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林 明文

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二つの時限爆弾 | 雇用調整施策・支援

二つの時限爆弾

 日本の大手企業の人員構成は企業の歴史が色濃く反映しています。代表的な人員構成は50歳台が少し多く、バブル期採用の40歳台社員が非常に多く、30歳台社員が少なく、20歳台社員が極端に少ないという構成です。年齢別の人員構成では45歳以上社員に大きなコブがあり、逆に30歳台20歳台が非常に少ないという歪な構成です。企業の業績が低調な中で最近の人事問題として深刻さを増してきているのはこのバブル期大量採用世代の問題です。これはすでに20年以上前から指摘されてきた問題です。バブル崩壊後のリストラブーム当時では、団塊の世代問題という50歳台の高齢社員の人数が多すぎ、そのため50歳代社員の削減が大きな人事問題でした。この時すでに突出した年齢層の社員が存在することが企業の人事管理上大きな問題であることが認識されていましたが、その後の20年間でバブル期大量採用世代の問題に抜本的な改革が行われずに来てしまったために、ついにこの歪な中高年社員偏在問題が顕在化深刻化しています。 そもそも短期業績がよいからといって新卒正社員の採用を大量に行うことは人事理論上全くナンセンスですが、ついにこの大量採用世代が企業の中核的存在としての年齢層となり、人件費の高騰化や管理職社員の余剰、活性化の阻害など極めて深刻さを増しています。バブル期の経営者が仕込んでしまった時限爆弾です。この問題のインパクトは非常に大きいとともに、今後10年〜20年長期にわたりこの問題に悩まされることが容易に想像されます。現在の業績低迷期にこの時限爆弾が爆発しかけてきており、さらには65歳までの雇用義務化が追い打ちをかけます。この爆弾処理は大規模な人員削減を行うか、年齢に関係のない人事制度にするか、企業が飛躍的に成長するかのいずれかの解決策しかありません。現在の経営者は過去の経営者が仕掛けた時限爆弾に対しての処理を求められているとも言えます。  この時限爆弾とともに、静かに進行しているもう一つの時限爆弾があります。すでに導火線に火が付き始めていますが、現時点では前述の時限爆弾処理もあり、あまり真剣に議論されていません。もう一つとは10年後20年後に企業の中核を担うコア人材が不足するという大問題です。バブル崩壊後新卒採用は抑制傾向にありました。特にリーマンショック後は新卒採用をストップした企業も多く、歪な構造がより一層悪化してしまいました。業績低迷時でも一定の新卒採用を行わなければ企業の中長期的発展は望めません。短期的視点で人件費抑制のために新卒採用を大幅に縮減すること自体も人事理論上は問題があります。新卒社員を大幅に抑制し続けている企業は、企業活力が次第に衰えるとともに、将来を担う人材を調達していないという点で、あまりにも短期的な視点と言わざるを得ません。不足している年齢層は中途採用すればよいと言う企業は、新卒から企業のコア人材を育成が必要でないと言っているようなもので、自社独自のビジネスモデルやマインドを軽視していると言わざるを得ません。  この同時進行している二つの時限爆弾を同時処理することが、将来の企業の継続的な繁栄の基盤となります。短期的、損益的視点で新卒社員採用を軽視する経営者や人事部門は将来に責任を持っていると言えません。まずは単純に将来20年後までの自社の人件費や人員構成のシミュレーションを定量的に目の当たりにすることが必要です。感覚的な議論ではなく目に見える形で将来の姿を数字として直視しなければ将来への経営責任を果たしているとは言えません。知らないうちに次の世代の経営者に対して新たな時限爆弾をセットしているとも言えます。

