一するのか、共通認識を持つための意見交換をするのかが不明であったり、甘かったりするために、会議の体をなさない。また目的・ゴールが明確でも進行のコントロールが甘いと、目的・ゴールを達成できないか低いレベルの結論になる。しかも参加者の満足度も高くないのだ。会議を進めるために資料などを用意するが、この資料が的を得たものでなかったり、資料の説明が“読み上げ”的であったりすると、とたんに参加意欲を低減させ、活発な議論にならない。そうなると参加者も、座っているだけの人も多く発生する、熱心に説明を聞いている風であるが、頭脳は動いていなさそうである。果ては“メモ魔”なども出てくる。会議の内容を詳細に紙やPCに記録するのだ。一見真面目に会議に参加しているように見えるが、共同の知的作業であることを放棄しているとも言える。  多くの日本企業ではコミュニケーションスキルに対する教育や指導がもっと必要であろう。会議などはその代表的なものであるが、会議の進行・コーディネートは高い意識で訓練しなければ身につかないスキルである。環境変化が激しくなりスピーディーな情報認識、意思決定がより強く求められている。また複雑なビジネスモデルを組織的に進めていかなくてはならない。さらにはグローバル化の進行や様々なタイプの関与者と会議をしなければならない。会議のスキルをさらに磨かねばならないはずであるが、現状ではそこまで重要視をされているとは言えない。社内の会議の風景を見て十分な品質と思えればいいのであるが、そうでなければ会議を行うごとに、組織力を劣化させてしまっているくらいの認識が必要ではないだろうか。 以上

がんばります | その他

がんばります

 “がんばります”という言葉はどういう意味なのか疑問に思うことがしばしばだ。何かの仕事を誰かに依頼すると、“がんばります”という返事をもらうことが多い。これは快く了解したという意味でしょうからあまり疑問に感じない。しかし仕事に対して指摘する、ミスを指摘するなど、こちらが期待している水準に満たない場面で、“がんばります”と言われると、この言葉の意味がよくわからず、果ては発言者のこの仕事の取組み自体や、さらにそもそも仕事に対する姿勢にまでさかのぼり疑問を感じることすらある。  “がんばる”という意味を逆さにとると、いつもは通常のレベルで仕事をしていると聞こえる。“通常”のレベルと、“がんばる”のレベルの二つのレベルがあるのか。仕事の品質や生産性が高くなかったのは、通常レベルで仕事をしていたからなのだろうか、そうなると通常レベルでは品質生産性は高くないということなのか、などと勘ぐってしまうのだ。  そもそも仕事に対する指摘や指導をした時に問題としているのは、その仕事の成果である。成果を判定するにはアウトプットのレベルと時間などの投下資源の量である。成果が十分でないという指摘に対して、がんばる、がんばらないということには何ら意味はなく、興味もない。何の返答にもなっていないのだ。あえて言うならがんばらないで成果を出してほしい。  日本は欧米に比較すると生産性が低い。日本のビジネスマンは勤勉であるが、驚くほど長く働く。生産性が改善されれば、企業も社員も大いにメリットがある。社員一人の生産性が増加すれば、企業は利益が増えると同時に社員への配分も多くなるからだ。日本企業は生産性を強く意識しなければならないが、生産性を“数字”で管理している企業が実に少ないのが現状である。これでは生産性向上といっても、効果が測定できない。そのため生産性向上という壮大な課題は、往々にして残業時間削減という矮小な課題に転換されてしまうのである。  重要なのは成果を出すことである。これは高いアウトプットと、より効果的な資源投下をすることであり、数字で測定することが重要だ。残業時間削減のような狭い議論から脱却し、真に生産性向上に真正面からの取り組みが重要ということだ。生産性向上、成果を上げることは、もっと技術論として議論されなければならない。そのためには社員への能力開発を思い切ったレベルと範囲で行う必要がある。今までの能力開発で生産性は大幅に向上していない。このことは能力開発の量と範囲が間違っていたと考えることもできる。また生産性向上のための様々なシステムやツールももっと積極的に導入するべきであろう。  経営者や管理職社員は、成果、生産性の話に対して、“がんばります”という返事をする文化をなくす努力をしなければならない。何の返事もしていないのと同じであり、もっと言えば違う話にすり替わっているのだ。“がんばります”はできていないことに対する免罪符のように聞こえるのだ。“がんばります”という言葉を聞かないようにしたいものである。