退職勧奨のすすめ | 雇用施策・その他

退職勧奨のすすめ

 多くの企業に対してリストラのコンサルティングに関与してきましたが、日本企業の人員削減はある意味残酷だと感じます。企業業績が低下すると、企業としては人件費コスト低下のために人員削減を行うことがあります。バブル経済崩壊後のリストラブームでは団塊の世代と言われた50歳代社員が主たるターゲットでした。また最近ではバブル期大量採用世代の人員削減を行う企業が多い状況です。日本企業は年功的な要素が残っている企業が多いために、若年社員よりも中高年社員を削減するほうが、人件費削減効果が高いのはある意味で当然です。しかし中高年社員削減を行う企業で、退職を勧める社員を選別するに当たり、“そもそもあまり能力が高くない”であるとか“昔から業績貢献が少ない”とか“当社の方針や文化に合わない”“職務に適性がない”という理由がよく言われます。拠点が閉鎖になる地域で転勤できない社員に対して優遇した退職条件で退職を勧めることはまだ理解できますが、業績低下時に能力や適性を理由として中高年社員の退職を行おうとすること自体にそもそも問題があります。このようなローパフォーマー社員は中高年になってからローパフォーマーになったのであれば仕方ありませんが、若年段階からローパフォーマーだと言われている社員のほうがむしろ多いのではないでしょうか。この社員に対して業績低下を理由に、中高年になってから転職を勧めることが残酷だということです。日本の労働市場は特に45歳以上の中高年の転職年収が一般的には非常に安い傾向にあります。30歳代で転職すればそれなりの転職ができるのでしょうが、わざわざ労働市場価値が下がった時点で、そもそも戦力ではないなどと言ってしまうことが問題なのです。  このような社員はたまたまこの企業では能力発揮や適性がなかったかもしれませんが、他の企業で適職に就ける可能性もあります。しかしその可能性が低くなってから退職を勧めることをしてしまうのは、平時における人事管理がいかに甘いかということでしょう。最近では情報産業や環境変化の激しい業界、競争の厳しい業界などで、若年段階で優遇した退職条件で退職を勧める施策を定期的に実施する企業も増え始めました。退職勧奨といい割増退職金や再就職支援などの条件を提示し、早期に別のキャリアのチャンスの獲得を支援するというものです。このような退職勧奨を制度として毎年実施している企業もあり、そのために評価制度の品質も向上させ、評価が連続して悪い社員に対して、この仕組みを提示します。  日本の企業では大手になればなるほど退職勧奨を嫌う傾向が強いです。退職勧奨は優遇した条件で退職を勧誘するだけですので全くの適法行為です。しかし個別に退職を勧めることが違法だと勘違いしていたり、雇用を維持し続けることが大事であると思っている企業では、非常に強い拒否感があります。しかし雇用維持と言っておきながら業績低下となり人員削減をするときに、中高年社員にそもそもローパフォーマーだと言ってしまう感覚が残酷だということです。  成果・職務・実力主義的人事制度のもとでは、入社して早期に能力や適性があるかが以前よりわかりやすくなってきました。採用した社員を大事にするというのは、全員の雇用を維持することではなく、企業に向かない社員は労働市場価値が高いうちに大事に他の企業に送り出してあげることと認識され始めています。  人事制度の改革とともに退職勧奨は重要な部品として認識され始め、また社員に対する新たな救済措置として重要な施策になりつつあります。平時においてローパフォーマーに対して退職勧奨を定期的に実施することをお勧めいたします。

背水の陣 | その他

背水の陣

 背水の陣とは昔の中国での漢と趙という国の戦争の話です。このとき漢は兵力が少なく圧倒的に不利な状況でした。漢の将軍韓信は圧倒的な兵力の趙軍に勝利するために、常識では考えられない戦術を用います。川を背にして布陣するという当時の兵法の常識では考えられない先方です。当時では“水を背にして陳すれば絶地となる”と言われていたからです。しかし韓信は少ない兵力が大軍を打ち破るためには、兵たちが通常の精神状態では無理だと考え、あえてタブーとされている背水の陣で臨みます。趙軍は敵の将軍は軍事の常識を知らないと嘲笑し、攻撃を開始します。しかし漢軍は後ろに川が流れている状況で一歩も引くことができません。生きて帰るには目の前の敵を倒さなくてはなりません。その必死さが趙の大軍を打ち破りました。背水の陣とは必死に努力することを表す熟語として今でも定着しています。  さて企業のビジネスの現場ではこのような“背水の陣”的な感覚がどこまであるでしょうか。当然命をかけた戦争とビジネスを直接比較するものではありませんが、現代の日本人の多くは商業の世界で生きており、これを生業としている以上どこまで必死かということも問われてしまします。ビジネスマンの多くは生活も決して貧しくなく豊かです。基本的に終身雇用ですので定年までの雇用は保障されています。また一つの会社で失敗しても他社に転職することができます。しかし個人レベルでは一生懸命働き高い成果を出しても十二分に報いてもらえる企業は多くありません。さらには所得が高くなると税金の負担も一層増し、成果の割に所得は増えないのです。  そういう観点では一つの会社や一つの仕事に必死になる要素は以前に比較してだいぶ少なくなってきたのではないかと思います。これは会社を経営するというレベルでも、一担当が業務を行うというレベルでも、その仕事を絶対に成功させるという気概を持ち続けることが、経済的に困難な環境になってきたのではないかと危惧します。また仕事に失敗しても、首になることもないですし、ましてや命を失うことなどありません。何に依拠して必死に仕事をするのでしょうか。  仕事で成功している人の多くは、このような経済的な動機や生命の危機回避的な動機ではなく、それこそ自己の存在証明としての動機のように思えます。仕事を通じて生命や経済的困窮などのリスクがほとんどない以上、なんらかの“価値観“が背水の陣的な必死さを生み出すのではないでしょうか。現在の日本企業における人事制度の議論においての成果主義などは、効果はあるが根本的に働き方を変貌させるだけの力はなく、だからこそ企業の理念や方針や職業人としてのプライドが重要性を増しているのです。そのため評価制度などでも、単に成果を数字で測るような仕組みは、重要な本質的議論を避けているようにも思えます。日本企業がグローバルに輝きを取り戻すためにも、背水の陣的な必死さがほしいものです。

管理職に任期を | その他

管理職に任期を

 世の中の重要なポストにはほとんど”任期”があります。政治家や経営者などはその代表的なもので、あらかじめ決められた期間で、目標を達成することを求められます。任期が決まっていることは、在任中の緊張感を明確に持たせることになります。期間内に目標を達成しなければ評価されないからです。もちろん期間内に当初の成果を挙げる人もいるでしょう。また全くその任に向かない人は、任期途中で退場になる人もいるでしょう。  多くの重要ポストの任期は複数年です。成果を上げるためには、組織の編成を変更したり、部下の意識を変えることも必要となります。また必要な人材を投入したり、逆に必要でない人材を排除することも必要かもしれません。これには時間がある程度かかります。また目に見える成果を出すには、計画、準備、実行というステップを踏み、またこれを一回り行い検証して再度同じサイクルを行ことで、目標達成の実現性を高めます。実際には一年間ではなかなか有効な”実行”ができないかもしれません。また長期的なビジョンに基づき段階的に目標を達成するためには、複数年必要になるでしょう。  企業においては取締役などの経営陣は多くは2年や3年任期です。基本的には中期経営計画に合わせた経営体制が望ましいでしょうから、中期計画が3年であれば任期も3年が合理的です。この中期計画を重視すればするほど、管理職のポストも複数年が望ましくなるでしょう。多くの企業では、管理職ポストの任期は明示されません。管理職本人も何年このポストを担当するかがわからないのです。重要なポストであればある程、丹念で結果はでないでしょうし、中期計画の目標達成という観点では、中期計画の期間に合わせるのが妥当でしょう。多くの管理職は非常にやりづらいのだと思います。前任の部長が中期計画に基づく部門計画を立案したとします。しかし中期計画途中で別な人が部長に代われば、後任の部長は自分の計画を新たに策定して実行するのはなかなか困難です。管理職の単年度の目標を的確に設定するのが難しいというのは、この計画期間と合致しないポスト任用が一因となっています。  企業の業績単位は1年ですので、単年度の経営計画が非常に重要であることは間違いありません。また環境変化が激しい中では、中期経営計画はなかなか当初策定したようにはいかないでしょう。そのため単年度でポストの任用を変えてしまいがちになります。  企業の長期的発展のためには、企業の実戦部隊の管理監督をする管理職の任期を明確にすることも重要な論点です。よく管理職のポストはいつ人を替えるべきかが議論されますが、マネジメントサイクルが、中期計画と、それに従属した単年度計画で構成されているのであれば、基本は3年間となるのが道理です。逆に管理職ポストの任用変更のタイミングとして、別の理由は大したものが見つからないはずです。  管理職は誰でもできるポストではなく、一度任用したら、複数年の戦略を立て実行させなければ、経営の構造とリンクしないのです。管理職に任期を設定するべきでしょう。任用の基準やローテーションの中での非常に重要な論点ではないでしょうか。

二重構造の労働市場 | 雇用施策・その他

二重構造の労働市場

 近年日本の雇用管理上、大きな変化が起きたのは、おそらくバブル崩壊後のリストラブームの時でしょう。バブル崩壊前までは、終身雇用が普通であったのが、これ以降終身雇用は以前に比べて重要視されなくなりました。多くの企業が心ならずも大量の正社員の整理をしなくてはならなかったからです。この大手企業正社員の大量整理という現象は、ネガティブにとらえられますが、一方で日本の歪な労働市場構造に大きな衝撃を与えたという意味では、ポジティブな評価もできます。  そもそも日本の労働市場は、大まかには大企業労働市場と中堅中小労働市場から成ります。市場規模としては中堅中小労働市場のほうが圧倒的に大きいのです。大企業労働市場は、新卒社員を雇用して年功序列的な人事制度で終身雇用です。そのため平均勤続年数が非常に長いのです。中堅中小企業労働市場は、常に人材不足と言われてきました。これは質的にも量的にもです。また経営環境の変化に対して迅速に対応する必要があり、かつ人件費の管理も厳格であることから、必要な人材を雇用し必要でない人材は社外に流出するのが普通の感覚です。したがって自己都合で退職する社員の比率も高く、平均勤続年数は大企業労働市場の半分程度と極めて短いのです。  中堅中小企業の人事管理は、一般に言われているような“日本的”な人事管理ではありません。確かに正社員は“期間の定めのなき雇用”ですが、大企業のように全員を定年まで雇用することに対して、大きな価値を持っていないのです。企業が力強く成長するためには、信賞必罰を実現しなければなりません。また人件費の適正化も大企業よりもシビアですので、実力主義的な人事管理がなされています。日本の人事管理は“終身雇用”“年功序列”と言いますが、これは日本の労働市場の一部であり、全体では実力主義的であり、雇用も流動化しています。ちなみに中堅中小企業労働市場の平均勤続年数は、米国の平均勤続年数とほぼ同じなのです。  日本の労働市場的な問題の一つは、優秀な新卒社員のほとんどが大企業労働市場に入ることです。中堅中小企業では中途採用でしか優秀な人材の確保は難しいのです。さらに大企業に入社した新卒社員は終身雇用的意識が強く、企業側も甘い人事管理を行うために、優秀なビジネスマンを育成することができていません。競争も甘く、社内での教育も十分でないために、本来企業が求める人材レベルを満たしている人材ばかりではありません。特に近年では、長らく業績不振で人事育成に対する投資を怠ってきているために、その傾向が顕著です。当然の結果なのですが、多くの企業で、“人材が育っていない”と嘆いているのです。  大企業のリストラのポジティブな面は、大企業の優秀ではあるが活躍場所のない人材を、人材を渇望している中堅中小企業に送出できるということです。またこういった人材移動が多発することによって、大企業側も中堅中小企業の厳しい人事管理の実態を目の当たりにすることもできます。重要であるのは、このような労働移動は大企業が危機的な状況に陥って行うのではなく、活躍場所のない社員や、大企業ではパフォーマンスが発揮できなかった社員などを、業績とは関係なく、中堅中小労働市場に定常的に送出することです。大企業はとかく雇用調整を嫌いますが、環境変化に柔軟に対応するために、また雇用した社員の将来の職業人としてのキャリアを考えると、全員を定年まで雇用することなどは、現在ではナンセンスです。“雇用調整は社会貢献”であるくらいのスタンスに立って、業績がよい時からより積極的な雇用施策を実施しなければならないのです。

期間とレベル | その他

期間とレベル

 多くの人事制度改革のコンサルティングを行ってきましたが、制度の検討期間が長くなればなるほど、改革のレベルは低下する傾向にあるのではないかと感じます。企業によって人事制度を改革する背景や目的は異なりますが、外部のコンサルティング会社を入れてまで、制度を改革しようとするのですから、今までの制度より相当優れたものでなければなりません。優れているというのは、経営目標や計画を達成するための有効な部品としての優秀性と言うことです。そのため新しい人事制度は、経営への貢献という観点で合理的に設計されなければなりません。日本企業では成果主義的要素は入りつつも、現在でも年功序列的制度です。また等級・グレード制度なども経営に連動し手いるとは言い難く、単に簡単な人物イメージの表記にとどまっています。また業績貢献が低い社員の雇用を大事にしており、さらに給与レベルも高かったりします。現状はあまり合理的な制度設計に運用になっていないため、様々な問題が発生しているのです。現在の人事制度の見直しは、年功序列、終身雇用色は薄くし、経営との連動性を重視する事となり、多くは改訂ではなく改革というほうが妥当でしょう。  改革とは、制度そのものの内容の改革はもちろんですが、最も重要なのは、経営者、管理職、人事部門が持っている今までの緩い人事管理感覚からの脱却といえるでしょう。制度設計当初は、経営課題から人事制度を検討する意識が強いため、合理的で構造的な設計になります。しかし当初設計した内容から、検討する時間の経過とともに変化していく企業が散見されます。検討期間が長くなれば、現実の人事からのギャップを心配したり、長年慣れ親しんできた人事管理感覚から脱却できづらくなってきます。通常人事制度の設計は3ヶ月から6ヶ月程度の期間をかけることが多いですが、この期間が途中で延びる場合や当初から6ヶ月以上の場合の多くは、改革レベルが当初掲げていたものよりも、だいぶ後退してしまう傾向が強くあります。自分が経営者の時に、自分が人事の担当の時に改革することを躊躇しているのかもしれません。特に年功序列、終身雇用を継続してきた企業では、先輩後輩や同期という意識が存在しています。具体的な顔を思うと、今までのようなあまり差のない、ある意味曖昧で緩い人事管理のほうが、社員全体からの印象は悪くないのです。実際は人件費が高騰し経営を圧迫していたり、人事管理によって業績が上がらないという事態になっているのですが、現状から変えることに一歩が踏み出せなくなるのです。  業績が一気に低下するような状況では、人事制度は合理的なものに直ちに改革しなければ企業が存続できません。しかし業績が大きく低迷していないときに人事制度改革を行う企業では、短期間であるべき制度に改革できる企業と、長い検討期間を経て結果として行うべき改革が実現できない企業に分かれるようです。  人事部門は、制度の改革によって、短期的な効果とともに長期的な成長基盤の提供ということであることを再確認しなければなりません。また人事制度改革は、最も大きなコストである人件費のコントロールと、経営目標、計画達成のための原動力でなければならないことも、再認識が必要でしょう。決して先輩後輩や同期の顔がちらつき、改革が手ぬるくなることがないようにしなければ人事部門の存在そのものが問われてしまいます。現時点で波風を立てないことが、将来の経営に大きなないマイナスになることを強く認識し、直面しなければなりません。逆の言い方をすれば経営者、人事部門は毅然とした姿勢で、自信を持ち、短期間で大胆に合理的な制度への改革を断行するべきということであり、そういう経営者や人事部門担当者は後の経営や社員から賞賛と感謝がされるのではないでしょうか。

間違いだらけのMBO | その他

間違いだらけのMBO

 目標管理(MBO)は多くの企業で、業績の管理の手法として導入されています。このMBOは最初に誰がどのようにして広めたかわかりませんが、あまりにも非現実的で初歩的な誤認識が目につきます。この間違えたMBOについては、あまりにも語ることが多くありますが、その代表的な誤認識について議論したいと思います。  まず目標管理の対象者ですが、多くの企業で社員全員を対象にしています。目標管理の対象者は、適切な目標を設定でき、それが測定可能で、また自分の権限でコントロールができる人であることが絶対的条件です。この原則を守らないと、多くの企業で出てくるいつも聞く問題が発生するのです。“目標が適切に設定できない”などはその代表的なものです。企業によっては目標を適切に設定しようと躍起になる企業もあります。まず無駄だと思います。上記の3つの条件が成立する社員はポストに就いている管理職社員がほとんどでしょう。一般の社員はチームで仕事をしていることが多く、またローテーションでたまたまその職務を担当していたりします。日本の企業では等級・グレード制度が厳格に運用されていないので、等級による目標の差なども明確にすることは不可能です。簡単に言えば目標管理はポストに就いている管理職に限定するほうがよほどわかりやすいのです。分解できない構造であるのに、無理に目標を一般社員にまで分解することが間違いなのです。  目標管理の書籍などを見てびっくりすることがあります。たまに目標は社員自らが立てるべきであると書いてあるものがあります。これは経営管理上全くナンセンスです。根拠としては、会社の方針を理解して積極的に自分の目標を設定することによって社員の自覚意識が高まるなどとも書いてあったりします。会社の経営方針と経営計画が主要な組織に個別の方針や目標として分割されるのであって、社員が勝手に経営方針を咀嚼して自分の目標を立てるなどは時間の無駄でしょう。積極的に会社や部門の計画や目標に関与する姿勢は極めて重要だと思いますが、それは目標管理の中で達成するものではありません。  さらに続けます。目標は経営にとって重要な達成したい事項ですので、その属性が定量なのか定性なのかに過度にこだわる必要は全くありません。なんとなく定量は正しいが定性は正しくないようなイメージや、定量こそ目標で定性はそのサブ的なものであるような解釈をしている企業がありますが、目標は目標であって数で測定できるか否かで大きな区別をする必然性は何もないのです。またいくつかの目標に“難易度”を設定することがあります。これがまたいい加減な指標です。難易度は等級・グレードをまたぐような目標の場合に、上位や下位等級との平均給与差などを使用して決定するのが理論的です。一般的には難易度の解釈も曖昧なことが多く、さらには“係数”の考え方も根拠が不明の企業も散見されます。  他にも多くの論点はありますが、現在の日本企業の目標管理は問題が多すぎです。もっとシンプルにわかりやすく説明可能な形態に直ちに改造するべきです。

矛盾する方針 | その他

矛盾する方針

 企業が新たに人事制度を設計し導入する場合に、その制度のレベルは関与者の知識、スキル、マインドに大きく依存します。多くの企業では、人事制度の導入を計画する場合に人事部が中心となって設計します。また主要組織のキーマンや経営陣などを中心として、“人事制度検討委員会”などを設置して、人事部門が策定した制度を審議します。新たな人事制度の方向性やある程度の骨格を決定するのは、委員会のメンバーと実際には設計する人事部門メンバーとなります。経営者が方向性と大まかな制約事項を提示して、人事部門が自社に適合した経営に効果のある制度を設計し、それを経営者が承認するというのが望ましい進み方です。  しかしこれがうまく機能しない企業が少なくありません。そもそも経営者の方針や制約がよく理解できなかったりします。また経営者の方向性を咀嚼して人事部門が設計しても設計そのものが合理的でないことも散見されます。そうなると説得力のある説明できないのです。さらには設計の途中や設計終了後に経営者と話をすると、ここでも大きな問題が起こることがあります。経営者は自らが発した方針が制度になることによって初めて現実の社員への影響を目の当たりにするのです。そうすると矛先が鈍る人も多く出てくるのです。  ある企業で“担当している職務によって処遇する制度にする”という方針に対して、人事部門は複数段階の職務レベルを設定して、それぞれ適切と思われる給与を設計しました。職務によってということは、担当職務が上がれば給与は上がるでしょうし、担当職務が明らかに下がれば給与はダウンすると解釈しました。給与制度的には職務レベルによってはっきりと差のある給与制度となります。これを経営者に持っていったところ、毎年の昇給や数年ごとの昇格は行いたいという強い要望が出たのです。職務レベルを軸とした処遇と定期昇給や定期的な昇格などは理論的には相入れないのですが、どうもその経営者の認識が明確でないのです。こういう人事に疎い経営者に対して最近の人事制度理論をすぐに理解させることは非常に困難を伴います。経営者も昔の人事制度で慣れ親しみ、かつ昔の制度でよい思いをしてきた人なのです。こうなると人事制度設計も内部承認を得るまで大きな苦労が待っています。結果としては経営者の曖昧なイメージを何度も形にして説明しますが、そもそも矛盾した方針を出しているのですから、設計しても無理があります。設計に無理があることに経営者は次第に気が付いて行くのですが、これには時間がかかるのです。挙句の果てに、個人別の給与の変更案をみると一気に心が萎える人がいることも、多く目にしてきました。  企業にとって重要な人事制度を策定するのであれば、まずは経営者含めて社内の関与する人たちの人事知識を一定レベルまで上げなければ、議論すら噛み合わないのです。いくつかの企業で、制度設計する前に人事の基本的な言葉や理論の研修を社長含めて関与者に行ってから設計をすることがありました。これは非常に効果的でした。ただし社長含めてこのような事前研修に出ること自体に消極的な企業も少なくありません。このような研修ができない企業は、議論が長くなることを覚悟したほうがよいかもしれません。経営者の“人事管理”に関する知識、スキルが足りていないのが現状ではないでしょうか。

振り出しに戻る | その他

振り出しに戻る

 管理職から外れたら専門職に移るという人事制度をよく見ますが、本当に合理的なのか大いに疑問です。  優秀な事業部長を育てるには、複数の部長の経験が必要でしょう。同じように優秀な部長を育てるためには、異なる機能の課長経験が必要となります。優秀な課長として育成するためには、いくつかの異なる部署の経験をすることが望ましいでしょう。異なる環境や異なる機能でのマネジメント経験をさせることで、マネジメントとしての幅が広がり懐が深くなるのです。そのため優秀な管理職はローテーションが必須となるのです。逆に専門職は特定の領域の社内専門家です。企業によってその専門の領域は異なりますが、特定の領域を深掘りしていくことになるので、基本的にはローテーションという考えは必要ないのです。とにかく特定領域を徹底して詳しくなるようにするのです。要は管理職と専門職は全く育て方が異なるということです。  しかし多くの企業の人事制度はあまり合理的に管理職、専門職の設計がなされていないのが現状でしょう。例えば管理職の等級が事業部長、部長、課長クラスに対応してM1、M2、M3とあったとします。それに対応して専門職の等級もP1,P2,P3のように設定したりするのです。これ自体には問題は全くないのですが、M1で管理職から外れた社員を同格のP1に転換させるような人事制度が圧倒的に多いのです。管理職と専門職は行き来が自由のような設計も多く見られます。管理職を外れたのであれば、管理職のもとで何らかの実務を行うことになります。この実務のレベルは同格の専門職と同じとは考えられません。専門職としてもその経験を積んでいない分、同格ではなく一つか二つ下ではないでしょうか。しかし実際にはあまり処遇を下げたくないという感覚から同格の専門職にしたりするのです。  これは専門職の地位を著しく侵害しています。本当の意味での専門職は長年特定の専門領域の職務に就き豊富な経験と高いノウハウを持っているのであり、管理職だった社員が横滑りしてきて同格ということはあり得ないでしょう。そういう意味で現在の専門職は2つの人材が混在しているのです。管理職から外れた人材と専門家として評価されてきた人材が同じ等級・グレードに存在しているとも言えます。そうなると専門職は管理職から外れた社員の処遇の場として認識され、“管理職として処遇できない社員の職種”、“管理職より下”のような位置付けとなり、本当の意味での専門職は根付きません。  まず管理職と専門職はその育成方法の違いと形成する能力の違いから相互の互換性は高くないことを再認識しなければなりません。自由に行き来できるというのは、全くナンセンスなのです。また管理職のどの等級からでも、管理職から外れた場合には専門職の一番下へ格付けるような方法が合理的でしょう。管理職としての能力ではなく専門職としての能力で評価すれば多くの場合にはM1〜M3の社員が専門職に行く場合には、皆P3に格付けるということです。管理職から外れたら、分岐したスタートポイントに戻るのです。“振り出しに戻る”ということです。 以上

夢のない分布 | その他

夢のない分布

 社員の評価が適正でない企業では、最終的な手段として“分布規制”を行います。これは社員の能力や業績の評価結果を決められた分布通りにするという発想です。その多くは“正規分布”的発想で、SABCDの5段階であればSが5%、Aが15%、Bが40%のようにあらかじめ“形”を決めておくのです。こうすることにより、甘辛の調整をするという発想です。 この考え方にはいくつか重要な論点があります。多くの企業では社員の評価は“絶対評価”で行い、その結果を相対評価するという建付けになっています。背後には評価者は甘く付ける傾向にあるということでしょう。一次評価した絶対評価を信用しないということなのです。こうすることによって社員からみた評価制度は意味がわからないものとなります。もう一つ重要であるのはそもそも“正規分布”は正しいのかということです。企業内の人材が一定の評価基準で評価した結果正規分布になることなど、どの理論に基づいているのでしょうか。少なくとも私は十分な論拠のある正規分布適正論を見たことはありません。働くアリだけを集めると、一定比率働かないアリが発生するといったことが、この評価の分布議論で、納得性のある話のように流布されています。面白いですがそれだけです。体感的には優秀な人材が多く在籍している企業もその逆もあると思いますので、なぜ正規分布かが理論的にも体感的にもわからないのです。そんなに相対評価したければ、社員に順位を付ける制度のほうがわかりやすいのではないかと思います。等級別の自分の相対順位で自分の位置づけを認識するイメージです。  この正規分布の考え方は、別な言い方をするとあまりにも夢がありません。人事管理の本質的意味合いを否定しているかの如く感じることさえあります。どの企業でも“優秀な人材の育成”と銘打っていますが、優秀な人材は一定比率しか認めないという矛盾したものとなっているのです。人事管理の視点では優秀な人材の比率が高まることで、より高い生産性、より高い業績を生み出すために行っているのであり、一人でも多くより活躍し、より高い処遇になることが目的です。正規分布はその人事管理の目的を否定している考え方に見えるのです、  実際には分布規制をしている会社は、そんな悪意を持っていません。甘い評価が横行するのを何とか食い止めるために行っているのでしょう。経営や人事部門の苦悩がこのような手法に表れているのです。いずれにしても評価そのもの、人事制度そのものをより高い効果を出すという視点からは、副作用の非常に強い対処療法でしかありません。  真に優秀な人材が多く発生して困ることはありません。逆に優秀な社員が多く出現するほうがよいに決まっています。社員を適正に評価できる仕組みやマインドを再構築して、“正規分布的発想”をなくし、攻撃的で夢のある人事管理に変貌しなければなりません。いつまでも正規分布が妥当かを議論したり、正規分布の比率の議論はあまりにも本質から逸脱しているように思えます。 以上

残業代不支給 | その他

残業代不支給

 かつて“ホワイトカラーエグゼンプション”という、ホワイトカラー業務従事者の時間管理を対象外にするという議論がありました。そして最近急速に残業代の支給に対する緩和の議論が行われようとしています。特に時間投下と成果の直接的な関係が証明できないホワイトカラー業務については、本来的に考え方を整理するべき時期に来ていると思います。企画や設計を行うようなホワイトカラー業務は、個人の生産性が大幅に異なります。同じ業務を行ったとしても、同一時間を投下した結果、極めて短時間に非常に高い成果を出す人もいますし、時間いっぱい使用して高い品質の成果を出す人もいるでしょう。品質が高くなく時間内に終了する人もいます。また品質以前の問題として時間内に終わらない人もいます。現在ではこれらの人に対して明らかに問題のある処遇管理をしています。時間内に高い成果を出す人には、残った時間で別な業務を与えられます。時間いっぱい使用した人には成果の高低はあれど短期的な処遇は同じです。時間内に終了しなかった人には超過した分の超過勤務手当が支給されます。さらには品質が高くない、時間内に終了しない社員には、上司の業務や時間管理に関する指導が行われたりしますので、このような目に見えない管理コストも発生します。確かに中長期的には高い成果を出す人は、速く昇格するなどの恩恵はあるでしょうが、短期的な処遇という観点では、時間内に終了しないほうが、処遇が高いことになります。  実際に何かの企画をする業務などは、業務時間外にさまざまな発想をすることが多いのかも知れません。有名な話ですが自動車が開発された時にはタイヤはただ円形の枠にゴムを巻きつけたものだったそうです。そのため振動が直接乗車する人に伝わり、乗り心地が悪かったそうです。この乗り心地の改善にさまざまな検討をしましたが、なかなか名案が浮かびません。そんなある日に考えながら公園を散歩していると、どこからかボールが飛んできて頭に当たりました。ゴムボールは中に空気が入っているので痛くありません。その時にタイヤに空気を入れて衝撃を和らげるというアイディアが生まれたという有名な話があります。要は何かの企画や設計などを真剣に考えれば考えるほど、日常の中でもそれを考えてしまうことのほうが普通で、就業時間の時だけ考えて、時間外は一切業務のことは考えない程度の思い入れでは、優れた企画や設計は出ないいのです。そもそもホワイトカラー業務は時間との相関関係など存在しないことを改めて認識しなければなりません。  このようなホワイトカラー業務に時間を主軸とした管理という歪んだ考え方をはめ込むこと自体にそもそも無理があるのでしょう。ホワイトカラーの残業代を不支給にするという考え方は、時間管理を行っている前提の話ですので全くの反対です。しかしホワイトカラーの時間管理を無くすという考え方は自然であり、わかりやすく公平であると思います。これは年収の高さなどは全く関係がありません。残業代を払うはらわないという議論ではなく、時間管理という考え方がなじむか否かという事が重要だということです。

実力主義と雇用責任 | 雇用施策・その他

実力主義と雇用責任

 仕事柄多くの企業の人事制度を見ることができます。全体的な傾向としては社員の実力に応じた人事制度に変更する企業が多くなってきたと思います。今までのような年功序列的な人事制度から、優秀な人材はより早期に抜擢し、そうでない社員は今までよりも低い処遇にするということになります。このような実力主義的人事制度は、経営がおかれている環境変化に対応するために施策として、ごく自然な発想です。議論があるのはその実力主義的な度合いです。優秀であれば全く年齢関係なく昇格させるような完全な実力主義的企業は少なく、今までよりも多少昇格や給与の分散を大きくするという感覚の変更が多いように思います。それでも今迄に比較すると大きな変更であると社内的に感じるのではないでしょうか。今後のこの分散のありかたが実力主義的であるか否かという議論になると思われますが、この分散の激しさは企業の雇用責任に大きく影響を与えることを十分認識している企業ばかりではありません。  実力主義的にする、要は標準的なキャリアパターンよりも昇格や報酬の分散を大きくすることは、二つの重要な論点があります。一つは優秀な人材をより早期に要職につけることができる、また優秀な人材に対する報酬を傾斜的に多くすることができるため、企業の成長に寄与するとともに、優秀社員の社外流出を抑止することができるということです。これは企業にとっても優秀な社員にとても非常にメリットがあると言えるでしょう。もう一つの論点は、その逆で実力主義が進行するとともに、優秀でない社員の昇格や報酬が今までよりも下がるということです。この結果優秀でない社員のモチベーションは今までより低くなる傾向になります。ここで重要なのは企業は優秀でない社員の雇用を定年まで維持することが望ましいか否かということです。優秀でない社員は将来的に昇格や報酬が今までの期待以上にならないため、長期に渡り優秀でない状態が続くことになります。このような低モチベーションの社員の一団が発生することにより、企業全体のパフォーマンスが低下する可能性が大きいということです。単純にはこのような一団は定年まで雇用するのではなく、社外に転出したほうが企業としては望ましいのかもしれません。また社員も将来のキャリアや報酬を考えると他社で活躍するほうが職業人として、また報酬も含めて望ましいと考えるようになるでしょう。  実力主義人事制度にするに従い、この雇用責任という意味を明確にしなくてはなりません。将来に渡り高いパフォーマンスを期待できる人材は定年まで雇用し、逆に期待できない人材はできるだけ早期に他社に送り出すという考え方が今後の雇用責任ではないか問うことです。  驚くほどの実力主義的人事制度に改定する企業で、このような雇用責任の話をすると、半分以上の企業では、モチベーションが低くとも定年まで雇用するのが責任と考えます。パフォーマンスが将来に渡り期待できなくとも、企業としては退職を勧奨することを極端に嫌う企業が多くあります。社会的な意味での適正な再配置という観点でも、社員の将来のキャリア可能性という観点でも、無理なく積極的に社外に転出させるというスタンスのほうが、今後はよりひろく受け入れられていくことになると思います。“実力主義にすれど終身雇用”という考え方に固執する必要性はないということです。